明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



写真を始めた直後から旧いレンズ、ソフトフォーカスレンズ、オイルプリント等々によって写真の身も蓋もなさにあらがい続け、さらに真を写す、という意味の写真という言葉を嫌い、まことなど写してなるものか、と制作して来た。それは自分で作った人物像を撮影することでおおよそ満足させてきたが、ここ数年、かつての日本絵画の発想、自由度、その身も蓋もある表現が気になってしょうがなかった。 立体を作る、ということは陰影を作りだすことに他ならない。それをあえて撮影時に陰影を極力消して撮影してみたら、そうすること自体が目的ではなかったが、日本画のようになった。そこで改めて気付いたのは、写真のレンズは陰影がなくても必要最小限の立体感を描写してくれる優れた道具であると。よって輪郭線は必要ない。 どんな画像処理をしたんだ、と訊かれるが、撮影した時点で80パーセントは終わっており、後は配置して色の調整くらいである。今まででもっとも写真に見えないが、もっともただ写真だというおかしなことになった。 一作目が完成した頃、自分でやっていながらよく把握できず、おいおい検証していき、最終的に始めから解っていて、こうするつもりでいたような顔をするのが常だ、みたいなことを書いたと思うが、そろそろそういう顔をし始めた私である。

HP

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