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小石川の尾根

2012年08月28日 | 徒然
小石川はもともと、谷端川の下流の名前だが
広義的には、現在の文京区の
川としての小石川の谷と神田川の谷の間の尾根周辺を
そう呼んでいると考えればいいだろうか。

神田川の谷は、急峻な崖で
地下鉄丸ノ内線も、茗荷谷から後楽園の間は
崖線を避けられずに地上-トンネル-地上と
地下鉄らしから線形で走っている。

このあたりで神田川は90度近い角度で南に曲がる。
その地形から「大曲」と呼ばれているが
かつてこの付近は、大きな池であったようだ。

神田川は、関口から下流は神田上水と呼ばれていて
高田より上流の曲がりくねった流れから
一気に治水工事による直線的な流れにかわる。

大曲の池は、それよりも以前に埋め立てられたようだ。



尾根の上には伝通院がある。
新選組ファンならお馴染みの場所である。
この場所で浪士組が結成され
その中にいた近藤率いいる試衛館の集団が
のちの新選組の中心人物たちである。

小石川で生まれた新選組。
近藤の最期を新選組の最期とするならば
その地は滝野川三軒家と板橋平尾の間の一里塚。
そう、その場所は川としての小石川の上流、
谷端川の北側の尾根である。

活躍の場は京都であったが
新選組は東京のひとつの川の下流で生まれ
上流で散っていったのである。