凡そ、平凡。-ohyoso,heibon.

副業的サラリーマンの競馬バカが、そんなコトとは全く関係なく、日々のうつらうつらしたことをあーだこーだと語る、趣味の駄文。

意外と一番多い話。

2009年12月06日 | 雑記
えー、こういうことがありますとね、非常に考えることが多くなります。
んでもって、ちょっとしたことでも許せなくなってきます。
普段、「まぁまぁしょうがないな」なんて思って流してしまうことも、流せない。
そんな仕事場からの帰ってきた現在。

本日早朝、相方のお爺様がお亡くなりになりました。

「病に倒れた」訳ですが、まぁ、結構なご高齢ではありましたので、「往生」とも言えるかもしれない。
とはいえ、「人が亡くなる」というのは、何か、言い表せない感情をもたらすものでございます。

実際、ワタシはお爺様のお元気な姿を存じあげません。
この度、「倒れた」という話を聞き、二人して病院を訪れ、ベットに寝ているお姿が初めてでして、・・・・。
普段から相方からいろいろと「爺様の話」を伺っておりましたので、「こんな感じの人なんだろうな」なんて想像の中の人だったわけで。
しかして、・・・・というか、そのせいなんでしょうか、そのお姿を拝見した時には、正直、どうにも「初めてお会いする」という感じがしなかった。
こういうのは、とても不思議です。

ワタシのお婆様が数年前に亡くなった際、葬儀にこられたお坊様がおっしゃられていたのですが・・・・。

「肉体を離れ、魂となり、天上に向かうまでの間、その方は身近な方々の中で新たな人生を過ごす」とか。

要するに、「身近な人々が亡くなった方を思い出す、という行為は、その人々の中で、亡くなった方が『生』を過ごす、ということで、皆さんが生きて思い出す限りは、その方は亡くなったことにはならない」ということらしいですな。

だから、「覚えているかぎり、その方とお別れになるわけではない。が、思い出しすぎると、その方はなかなか天上に向かえない」らしく、まぁ、その為に「お盆」というシキタリがある・・・・らしいです。

とはいえ、人は皆平等に「死を迎える」わけで、そのことを踏まえて、「しばしのお別れ」というのだそうで。

まぁ、細かいところで違っているかもしれませんが、大体がそういう話でした。


相方のお爺様の「危篤」を聞いたときに、ワタシは反射的に、ワタシの敬愛する「鉄人爺様=ワタシの母方の爺様」が亡くなった時を思い出してしまいました。
いや、状況的に縁起でもなかったのですが。
三度危篤になり、二度生還して、三度目に力尽きた鉄人。
最初に倒れ、生還した時に、目が覚めて最初に言った言葉。
ダービーでしたよ、その日は。
爺様の目覚め待ちで親類がベットを囲んでいる中で、
「今、何て馬が勝った?」
と言いまして。
ワタシが「ナリタブライアン」と答えると、
「最近の馬ぁ、わからねぇな」と。

・・・・人がこんだけ心配している中で、なんて豪胆な人か、と。

三度目倒れた時は、正直、年齢も年齢でしたんで、周囲も諦めていました。
ちょうど、年の瀬だったんですけど、医者からは「年を越せないと」。
・・・・そんな中、本人だけが「死ねない」と。
「女房残して死ねるか」と。
普段、絶対そんなこと言わない人だったんですけどね。

結果、春を迎えるころまで、爺様は「生」に執着し続け、力尽きて天に召されました。
亡くなる間際まで、「死ねない」を繰り返してました。

当時、ワタシも既にイイ歳だったんですけどね、死に目と通夜に号泣しました。

こんなに「生」を欲しても、やっぱり「死」だけは平等にやってくる。
それだけは、「要らない」つうても、やっぱりやってくるものです。

だから、「生きる」って、執着して反抗し続ける行為なのだ、と。

生きている以上、いろんな人の死に目に会いますが、結局、その人の「死」を受け止めることで、その人が「生きて反抗し続けた」ことを感じることではないのかなぁ、と。
多分、その頃からそう考えるようになったんですよ、ワタシ。


このブログで結構な割合で「生と死」の話を書くのは、それが「悲しい」ことではなく。
多分、その人が「ああ、こんなに頑張って反抗し続けたんだ」ということを、いちばん強く感じるからかもしれない。


正直、できれば書きたくはない話ではありますが。