明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



建長寺開山蘭渓道隆の、国宝である唯一の寿像(生前に制作された像)を私が立体化すると、建長寺の重文の木像と明らかに別人になってしまう。七百数十年の間、拝されてきた寺宝に対し異を唱えているかのような、罰当たりなことをしている、という気分が作りながらずっと拭えずにいた。しかし臨済宗の、師の姿に込める想いに打たれ、立体化の後七百数十年ぶりに、真正面の尊顔を拝してみたい、という想いを抑えることが出来なかった。場合によっては発表不可の可能性も考えないではなかったけれど、何のために、私にカラの米櫃を突きつけるような存在を排除して来たのか。作りたければ需要は関係ない。 とはいうものの、未完成の開山像を持って建長寺の門をくぐる二日前、寝ていたら胃液が上がってきて目が覚め吐いてしまった。幸いなことに、その後建長寺の関係者にお叱りを受けることもなく。これも禅宗の許容度の広さというものか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


一日  


ホームの母は、ついこの間会った時はお腹が空いて仕方がない、といっていたし、幸せだ、というから、終わり良ければ全て良しだ、とブログに書いたばかりだったが。その後食事を取らなくなり、同じ敷地内の病院に入院となった。認知も進んでいるようだが、精神科医の友人に、楽しそうにしている患者が、その内実は、必ずしもそうではないのだ、と聞いたことがあるが、母の幸せ、にもそんな事情があるのだろうか。もっとも彼のいっているのは分裂病患者の話だったが。 担当医師の話では、向精神薬と食欲不振の関係はバランスがあって、ということだそうである。心臓が大きくなっているのが気になるが、来週には退院できそうな感じである。ずっと96歳だと思っていたが、従姉妹によると「おばちゃん95でしょう?」「そうなの?まあどっちでもいいや。」 小学校の後輩ウルフ・アロン、個人戦では怪しい判定が惜しまれるが混合団体戦では良くやった。結果はフランスの競技人口の差が出たということか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )