永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

戦争のはなし。

2008-08-15 10:09:37 | 日記・エッセイ・コラム
子どもの時、終戦記念のころになると母は決って空襲体験の話しを僕に聞かせた。熊本市内がナパーム弾で焼きつくされ、長男を背負って逃げたそうだ。あまりの炎の暑さに耐えきれず、近所の人たちが白川に入ろうと誘ったが母は子どもがいるからと断ったそうだ。川は瞬く間に焼夷弾の油で火の川になったそうだ。川に入った人たちは全員亡くなったそうだ。とにかく郊外に逃げようと必死で宇土の町まで行ったそうだ。道路を必死に走る姿を見てグラマンが急降下してきて銃撃してくる姿に腹がたったそうだ。操縦しているアメリカ兵の顔がはっきり確認できたそうだ。母はアメリカのことを嫌っていて、僕がアメリカに旅行した時に「何でそんなところに行くのかい」ともろに嫌な顔をした。高校生の頃、国語の先生の授業は10分くらい。他はシベリヤに抑留されていた時の話しをきまってしていた。その先生は歯が全て無く。抑留時の食事は毎日、岩塩を溶かしただけのスープとカチカチのパンだけだったそうだ。ソビエト兵もそんなに食べるものが無いそうで、コールタールをいつもガム変わりにクチャクチャ噛んでいたそうだ。目の前で戦友が毎日に亡くなっていく状況に感覚がマヒしていたそうだ。僕は直に戦争を知らない世代だが、37年前くらいだったか小倉の街で時々アメリカ人がうろついていたのを憶えている。よくよく考えれば当時はベトナム戦争末期のころで、小倉に米軍の弾薬庫があった。夜中の何時ころに米軍専用の貨物列車が山田経由城野を出たとか新聞記事が小さく出ていたのを憶えている。


夏の回帰。

2008-08-13 14:39:11 | 日記・エッセイ・コラム
仕事を早く切り上げてお墓参りをする。あっという間に、今年に入ってもう8ヶ月も経ってしまつた。早いのか、長いのか。お盆は年に先祖の帰りのお迎えに自分を確認するために自分史を回帰する意味もあるのだろうか。お堂でばつたりお寺の娘さんと7年ぶりに再会する。雰囲気は全然変っていなく元気そうだ。互いに再会を喜ぶ。街は相変わらず猛烈な暑さで道路の照り返しがきつい。


異文化。

2008-08-11 14:41:51 | 日記・エッセイ・コラム
あまりにも暑いので暑気払いに温泉に行く。海かプールにでも思ったが、泳ぐ間はいいが、帰りにまた暑さが増すので温泉にする。ある温泉場で、入浴の準備をしていると外国人が入ってきて服を脱ぎ海水パンツを履きだした。その格好で浴場に向っていると温泉場の係員の人がその格好ではだめです。パンツを脱いでお入りくださいと指示しているが、外国人はそのままウロウロしている。どうやら、パンツを履いたままの入浴はいけないとは理解したようだが、パンツを脱ぐのが嫌なようだ。顔は憮然としている。僕の元来、世話好きの性格が出てきたので、その外国人に声をかけてみる。イタリアから一人旅で来ている学生だそうで、日本の温泉に一度入ってみたかったのでので思い切って温泉に来たそうだ。イタリアも温泉はあるがみんなと裸で入浴する習慣はないと言う。(この状況は英語でスラスラ話しているように見えるでしょうが、僕は相手の話す言葉の端々から言っていることを理解し、身ぶり手ぶりと知っている限りの英語の単語を言うだけ)日本は公衆衛生法があるので、公衆浴場では衣類を着て入ることはできないと説明する。その外国人はスッポンポンでは恥ずかしいと言う。僕は「だったら、手拭いで前を隠せ」と言ったら、「後ろが丸見えだから嫌だ」と言うので、「後ろは手の平を拡げて、その手で隠せ」と説得したら、何とかお風呂に入った。湯舟でも思いつめたような顔で入っている。「どこの国でもそこのお国の習慣があるだろう、ここは日本だから、ここの習慣に馴染まないと日本のことがわからんよ」と言ったら、「それはそうだ」と納得した。お風呂から上がり着替えているとその外国人も上がってきて、世話になったのでビールを奢るというので、僕は帰る時間で電車に間に合わないので帰ると言い、気を遣うなと言葉を返したら、「ありがとう」と笑顔を見せた。でも、湯舟の日本人はほとんどの人が前を隠さず、ナニを見せたまま浴場内をウロウロしていました。因みに僕は子どものころから、親父から大衆浴場に入る時は前を隠せと躾られていましたから、オープンでは入れません。


サザン。

2008-08-06 19:48:46 | 日記・エッセイ・コラム
はかどっていなかった仕事の時間を取り戻すために、朝4時から起きて活動開始。寝起きは急激に活動をしてはいけないとのお医者の忠告があるから、まずは水を一杯。軽くからだをほぐして仕事に入る。パソコンが最近不機嫌で動きが鈍いので早速ストレスが溜る。気分直しにレディオのFMにスィッチを入れるとサザンオールスターズの曲が流れている。今日は一日サザン特集だそうだ。嬉しくなる。感性豊かなサザンの音を聞くと、イメージが拡がり仕事もはかどる。







モノの見方はイメージ。

2008-08-04 20:24:11 | 日記・エッセイ・コラム
小倉で作家・阿刀田高さんの講演を聞く。阿刀田さんのお話しは地方にいるとなかなか聞ける機会がないので希少だ。聞いておかないと取り残されるから、仕事そっちのけで会場に向う。お話しは作家・阿刀田さんから見た作家・松本清張さんの作品論だ。いや、松本清張さんの人物論かもしれない。決して評論ではない。作家の文学における表現における姿勢を分かりやすくお話しされていた。作家がストーリーを書く上での資料とアイデアは、絵を描くことによく似ているような気がした。松本清張さんは作家になられる前の職業は、僕と同じグラフィックデザイナーだ。僕は世の中全てのものごとを見る時はできるだけイメージで捉えるようにしている。そのほうがものごとを客観的に捉えることができるからだ。対象物をそのまま見てしまうと、かたちだけで見てしまうことが多い。かたちにも感情があるし、その感情には機微があるはずだ。、見た目のひとつのかたちだけで判断するのは恐い。イメージは拡がる。だから表現の楽しさがある。阿刀田さんのお話しを聞いていて、作家として文筆作家とデザイン作家の違いはあるけれど、表現することはモノをどうイメージとして、読む人、見る人にどうイメージで伝えるかだと思う。話しは変るけど赤塚不二夫さんが亡くなられた。赤塚さんの漫画もイメージ速写と思う。でも赤塚さんが亡くなられたの報にがっかりきた。僕の子どものころから現在まで、時代を適格に教えてくれた人と思う。