かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠鑑賞  C 

2013年06月21日 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 C(2008年5月)    
    【西班牙 1 モスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48~
      参加者:I、SA、崎尾廣子、SM、藤本満須子、H、渡部慧子、鹿取未放の8名
                レポーター:崎尾廣子さん、レポート部分は省略。
        司会とまとめ:鹿取 未放
 
 ※レポートに追加する意見だけを載せているので、元のレポートがないと不十分なのですが、
  お許し下さい。お申し出くださる方には、元のレポートをコピーしてお送りします。


64 成田空港包囲して林立するホテル消燈の時きらり小泉よねさん

 成田空港の建設計画が発表されたのが66年、即、反対闘争が組まれた。軍事目的による使用を危惧したためである。小泉よねさんは7歳の時から子守に出されて、つつましく暮らしてきた人である。そういう農民達が立ち上がり、学生その他が全国から応援に駆けつけて闘った長い闘争だが、71年、土地収用法によりよねさんの家や田畑も強制収用された。78年には、4000メートル滑走路一本という、大幅に計画を縮小した形で成田空港は一応の完成をみた。
 死者や負傷者を大量に出した激しい反対闘争だが、91年に成田空港シンポジウムが開催され、94年には話し合いによる解決が合意された。(もちろん、話し合い一切拒否、空港絶対反対の立場の人達も大勢存在する。)馬場一行のスペイン旅行は95年だから、闘争が一応の終結をみた一年後ということになる。(ちなみに今年2008年5月が開港30年目に当たるというから、成田空港と「かりん」は同じ年輪を重ねたことになる。)
 きらびやかなホテルが空港を「包囲して」「林立」していると詠むことによって、かつてそこにそのようにしてあった反対運動の旗を鮮やかに二重写しにしてみせる。そうすることで、農民達の運動を封殺して成った空港を利用しようとする自らに対する痛みをも表現しているのであろう。寝ようとしてホテルの部屋の灯を消す時に、作者の脳裡を小泉よねさんのことがかすめる。彼女たちを蹂躙した為政者と自分たちが一体になって彼女たちを踏みにじっているような気分、自分たちの方がむしろ敗者であるかのような気分、それが小泉よねさんを「きらり」と光らせた理由であろう。
 馬場の旅に同道した清見糺が、似たような場面を次のように詠っている。
  滑走する機窓に見えてうらがなし成田空港フンサイの塔
 清見の歌はやや情緒に流れているが、馬場の歌は矛先が己に向かっていて自己省察の鋭い歌である。なお、田村広志の『旅の方位図』の「廃井」13首は、空港の為に廃村となった村の風景を詠んでいてあわれぶかく心打たれる一連である。
  一村を廃墟となして成りてゆく空港 雨のけむれる彼方
  空港の高き鉄塔に灯はともり暮れはやき一面草の廃村
   * 田村広志の歌集に成田空港を詠った一連がある旨の指摘は、藤本さんからいただいた。
     (鹿取)

65 明るき雲の上に出でたるイベリア機内ふいと爪切りを出して爪切る

 イベリア機は、スペイン国営の航空会社の飛行機。安定飛行に入ってシートベルト着装のサインも解かれたのだろう。ほっとした機内で爪切りをするところが飄逸。明るい雲の上、イベリア機に旅情とこれからの旅への期待感も出ている。もっとも9・11後は刃物の機内持ち込みは禁止であるからこんな光景ももう見ることはないであろう。(鹿取)

66 あつといふまに雲後に沈む日本のさびしさとして海光りゐる

 日本は小さく雲のかなたにあっという間に見えなくなって、わずかに日本海が光っているのが見える。その海のきらめきが更に旅人のさびしさを増幅させるのであろう。(鹿取)

67 一万七千の高度よりみる白雲の網に捕はれし初夏のシベリア

 一万七千フィートは5千メートルくらいとか、安定した高度なのだろう。飛行機は進んで白雲の下には初夏のシベリアが見えている。しかしこれが詠われた背景は白雲、初夏という爽やかな光景のみではないだろう。そう考えるのは「網に捕はれし」という言葉の使い方と、シベリアという地名の故である。作者が何を思い浮かべていたのかは想像するしかないが、おそらく日本兵のシベリア抑留についてであろう。餓えと寒さに苦しめられながら強制労働をさせられ、多くの日本兵が餓死した。酷寒の中で死んでいったひとりひとりの兵の叫びを作者は聞いていたのではないだろうか。
 ★時代を生きている先生の思いが迫ってくる。(藤本)

68 歴史の時間忘れたやうな顔をしてモスクワ空港にロシアみてゐる
 
 ここに詠われた「歴史の時間」とは何を指すのかを巡って会員が活発に応酬をした。議論を交わすことでみんなの認識が深まっていくことを非常に意義のあることだと思った。
 ここでは、「歴史の時間」をロシア古来から現代までの歴史だ、とみる見方と、学校で習った歴史教育のことだとする二つの意見が出された。また、客観的なロシアの歴史ではなく、日本や自分との関わりのあったロシアのことだという見方も出された。
 思うにそれらの意見全てを包み込んだような「歴史の時間」であろう。もちろんその中には日露戦争のこともあり、シベリア抑留もあるのであろう。それらを作者が忘れているわけではないが、もろもろは一旦脇に措いて一旅行者として目の前のロシアを見ているのである。 馬場には「見る」歌に秀歌が多いが、この歌もその独特な「見る」歌の系列上にあるように思われる。(鹿取)
 ★ロシアを自分や日本との関係で身に引きつけ、今のロシア、これからのロシアを見てやるんだ 
  という思い。(藤本)
 ★高尾太夫の「忘れずこそ思ひ出さず候」に通じる思い。(SA)

69 イベリア航空の小さな窓からみるだけのモスクワ空港のかなとこ雲よ
 
 モスクワではトランジットだったのだろう、空港しか詠われていない。ここは飛行機の窓から見ている場面。かなとこは、上が平らになっていて、金槌を受ける台らしい。よって、かなとこ雲は、入道雲の一種だが雲の先端が平らになったものをいうそうだ。かなとこには日露の過去の関係に関わる何かの暗示があるのだろうか。(鹿取)

70 肥えて思ふエステ日本やさしけれ精神はかすか無に近づくを

 68、69、72のモスクワ空港の歌に挟まれているから、意見として出された「エステを受けて気持ちよくなった」歌とは考えられない。95年当時はロシアの市場に物が無くパンや肉を買うために行列している映像をよく見せられたものだが、そういう情景を思い描いての感想だろうか。初句の「肥えて」は自分を含めた日本人のことだろう。飽食の果てに肥えた日本人が暇にあかせてエステに通ったりしているがそれは何となく恥ずかしいことだ。美容にうつつをぬかせている間に、精神の方はだんだんと無に近づき考える力を失いつつあるようだというのだろう。
 もちろん「肥える」も「エステ」も比喩であって、実際にエステティックに通っているかどうかが問題なのではない。精神の力を失いつつある日本に警鐘を鳴らしているのであろう。結句の「を」は、深い詠嘆であろう。(鹿取)

71 歌は癒しおもしろうしていつしかに見えずなりたる心の癒し

 「歌は癒しだ」などと巷では軽々しく言われたりしているが、ほんとうにそうかなあ、癒しなんかじゃないんじゃないの、という皮肉か。70とセットになった歌だろう。(鹿取)

72 モスクワ空港彼方の疎林に雪降るころ降りたしツルゲーネフを恋びととして

 ツルゲーネフは19世紀ロシアの小説家。貴族であるが農奴制を批判した『猟人日記』を書いて逮捕・投獄されたりもしている。隣家に越してきた少女を恋する少年が、自分の父親とその少女が恋しあっていることを知るという詩情豊かな『初恋』などの作品もある。なお、ツルゲーネフは、夫と子のあるフランスのオペラ歌手に一目惚れ、彼女を追ってパリに行き、生涯ロシアと西欧を往復して暮らしたそうだ。作者はかつてツルゲーネフに心酔したことがあるのだろう。「疎林に雪降るころ」はたっぷりとした情感をたたえた表現だが、えがかれた小説の中の情景をも連想させる。若い日の憧れのこころを実現したい思いがほほえましい歌となっている。

73 清掃の女の一団もりもりと乗り込み来たるこれぞモスクワ

 前のロマンチックな歌から一転して現実的。そのコントラストが面白くしく詠まれている。「もりもりと」に、いかにも肥えた逞しいロシア女の姿が見えるようだ。

 ※ この一連、重いテーマから軽やかなもの、可愛らしいもの、ロマンチックなものとがうまく
  配されていて、移りゆきの妙・連作の醍醐味を味わえる見事な構成になっている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿