かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠54(アフリカ)

2017年07月21日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
    【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H       司会とまとめ:鹿取 未放


54 痩せすぎて広すぎてされど大地讃(ほ)むるアフリカーナの歌の明るさ

     (まとめ)
 一首、書いてあるとおり素直に読める歌だと思う。アフリカの大地は痩せすぎているし、広すぎる。しかしその大地を讃める歌があり、アフリカーナが歌ってくれる。前向きで逞しいアフリカの人々が「大地讃むる」「歌の明るさ」に象徴されている。(鹿取)


     (レポート)
 旅のいずれかの夜に、アフリカの歌姫の歌を楽しまれたのだろう。作者には、アフリカの大地は広すぎて、またその地味がやせすぎていると思われるのだが、この歌姫は明るくおおらかにアフリカ賛歌を歌っている。いいのかな、これで。作者のとまどい、困惑をそのまま表現しているように思われる。アフリカに住んでいる人々にとっては、そこは愛すべき郷土である。どのような土地であっても、そこに生きる人々は、その地を愛している。どこにいても逞しく生きる人間を表している。(T・H)


     (当日意見)
★どんなところにいても逞しく生きる人間の姿。きちんと見るべき所を見ている。(崎尾)
★作者もアフリカの人々の逞しさをよしとして受け入れているのだろう。だから、レポートの「い
 いのかな、これで。作者のとまどい、困惑をそのまま表現しているように思われる。」は違うだ
 ろう。(鹿取)


馬場あき子の外国詠53(アフリカ)

2017年07月20日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H       司会とまとめ:鹿取 未放

53 サボテンは棘まで熱しむつちりと乙女の性のやうな実を生(な)す

     (まとめ)
 ぎらぎらの太陽を浴びて育つサボテンは棘まで熱いという形容には実感がある。「乙女の性のやうな実」という大胆な言い方がこの作者らしい。「むっちり」もいかにも生命力に満ちあふれて今にも溢れ出しそうなエネルギーを伝えている。サボテンの実は食べられるそうだが、どんな味なのだろうか。色や形はネットでみることができるが、味までは分からない。濃厚なのだろうか。(鹿取)


     (レポート)
 沙漠のサボテンは、棘まで熱い。そしてその実はむっちりとしていて、乙女の性のようである。ここが難しい。私にはなぜサボテンの実が乙女の性のようなのか、諸氏のお考えを伺いたい。「サボテンの実」と「乙女の性」、そこには虚と実の対比があるのではないか。生々しいけれどそこに強いものを秘めている。作者の乙女に対する思いがある。「サボテンの実」は次代を産むものである。乙女もそれを期待できるもの。そこに作者の熱い思いがある。(T・H)


       (当日意見)
★「乙女の性のやうな実」というところに、作者の力量を感じる。なまなましいけれどつよいもの。
 女性は男性を狂わす、はち切れるような様子。(崎尾)
★作者の固有な感覚(KZ・I)
★レポートのように性を産む行為と結びつけるとつまらない。もっと根源的なものだろう。(鹿取)


馬場あき子の外国詠52(アフリカ)

2017年07月19日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H       司会とまとめ:鹿取 未放


52 アトラス越えの空気は土と林檎の香含めりしんみりとしてなつかしき

      (まとめ)
 同行者の旅日記によると、アトラス山脈は2000~4000メートルくらい、バスで越えたことが分かるがけっこう険しい道もあるらしい。林檎だけだと甘くなるところを、土の香が加わったことで異国の精神的なスケールの大きさがでた。下句はまぎれもない作者のものいいだ。
 ところで、アトラスの命名の元になった神話によると、ゼウスとの闘いに敗れた巨人アトラスは天空を背負わされることになった。のちに英雄ヘラクレスが黄金の林檎を探しに来た時、一時ヘラクレスに担ぐことを肩代わりしてもらい自分の果樹園から林檎をもってくる。そのまま逃げようとするがヘラクレスに騙されてまた天空を担ぐはめになる。だから神話の絵にはアトラスが林檎をもっている場面が描かれることが多い。こういう神話が作られたのも、たぶん大昔からこの辺りが林檎の産地だったからだろう。このアトラスが岩になったのがアトラス山脈だという。(鹿取)


      (レポート)
 アトラス山脈を越えて憧れの沙漠への道。ワルザザートへ。そこは「アラビアのロレンス」の映画のロケ地にもなった土地。どんなところだろう、期待に胸が膨らむ。西の果て「アンテイ・アトラス山脈」越えの道は、案外土と林檎の香りを含んでいる。樹木の多い木々の間を車は走っているのだろう。そこにはあの懐かしい土と林檎の香りがある。あのサハラ砂漠の荒涼とした荒々しさではなく、「含めり」との表現に、しっとりとした柔らかさが感じられる。「しんみりとしてなつかしき」と結句にかけて、みなひらがなで書かれた点に、その感情がよく出ている。山間部を走る車の窓からは、土と林檎の香りがして、この地球の西の果てアフリカでも、日本とかわらない点もあるのだと、作者は日本を懐かしむと同時に、安心している。また沙漠にも親しみを感じている。(T・H)

馬場あき子の外国詠51(アフリカ)

2017年07月18日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H       司会とまとめ:鹿取 未放

51 アトラスを越えんとしつつ深々とアフリカを吸へば匂ふアフリカ

      (まとめ)
 「アフリカを吸へば」とはたいへん大きな把握だが、ここではそれが生きている。アフリカの歴史も含めたすべてを吸えば、アフリカそのものが匂うのだ。それは具体的な匂いではなく、五官のすべてを通して感じ取るアフリカという存在の本質なのだろう。
 アトラス越え、は「阿弗利加」の章のいちばん初めに〈不愛なる赤砂(せきしや)の地平ゆめにさへ恋しからねどアトラスを越ゆ〉などと出てきているが、それぞれの章で発表の雑誌が違う為、時間的にラグが生じている。(鹿取)


     (レポート)
 長年の夢であったアフリカの旅が実現した。作者は喜びにうちふるえている。今、アトラス山脈を越えて沙漠に向かいつつある。大きく深呼吸をしてみると、ああ恋しい沙漠の匂いがする。これこそがアフリカの匂いである。「深々とアフリカを吸」う、これこそ大自然の匂い、地熱の匂い。アフリカはこの匂いのほか表現のしようがないと作者は感激しておられる。匂いの内容を言っており、詩情豊かである。(T・H)


馬場あき子の外国詠50(アフリカ)

2017年07月17日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放

50 アルファー草の山が動くとみてあればその芯に騾馬がゐてほほゑめり

     (まとめ)
 アルファー草がどんな形状のものかネットで調べると、い草を短くしたような草で50センチくらい、高級な紙の材料になるそうだ。驢馬が体の何倍もあるアルファー草を背負って移動しているのであろう。草の山が動いているように見えたが、良く見ると驢馬が背負っているのだった。芯に驢馬がいるという表現が楽しい。そうか、そうか、驢馬が背負っていたのか、と思わずほほえんだ、というのだろう。(鹿取)


     (レポート)
 アルファー草がどういう草であるのか、私は寡聞にして知らないが、作者は、その草の山だろうと思って見ていたら、その山が動き出した。そしてその中には驢馬がいた。そしてその驢馬がほほえんでいるように見えた。何ともユーモラスな不思議な世界である。作者は旅にも慣れて、少し余裕が出てきたのであろう。このようなユーモラスな歌を詠むこともできるようになった。
 この「アルファー」は草の名前ではなく、作者の気持ちではないか。「アルファ・オメガ」の最初の印象という意味で。「その芯に」というところに、作者のこの地での生活の状況を見た印象ではないか。「ほほゑめり」も、驢馬がほほえんだように見えたのではなく、作者がこの状況を見てほほえんだのではないか。(T・H)


      (当日意見)
★レポートの前後が、まるで二人の人物が書いたように違うのが気になる。「ほほゑめり」の主体
 は、驢馬ではなく作者だろう。最後まで読むとレポーターの意見は「主体は作者」との見方に傾
 いている。レポートはその運び方に注意して私の結論はこうだと示して欲しい。あるいはこうも
 こうも考えたがどちらかは決断できなかったというなら、断ったうえで並列にすべきだろう。「ア
 ルファー」についても同じで、草だというのと、いや「アルファ・オメガ」のアルファーだとい
 うのと、まったく見方の違う意見が並列のままだが、レポーターはこれでよいのだろうか。
     (鹿取)


馬場あき子の外国詠49(アフリカ)

2017年07月16日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
   【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H       司会とまとめ:鹿取 未放


49 衣裳まち鍛冶まち食のまちつづき路地ゆくは騾馬も人ももみくちや

      (まとめ)
 内容的には単純だが、句割れ・句またがりを援用して不思議なリズムを作りだしている。「騾馬も人ももみくちや」という表現も作者らしく、いかにも混沌としたスークの様子が活写されている。
土屋文明の「牛と驢が騾と驢が馬と牛が曳く車つづきて絶えざる朝の市」(『韮青集』)を思い出したが、こちらは昭和19年中国は大同雲岡で詠まれている。馬場の歌からも文明の歌からも活気に溢れた外国の街を面白がっている気分が伝わってくる。(鹿取)


      (レポート)
 今、作者は、きっとフェズのスークを訪れておられるのだろう。そのスークには、衣料品を扱う店の続きに鍛冶屋さんがあり、食べ物を扱う店もあり、その細いいりくねった路地は、荷物をめいっぱい担わされた驢馬や人でごった返している。スークの状況を余すところなくよく伝えており、その匂いまでも伝わってくるようだ。「もみくちや」の語句が、この歌の中によく生かされている。
      (T・H)


馬場あき子の外国詠48(アフリカ)

2017年07月15日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
    【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放


48 縫職(ぬひしよく)の前に必ず青年のありて見習ふ糸わざ・手わざ

     (まとめ)
 日本ではもうあまり見かけなくなった親方と弟子の関係が生きていることが「縫職の前に必ず青年のありて」で分かる。「糸わざ・手わざ」という聞き慣れない語が、親方から弟子への伝授の細やかさを読者に伝えている。青年の指や体の動きや、一生懸命学び取ろうとしている若者の心のありようまで見えるようだ。歌から少し外れるが、若者がしっかりと伝統を受け継いでいるという点でそれは羨ましいことである。しかし一方、産業が充分に発達をみない国ゆえの継承である点、複雑な問題も含んでいよう。(鹿取)


     (レポート)
 今、ベテラン縫職老人の前に、見習いの青年が座って、縫い方や針の運びなどを教わっている。「糸わざ・手わざ」の語句により、その親身な教え方と、青年の真剣な目差しが見えるようだ。ここには、職人の体で覚えていくという原点が、よく出ている。(T・H)


馬場あき子の外国詠47(アフリカ)

2017年07月14日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子の外国詠 ⑥(2008年3月実施)
  【阿弗利加 2 金いろのばつた】『青い夜のことば』(1999年刊)P168
   参加者:KZ・I、KU・I、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       田村広志、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放

           
47 職人のスークに一生きもの縫ふ青年の指の静かな時間

     (まとめ)
 ここに詠われた青年はきものを縫って一生を生きるおのれの運命を受け入れているのであろう。懸命にものを縫う青年の指に注目して、静かに時間を流すことで作者はここに生きるほかない人々に思いを寄り添わせている。(鹿取)


     (レポート)
 前回と同じスークの場面である。スークはご存知のように、イスラム世界独特の職人達の集まりの市場であるが、バザールとは違う。業種ごとにまとまって軒を連ねているようで、その中の職人のスークに作者は足を運ばれたようだ。作者はその中できものを縫う青年に足を止められた。青年は一針一針真剣に作品に取り組んでいた。そのきものは地元の民族衣装なのか、輸出用のものなのか分からないが、ミシンを掛けているのではなく、青年は針を持って、真剣にどこかをまつったりしている。作者はその青年の指に目を止められた。きっと長く細い指だったのだろう。ああ、彼はこうして一生針を持って過ごすのかな、と作者は「静かな時間」という言葉の中に、青年の未来とモロッコの国の未来を見つめておられる。一生、静かな時間という言葉に、既に決められた人生を歩む青年の悲しさが表されている。作者の青年に対する愛情、優しさが込められている。(T・H)


       (当日意見)
★人生が決められていてそこから逃げられない悲しさ。愛情をもって見守っている作者の気持ち。
    (崎尾)


渡辺松男の一首鑑賞 2の1の8

2017年07月13日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P13
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子       司会と記録:鹿取未放
  

8  森林そのものになりたき菌ひとつ増殖をし分裂をし 熊楠叫ぶ

     (レポート)
 菌は森林の陰の木の根元や朽木などに繁殖するものとして捉えられる。ところが菌ひとつが「増殖をし分裂をし」とすさまじい勢いであることに「森林そのものになりたき菌」と想定外の様相に驚き、そう驚いたのは作者ではなく、熊楠だった。一首の構成として二重の想定外がある。(慧子) 
 ※熊楠とは南方(みなかた)熊楠。生物学者、民俗学者。15年間世界各地を遊歴。大英博物
   館東洋調査部に勤務。民俗学、文献学、言語学に精通し、また粘菌類の研究で有名。
(学習研究社「新世紀百科辞典」)

     (当日意見)
★これだけが突然南方熊楠という実在する人物が出てきて、作者と共鳴する所がある人なんだろ
  うなと。粘菌類の研究者だって知らなかったのですが、ああこんな菌があるんだ、あんな菌が
  あるんだって熊楠が叫んでいるところを作者が想像したのが新鮮でした。(真帆)
★熊楠にだけ仮託されなくても、作者のことでも在るんじゃないか。(A・Y)
★「森林そのものになりたき菌」がたった一つですよね。どういう状況なんでしょう?新しい菌を
 発見したという叫びですか?(真帆)
★6番歌(月光のこぼれてはくるかそけさよ茸は陰を選択しけり)でも言いましたが、菌は種の意
 志として「森林そのものになりたき」と思っている。「増殖をし分裂を」することは生命の自然
 の摂理だから想定外でも何でもない。熊楠は粘菌類の研究者ですから、そういう生命については
 よく知っているわけです。ではなぜ熊楠が叫ぶかというと、爆発的に増えていく菌を見て面白く
 って仕方がない、だから感嘆の叫びを上げているのだと思います。熊楠さん、とても破天荒な人
 だったらしいですけど。(鹿取)
★茸には良い菌と悪い菌があるから森を征服しようと思っているのかしら。悪い菌だったら熊楠の
 叫びは悲鳴でしょうし、よい菌だったら喜びだと思うのですが。桜の木なんかも菌にやられて倒
 れたりしますが。(T・S)
★それなら分かります。(慧子)
★熊楠は自然保護の人でも在るんですよ。木を伐ろうとした島一つを反対運動をして守ったそうで
 す。(A・Y)
★現実生活では良い菌か悪い菌か大問題ですけど、松男さんの歌ではそれは問題にしていないです。
 あくまで菌という生命体が「森林そのものになりた」い意志をもって増え続けている。その生命
 力に熊楠は感嘆している訳です。善悪とかはここでは考えない方がいいです。(鹿取)
★では「森林そのものになりた」いとはどういう意味ですか?(T・S)
★生命というのは無限に発展したいものなんです。生命の本質ってそれでしょう。そこには善も悪
 も区別が無いのです。ジョン・ケージが影響を受けた東洋思想とか禅とかいうのにその辺りが繋
 がるのではないですか。(鹿取)
★いいか悪かは人間が決めることなんですね。(T・S)
★そうです、そうです。(鹿取)



渡辺松男の一首鑑賞 2の7

2017年07月12日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【無限振動体】P12
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子       司会と記録:鹿取未放
  

7  頭のなかに茸がぎっしり詰まっては冷蔵庫のようで眠れやしない
 
          (レポート)
 頭の中にぎっしり茸が詰まっていて、一晩中稼働している冷蔵庫のように眠れないとの意だろう。詰め込まれた茸が知識・情報そのようなものだとすれば、頭が冴えてしまうだろう。それを現代の暮らしに欠かせない冷蔵庫と組み合わせて「眠れやしない」とぼやくように、現代の知識人の呟きをする。(慧子)


     (当日意見)
★頭の中をCTスキャンのように割ってみたら喉の辺りの筋肉のへんに皺が出るように、頭のなか
 に茸がびっしり詰まっていて一晩中胴震いしているようで眠れないという妙なリアリティがあっ
 て面白い。(真帆)
★慧子さんのような考えも真帆さんのような考えもあるのでしょうが、私はやはりこのまま取って、
 頭の中には本当に茸がびっしり詰まっている像を思い浮かべました。まあ、冷蔵庫は新鮮さを保 
 つために働いて眠ることが出来ないのでしょうが、〈われ〉は茸の本質を守るために眠れないの 
 でしょうかね。次の歌を見てもそうですが、茸と知識・情報というものとは全く相反するもので、
 茸は原始的な生命そのものみたいです。そういう原始のものがもやもやむくむく蠢いていて眠れ 
 ないと。この解釈には文明の利器の冷蔵庫がちょっと邪魔ですが、食べ物がびっしり詰まってい
 るイメージでとりました。松男さん、客観的には知識人でしょうけれど、知識人、嫌いだと思い
 ます。それにほんとうの知識人って知識がある人のことではないと思います。(鹿取)