かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠294(トルコ) 追加版

2016年05月28日 | 短歌一首鑑賞

    馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P130
         参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
         レポーター:崎尾 廣子
          司会とまとめ:鹿取 未放

       ◆末尾の部分を追加しました。(2016年5月)

294 地下都市はずんずん深し産屋(うぶや)あり死の部屋あり クオ・ヴァディス・ドミネ

      (まとめ)
 「ずんずん深し」に勢いがある。大きい都市は地下八層まであったというが、産屋も死の部屋も備えたまったき生活空間であった、その様に圧倒されているのであろう。そして有名な「クオ・ヴァディス・ドミネ」の語句を反芻している。
 迫害が激しくなったローマから立ち去ろうとしたペテロが、十字架に架かって処刑されたはずのキリストに出会い、驚いて発する言葉が「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、いずこにいらっしゃるのですか)である。キリストは「再び十字架に掛けられるために」ローマに戻るのだと答える。それを聞いてペテロは逃げ出すことをやめ、ローマに引き返す。しかし、やがてペテロも捕らえられて十字架に掛けられたという。その出会いが言い伝えられた場所は、アッピア街道に近いローマ近郊の小さな村であるが、その地に後世ドミネ・クオヴァディス教会が建てられた。現在の建物は17世紀の再建という。
 この歌では地下都市の景に、クオ・ヴァディス・ドミネの言葉を添えることで、293番の歌「転向の心はいかなる時に湧くや地下都市低く暗く下りゆく」を補強し、不自由と苦難を強いる地下都市で信仰を保ち続けることの難しさを思いやっている。転向のこころが兆しても何ら不思議ではない。自分ならどうするか、この地下都市を見た者に突き付けられる鋭い問いであろう。(鹿取)
 

        (レポート)
 292では「くだりて」と、293では「下りゆく」と詠い深まっていったであろう信仰心を表現していると思うが、この一首は具体が鮮明である。この地で日常生活を営んだ人々の日々の姿が映像を見るように浮かんでくる。特に「産屋」という言葉の持つ力が人々の動きまでも想い描かせてくれる。そこでクオ・ヴァディス・ドミネ(ラテン語。主よどこへ行かれるのですか。インターネットより)と詠う。終末はまだ来ていないがと問いかけているのであろうか。「磔刑」にあったキリストは常にこの人々と共にあったのだと感じたのかもしれない。この地下都市に暮らした人々にとってゆるぎない信仰心を持ちつづけることはむしろ自然であったのであろうと想像は深まる。また「ずんずん」という言葉が一首の中でいきいきとしている。地下都市の不思議さが、修道士らの信仰心の深さが伝わってくる。(崎尾)
×××
 カッパドキアの地下都市は100を超えるという。現在見学できるのはデリンクユ、カイマックル、オズコナックである。デリンクユは変形した8層で、内部空間もかなり広く、中には祭室、台所、ワイン醸造所、トイレなどがあり、そこで長期の修道生活も可能であったであろう。異教徒からの迫害を恐れたキリスト教徒が一万から二万人、生活していたといわれているが、実際可能なのは千人単位ではなかったろうか。
        (大村幸弘『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』集英社)


     ◆清見糺氏の評論「旅行詠の方法について」(「かりん」1997年4月号月)に掲出の歌が採り
      上げられているので一部を引用させていただく。

 ……地底深く垂直に掘られた井戸を中心に広がる街には、都市としての機能を十分に果たすための施設が数多く造られているのだが、馬場あき子はそれらの中から「産屋」と「死の部屋」とを切り取る。迫害され追い詰められた人々の「生」と「死」は下に向かって垂直に掘られているのである。(略)作者は、四句まで垂直に下へ下へと向けた視線を結句でふっと上方に解き放つ。人間の遺伝子系と神経系は、よりよく生きるために合目的々にはたらく。論理的機能的に構築された地下都市という閉ざされた空間に生きることを余儀なくされた人々の不安や閉塞感、そしてたましいの癒しとしての信仰が地の底から立ち上がってくるようである。(清見糺)


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