私が長らく恐れたのは死の床で、あれを作ればよかった、これも作れば、と後悔に身をよじることだったが、長い目標を持たず、目の前の物だけに集中することにより、途中挫折の可能性を低める、というグッドアイデアが浮かんだ。実際昨年、膵炎を疑われた時も、目の前のやるべきことは、蘭渓道隆と無学祖元 を完成させることだったので、意外なほど落ち着いていた。これが寒山拾得で行こう、と考えた時点だとしたら、そうはいかなかったろう。 先のことは考えない、とは矛盾するのだが。達磨大師を作り始めた。なんの資料も要らず、好きに作れるのが良い。そもそもの私のデビューは架空のブルースマンだった。そう思うと、最後の制作は、男の様々な種々相を思うまま作れる、という意味で究極のモチーフと思えるのが羅漢である。ただし、ここで肝心なのは、十六羅漢だ十八羅漢、まして五百だなどと頭に数字を付けないことである。この数字が成就目標になり、挫折の元となる。こうすれば途中でパッタリ逝っても、作り残しはせいぜいその一体である。もっとも逝ってしまえば後悔のしようはないけれど。
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