明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



橋の下で乞食を二十年したという禅師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で大根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」と説いているそうである。思わず付いて行きますといいたくなった。七百年前の人だけど。 長い間、単に行き当たりばったりのつもりでいたが、実は自分とは何か、という一点に向かっている自覚が明らかにある。特に寒山拾得以降「これで良いのだ。」の意を強くしている。 一休からまた一人、重要な人物に枝葉を伸ばすことになりそうである。そろそろ大根煮てみよう。



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