会議は疲れる 能率よくいきたいね

2008年09月30日 | Weblog
今日は、京都に行き、連続して午前十一時、午後一時、午後三時と三つの会議に出席しました。
さすがに、ドット疲れました。
すわって、しゃべって、お茶飲んでいるだけなのに何故、疲れるのでしょうか。
お寺でもどこでも、会議が多いですよね。
会議をやればよいというものでもありません。
でも、会議をなくせば、やはり困りますからね。
アーぁ、どっちがいいのか分からなくなってしまいました。
次回は、いかに会議を減らすかという会議にしましょう。
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もうすぐ9月も終わりですね。

2008年09月28日 | Weblog
いよいよ、9月も終わり本格的な秋へと移ろいゆくというところです。
学校時代から、夏が終わると寂しさを感じました。夏休みが終わるということだけでなく、秋のもの悲しさが何となく感じられました。大人になっても、9月に入るとき、10月になるときも同じような感覚に襲われます。
思秋期という言葉があります。
これは思春期に対応する言葉で、思春期が十代の前半、これから青春にさしかかる時期をさすのに対して、中年から熟年にさしかかる悩み多き時期をさすようです。
今は、中年を過ぎ熟年に入った団塊の世代、私たちの世代が悩み多き思秋期に入っていく頃です。うまく皆、抜け出せるといいのですが。
個人的な問題だけでなく、サブプライムローンに端を発した金融危機、年金問題、後期高齢者医療制度など、社会にも悩む材料はほんとうにたくさんありすぎです。
定年を迎える前も、その時も、その後もいろいろな問題が起こってきます。
いま、自殺者は年間、3万人超で十年連続だそうです。昨年より2.9%増で平成15年に続いて過去2番目。
年代別での統計では、60歳以上が12,107人でトップ。年代が低くなるにつれて少なくなり、20代は3,309人。
性別では男性が圧倒的に多く、全体の71%。
おじさんと、おじいさんが弱くなっているということです。
おじさんとおじいさんは、悪戦苦闘していますが、信心信仰にはみな、目を向けないので困ったものです。
私たち、僧侶がすべきことは、多くの人の心の支えとなるご信心を弘め、その教えを説くことですが、こちらからどのようなメッセージを発していくか。振り向いてもらうにはどうしたらよいか・・・・・・・
いま、私は日蓮聖人の著作「如説修行抄」について、12年前に書いた原稿に手を入れているところです。もう一度、日蓮聖人の歩まれた道、歴史を勉強し直し中です。
そうしますと、次から次へと襲いかかる法難をものともせず、困難に立ち向かう日蓮聖人のお姿が目に浮かんできます。
絶望的な状況になっても、一度も弱音を吐いたこともなく、常に明るかったのだなぁと思います。すごいことですね。
法華経に、「日月の光明の、よくもろもろの幽冥を除くがごとく、この人、世間に行じて、よく衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして畢竟じて一乗に住せしめん」
と、あります。
日蓮聖人が人々の心の闇を照らして明るくされたように、何とかそれに続いて行きたいですね。

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たましいを癒すには 前回の続き

2008年09月26日 | Weblog
“たましい”の実在については、その他にも
1 千葉・唱題寺の内田さんが教化された際の、壮絶な体験談がもっとも解りやすいと思います。
男性なのに、女性の霊がのりうつって、内田さんの首をしめようとした話です。
詳しい話は、房総布教区の機関誌「ぼうそう」や大放光に載りました。また、平成18年8月、第五支庁の本山記念参詣のとき、体験談がご本人と奥さんから、それぞれ話され、みんな静まりかえって聞いていました。
2 木更津別院(妙蓮寺)の浅井さんの体験談。
 「息子さん夫婦がすんなり、入信し、法灯相続できたが、不思議だった。よく話を聞いてみると、息子さんとそのフィアンセが京都、壬生(みぶ)に住んでいた時、本人がその名前を聞いたこともない新撰組の侍の霊がフィアンセに乗り移り、怖くなってずっと、御題目を唱えていたら消え去ったという体験を知らない間にしていた。だから、夫婦共にご信心しますということになったと言う話」
 その他、私もたくさん、いろいろ不思議な、そして信憑性が高い話を知っていますし、また、体験もしました。
 学問的に、それらのことを研究している外国の学者の論文などを紹介した「生きがいの創造」(PHP出版、福島大学経営学部教授・飯田史彦氏著)などを見れば、よいでしょう。
◎たましいを癒す
次に問題なのは、よく霊が見えるとか、いろいろな事をいう人がいます。
しかし、肝心なのは、どうしたら霊を癒すことができるか、それを知っていて、その能力があるかどうかです。
また、相当、インチキな霊媒師や霊能力者と自称する人がいて、その被害にあって多額の金品を奪われている人がいる問題です。
これらは、ニセ宗教家が行うことで、詐欺に等しいのです。多額の金品を要求するということがあれば、まず、インチキです。あのインドのサイババもタダの手品師に過ぎませんでした。
わたしたち佛立信者は、個人的に霊能力があるとか、ないとか、そんなことは問題ではありません。
私たちが霊を見ることができなくても、感じなくても、上行所伝の南無妙法蓮華経のお力・・・経力によって、霊を癒すことができ、慰霊することができるのです。
 
○先祖や亡くなった方の“たましい”を救うには本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経で御回向していただくこと。肝心の子孫や関係者自身も御題目をお唱えすることです。

○私たちもいずれは、最期を迎えます。その時、上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目のご信心を実践している人は、何ら苦しみも心配もなく寂光浄土に参拝できます。大事なことは、いまのうち、ご信心の功徳を積み重ねること。佛立信者として御題目を唱え、菩薩の修行として人にも尊いこのご信心を勧めること。

○そのようにしていると、将来と言わず、現在の私たち自身のこころと身体を、「たましいの底から」癒していただけるのです。

◎生きがいを持つこと
 この世限りで命が終われば、すべてが無に帰し何もかもなくなってしまう、この私がいた事実さえ吹き飛んでしまうなどと思ったら悲しくなるのではないでしょうか。
 ご信心をさせて頂いて、人のために世の中のために尽くし、さらにご信心で人を助ける菩薩行をさせて頂いたら、毎日が有意義な人生の一コマです。
 高齢となり、死ぬまでの残りの人生を処理するような考え方は誤りです。

◎意外に難しい「のんびり、ボーッと過ごそう」
 年を取ったら、のんびり、ボーッと暮らしたいという念願を持っている人が多いでしょう。しかし、
 男性平均寿命78歳、平均、寝たきり6年、女性平均86歳のうち寝たきり10年
という、冷厳たる事実があります。
のんびりどころではない、下手したら、毎日、苦しい思いをして生きながらえなくてはなりません。
 生きがいを持ち、役割を持ち、社会からも、家庭からも浮き上がらないようにしなければ、病気になったり、あるいは、記憶力を失って自分が誰かも分からないということが却って早まるのではないでしょうか。
◎御指南
 このご信心をさせて頂いている人たちは、心得違いがないようにしなさい。(つまらないことに熱中したり、何もやる気がないなどと言わず)、一生涯、ご信心を中心に、人のため、世のため、御法様のためにと御奉公に日夜励んで、それを人間として生を受けたこの一生の思い出、生きがいとなるよう、喜び楽しみなさい。
(日扇聖人全集20巻二九八頁)
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彼岸会でのお話

2008年09月23日 | Weblog
今日はお彼岸でしたが、意外に参詣が多く、ご供養が足りないと言っていました。
天気も、最初は晴れていたので出足がよかったのでしょう。
お彼岸のとき、二回、御法門・・・法話を説かせていただいています。
お彼岸のときは、あまり見えない方も多いので御法門も分かりやすいよう心がけていますが、どうかなあ?
今日の御教歌は
たましひは しなぬものぞと きく時は いまのつとめも うれしかりけり
でした。
次のようなプリントを配って、お話をしました。

◎“たましい”とはなんでしょうか。
 肉眼では捉えられない精神的存在で、単なる「もの」・物質ではありません。
 それは、私たちの心と同様です。私たちの心は、ものではありませんが、確かに存在します。
 心は、しかし、肉体と一体で肉体が消滅すれば、同時に消えてしまうと思われています。心は消えても、その本体である“たましい”は消えることがない、常住不滅だと説かれているのが、この教えの歌、御教歌です。
◎たましいの実在
 渡辺さんの教化子、越後谷さんの話
 教化親は元、婦人会幹事長をつとめた方。
 渡辺さんが教化したのは、近くの方で、末期ガンでした。
 もう、そこらじゅうに転移していたのですが、ご主人も当時、高校生の娘さんも諦めてしまっていて、お母さんの病気を治していただきたいという気持ちもありません。受け持ちの教務さんがお話をするのですが、ご信心をしたいという奥さんに協力的ではありません。本人は一所懸命に御題目を唱え、御助行も何回かいただいていました。もう少し、早く来てもらっていたらという思いでした。
 残念ながら、しばらくして亡くなりましたが、非常に安らかな表情でした。
 私どものお寺から教務員が行き、葬儀をあげました。しかし、それっきりになりました。
 後に話を聞きますと、葬儀の後、間もなく、ご主人の郷里に行き、ご主人は佛立信者ではないので、実家の菩提寺に行き、そこで回向してもらい埋葬してしまいました。そして、東京に戻りました。ところが、それからというもの、家にはご主人と娘さんしかいないのに、誰かが来たような、いるような音がするのです。それが一度、二度ではなく、かなり大きな音がするのです。二人ともそれを聞いています。また、戸が開いたり、スーッと風が通ったり。
 佛立宗では、霊媒師などに話を聞くなどと言うのは謗法として、厳禁です。
 しかし、このご主人は、入信しているわけでなく、怖くなって霊媒師にみてもらうことにしました。
 ところが、その話を聞くと、亡くなった奥さんが「最初は佛立宗の御題目で弔ってもらいいいところに行きかかったけれど、途中で引き戻されてしまった。本当に残念だ」と言っているというのです。
 それで、びっくりして、私どものお寺にご主人が飛んできました。
 そこで、教務が話をして、ご主人がそのつもりになって、この尊い上行所伝の御題目で奥さんを弔ってもらいなさい。毎週、七日、七日、お寺に来てお塔婆をあげ、御題目をお唱えしなさい。と、お折伏しました。
 怖いものですから、親子でお参りするようになりました。そうしたら、ピタッと家の中で音が聞こえることもなく、その気配もなくなったというのです。
 この続きは、後日。
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季節のうつろい

2008年09月22日 | Weblog
いよいよお彼岸。
ようやく、涼しくなってきました。
いままで、何十万回も何百万回も、それ以上、季節が移り変わり、花が咲き、花が散り、実がなり、季節を彩ってきていると言うことですね。
なんだか、最近起こっている出来事、たとえば子どもの殺人事件や、汚染米の騒動、リーマンブラザーズなど、この頃を考えると少し、淋しいような悲しいような、不安を感じます。
こんな世の中だからこそ、やはり、人々の心の支えが必要です。
秋だから冬になるかもしれませんが、冬からまた、春になるのですから、それを忘れないようにしなくちゃね。
日蓮聖人は
法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。
と言われています。
この先に明るい希望があれば、少々、いまつらくても我慢できる。
でも、光が見えなければ、春も夏も後ろ向きの冬と同じ。
と言うことになるのだと思います。
夏も秋も、冬も春も、実は光り輝いていることを教えてくれるのがみ仏の教えです。さて、また、がんばろう。
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ピンキーとキラーズ 恋の季節と敬老

2008年09月16日 | Weblog
今日、NHKの歌番組にピンキーとキラーズが出演していました。
「恋の季節」を歌っていました、昭和43年に大ヒットした曲だそうです。
「だそうです」と申しましたが、私はよく知っています。
テレビで見る限り、ピンキーは中年女性とはなっていますが、バックコーラスのキラーズのメンバーはもはや、敬老の仲間入りに見えました。
みな、真っ白の髪で、この人達は歌手なのかな?何なんだろうと思うくらいでした。
でも、無理ないよね。私も、その頃は大学に入ったばかりだったけど、今はもう、御導師と呼ばれ、また、家庭では「じじ」になっちゃいましたからね。
時の移りゆくのは、あまりにも早いと思います。
「恋の季節」が流行った昭和43年頃、私は大学に入ったので、もう受験勉強はないし、私は世界的に有名な哲学者の著書を二十五歳くらいまでに読破しようと決めました。
しかし、私の大学時代、かの大学紛争とストがあり、あまりに長い休みだったので毎日、御講や御助行など、わが宗の宗教活動、つまり、ご信心に実践的に取り組み、それがキッカケで出家得度に至りました。そうすると結構、忙しく時間があまりありませんでした。
大学院の時代は、授業は少なかったのですが、りっぱな卒論を書かなくてはと思い、仏教関係の勉強をやや本格的にしました。結果は、あまり立派な卒論とはなりませんでしたが、やはり時間に追われました。
大学院を卒業した時は二十五歳になっていました。主立った哲学書の読破という、当初の目的は、まだ達成していなかったので、その期限を延長しました。三十歳の時までに、せめて、読破を試みようと思いました。
大学院卒業後、当宗の教務としての資格を頂くため、京都の佛立教育専門学校に入学しました。ところが、佛立教育専門学校はけっこう、まともに試験などを実施するし、レポートを山のように提出しなくてはなりません。平日は授業でつぶれ、また、土日も本山のご奉公がけっこうあり、めまぐるしく二年経ち、卒業。
二十七歳になって大阪、清風寺に移り、教務としてのご奉公を実地に習うこととなりました。
やはり、大阪に慣れるのに大変な思いをして、さらに実質、教務一年生としてのご奉公に走り回り、そんな難しい本を読むのは後回し。時間が足りません。
こうして、所期の目標はいまだに、達成できていません。
「少年老い易く学成り難し」
少年が青年に、さらに中年に、そして熟年に、早くも老年にさしかかっています。
でも、一部、遠妙寺ホームページに掲載していますが、開導日扇聖人が「三部の如説抄」として重要視された日蓮聖人の三つの主要御書について勉強したことだけはよかったと思います。
やろうと思った時、本気で取り組まなければ、できなくなってしまうことはたくさんあるのですね。
ご信心は時間がなくても、できる限り精一杯させてもらわなければ、そのなんたるかも分からず、結局、何も分からないまま終わってしまうって開導日扇聖人の御指南にお示しですが、その通りなんですよね。
でも敬老でも、将来の可能性は秘めています。
敬老になってから、英語を勉強して英語の弁路運大会で優勝し、アメリカに留学した人があるそうです。がんばろう!頑張りましょう。ガンバリタイ!
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同時テロから7年  

2008年09月11日 | Weblog
アメリカで同時テロがおこって今日でまる7年。
たくさんの犠牲者が出て、痛ましい限りです。
謹んでご冥福を祈りたいと思います。
この同時テロについて、アメリカ人の成人男性のうち、半分以上が何らかの事実が隠されていると思っていると新聞に出ていました。
そのニュースを朝、ブッシュ大統領が聞いた時、小学校の行事に出席していましたが、すぐに動かず、ワシントンに帰還したのは夜9時頃になってからの事だといわれています。
その他、空軍にすぐに指令を出さなかったとか、事前に情報を察知していたとか、いろいろな話が飛び交っています。
その後、アフガニスタン、イラクへ、テロ防止のためという理由での米軍の侵攻が行われて今日に至っています。
思うようにイラクの治安がいかず、戦死者が相次いでいたときは、戦争に対するアメリカの世論は厳しかったようです。しかし、イラクでのアメリカの統治が最近はうまくいくようになったとたんに、イラク侵攻を支持する人が多くなったようです。
すると、以前からアメリカの積極的派兵を訴えていたマッケイン大統領候補に追随して、派兵に消極的だったオバマ候補まで積極派に転じたということです。
困ったもんだね。票が取れなければダメというのは分かるけど、票が取れるなら平和主義から帝国主義になってしまうのではね。
ところで私ごとですが、今日は家内の父・・義父の祥月命日に当たります。
山形の米沢出身で、貧乏士族の五男か六男に生まれました。東京で商売をして相当、羽振りがよかったのですが、若すぎて放漫経営になったのか商売をたたんで、大阪に。いずれも第二次世界大戦前の話です。大阪でも違う商売をしていたのですが、結婚して二人の男子をもうけました。しかし、家庭がうまく行かず離婚。
これがキッカケで、二人の息子は暗い日々を送るようになりました。兄と共に、年齢的に徴兵されずに済んだのでしょうが、弟まで志願して戦争にいき、一人は病死、一人はフィリッピン沖?で戦死しました。
その後、家内の父と母は再婚したのですが、父は二人の息子を相次いで失い、罪の意識に駆られました。何とか、冥福を祈りたいという気持ちがありました。
その頃、家内の母が重い皮膚病にかかり、知り合いの松村さんという大阪清風寺のご信者の教化を受けたのです。
その後、次第に熱心にご信心に励むようになり、コツコツ真面目に参詣し、御助行し、多くの人々に慕われました。近所の人にも好かれ、世話好きだったために人の面倒をよく見て、喜び、喜ばれていたといいます。けっこうお教化もしたようです。その子孫の何人かを私も知っています。
清風寺の西成第一教区長というご奉公が当人にとって最高の栄誉で、その後も亡くなるまで、お役を頂いてご信心に精進して、亡くなる4ヶ月前までお寺に参詣していましたた。
ちょうど、その頃、私が清風寺にご奉公に上がらせていただきました。今から三十年以上前のことです。きっと、本堂にすわっている私の姿は見たことは見たと思います。しかし、いずれ娘と結婚する相手という認識はあろうはずがありません。
戦争があり、戦争によって息子を奪われたということから、ご信心に目覚めたのですが、死ぬまで恐らく、戦争を起こした張本人ではなく、むしろ自分を責める気持ちがあったのではないかと思います。
東條英機のことを阿川弘之さんが最近、出版したある新書の中で取り扱っていますが、東條英機は三流の人物で、日本がそういう人に宰相を任せたことが悲劇であると言っています。最後の最期まで戦争を起こしたことに彼が責任を感じていたかどうか、疑問です。
本当は戦争を仕掛け、戦争を起こした人間が悪いのに、いつしか、戦死者の遺族は自分を責め、戦争相手の人間と、その国に憎悪を感じます。相手の国民も同じですから、互いに怨み、憎み、果てしなく戦争が続いていくということになります。
「怨みは怨みによってやまず」
とは釈尊のお言葉ですが、科学技術は世代を経て、その成果が蓄積され、さらに進歩するのに、人間の心は世代ごとにリセットがかかって進化しない。これは悲劇ですね。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
二度と戦争が起こされないよう、テロが繰り返されないよう。
過去の悲劇を今生きている人が、追体験して、他の幸せを願う菩薩となれるよう祈り、ひたすら祈り、何かできることをやるしかありませんね。

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先生はつらいよ 小学校編

2008年09月07日 | Weblog
小学校の先生歴三十数年のベテラン教師に聞いたお話。
この先生は、熱血先生で子どもに対する愛情がひときわ強い。
熱血なるが故に、いままで苦労をしてこられたとのこと。
何度か、子どもの父兄に「やられた」経験を持っているのです。
ある時、皆の前で嘘をついた子どもがいたので、それを見過ごしたら教育上、非常に具合が悪くなり、クラス運営にも支障を来すと思ったそうです。
嘘を嘘と認めさせ、嘘をついたことを大勢の子どもの前であやまらせました。
翌々日、子どもの親が乗り込んできて、この事を抗議しました。
最初は、そのような親、我が子に対して盲目的である親に問題があるというように言って突き放したそうです。ところが、その親がナカナカで食い下がってきます。
皆の前であやまらせたことは問題で、謝罪を求めるというものでした。
わざと、先生に色々なことを言って昂奮させ、そしてその発言をテープレコーダーで隠し撮りして、それを元に教育委員会に密告して、抗議するというやり方です。
そんなこんなで、何回かそういう経験をしているうち、教育に対する情熱も少し色あせてしまったのではと、私も人ごとですが心配しています。
さいわい、この方はご信者ですので、子どもを疎ましく思うこともなく親を怨むこともなく、耐え難い思いを克服されたと話しておられました。先生を困らせた子ども、親のお家の先祖代々のお塔婆をあげ、ご回向してさしあげ、逆にその家族の幸せを祈られました。
事件は、不思議に収束し解決し、一件落着。現在も先生として頑張っておられます。
私は、これを聞いて、最近の小学校も恐ろしいな、ひとつ、先生が思わぬ発言をしたため、生徒の父兄にやり玉に挙がったり、訴えられたり。
これでは、教育も成り立ちません。信頼感があってこそ教育もできるのです。
私が小学校の頃と、いまでは天地雲泥の差。
五十代も後半の先生にしてみれば、自分の子どものような年代の父兄にやりこめられるとは。
昔は、教室には教壇があり、一段高いところから生徒に向かって先生からの教育が行われました。いまや、教壇など見当たらず、教壇という言葉も通じなくなっているようです。教壇廃止ということがまずい方向にいっているみたいですね。
よかった。佛立宗では教務が御法門する時は、一段高いところからする習慣が残っていて!!
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今日の教え 法華経より

2008年09月05日 | Weblog
法華経には
「柔和質直者 則皆見我身 在此而説法」
「柔和質直(にゅうわしちじき)なる者は、すなわち、我が身ここにあって法を説くと見る」
と説かれています。
このお経文は、「心がやさしく柔軟で、素直な人は、私(み仏)がこの世にいらして常に教えを説いておられると、その姿をはっきり見ることができる。」
という意味です。
これは、信仰心、特に法華経のご信心をさせていただく者の基本姿勢を教えられている教えです。
これは私たち日本人に多いのですが、最初から信仰そのものを無駄なことだとか、無意味だと決めてかかっている人、すべてを疑ってかかっている人。そういう人の前には、けっしてみ仏はお姿を現さないし、教えは活きてこないということです。
そればかりではなく、心やさしく柔軟な感じの人、また、素直にものごとを受け取る人は、ふだんの生活や人間関係もうまくいくでしょうし、周囲の人に受け容れられていくでしょう。
また、特に、いろいろな悩み、苦しみがあって御宝前(み仏)にお願いして、お計らいを頂こうとするには、柔和質直でなければ叶わないということです。
確かに、健全なる疑いは持たなければなりません。世の中には、間違いもありますし、だます人や組織も存在します。
ですから、信じる前によく、吟味して本当かどうか、検証することは大切です。
日蓮聖人は、そこで、
道理・・・ものの道理にかなっているか、どうか。
証文・・・それは、仏教であるなら釈尊ご自身がいわれていることか、あるいは、その思想に合致しているかどうか。
現証・・・現実にその教えを守り、実行したら、どういう結果が現れているか。
これらの三つの証し、証明があって初めて、たくさんある仏教の宗旨や教え、また、仏教以外でもその教説が真実かどうか、見極める必要があると言われています。
ですから、正しい教えを選択するには、この物差しを使う必要があります。
そして、法華経のご信心にめぐりあい、日蓮聖人の教えに従ってお計らいをいただき、まさかという不思議なお計らいを頂いた人。このような人に共通するのは、「柔和質直」な人です。
固定観念にとらわれている人、疑いを引きずっている人、御利益とか言ってもそんな事はあり得ないと思っている人。科学こそもっとも信頼できるものであると言い、確かなデータを無視したり、真実から目をそむけ、目を覆う人。釈尊とか仏様といっても「ただの人間」だと思い込んでいる人。
心がひねくれていて、不思議を不思議と言わず当たり前だという人。
信心信仰を利用しようという人。信者を利用して他の目的に使おうとする人。
こういう人々は、けっして仏様の姿を拝むことも、その教えを身につけることも、そのお計らいを頂くこともありません。
心やさしく、素直ということは、そんなに簡単ではありませんが、しかし、そんな難しいことでもありません。






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マンガは強力なメディア」

2008年09月02日 | Weblog
業田良家さんから、サインと作者自筆でマンガの中のキャラクター(森田幸江さんと葉山イサオ)を描いてもらった本をいただきました。
阿部寛が出演して映画化された「自虐の詩」です。
以前にも、作品をいただいたのにもかかわらず、お礼の返事を書いていませんでした。今回もまだ、書いていません。誠に申し訳なく思っています。
全部、読んでから感想を書いてお礼状を出したいと思っていたのと、住所を知らないので、そのままになっていました。
何回かお会いしていますが、最初は出身の博多光薫寺の小林御導師といっしょでした。
その後も、何回かお会いしています。近くにこんな有名人がおられるとはね。

「自虐の詩」は、先月頂いて、上下二巻でボリュームも結構ありましたが、すべて読みました。
これを読んで、業田良家さんはマンガ家というより、思想家でマンガによってご自分の考えを述べておられるのかなと思いました。
最初は、悪いやつほど女にもてるという皮肉な話を綴っているだけなのかなぁと思って読んでいました。また、その題名からしてマゾ的な女性とサドの男性の話で、先の展開がわからないから、あまり私には縁のないテーマかもと思っていました。
4コマの一つ一つの話が笑えたり、あるいは哀れだったり、どこから読んでも良いし、飛ばしてもいいし、最後だけ残しておけば下巻を読んでから上巻を読んでもいいし、それでいてつながっている。今の話と、昔の森田幸江さんの生い立ちの頃の話がフラッシュバックして交錯しながら、現在の幸江さんの心情を訴えてくる。過去があって現在があり、現在が糸を引きながら未来に、もつれ込んでくる。そういう人間の歴史の構造をうまく、微妙に語り、読者を知らない間に引き込んでくるような所があります。
私たちは、簡単に「業」という言葉を使っていますが、ホントはそんなに納得できる言葉ではないはずです。その難しい問題を、4コマを使いながら何となく、得心させ、業という言葉と、その言葉の重みを感じ取らせてしまう感じです。
詳しいことは、読んだ人にしか通じないし、読んでなければ、ここに書いていることがわからないと思います。まぁ、それを承知で申しますが、マンガを読み進んで、最後にはあらゆる人々の生きている意味、かけがえのない人生をたたえて明るい詩を歌う声が聞こえてくるようになってしまいます。
仏様は「一切衆生、悉有仏性」・・・「いっさいの人々には必ず仏心があり、仏様が住んでいて、みな、尊い仏様と同等の尊い存在である」と言われています。
でも、そういうことをお説教、うちでは御法門といいますが、理論じゃなく、こういう具体的なお話、絵でみせてもらうと頭の表層ではなく、芯の方で深い感動とともに納得してしまいます。
マンガは文化以外の何ものでもない、海外でどんどん普及しているのはもっともですね。
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