渡辺松男研究45(2017年1月実施)『寒気氾濫』(1997年)
【冬桜】P153
参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆
司会と記録:鹿取 未放
376 死ののちのわが思わねばなき時間 冬桜咲く日向を歩む
(レポート)
思わなければ存在しない時間。死後存在はなくなるだろうから、死後の世界を存在させたければ、今の自分が思うほかない、と詠っていると思った。はかなさや、ちらちらと咲く幻想的な冬桜ととてもよく響き合い、取り合わせの上手さに感動した。(真帆)
(当日発言)
★上句ですが死後の世界を存在させたいと作者が思っているとは取りませんでした。私はもう少し単
純に、死の後は私は思考できないから時間も存在しない、というように読みました。(鹿取)
★死自体は自分で体験できないということをうたっている。死を体験するということは思う時間が
あるということです。でも死んでしまえば思う時間はないので、結局自分の死は体験できないの
です。(鈴木)
★始めに言葉ありき、ではないけどその逆かなと思ったのです。死んだ後は何も無くなってしまう
から、死ぬ前に一生懸命考えておかないとということかと。(真帆)
★そうすると他者の死なのですか?(鈴木)
★いえ、自分の死のことです。自分が死んでしまったら思考ができなくなるから今思っておかない
と死そのものがなくなってしまうのではないかと懼れていると。(真帆)
★私はこんなふうに読みました。下句、今は自分は生きていて思考できるから、今という時間があ
って冬桜の咲く明るい道を歩いている。自分が存在しているということの不思議、そして存在し
なくなるという不思議、この歌はそういうことをうたっているのだと思います。(鹿取)
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