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関神社

2024年06月06日 | 東京のお散歩
王子神社の境内社である関神社(關神社)は、歌人であり琵琶法師でもあった蝉丸を祀る神社で
逆毛であるために嘆き悲しんでいた姉君のために、蝉丸が鬘を考案したことから、美容や毛髪の髪として崇められています。

「関」の名称は蝉丸の
「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」の逢坂関に由来しており
蝉丸が庵を結んだ逢坂山(滋賀県大津市)には、本社である関蝉丸神社があります。





下頭橋と六蔵祠

2024年06月04日 | 東京のお散歩
旧川越街道上板橋宿の石神井川にかかる下頭橋(げとうばし)。

旅の僧が地面に突き刺した杖が芽吹いて大木となった「逆榎」があったからとも
川越城主が江戸への参勤の際に、江戸詰めの家臣がここまで来て頭を下げたからとも
橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵という者の金をもとに石橋が架け替えられたからとも言われています。

石神井川右岸、江戸寄りには六蔵祠という、六蔵の遺徳を賛えた祠が建てられています。





玉の輿たまちゃん

2024年03月26日 | 東京のお散歩
洲崎神社の境内に祀られてる「玉の輿たまちゃん」。

洲崎神社を創建した桂昌院は、もともと低い身分の生まれで、通称は玉と呼ばれていたといわれ、そこから部屋子として家光の側室に仕え
のちに見初められ自らも家光の側室となり、産んだ子が五代将軍となったことから「玉の輿」の語源となったと言われています。





洲崎神社

2024年03月24日 | 東京のお散歩
洲崎神社は徳川綱吉の生母、桂昌院が崇敬していた江戸城内紅葉山の弁財天を、元禄十三年(1700)当地に遷座して創建したもので、海岸に浮かぶ弁財天であったことから、文人墨客など多くの人の崇敬を集めていたそうです。




赤城神社

2024年03月23日 | 東京のお散歩
牛込の赤城元町に鎮座する赤城神社。

正安二年(1300年)、赤城山の麓から牛込に移った大胡重治によって早稲田に創建されたと云われ、
寛正元年(1460)に太田道灌によって牛込台へ遷座したと伝えられています。

その後、弘治元年(1555)に大胡宮内少輔によって現在地へ再遷座し、江戸時代には江戸大社の一つとして崇敬を集めました。

現在の社殿は、氏子でもある隈研吾氏のデザインによるものです。

また水木しげる氏がゲゲゲの鬼太郎のアニメ化の際にヒット祈願をした縁で、公式に鬼太郎の御守が頒布されています。










旧細川邸のシイ

2024年03月17日 | 東京のお散歩
旧高松宮邸、一時期上皇陛下の仙洞仮御所としても使われた、高輪皇族邸の裏手の路地に聳えるスダジイ。

当地が細川家下屋敷だった頃に植えられていたものがそのまま残っている樹で、樹齢300年を超えていることから
元禄赤穂事件で細川家預かりとなった大石内蔵助も、ひょっとするとこの樹を見ていたかもしれません。





矢来町

2024年03月13日 | 東京のお散歩
「矢来町」と呼ばれた師匠、古今亭志ん朝。

落語の世界では、その噺家の住んでいる場所が通称として呼ばれることも多く、「黒門町(8文楽)」、「稲荷町(彦六)」、「目白(5小さん)」「高田馬場(小三治)」「田端(三木助)」「真金町(歌丸)」などと並んで、
志ん朝師匠は「矢来町の師匠」などと生前は呼ばれていました。

矢来亭と呼ばれる豪邸は、主を喪って20年以上経ちますが、その凛とした佇まいは、生前の師匠を彷彿とさせています。

なお、すぐ近所には同じ時代に高座を賑やかした林家三平の娘である海老名美どりと峰竜太夫妻の豪邸もあります。