かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 118

2014年08月17日 | 短歌一首鑑賞

【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)66頁
            参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:渡部 慧子
             司会と記録:鹿取 未放


151 桐の花咲きしずもれるしたに来てどうすればわれは宙に浮くのか

(レポート)(2014年8月)
 「桐の花」の下。それは咲きしずもれる状態。そこに来た作者は「宙に浮く」てだてを思っている。咲きしずもれるという呪縛めいた空気感からのがれたいのか、あるいは高い桐の花の薄紫への思慕があるのか。思うにどちらでもなくてもっと他のこころもちかもしれない。こう思うのは「宙」という措辞によるのだろう。紫煙や高嶺の花などから想像される状態を越えたところに作者の思いはあろう。(慧子)


  (紙上意見)(2014年月)      
 本歌集は、1997年に上梓されているから、オウム真理教事件(1980年代末~1990年中期)の頃の時代も映しているだろう。主犯者麻原の空中浮揚が話題になっていたが、この歌も、それが背景にあっての歌だろう。桐の花の咲きしずもれる下で、宙に浮くことを揶揄しつつ、束縛から離れて自由になるとは、どのようなことかを考えている。(鈴木)


      (発言)(2014年月)      
★咲きしずもれるとあるので花はたわわに咲いているのだと思う。その下に来たときとても幻想的
 になったのだろうと。作者は自分も浮いてみたいと真剣に思ったのではないかと。あの花のとこ
 ろに行って実の中に同化していくことができないかと。(真帆)
★落ち着いた静かな所に来て、どうしたら桐の花に近づけるのかなと、希望でしょうか?(曽我)
★麻原のことは全然思い浮かべませんでした。私は白秋の歌を思い浮かべてしまいました。〈手に
 とれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ『桐の花』〉これは非常に繊細な歌で掲出歌
 とは直接関係ないですね。咲きしずもれるというと、やはり満開で、辺りには誰もいなくて、そ
 の下で静かに瞑想している、どうしたら宙に浮くのかと考えて。浮くことだけが目的で、例えば
 花に近づく為にとか死者に同化する為にとかは考えなくて。(鹿取)


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