2005年12月が初版なので、
『勝ち組』『負け組』論、ゆとり教育の是非など
社会状況を論じる部分は若干古い印象を受けますが、
教育に関する評論、とくに国語、哲学、倫理を論じている
箇所については深く考えさせる内容です。
著者の文章がよく大学入試に使われるというのも
うなずけます。
著者のアイロニーに富んだ言い回しが
自虐的でもあり、現状を追認する読者への再考を
促すきっかけになったりして、
独特の教育論が展開されています。
「やればできる」とは「やらなければできない」の虚飾的告白、とか
勉強そのものに虚しさや疑問を感じて徹底的に悩むのもよいとしながら
野口悠紀雄氏の『超「勉強法」』や和田秀樹氏の勉強本を推薦して
勉強に対する一厘の疑問も持たせない明るい姿勢に接すれば
勉強する気になる、とある意味皮肉をこめて
書いているところが印象に残りました。
ただ、著者の主張はそうそう単純でもない。
第二章 「読書のすすめ、もしくは戒め」の章では、
受験勉強に「読書」は妨げになるとは言いつつも、
受験に直接関係のない無駄な教養主義的知識を省いて、
試験でいい点を取ることだけを目的にした効率のいい
お勉強をするのが正しい、と思っているわけでもない、と。
そうして『悩むこと』が逆に著者の誠実さと知性の奥行き
感じるゆえんでもあるのだと思います。
そういえば、『悩む力』という本がベストセラーになっていましたね。
正解のない一つの判断を下すときに、
悩むことなくすぱっと判断をくだせる人は
一見優秀な人であるようにも見えますが、
実のところ誠実でも知性的でもない場合もあると
いうことは心にとどめておいてよいかもしれません。
『勝ち組』『負け組』論、ゆとり教育の是非など
社会状況を論じる部分は若干古い印象を受けますが、
教育に関する評論、とくに国語、哲学、倫理を論じている
箇所については深く考えさせる内容です。
著者の文章がよく大学入試に使われるというのも
うなずけます。
著者のアイロニーに富んだ言い回しが
自虐的でもあり、現状を追認する読者への再考を
促すきっかけになったりして、
独特の教育論が展開されています。
「やればできる」とは「やらなければできない」の虚飾的告白、とか
勉強そのものに虚しさや疑問を感じて徹底的に悩むのもよいとしながら
野口悠紀雄氏の『超「勉強法」』や和田秀樹氏の勉強本を推薦して
勉強に対する一厘の疑問も持たせない明るい姿勢に接すれば
勉強する気になる、とある意味皮肉をこめて
書いているところが印象に残りました。
ただ、著者の主張はそうそう単純でもない。
第二章 「読書のすすめ、もしくは戒め」の章では、
受験勉強に「読書」は妨げになるとは言いつつも、
受験に直接関係のない無駄な教養主義的知識を省いて、
試験でいい点を取ることだけを目的にした効率のいい
お勉強をするのが正しい、と思っているわけでもない、と。
そうして『悩むこと』が逆に著者の誠実さと知性の奥行き
感じるゆえんでもあるのだと思います。
そういえば、『悩む力』という本がベストセラーになっていましたね。
正解のない一つの判断を下すときに、
悩むことなくすぱっと判断をくだせる人は
一見優秀な人であるようにも見えますが、
実のところ誠実でも知性的でもない場合もあると
いうことは心にとどめておいてよいかもしれません。
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