かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠310(トルコ)

2016年05月22日 | 短歌一首鑑賞

  馬場あき子旅の歌42(11年8月)【キャラバンサライにて】『飛種』(1996年刊)P140
    参加者:N・I、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部慧子
    司会とまとめ:鹿取 未放


310 キャラバンサライに泊まりし六百人と馬駱駝その廃庭の一本胡桃

      (まとめ)
 セルジューク・トルコ(1077~1308)時代に多く整備されたキャラバンサライは、2階が人の宿泊室、1階に取引所などさまざまな商業施設と管理所、馬や駱駝の泊まる場があったという。かつて600人が泊まった大きな宿だが、今は昔のような隊商の為の宿としては機能していない。観光客に解放されている建物には土産物店等が入っているそうだ。そんなキャラバンサライの庭に一本の胡桃の木が立っている。胡桃の木は高いものでは8~20メートルになるそうだが樹齢はどうであろう。中国には樹齢500年の胡桃の木があるそうだが、その辺りが最古木だとするとキャラバンが行き来した最盛期をこの胡桃は見ていないことになる。しかしそんな理屈は措いて、廃庭にある一本の大きな胡桃の木を眺めていると、キャラバンサライがいきいきと機能していた時代を見てきた証人のような懐かしみを感じたのだろう。滅び去った昔を偲ぶのに「廃庭」がよく効いている。(鹿取)


       (レポート)
 ある記録に目を通したのか「キャラバンサライに泊まりし六百人と馬駱駝」というフレーズが生まれる。3句、「馬駱駝」から「その廃庭の一本胡桃」と続くのだが、語順がいきなりだ。だが印象深い。このいきなりは読者の頭の中に、廃庭となるまでの時間を取り入れさせる感がある。そこで例えば次の場合と比較して欲しい。〈六百人と馬駱駝泊まりしキャラバンサライその廃庭の一本胡桃〉これは散文風に陥り時間を内包しないと思う。過去というものがあって廃庭の一本胡桃とは過ぎ去ったおおよそを集約するに足る存在である。そこのところを語順鮮やかに一挙に仕上げている。(慧子)



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