馬場あき子の外国詠 (2007年11月)
【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P156
参加者:崎尾廣子、T・S、N・T、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾 廣子
司会とまとめ:鹿取 未放
12 ランボーはサハラに至らざりけるか赤砂の丘に陽の入る時刻
(まとめ)
詩人ランボーは複雑な家庭環境の中で神や家庭を呪って成長したといわれている。10代の頃から出奔や放浪を繰りかえし投獄されたこともある。20歳の頃、ヴェルレーヌの招きでパリに出るが文学や思想に失望、ヴェルレーヌと共にベルギーやロンドンに移り住むが2年後、ヴェルレーヌにピストルで撃たれて関係は破局、「地獄の季節」などを表すがその後1、2年で文学に決別したといわれている。やがて各国を渡り歩いて交易に従事、アビシニア(現エチオピア)のハラールにいたが、1891年6月腫瘍でマルセイユに戻って右脚切断手術を受け、11月に死亡。37歳だった。
高熱を発してマルセイユに戻る時には砂漠を何人もの人足に担がれて港にたどりついた、という伝説もあるが、エチオピアとサハラ砂漠の間にはスーダンという国が間に横たわっている。しかし各国を放浪した時にサハラに足を踏み入れていないともいえない。見渡す限り赤い沙漠に陽が沈んでいく荘厳な光景を見ながら、ランボーの栄光と痛ましさのない交ぜになった激しい生涯を思っている。「時刻」とあるので沈む瞬間に啓示のようにランボーの像が作者を射たのかもしれない。(鹿取)
(当日発言)
★詩人として馬場はランボーと対峙している。(慧子)
★「赤砂の丘に陽の入る時刻」を見せる方法としてランボーを持ってきた。(N・T)
(レポート)
沙漠の一瞬が詠われている。結句の「時刻」に心が留まる。天才詩人と言われたランボーに思いを馳せている。陽の入るサハラの地平は、空は怖さまで感じさせるほど美しいのであろう。「ランボー」によって想像する景はさらに深まり多彩となる。「ランボーはサハラに至らざりけるか」と時の彼方を詠い、「陽の入る時刻」で一点を指し、雄大な裸の地平に時を対比させている。宇宙の音が聞こえてくるようだ。(崎尾)
*ランボー:フランスの詩人。(1854~91)早熟の天才で感覚の惑乱の中から未知のもの
を見るという方法に目覚め、現実への反逆に満ちた独自の詩風をきずいた。詩集に「イリュミ
ナシオン」「地獄の季節」など。(小学館 言泉)
*サハラ砂漠:アフリカ大陸の北部に広がる世界最大の沙漠。アフリカ大陸総面積の約四分の一
を占める。大部分は岩石沙漠で、石油、石炭、鉄鉱石などの地下資源が豊富。(小学館 言泉)
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