凡そ、平凡。-ohyoso,heibon.

副業的サラリーマンの競馬バカが、そんなコトとは全く関係なく、日々のうつらうつらしたことをあーだこーだと語る、趣味の駄文。

西暦2314のGUNDAM。

2010年10月04日 | 映画
てなわけで、観て参りました。

劇場版『機動戦士ガンダム00 A wakening of the Trailblazer

2007年4月から初の「2期制」で製作された「機動戦士ガンダム00」の、”実質上、完結編”でございます。

いやぁ、うちの相方がですね、「全くガンダムという話を知らない上に、受け付けない」方なもんで、「いつ観に行けるか」非常に微妙だったのですが…
そうこうしているうちに公開から2週間が経ち、
「ああ、これはもしかしたらみにいけないかもなぁ」
なんて思いつつ、一昨日GI・スプリンターズステークスを観戦したのち、
さぁ、これからどうしようか、なんて考えていた矢先…

まぁ、馬券をGETして気を良くしていたのもあるんでしょうか、
相方、唐突に、
「今日なら観に行けるんじゃない?」
と。

で、ほぼ、無理やり、お付き合い頂いて映画鑑賞に。

ありがとう、ウルトラファンタジー(人気薄の外国馬)。

ちなみにワタシはちっとも当たっていない。


で、ガンダム。

前にも書きましたが、ワタシがまともにハマって観ていた「ガンダムシリーズ」って、
「ファーストガンダム」と「ガンダム00」しかありません。
他のガンダムについては、…どーにもダメ、でした。

で、なんでこのふたつなのか。

改めて考えますと…

「ファーストガンダム」は、それまでの「ロボットアニメ」のルール・常識を逸脱した、
「戦争そのものを正面から扱ってしまう」という発想。そして、その否定。

「ガンダム00」は…
そもそも、「ガンダム世紀」である「宇宙世紀」(架空年号)を継承しない⇒つうか、「別にガンダムじゃなくてもいい」というスタート。

「最初に作ったものが斬新ならば、それを敢えて継承しない」

まぁ、そういうところ。


西暦2307年、人類は宇宙への移住の足掛かりとして「軌道エレベーター」と「太陽光発電システム」を開発するも、それがもとで、大きく3つの自治政府に分けられ、互いの勢力拡大・経済安定の為に、果てるともない内乱・紛争を繰り返していた。
そんな中、AEUの新型モビルスーツ発表式典に、謎のモビルスーツ「ガンダム」が現れ、圧倒的な力で、新型「イナクト」を一蹴するとともに、追撃するAEU軍を、もう一機のガンダムの「超長距離射撃」が翻弄する。
また、同日、人革連の軌道エレベーターを襲ったテロ。何者かにより破壊されそうになった施設を、所属不明の「ガンダム」2機が救う。
この二つの事件を機に、太陽光発電システム提唱者にして量子物理学の天才、故イオリア・シュヘンベルクの名のもとに、私設武装組織「ソレスタルビーイング」が歴史の表舞台に現れることとなる。

彼らの目的は、「あらゆる戦争行為の根絶。その為の武力介入」。

―これが、TVシリーズ「機動戦士ガンダム00」の始まりでした。

「ガンダムが世界の敵となる」

意外な設定から始まったこの話は、第一期で「ソレスタルビーイングの壊滅」という形をとり、
4年後の世界を舞台とする第二期では、独立治安維持軍アロウズの台頭による「半ば独裁的な『地球連邦の設立』」、それに対峙する「ソレスタルビーイング」の再生、そして、「真の
監視者」の登場へと展開していきます…。


で、「争いのない世界を作る為の戦い」に一応のピリオドを打ったTVシリーズののち、
本編の中で幾度となく語られた、
「イオリアが提唱する『来るべき対話』」
について描かれたのが、今回の劇場版。

要するに、2期に渡って描かれ、地上に「かりそめの平和」が訪れたとはいえ…
ソレスタルビーイングのストーリーは全く完結していなかった、という話でございます。


いやぁ、とてつもなく解りづらい説明ですね、すいません。


で、劇場版ですが、
えー、まだまだ上映されてますんでね、なるべくネタばれしないように書きたいと思いますが…

えーとですね、要するに…

劇場版「スタートレック」第一作。

それと、SFの巨匠・アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」シリーズ。

ここらをですね、検索していただきまして、更に、

「『未知との遭遇』をガンダムでやったらどうなるのか」

そう考えていただくと、今回の劇場版「ガンダム00」になります。

要するに、
今回、ガンダムが戦うこととなってしまう相手は、人間ではない。
ニュータイプでもなければ、強化人間でもない。
完全に言葉の通じない、「異世界からの客」でございます。


うわ、SFっぽいわ。
戦争ドラマではなく、SF。
それこそ、今まで「ガンダム」を冠する作品の中ではタブーに近い内容。

つうか、既に「ガンダム」ではない。

…と、確かに思うのですが…ちょっとお待ちを。

「ファーストガンダム」にて、後半、ララァ・スンが出てくるあたりから、
やたら出てくるキーワード。
『人の革新』⇒ニュータイプ。
あの、頭の上に稲妻が走って、「見える!」とか「来る!」とか言うヤツですね。
…って、ちょっと違う。

あのー、、「共感能力の拡大」=人と人とは解りあえる、ってぇ話でありますね。

これをね、より映像として、ストーリーとして解りやすく、ってぇのが、
今回の劇場版の話であり、そもそも「ガンダム00」の根底にあった話でございます。

つまりは、
「形として戦争が終ったところで、話しあってお互いが理解し合わない限り、結局終わらない」
つうこと。

これが、「ガンダム00」という話の本質であり、求める結末ですね。

そう考えると案外、「ガンダム00」って、「ファーストガンダム」から最も外れているようで、最も近い話なのかもしれません。

、結局のところ、映画としてどうなのか?

…ワタシは納得できました。
面白かったです。
少々、疲れもしました。
でも、飽きずに一気に観れてしまいます。

…敢えて注文付けるとするなら…

いやー、…
あの大画面で7割方、超スピードの宇宙戦闘シーンっつうのは…
目が疲れる…。
首が痛い。
もうちょっと、緩急が欲しかった。
2,3度観ると慣れるかも知れんけど…
これが「もし3D作品だったら」、と思うと恐ろしい気がする。
それこそニュータイプかイノベイターじゃないと、ついてけなくなっちゃう。

観る側ににまで「覚醒」を求めちゃいかんよ、ホントに。