テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

今日のムダ音源No2

2017年11月03日 | 日記
読者の皆さんは連休の初日を如何お過ごしだろうか?

「俺、金もね~し 恋人もいね~から・・」

外出だけが休日の過ごし方ではないと思う

家遊びも工夫しだいで結構楽しいものなのだ


ムダに時間を過ごす事だけは避けた方が良い


いつも出来ない事に時間を費やすのだ

「また今日もムダにネットサーフィンしちゃったわ~」

「俺ってホントに進歩ね~な 我ながら嫌になるわ~」

というのは私が良く知るおじさんの口癖なのだ


私は何故だか休日になるとアコースティックな楽器に触れたくなる

アコギ(エレアコ)やウクレレなのだ


アコギは久しく弾かないと押弦が辛くなる

012から056がアコギの定番なのだ

しかもエレキよりも硬めの質感を持つ


指を鍛えるという意味でもアコギはお勧めなのだ

しっかりと弦を押さえることが出来なければ音がビビるのだ

自分の甘さに気付くのだ


一方のウクレレは別次元なのだ

弾き方がまったく違う楽器なのだ

コードひとつをとっても押さえ方を忘れる


まぁ、弾ける者にとっては自動車の運転のような感じなのだ

わずかな時間で勘を取り戻すことが出来る


ウクレレはそのルックスから想像できないほどに弦のテンションが強い

アコギ以上にしっかりした押弦が必要になってくる


とにかくアコースティックな楽器は生音勝負なのだ

ボディ材選びが大事な理由なのだ


弦のゲージやメーカーを変えることで劇的に変化する

とにかく深い、終わりなき旅なのだ


前置きが長いが・・・

指慣しということで私の好きな曲をお届けしたい

この曲が弾きたくてウクレレを買ったようなものなのだ



恥ずかしながらこのアニメをみたことがない

アニメには興味が沸かないのだ

「凄く良い作品ですよ~」

「大人も楽しめますよ~」

と若い人が勧めてくれるが気分が乗らないのだ

趣味の違いだと思う


この曲は弾いていて落ち着くのだ

今回はウクレレに合わせてアコギの伴奏を考えてみたのだ


しばらくケースの中で眠っていたギターだが・・

何故だか音が良くなっているように感じる


久々に弾いたからだろうか?

理由は不明なのだ


人間の感性や感覚を理由付けすることは難しい

「俺、あの人って生理的に受け付けないんだよね・・」

という言葉を良く耳にする


特に言い争いなどはしていないが・・

馴染んでいないのが傍からでも分る


本人達はその理由に気付いていないようだが・・

総じて、『育ちの違い』である事が大きい


山の手育ちの人が野蛮な人と歩み寄れない理由に似ている


実は趣味の世界でも相性がある事を最近知ったのだ

何かと色々な人とセッションする機会に恵まれる

「この人って遣り難いなぁ・・」

と感じる人がたま~にいるのだ


同年代でも合わない人がいる

一方、二回りくらい歳下でも仲良く演奏出来ることも多い


私は理屈っぽい人が嫌いだという事に気付いた

私自身もかなり面倒臭いタイプではある


それ故に面倒臭い×2には耐えられない

理屈っぽい人の多くは言うほどのビジョンを持っていない

というか・・

能力が低い人に限って理屈で武装したがる傾向が見られるようだ


仕事でも趣味でも有能な人は

黙って実行なのだ


これから社会に出る読者の方も多いと思う

一つだけ助言しておきたい

出来ない事は口にしない方がよい

「君って英会話が得意って言ってたよね?」

「フランス語もいけるって? 言ってたよね?」

ムダに記憶力だけが冴えている上司が必ずいるだ


自分は無能なのだ

他人の揚げ足とりだけが得意な人がいるのだ

逆にそれが得意技?になっているのだ


そんなアウトローな手法が通用する温い時代もあった


出来ない事は出来ないと認めてしまった方が楽になれる

「俺ってダメ人間です 存在がムダです」

で良いのだ

「でも・・とりあえず頑張ります!」

は不要なのだ

「頑張れるなら、もっと早く頑張れよ」

と言われてしまうのだ


さりげなく実力を披露するのがカッコいい

「あれ? どこで習ったの? 凄いね~」

「今度の海外出張に行ってみるか? 経験だしな」

という千載一遇のチャンスが巡ってくるかも?


世の中はすべて『有言実行』で成り立っている

政治の世界でも口先と家柄の時代は終わった

「じゃ、何が出来るの?」

とにかく結果を求めてくる


ギターブログも同じなのだ


読者は厳しいのだ

自分と同レベルの人に賛同などしない

「俺と一緒じゃね? 大したことね~な」

という事になる


求めるものは自分が到達できない極みなのだ

その極みが何であるかはその人の価値観によるが・・・


速弾きに憧れる人ならば、そういう動画に感動すると思う

作曲に憧れるならば、サクサクっと曲が作れるような人に憧れる


ギターの上達を目指しているならば、自分が求めるトーンを出せるギター弾きに憧れる


当たり前だが・・

自分以下の人間と付き合っても得はない

あるのは『虚しい優越感』だけなのだ


私が良く知るおじさんは自分で出来ない事や自分が知らない事を認めない

悪い性格なのだ

おじさんが伸びない理由の一つなのだ


まぁ、何処の中高年にもそんな傾向が見られるが・・

私が良く知るおじさんは群を抜いているように感じられる


おじさんのギター観には自分と憧れのプロしかいない

つまりは中間層がいないのだ

「素人で上手い奴とか認めね~わ」

「所詮、素人じゃね? プロじゃね~し」

心が狭いのだ


対バンとセッションバトルなどをした経験がないのだろうか?

世間は広い、驚くほど上手い人もいる

才能溢れる人も多いのだ

「上手いね~ どうやって練習したの?」

「指使いを教えてよ~ どうやるの?」

私はすぐに仲良しになってしまう


逆に色々と質問される事も多い

私は惜しげもなく練習方法などを伝授する


”認め合う・・”

が無ければ、野良犬と同じなのだ

「うりやぁ~ ここは俺の縄張りじゃ~ワンワン」

「俺の女(メス)に手を出すんじゃね~わ コラ~」

という感じだろうか? 


キリが無いのでこの辺で・・・(*^_^*)


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