渡辺松男研究 ④(13年4月) 『寒気氾濫』(1997年)地下に還せり
参加者:稲毛和子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
司会と記録 鹿取未放
◆レポーターは渡部慧子さん。レポート掲載は省略
◆歌と文中の( )内は、ふりがな
29 シベリアを父のいうとき樹は凍てて根は意志以下のすさまじき爪
★お父さん自身にシベリア抑留の体験があるのだろうか。そういったことを踏まえて渡辺さんが
自らの言葉にしたという感じがある。(鈴木)
★人間自身もこういうところではむき出しの状態になるんでしょうね。極限状況で歌の人間を樹
に照らし合わせて歌っている。何か胸にぐーっと伝わってくる。(崎尾)
★「地下に還せり」の一連は魅力的で、この人のお父さん像の作り方が好きだ。この根の歌を読
む度に思い出す『ツァラツストラはこう語った』の中の言葉があるので引用しておきます。
「悪へ」という部分はこの歌とニュアンスが違うのですが、根のイメージとしていつも思い浮
かべます。(鹿取)
人間も木も同じようなものだ。高く明るいところへのびようとすればするほど、その根はいよ
いよ強く地中へ、下へ、暗黒へ、深みへ――悪の中へ向かって行く。
「ツァラツストラ」山腹の木について
★「意志以下」というところがすごい。すさまじさを出している。(曽我)
★ニーチェは「力への意志」と言っている。自然界全体を動かしているもの、根源的な動きとい
うものをそう呼ぶ。まあその言葉が誤解されて権力への志向のようにとられたりしているが。
この歌の場合は単純に普通の意志と考えてよいと思うが。(鈴木)
30 寒雲をひとつ浮かべてしずまれる空そのものの無言 父の背
★寒雲と言った場合寒々としたわびしさのようなものが感じられる。それを父の背が映し出して
いる。身体によるメッセージだ。身体としての言葉が背中とかに表れてくる。ニーチェの言葉
をあえて出すと、「私は身体である。霊魂とはただ身体に属するあるものをあらわす言葉にす
ぎない。身体は一つの偉大な理性である。」(『ツァラツストラ』身体を軽蔑する者たちについ
て)と言っている。普通われわれが考えているのとは逆のことを言っている。まあ、ニーチェ
が言っているからというのではなくて日本人だと無言の父の背中は分かるところがある。空は
何も言わないけれど無言のメッセージを放っていて、父の背もそうだ。映画で言うと高倉健の
よう。(鈴木)
★父の背中から非常に通俗的な読みができる歌はたくさんあるだろうけれど、この歌はとてもス
ケールが大きくて通俗性を全く感じない。レポーターは叙景と言っているがそうなのかな?一
字あけの前後がイコールで結ばれている訳ですが、「寒雲をひとつ浮かべて」いるところまで
は叙景だけど、しずまれる空を無言ととらえているところはいわば比喩であって叙景ではない。
これが渡辺さんの歌い方だと思う。通俗的になりがちな父の背を、精神の高みに導いてくれる
ような歌い方に魅力を感じる。(鹿取)
31 内面をことさら探るまでもなき父と子なりて注ぎあわず飲む
★レポーターの言っている「もう一人とは、時代差による精神、思考などのへだたりはあろう」
という部分がよくわからないのですが。(鹿取)
★父と子には必ず時代差による隔たりがある。歌っているのは父側か子の側かは分からないが、
三十年くらいの隔たりはあるだろうということです。(慧子)
★父親と息子って時代差があるから相容れないところが必ずありますよね。一般的にはそうだけ
ど、この歌では隔たりは感じないですよね。注ぎ合わないで飲めるんだから両方とも納得して
いる親子関係。(鈴木)
★まあ日によって意見の衝突することもあるだろうけど、上司と飲むときはこうはいかないわけ
で、ここではリラックスしている感じ。(鹿取)
★お父さんといっしょに仕事している場面がありますよね。次の歌、ふたりで森に入って。身体
で分かり合っている感じ。(鈴木)
32 槻の樹皮鱗片状に剥がれいて光陰は子に父にあまねし
★一緒に行動した後にたまたまそういうような樹を目撃して、そういったところに光が照り輝い
ていた。それを父と子が見て深く共有する時間を持ったと言うことを歌っているのではないか。
レポーターが書いている関係性への愛情というのはそういう時間を共有したということによる
のではないか。もちろん樹に対する思いも親子共々深いものがあったと思う。親子と樹の三者
の関係がそれぞれ豊かな時間を共有している。光陰というのがここでキーワードかな。(鈴木)
★槻の樹と〈われ〉はここに存在していて、お父さんの存在は捨象してこれまでイメージしてい
たけど。お父さんも確かに一緒にいるんですね。ただ、「光陰」の解釈はレポーターとも鈴木
さんとも違います。「光陰」の意味は①歳月 ②月の光 で、太陽光の意味はありません。月
光の中で槻の樹の剥がれている様子を見ているなら歌で明示すると思うので、ここの「光陰」
は歳月だろう。年老いた槻の樹皮が剥がれているのを見てその樹に過ぎた歳月を思い、〈われ〉
と父に流れる歳月を思っている。つまりこの歌のテーマは歳月。(鹿取)
33 約束のことごとく葉を落とし終え樹は重心を地下に還せり
★この葉を落とし終えた樹が重心を地下に還すという、自分を樹に入っていかせる行かせ方がほ
んとうによく伝わってくる。(崎尾)
★樹の生態を身体的に捉えている。「約束の」なんっていうのもなかなか言えない。摂理という
か。(鈴木)
★「約束のごとく」でないところが深くて面白いですね。とても微妙な繋げ方をしている。「葉
を落とし終え」るというのが自然の約束事なんですよね。この歌の結句が一連の題になってい
ます。(鹿取)
34 わが死後も膨らみてゆく樹の瘤を冬の日射しが暖めている
★「膨らみている」ではなく「ゆく」だからこういうかたちで未来のことも言える。だからレポ
ーターのいうような現在形というのは気にならない。ただ〈われ〉の死後の時間も膨らみてゆ
く瘤を確定的なものとみているのはその通り。(鹿取)
★レポーターが樹の瘤をこのようにマイナスと捉えたのが面白い。樹の瘤って樹にとってはどう
なんだろうね。必ずしもプラスのものではない。まあ、樹の個性のような気がする。ニーチェ
もそうだけど人間も瘤のようなものを抱えていて、それは傷だ。その傷を日差しが暖めている
のはすごい。(鈴木)
★私はあんまりマイナスイメージとは思わないんだけど。まあ瘤取りじいさんとかあるから瘤は
プラスのものではないだろうけど、樹にとってはどうなのかなあ。樹の瘤は渡辺さんにとって
マイナスでもプラスでもない樹の属性のようなものだと思うけど。(鹿取)
★でもマイナスから上に行くと開きが大きい。その力強さは傷から成長していくところが命の力
強さを感じる。鹿取さんのように普通の読み方もできるが、マイナスと読んだ方が渡辺さんの
歌にとっては良いのではないか。(鈴木)
35 冬銀河げに冴えざえと風のあと敗者勝者はどこにもあらぬ
★敗者勝者ということで、こういうものを超越してますます銀河が冴えて浮かぶ。(崎尾)
★どこで読んだか忘れたけど、最近渡辺さんが出世なんて簡単なことはさっさとせよ、という意
味のことを歌っていてそういう立ち位置なのねと感慨を受けたけど、この歌の下の句はすかっ
とする。(鹿取)
★力への意志で、ニーチェもそんなことを言っている。力への意志はひたすら増大することを目
指し、そこに主体性や目的はないと言っている。だからここの風も誰が誰をということがない。
(鈴木)
36 吹きつくる風のかたちとなりはてし岳樺なお生きて風受く
★レポーターの受容というのがいいですよね。負けてる訳でもないし、受け入れているというと
ころが。そういう形にされてしまったというと辛いものになるけど。ニーチェなんかも結局は
病気を受容したのだと思う。(鈴木)
37 榛の木に花咲き春はきたるらし木に向かい吾はすこしく吃る
★渡辺さんは慣用語をほとんど用いていない。用いるときはひねっている。この歌も結句が魅力
的で、榛の木に向かってたじたじとなりながら嬉しがっている気分がよく出ている。(鹿取)
★木に花咲きの歌を思い出した。(鈴木)
★前田夕暮の「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」ですよね。私も
あの歌ういういしくて大好きですけど。夕暮は後にこの妻と離婚しているんですよね。歌った
時は心からこう思っていたろうに。哀しいですね。私は百人一首の天の香具山の歌を思い出し
ました。渡辺さんのこの歌結句がほんとうにいいですね。いかにも春が来たのを喜んでいて、
樹を愛している気分が伝わってくる。(鹿取)
★なんか恋みたいですね。(曽我)
★でも榛の木ってそんなにきれいじゃないんだよね。春早く咲くらしいから群馬で育った人はこ
の樹に花が咲くと春が来たんだって嬉しいんだろうねえ。(鈴木)
38 水楢の裂けたる幹に手を当てて芽吹きの遅きことを愛せり
★レポーターは水楢という種類の樹が芽吹きが遅いというようにおっしゃったが、目の前の個体
が裂けている、つまりこの樹だけが傷を負っているので芽吹きが遅いというんじゃないかなあ。
だから樹に手を当てておまえ、ちょっと遅れをとっているぞ、がんばれよ、っていう感じ。
(鹿取)
★私もそう思った。(崎尾)
★水楢という樹はみんな裂けているんですか?(鈴木)
★だいたい裂けています。(慧子)
★みんなが裂けているなら、やっぱり水楢の樹一般のことかしら。(鹿取)
★でも裂けているのが常態ならわざわざ裂けたるとは言わないのでは。(鈴木)
参加者:稲毛和子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
司会と記録 鹿取未放
◆レポーターは渡部慧子さん。レポート掲載は省略
◆歌と文中の( )内は、ふりがな
29 シベリアを父のいうとき樹は凍てて根は意志以下のすさまじき爪
★お父さん自身にシベリア抑留の体験があるのだろうか。そういったことを踏まえて渡辺さんが
自らの言葉にしたという感じがある。(鈴木)
★人間自身もこういうところではむき出しの状態になるんでしょうね。極限状況で歌の人間を樹
に照らし合わせて歌っている。何か胸にぐーっと伝わってくる。(崎尾)
★「地下に還せり」の一連は魅力的で、この人のお父さん像の作り方が好きだ。この根の歌を読
む度に思い出す『ツァラツストラはこう語った』の中の言葉があるので引用しておきます。
「悪へ」という部分はこの歌とニュアンスが違うのですが、根のイメージとしていつも思い浮
かべます。(鹿取)
人間も木も同じようなものだ。高く明るいところへのびようとすればするほど、その根はいよ
いよ強く地中へ、下へ、暗黒へ、深みへ――悪の中へ向かって行く。
「ツァラツストラ」山腹の木について
★「意志以下」というところがすごい。すさまじさを出している。(曽我)
★ニーチェは「力への意志」と言っている。自然界全体を動かしているもの、根源的な動きとい
うものをそう呼ぶ。まあその言葉が誤解されて権力への志向のようにとられたりしているが。
この歌の場合は単純に普通の意志と考えてよいと思うが。(鈴木)
30 寒雲をひとつ浮かべてしずまれる空そのものの無言 父の背
★寒雲と言った場合寒々としたわびしさのようなものが感じられる。それを父の背が映し出して
いる。身体によるメッセージだ。身体としての言葉が背中とかに表れてくる。ニーチェの言葉
をあえて出すと、「私は身体である。霊魂とはただ身体に属するあるものをあらわす言葉にす
ぎない。身体は一つの偉大な理性である。」(『ツァラツストラ』身体を軽蔑する者たちについ
て)と言っている。普通われわれが考えているのとは逆のことを言っている。まあ、ニーチェ
が言っているからというのではなくて日本人だと無言の父の背中は分かるところがある。空は
何も言わないけれど無言のメッセージを放っていて、父の背もそうだ。映画で言うと高倉健の
よう。(鈴木)
★父の背中から非常に通俗的な読みができる歌はたくさんあるだろうけれど、この歌はとてもス
ケールが大きくて通俗性を全く感じない。レポーターは叙景と言っているがそうなのかな?一
字あけの前後がイコールで結ばれている訳ですが、「寒雲をひとつ浮かべて」いるところまで
は叙景だけど、しずまれる空を無言ととらえているところはいわば比喩であって叙景ではない。
これが渡辺さんの歌い方だと思う。通俗的になりがちな父の背を、精神の高みに導いてくれる
ような歌い方に魅力を感じる。(鹿取)
31 内面をことさら探るまでもなき父と子なりて注ぎあわず飲む
★レポーターの言っている「もう一人とは、時代差による精神、思考などのへだたりはあろう」
という部分がよくわからないのですが。(鹿取)
★父と子には必ず時代差による隔たりがある。歌っているのは父側か子の側かは分からないが、
三十年くらいの隔たりはあるだろうということです。(慧子)
★父親と息子って時代差があるから相容れないところが必ずありますよね。一般的にはそうだけ
ど、この歌では隔たりは感じないですよね。注ぎ合わないで飲めるんだから両方とも納得して
いる親子関係。(鈴木)
★まあ日によって意見の衝突することもあるだろうけど、上司と飲むときはこうはいかないわけ
で、ここではリラックスしている感じ。(鹿取)
★お父さんといっしょに仕事している場面がありますよね。次の歌、ふたりで森に入って。身体
で分かり合っている感じ。(鈴木)
32 槻の樹皮鱗片状に剥がれいて光陰は子に父にあまねし
★一緒に行動した後にたまたまそういうような樹を目撃して、そういったところに光が照り輝い
ていた。それを父と子が見て深く共有する時間を持ったと言うことを歌っているのではないか。
レポーターが書いている関係性への愛情というのはそういう時間を共有したということによる
のではないか。もちろん樹に対する思いも親子共々深いものがあったと思う。親子と樹の三者
の関係がそれぞれ豊かな時間を共有している。光陰というのがここでキーワードかな。(鈴木)
★槻の樹と〈われ〉はここに存在していて、お父さんの存在は捨象してこれまでイメージしてい
たけど。お父さんも確かに一緒にいるんですね。ただ、「光陰」の解釈はレポーターとも鈴木
さんとも違います。「光陰」の意味は①歳月 ②月の光 で、太陽光の意味はありません。月
光の中で槻の樹の剥がれている様子を見ているなら歌で明示すると思うので、ここの「光陰」
は歳月だろう。年老いた槻の樹皮が剥がれているのを見てその樹に過ぎた歳月を思い、〈われ〉
と父に流れる歳月を思っている。つまりこの歌のテーマは歳月。(鹿取)
33 約束のことごとく葉を落とし終え樹は重心を地下に還せり
★この葉を落とし終えた樹が重心を地下に還すという、自分を樹に入っていかせる行かせ方がほ
んとうによく伝わってくる。(崎尾)
★樹の生態を身体的に捉えている。「約束の」なんっていうのもなかなか言えない。摂理という
か。(鈴木)
★「約束のごとく」でないところが深くて面白いですね。とても微妙な繋げ方をしている。「葉
を落とし終え」るというのが自然の約束事なんですよね。この歌の結句が一連の題になってい
ます。(鹿取)
34 わが死後も膨らみてゆく樹の瘤を冬の日射しが暖めている
★「膨らみている」ではなく「ゆく」だからこういうかたちで未来のことも言える。だからレポ
ーターのいうような現在形というのは気にならない。ただ〈われ〉の死後の時間も膨らみてゆ
く瘤を確定的なものとみているのはその通り。(鹿取)
★レポーターが樹の瘤をこのようにマイナスと捉えたのが面白い。樹の瘤って樹にとってはどう
なんだろうね。必ずしもプラスのものではない。まあ、樹の個性のような気がする。ニーチェ
もそうだけど人間も瘤のようなものを抱えていて、それは傷だ。その傷を日差しが暖めている
のはすごい。(鈴木)
★私はあんまりマイナスイメージとは思わないんだけど。まあ瘤取りじいさんとかあるから瘤は
プラスのものではないだろうけど、樹にとってはどうなのかなあ。樹の瘤は渡辺さんにとって
マイナスでもプラスでもない樹の属性のようなものだと思うけど。(鹿取)
★でもマイナスから上に行くと開きが大きい。その力強さは傷から成長していくところが命の力
強さを感じる。鹿取さんのように普通の読み方もできるが、マイナスと読んだ方が渡辺さんの
歌にとっては良いのではないか。(鈴木)
35 冬銀河げに冴えざえと風のあと敗者勝者はどこにもあらぬ
★敗者勝者ということで、こういうものを超越してますます銀河が冴えて浮かぶ。(崎尾)
★どこで読んだか忘れたけど、最近渡辺さんが出世なんて簡単なことはさっさとせよ、という意
味のことを歌っていてそういう立ち位置なのねと感慨を受けたけど、この歌の下の句はすかっ
とする。(鹿取)
★力への意志で、ニーチェもそんなことを言っている。力への意志はひたすら増大することを目
指し、そこに主体性や目的はないと言っている。だからここの風も誰が誰をということがない。
(鈴木)
36 吹きつくる風のかたちとなりはてし岳樺なお生きて風受く
★レポーターの受容というのがいいですよね。負けてる訳でもないし、受け入れているというと
ころが。そういう形にされてしまったというと辛いものになるけど。ニーチェなんかも結局は
病気を受容したのだと思う。(鈴木)
37 榛の木に花咲き春はきたるらし木に向かい吾はすこしく吃る
★渡辺さんは慣用語をほとんど用いていない。用いるときはひねっている。この歌も結句が魅力
的で、榛の木に向かってたじたじとなりながら嬉しがっている気分がよく出ている。(鹿取)
★木に花咲きの歌を思い出した。(鈴木)
★前田夕暮の「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」ですよね。私も
あの歌ういういしくて大好きですけど。夕暮は後にこの妻と離婚しているんですよね。歌った
時は心からこう思っていたろうに。哀しいですね。私は百人一首の天の香具山の歌を思い出し
ました。渡辺さんのこの歌結句がほんとうにいいですね。いかにも春が来たのを喜んでいて、
樹を愛している気分が伝わってくる。(鹿取)
★なんか恋みたいですね。(曽我)
★でも榛の木ってそんなにきれいじゃないんだよね。春早く咲くらしいから群馬で育った人はこ
の樹に花が咲くと春が来たんだって嬉しいんだろうねえ。(鈴木)
38 水楢の裂けたる幹に手を当てて芽吹きの遅きことを愛せり
★レポーターは水楢という種類の樹が芽吹きが遅いというようにおっしゃったが、目の前の個体
が裂けている、つまりこの樹だけが傷を負っているので芽吹きが遅いというんじゃないかなあ。
だから樹に手を当てておまえ、ちょっと遅れをとっているぞ、がんばれよ、っていう感じ。
(鹿取)
★私もそう思った。(崎尾)
★水楢という樹はみんな裂けているんですか?(鈴木)
★だいたい裂けています。(慧子)
★みんなが裂けているなら、やっぱり水楢の樹一般のことかしら。(鹿取)
★でも裂けているのが常態ならわざわざ裂けたるとは言わないのでは。(鈴木)
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