かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠334 (スイス) 

2016年11月10日 | 短歌一首鑑賞

     馬場あき子の外国詠46(2011年12月実施)
         【氷河鉄道で行く】『太鼓の空間』(2008年刊)167頁
         参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、曽我亮子、たみ、藤本満須子、渡部慧子
         レポーター:崎尾 廣子
         司会とまとめ:鹿取 未放


334 薄き空気と高さに馴れし体らは標高三千ではしやぎはじめぬ

        (まとめ)
 ユングフラウヨッホ駅からエレベーターで上るスフィンクス展望台は3571メートルだそうである。この歌には精神の高揚感がある。「体ら」の複数は「自分だけでなく他の人たちも、という意味」との意見があったが、複数の人ではなく〈われ〉の手も足も頭もというように体の複数の器官を指しているともとれる。私はこちらの説。だから「はしやぎはじめ」たのは〈われ〉の体感をいっているのだろう。(鹿取)


         (レポート)
 一首の成り立ちを見てみると初句は7音で、あとは7・5・9・7音と続く。ゆるやかに歌い始めている1音字余りの初句であるが、初句、2句、3句の最初の1音1音を追ってゆくとそこに軽やかにリズムがある。酸素の薄さにも慣れ、目・耳・皮膚などの感覚がもどり、体の動きまでも軽くなって行く感じをこのリズムで表現しているように思う。4句は9音だが8音をもつ名詞に強いひびきのある「で」の1音で場をはっきりと表している。結句のひらがなはにぎにぎしさを彷彿させていると感じる。また、「ぬ」で慣れてきた時間に終止符を打っているように思う。高所ゆえのにぎにぎしさに自然と顔がほころぶ歌であると思う。そして「で」の1音が印象ぶかい。また、「と」「に」の自然な表現、にぎにぎしさがより伝わってくると思われる結句の大きくした「や」の文字などにも目をとめたい。また3句の「体らは」はこの1首をより豊かにしている魅力のある表現である。(崎尾) 


       (当日意見)
★人間は高所では内省的になりにくい。これが地下なら内省的になるだろう。(慧子)
★「体ら」は複数を表し、自分だけでなく他の人たちも、という意味。(藤本)
★高さにだんだん順応して体が喜びに浸れる状態になってきた。同時に心も解放された。(たみ)
★評者のレポートについて3点発言します。初句の1音字余りは2音字余りの誤り。結句の「はし
 やぎ」の「や」は旧仮名遣いなので「や」の文字が大きいのは当然。「や」に特別の意味を込め
 るために大きくしているのではない。また、「初句、2句、3句の最初の1音1音を追ってゆく
 とそこに軽やかにリズムがある」とあるが、これはもっと具体的に言わないと説得力がない。
    (鹿取)



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