明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



琴ノ若大関昇進確実ということである。思い出すのは祖父の横綱琴櫻、佐渡ケ嶽である。解説席に座ると、絶対弟子を褒めず、けなしてばかり、勝った時くらい褒めてやりゃいいじゃないか、とテレビを観ながら思ったが、それが逆に弟子思いの師匠という感じが滲んだものである。一推しの宇良は残念だったが、まだまだこれからである。 昨日はネパール人が私の達磨大師見てヨギ(インドのヨガの行者)みたいだ、といっていたそうで、これで肌を浅黒く着彩すれば少なくとも旧来の達磨大師とは趣の違う達磨大師になりそうである。 達磨はインドからから中国に来たのは結構歳を取ってからのようである。そう考えると、多少白髪混じりで良いかも知らない。白髪混じりの達磨大師は記憶にないし。そこで浮かんだのが、レスラーに刺されて亡くなったプロレスラー、ブルーザー・ブロディである。晩年来日の頃は、かなり白髪が混ざっていた。モジャモジャの髪とモジャモジャの髭に混じる白髪。あの感じだ。



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