達磨大師は私ならではの物を作る意味が感じられない。それでも禅師を並べてみると、やはりラインナップの中に居ると収まりが良い気がして作り始めた。なので、せめてギョロ目はやめようと思っていたが、目力だってあるだろう、となると普通にギョロ目の達磨大師となってしまった。まぁ想定通りといって良い。常に私の代わりは誰にもさせない、と考えて来たので、私ならでは、である必要がない、とはかつて作る上で考えたことがない。長くやっていると、こんなこともあるらしい。 今これを書いている時NHK特集で永平寺の厳しい修行の様子をやっている。昔観た覚えがあるが、食事のせいでみんな脚気になるといっている。岐阜の製陶工場で一年勤めた時、社内の越前旅行で見学したのを思い出す。そういえばその就職する前に、昔高校の教師をやっていた祖父の教え子が檀家だということで寺の僧侶でもある陶芸家のところに父と行ったことがある。そこで一番弟子を紹介されたが、やはり僧侶で、いずれにしても寺の修行もしなければならない。というのでそれは無理。と即断した。その私が達磨大師を作っている。件の陶芸家は後に人間国宝になっていた。
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