不景気と佛立信心

2010年01月26日 | Weblog
かつては信心と不景気とは必ずしも連動しないと言われていました。
不景気の方が、かえって心配事が増えて、参詣する方も増え、一生懸命お願いをかけるはずだとされていました。
これは何も、佛立信心に限らず、世間一般の一時的な信仰においても同じで、景気が悪ければ悪いほど初詣での参拝客が増加すると言われていました。
ところが、最近は傾向が変わってきているのではないかと思います。
なるほど、経済的に皆、深刻な影響を受けていますから、交通費もかかる寒参詣は家族で来れなくなっているとも思われます。でも家族で一人くらいは何とかお参りしようと思えばできるのではないでしょうか。
寒さに負け、忙しさに負けて大事な寒参詣ができないと結局、その人の果報が減ります。
昔から「そろばんを逆さに持て」と言われています。どうか、佛立信者の底力を見せて、全国の佛立寺院が昨年以上の参詣者であふれるよう願ってやみません。
遠妙寺のご信者で、もっとも距離が遠い方は2時間くらい、かかります。
その遠方から今も、毎日参詣されている方がおられます。
ある方が、その方に「そのように遠方から、また、何十年もお参りしていて、本当に何か良いことがあるんですか?」と聞きました。
「はい、病弱な私が、こうして何十年も寒い中、大病にかかることもなくほとんど毎日、参詣できていること自体、不思議なお計らいです。これこそ大きなご利益です」
と答えました。
インドで釈尊が法華経をお説きになった山の名前を、霊鷲山(りょうじゅせん)または鷲山(りょうぜん)と申します。その霊山まで行かなくても、お寺にお参りし心を込めて口唱信行に励めば、知らないうちに、居ながらにして霊鷲山(寂光浄土)に参拝しているのです。
【御題】如説修行抄
朝毎(あさごと)に 唱へ死(となえじに)して
霊山へ 坐して(ざして)居ながら 日参をせよ
と開導聖人は御教歌にお示しです。
(写真はインド霊鷲山)
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伊籐家の秘密

2010年01月23日 | Weblog
今日は伊籐さんのお宅でお礼御講。
伊籐さんは確か10年ほど前に佛立信者の仲間入りをされたように思います。
当時、ご主人はまだ入信されてはいませんでした。親戚の方に勧められて、奥さん一人でご信心をされるようになりました。
そのころ、何か悩みがあったようですが、すっかりお計らいをいただかれました。
今年のお正月は、長男、次男、三男の家族と知り合いの方で新年会を開催。
10数名で集まり、おいしくごちそうをいただき、夜遅くまで歓談して楽しい一日を過ごされ、今日の御講で、その喜びを語っておられました。
みなが丈夫で、順調で無事に正月を迎え、皆で和気藹々と語れることほどすばらしいことはありません。
おそらく、入信されたころからすれば、夢のような状態ではないでしょうか。
その間、最初は遠慮がちに家の片隅に置かれた御戒壇が、いつか居間に移り、それが少し立派な御戒壇になり、ご主人が入信。御本尊もご主人の名前が入った御本尊になりました。
さらに今回、立派な荘厳な御戒壇となり、大きな護持御本尊を拝受しました。
そこで今日は、御礼御講をつとめられ大勢の参詣者がありました。

私なりに思いつくまま、幸せな家庭の条件を挙げますと、
家族を信頼すること。
けっして家族を裏切らないこと。義務を果たすこと。
ふだんは家族にやさしく接し、大概のことは許しあうこと。
もちろん、これはということについては、大人は毅然として子どもに注意しなくてはならないでしょう。
でも、以上の事だけではちょっと足りません。
家庭の幸せには、芯となるものがなくてはなりません。
心からの信心、信仰が大切です。
家族がみな、御宝前(み仏)に手を合わせられるようになったら、その家庭の幸せは約束されているでしょう。
これが伊籐家の幸せの秘密です。





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今日の御教歌

2010年01月21日 | Weblog
開導日扇聖人の御教歌
弘めんと おもう心の 一筋に お唱え申せ 妙法の五字

今日は寒修行参詣、第16日目。今日で、半分を超えました。残り半月です。寒さに負けずに頑張って寒修行に励みましょう。

およそ、神仏に願いをかけるというのは自分自身のことで祈るケースがほとんどです。
それは、けっして間違っているのではないのですが、この上行所伝の御題目のご信者としては初門の位、入門の段階(ファースト・ステージ)です。
ご信者は、初門から第二重(セカンド・ステージ)、第三重(ラスト・ステージ)後心(ごしん)の信者へと進まなければならないと開導日扇聖人は仰せになっています。
初門の信者は、日蓮聖人や日隆聖人、日扇聖人が定められた謗法ということを固くつつしみ、人を教化することはできませんが、本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経の御題目を唱えて、一心にご信心をして、御法が弘まっていくのを喜び、法華経の持者、行者につかえ、その悪口を言わない人だと説かれています。
第二重の人は、異体同心のこころで、信者をそれが事実であるとか、事実ではないということに関係なく、一言も陰でそしることなく、教化の思いを以て人に御法をすすめ、ご信者の中に謗法を犯している人があれば、はっきり面と向かってお折伏する人であるとされています。
第三重の人は、即身成仏の位、本因妙の菩薩の位ともいわれ、真実の如説修行の行者の位ともいわれる人です。
ご信心ご奉公をまっとうするために仕事をするという、信心第一の人で、法華経の為に命さえなげうって、身命をおしまず不退転の人であるといわれています。
この第三重の位に入った人は、自分自身の現世のことはさておき、人々に真実の御法をすすめて本当の幸せを得るようにしてさし上げることを使命としています。
このタイプの人は、同じ御題目口唱の修行にしても、「弘めんと思うこころの一筋」でさせていただくのです。
そして、逆にこのようなご信心のさせていただき方をしていますと、かえって、御法のみこころにかなっているが故に、願わずとも自分自身のご利益を頂くのです。

遠妙寺信徒で「もとじい」と呼ばれ慕われている高齢のご信者がいます。
この方は、現在、教区長としてご奉公され、遠方から寒い中、日参に励んでいます。
どんなに大変なご奉公もいやがらず、熱心になさっていて、数年前には弘通部長の御役をいただきました。
朝早く参詣され、遅くまで弘通部の事務を取り扱い、また、可能な限り、御講参詣、お助行にもつとめられていて、一日、一日が御法のための日々です。
この方が六年前にガンを患いました。胃と腸と両方にガンができていました。ぜんぜん、気がつかなかったのですが、ある日、吐き気がして、お寺参詣にこられる時、気持ち悪くなり途中の駅で吐き、次の駅で降りて吐き、帰りにも吐くものもないのに吐きながら帰宅しました。さすがに病院に行き、診断を受けたところ、胃と腸に大きなガンの固まりがあり、余命半年と言われました。
ところが、その後、大手術を受け成功して、命を取り留めました。もちろん、皆でお助行しました。
その後、抗がん剤投与をしましょうと言われ、副作用の説明を受けました。
ところが、なかなか当たらないはずの抗がん剤がピタッと当たり、副作用はいっさいなく、順調に回復。一ヶ月後には、お寺参詣ができました。
めざましい回復ぶりに医師は驚き、白髪が多かった頭に黒っぽい頭髪がはえてきました。
その後、お世話されていた90代のご信者が亡くなられ、こうしてはいられないと「もとじい」はその方を見送るためのご奉公を早速、なさいました。
今も、元気に教区のご奉公に明け暮れ、少しでも教化ができ、大勢の方がお計らいをいただき幸せな生活を送れるように祈って、口唱に余念がありません。
ご信者ではありますが、私は、この方は真実得道の真の出家と開導聖人が仰せになっているとおりのご信者だと合掌の思いを以てその姿を見ています。
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日教上人について

2010年01月19日 | Weblog
来年の1月17日が佛立第四世講有、日教上人の100年目の御年回、すなわち100回ご遠諱(おんき)です。
日教上人は、関東に本門佛立宗のご信心をもたらした方ですが、その偉大な功績にしてはわずか56歳というお歳でご遷化、お亡くなりになりました。
遠妙寺の開基、伊達日彰上人も56歳でご遷化です。
さすがに業績を残される方は違う、比較にならないと痛感します。
17日(日)、清雄寺で恒例のご墓前式が開催され、報恩ご奉公へのお誓いを新たに今年度のご奉公をさせていただくことになりました。
日教上人はご遺訓として
一、信心強盛にせよ
二、我欲を出すな
三、彼我を見るなかれ
信心強盛にせよとは、日々に新たに清くせよと云ふことなり。
我欲を出すなとは、常乞食(じょうこつじき)を本分とし蓄積の念を出すなと言ふことなり。
彼我を見るなとは、敵対心を持ち競争の念を出すなと言ふことなり。
と言われました。これは、お弟子方に言われたことです。
信心強盛とは、ご信心が強く盛んに燃えさかるということですが、なかなか難しいですね。昨日は燃え、今日は鎮火というのが私たち。毎日、信心改良して新しい課題をみつけてご祈願をかけ、実践するということだと思います。
2番目の我欲を出すなとは、要するに教務たる者、私財を蓄え、資産を形成しようなどと思うな、余分なお金があればご弘通に投入し、ご有志をするように言われたのだと思います。
もっとも、佛立宗では他宗と違い、その気になっても資産を形成できるようなお寺は今やないでしょう。昔は多少あったかもしれませんし、例外もあるかもしれませんが。
3番目の「彼我を見る」というのは、他と比較して、あちらは恵まれていいなと、羨むうちはよいけれど、いつの間にかライバル意識が行き過ぎて敵対心を持ち、変な競争の気持ちをだしてはいけないということです。
お教化も、お助行も、ご有志も、信心を以て、いま困っていて救いを求める方のためにさせていただくのであり、成績とか敵対心をもととする競争などというレベルのものではないという事です。
田中日晨上人は、関東の佛立寺院は「もとは一つ。みな同じ血が流れている」と言われたそうですが、そのような気持ちで助けあっていくことを実践することが必要です。さらに考えれば、東も西も元は開導日扇聖人ですから、佛立は一体となって異体同心とならなくてはいけないのです。



                
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先住、日玄上人の23回忌正当

2010年01月15日 | Weblog
1月15日は先住、日玄上人の23回忌御正当の日です。
日玄上人は私の師匠でもあり、父親でもあり、やはり、人生の中で大きな影響を受けました。
年齢差が42歳もあり、父という感覚、親子という情感を感じたことは子どものころ、あまりありませんでした。
私が19歳で得度してから、同じ佛立教務同士となったことには違いありませんが、何しろ師弟という間柄でしたから、かなりの距離がありました。
ほんとうに距離感が縮まり、親子の感覚が芽生えたのは、日玄上人が亡くなる1年半前に私が住職を継いでからです。
父は、私に対して少しライバル的な感覚で、若い者になど負けまいとがんばり、毎日のように私は怒られるようになりました。時には、私が言葉を返し、感情的になることもありました。
いま考えてみますと、もし、そういうやりとりをした1年半がなければ、本当の親と子、師匠と弟子になっていなかったと、ある意味で感謝しています。
22年前の1月15日、成人の日でしたが、お寺の行事が終わり、私が翌日の佛立教育専門学校での授業のため、泊まりがけで京都に向けて出発しようとした時のこと。
「これから京都に参ります」と挨拶をしたところ、父は「京都に行くのか?」と少し、意外というか、なぜ行くのか?というような口調で、背後にいる私の方をほんの少し振り返り言いました。
私は、何かひっかかりながらも、カバンを持ちコートを着て玄関で靴を履き、ドアから外に出ようとしました。でも、急に気が変わり、今日は止めておこう。明日の朝でも一番電車に乗れば間に合う。そう思って、身支度を整えていたのですが、また、普段着になりました。
その2時間後くらいでした。父、日玄上人は体調が急変し、病院で心臓マッサージ等、行いましたが、そのまま遷化、亡くなったのです。
また、18日の葬儀告別式の日、不思議なことがありました。
一山の導師の出棺ですから、長い葬列をくんで題目旗を先頭に、奉修導師小山日幹上人はじめ参列教務や、お位牌や写真、棺は8人くらいでかつぎ、本堂から階段を下がって玄関、そして外へと順次、進んでいきました。葬列が長いため、お寺の玄関から5、60メートル先に霊柩車が止まっています。葬列が外へ出たとたん、急にビュービュー音を立てて強風が吹き始め、衣が舞い上がり、旗は音を立てていました。雲一つない青空だったのが、一天かきくもり、暗くなり、その上、上方では空気が渦巻いています。ごろごろと雷鳴まで聞こえました。まさに、諸天善神がお迎えに来たと実感せざるを得ない状態です。
「二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し、諸天善神は蓋をさし、幡をあげて我らを守護して確かに寂光の宝刹に送り給ふべき」(如説修行抄)
と日蓮聖人が仰せの通りの情景でした。
このことだけは、深く心に刻まれています。


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謗法その8

2010年01月12日 | Weblog
前回の続き
門祖聖人は、信心法度十三箇条の第一条に
「他宗の堂社にまいってはならない」ということに続けて「一紙半銭をも供養すべからず」と仰せです。
宗教ならどの宗教でも同じだ、仏教ならどんな宗旨でも仏教なのだからお互いに助け合って協力するのが当然だと思っている人がいます。
これは、教相(宗教の相違面、優劣)というものを知らない人の暴言です。
もちろん、地球上に住んでいる人は、みな同胞であって、慈しみあうのは当然のことで、目の前で人が倒れているのにキリスト教徒だから助けない仏教徒がいたらおかしな話です。また、キリスト教徒とイスラム教徒の間で戦うとか、宗教戦争などあってはならない話です。
でも、仏教の長い歴史の中で、繰り広げられた教相、教判ということを知らなければ、真実の信仰も成り立ちませんし、自分がどうしていま、この信仰をしなくてはならないのか説明がでてきません。教判を行い、彼此の宗教を比較することは、この私が宗教を選択する上で絶対に必要なことで、選択しなければ宗教的実践をすることもできません。
ですから、「あれか、これか」という比較をして、選択することは理性にもとづく営みで、他宗教に対して優位を主張することがすなわち、カルト宗教ではありません。
ただ、いくら自己の宗教が優れていると自負しても、他の宗教を信ずる人を人間として否定したり、攻撃したり、暴力的に改宗させたりすると、これはおかしなことです。
そのあたりのことを心得て、比較と選択を行い、優れた教えに依らなければ大事な人生を有意義に過ごすことはできません。
さて、「一紙半銭をも供養すべからず」というのは、他宗教の本堂や礼拝施設に参った上、なんらかの寄進、寄付等をしてはならない、たとえそれが僅かな少額であっても禁止するということです。一紙とは一枚の紙、ほんの少しの物。半銭と一文に満たない半文の銭で僅かなお金です。
私たち日本に住む者は、神仏習合という、神社と仏教が一体化してしまったために、どんなお寺にもどこの神社にも平気で、拝む気もないのに参拝してお賽銭をいれる習慣があります。これは宗教的純潔をけがすもので許されないことだというのが、この条文です。
寒修行参詣の5日目、1月10日の御法門での御教歌は
【御題】堅法華
清風と いふ名は遠く ひろごれり ほこりがほにも 吹や散にし
というお歌で、開導日扇聖人の「清風」というお名前が拡がったのも、すべて堅法華と揶揄され、陰口をたたかれるくらい「謗法」を厳にいましめて、日蓮聖人の教えのまま、純粋な信仰を貫いたお蔭である。そのため、驚くべき現証御利益をいただき、不治の病が治り、心のご利益も頂き、精神的に安定し、その他、さまざまな現証をまのあたりにした。その結果、いつしか開導日扇聖人のやり方を批難していた者達も、口をつぐみ、姿を消してしまったのであるという意味です。
何が謗法行為であり、何が謗法ではないか、ここまでは謗法とは言えないが、これ以上は謗法であるという境界線については、時代によって考えなくてはならない所もありましょう。
すべてが謗法であるとして宗団の外部と断絶してしまえば、教化することも不可能となります。しかし、一方的に、なしくずしに謗法観念を取り払い、世間的な面だけでなく出世間、つまり佛法上で一体化してしまえば、自らが謗法に堕することになるでしょう。
境界線については一概に言えないのですが、ただ「紛らわしきは謗法」という御指南があります。どちらか迷うようなことは避けるのが賢明ということです。
続く
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厳寒の京都で 

2010年01月07日 | Weblog
今年初めて、京都の本山にお参りし、佛立教育専門学校の始業式に出席しました。
いつもの年より京都は冷え込み、底冷えしていました。
今年の寒修行参詣はことのほか、厳しいようです。
始業式の後、教員会が開かれ、いろいろ打ち合わせをしました。
その後で、毎月、教員勉強会が開かれますが今月も例に漏れず、二人の方から御法門研究の発表がありました。
お二人とも、大変すばらしい研究を発表され、また、そのご法門に引用された体験談はすばらしいものでした。
そのうちの大阪・信光寺のご信者Gさんは、もうご主人は86歳、奥さんは82歳だそうです。毎朝五時に家を夫婦そろって出て、20分歩いて駅まで行き、そこから阪急、地下鉄を乗り継いで早朝にお寺に着くようにされているそうです。
三人の息子さんのうち、長男の方はそばにおられるようですが、次男は薬学博士、三男はお医者さんです。
そのお二人がそろって、「毎朝、お寺にお参りしなさい。何よりの薬です」「風邪を引いても御供水さんを頂いて治しなさい。何よりの薬です」と言われるとのこと。365日、このように夫婦でお参りして、お寺では「ありがとうございます」と笑顔でご信者にご挨拶。ご主人は皆と握手される習慣があり、他のご信者も「今日も一日、元気で過ごせる」と悪趣を待っているとのこと。
「最近は足腰が悪く、満足にご奉公できません。申し訳ないことです」といいながらも、毎月、信光寺で開催している下種結縁運動(他の方に声をかけ、ご信心をおすすめしてお教化をこころがける種まきの運動)には必ず参加。「結構なご信心ですよ」と声をかけて歩かれておられます。
そうしてお教化もなさり、ふだんは質素な生活をモットーとして暮らしておられますが、何か大事なことがあると率先して、有志者として多大なる寄付をされているとのことです。特に、本堂にまします高祖御尊像のお裹頭(おかとう)はいつも、このGさんがご有志(寄進)されています。
この世知辛い不況の時代にあって、心温まりほっとする話です。
私たちも、このようなご信者に見習って、もう一度、我が心の中を見つめ直して本当にお祖師様にお喜びいただくご信心をさせていただかなくてはもったいないと痛感しました。
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信友の遷化を悼む ああ藤本淳悦師

2010年01月05日 | Weblog
昨日から今日にかけて私は、大阪の豊中良風寺にまいりました。
住職の藤本淳悦師(如説院日修上人)は京都の佛立教育専門学校(教学院)では私の一年後輩で、一年、寝食を共にしました。その後、清風寺でいっしょにご奉公。
また、その兄の藤本淳講・日唱導師には私はいろいろお世話になりました。
藤本淳悦・日修導師はまだ50代半ばですが、さる12月31日、ご弘通ご奉公のさなかに倒れ、急逝されました。
教務がご奉公の中で亡くなると言うことは、本望だと言われていますが、なかなかその言葉通りに「身命を惜しまず」ご奉公し、自分はご信心をお弘めするためにはどんな目にあっても構わないと本気で思うことは難しいものです。
しかし、藤本御導師は、常に体を張ってご奉公されてきました。古巣の清風寺でも、奄美大島にあった清風寺別院でも、ブラジルでも、住職としてご奉公するようになった良風寺でも、東に病人があれば御助行して一所懸命に全快を願い、西に信心に迷いを起こしている人があれば、行って「そんな風に考えたら間違いや」と折伏し、北に問題を抱えて困っている人があれば「いっしょに御宝前にお願いしよう」と御看経して励ます。南にダダをこねて暴れる者がいれば「話を聞こう」とどんなところでも、どんな人にも妙法の有難さを説く人でした。
その臨終の姿は尊く、その顔は寂光浄土に行かれた人だけが示すことができる安らかさをたたえていました。
身をもって佛立教務のあるべき姿を示されたように思えてなりません。
さようなら、藤本御導師。さようなら淳悦師。
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駅伝

2010年01月03日 | Weblog
今年も高齢の駅伝で正月早々、みながんばって走っています。
午前9時現在は、東洋大が一位、二位が山梨学院、3位が中央大という順位ですが、どうなるでしょうか。
駅伝の第一回は大正6年で遠妙寺の創立の年です。
最初はなんと京都・三条大橋から東京上野の不忍池まで、東海道の全長514キロを23区間に分け、関東と関西の2チームの紅白戦で3日間かけて行われたとのこと。
長たらしい名前ですが、東海道五十三次駅傳徒歩競走と称していたそうです。
駅伝のもととなる制度とうものが昔の中国にあったということで、今、「道の駅」などというものができていますが、本当はこの「道の駅」の方が駅の原型に近いものです。
地方からの情報を中国では、次から次へと伝令を立てて伝達していたのですが、馬を使うので駅馬伝馬制と称し、その伝令中継地を駅といっていたそうで、道理で駅という字はうまへんなんですね。
考えてみますと、仏教でも、お花とかお茶とか、その他の技芸でもみな、昔から現在、そして未来への駅伝ですね。
できるだけ頑張って、力の限り走って走って、次の走者にバトンタッチするという、その繰り返しです。途中で次の走者にバトンタッチする前に転倒しないよう、無事に次の走者にバトンを渡すのが走者の使命です。それがもし、突如、走るのを横から妨害されたり、倒されたらこんな残念なことはありません。
私も先住、日玄上人よりバトンを渡されて25年目に入りました。無事にバトンタッチするまで、全力で走るのみです。
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あけましておめでとうございます。

2010年01月02日 | Weblog
新年おめでとうございます。
特に、このブログを見てくださっている方、昨年は辛抱強くブログをごらんいただき、有難うございます。どのくらいの方が、見てくださっている方がいるかという事がブログを更新する「やる気」が起こるもとです。
さて、御教歌に
たへられじ あなたへられじ よの中よ さりとていづこ のがるべき道
と御教歌にお示しです。
苦しみも楽しみもその人についてくるもので、その人がどこに行こうが地獄も寂光浄土(天国)もついて回るということです。
その人が行くところ行くところ、周囲を明るくする人もいますが、反対にどこに行っても暗くする人もいます。
日本は不況が長引いていますが、それは日本人の考え方や行動パターンが原因です。もうダメだというときに、日本人は周囲に同調して、みな積極的に打って出るという姿勢をなくし、消極的に暗くものを受け取り、考えます。それでは苦境を脱却できません。
有名な話ですが、アフリカに昔、靴のセールスに行くことになった何人かの営業マンがいました。ある人は、「とてもアフリカなど靴が売れない。誰も靴は履いていないじゃないか」といいました。ところがある営業マンは「誰も靴を履いていないなら、こんな大きな市場はない。みんな靴を履くようにすればいいではないか」といったそうです。
ある経済の専門家が、今年の景気の動向について「今は株価がとても上昇している。インドや中国の新興国の成長に伴い、年の後半からはかなり回復する。年の終盤に近づくに従って回復するであろう」という予想を立てています。
それを信じるも信じないも、人の心です。得てして楽観的な考え方にならない、同調しないのが賢明な人のように思われている節があります。
そういう人が悪い噂に同調する傾向が強いようですが、かえって害が大きいといえます。
明るくものを考え、困難にめげずに向かっていくのが佛立ボサツです。
日蓮聖人も門祖聖人も開導聖人も困難な状況を打ち破って、お教化のご奉公をされ、ご信心を弘められ、いつの間にか周囲を浄土に変えてしまわれました。
今年は、とにかく、前向きに積極果敢にご奉公させていただきたいと思っています。
2月28日にはフィリピンで初の御講を奉修する計画を立てています。
(写真はフィリッピン・ネグロス島で撮られたものです)
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