青森の家は両親が90歳を迎えた4,5年前あたりから草取りと雪囲い程度の手入れになっていたとか。
かつては自慢にしていたヒマラヤスギが大きくなりすぎて・・・・・
玄関には母が好きであったシュウメイギクが咲いていました。
ヒマラヤスギにまじって、ムクゲが・・・・・
呆然としているわけにはいきません。
両親が契約していたALSOKの警備を今の状況に合うように変えてもらってその工事をしてもらいました。
そのときに、インターホンの修理してもらうことができて、取り換えなくてもよかったりしました。
また、両親がずっと頼んでいた八甲田造園というところにヒマラヤスギの枝切りと庭の手入れを依頼しました。
来ていただいた方にお話を聞いてみると、その両社の方にはずっとお世話になっていたようで、
口をそろえるように、父は怖い存在だったのだとか。
父はふつうとは違って、外面(そとづら)が怖くて内面(うちづら)は優柔不断気味に見えるタイプであったように思います。
父の在宅看護をお願いした時期があって、2,3人の看護師さんが来られて母の愚痴を聞き、父の入浴の世話をしたりして下さってほんとうにありがたい時間となりました。
主人の場合は、3、4人がかりで移動式の浴槽が部屋に持ち込まれたんですが、父の場合は1人の看護師さんが家の浴室で入浴をさせてくれたのです。その看護師さんはやさしく母親のように接してくださいました。
父は上機嫌でニコニコしていて冗談をいってみたりして、その笑顔がいいとほめられていました。
看護師さんたちが帰って、ふとベッドの父をみると父の目に涙が。
あの涙は、看護師さんのやさしさに対してと、そして自分が年老いた悔しさの両方だったのではないか、と思い出したりします。
認知症とはならなかった分、あれこれの苦悩があったといえるのかもしれません。
また、ヒマラヤスギは、年老いた父の苦悩をつぶさに見ていた、ということかもしれません。
また恵まれた人たちは、社会にお金が回るようにすることを義務だと考えるべきだと思います。
盛大な葬式代を用意する必要がなくなってきましたからね。