還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

鳩山さんの使命

2010-05-31 22:27:45 | 日記
ついに普天間問題から鳩山内閣が崩壊寸前だ。
それにしてもあんなに自信たっぷりに県外と言っていたのに、結局アメリカの言うとおりの案になった裏には
何があるのだろう?
マスコミで報道されている表の理由以外に何かがあるのではないだろうか?
アメリカをはじめとするいろんな勢力から、公言できないような脅迫じみた圧力でもあったのではないかと
想像したくなるような決着だ。

政治と金の事に関してはありとあらゆる裏情報を垂れ流すマスコミが、今回の裏について追及しないのは
どこかに押さえられているからだろうか。


政権交代したのをきっかけに、野中元官房長官が「マスコミ記者や政治評論家に機密費から金を渡していた」
ことを告白したり、沖縄返還時の密約が公になって元毎日新聞の西山記者が正しかったことなどが明らかになった。
しかし機密費のことを書いたのは東京新聞一社だけとはなんと日本のマスコミは腐っているのだろう。

時としてペンの権力を傘にきて傍若無人とも思えるような取材をしているわりには、自分達のこととなると知らんふり。
執拗な民主党攻撃の裏には、自分達のすねの傷をおもんばかってのことがあったのだろうか。

赤旗や聖教新聞などは立場がはっきりしているから読者もバイアスを考えながら読めるが、公平を装っているぶんだけ
一般マスコミのほうがタチが悪いのかも知れない。

鳩山さんも民主党政権もそんなに長くは持たないだろうが、残された鳩山さんの使命は野に下ったあとで
野中さんのように「何があったのか」を赤裸々に国民に明らかにすることだ。


いっぽう我々はマスコミに踊らされることなく、いろんな情報を元に自分自身で考える癖をつけなければならないだろう。

運動会に思う

2010-05-29 20:54:00 | 日記
朝から孫の小学校の運動会を見に行ってきた。
ゴザからビーチパラソルやビニールシートに変わったけど、両親や兄弟、おじいさんおばあさんも一緒の
昔と変わらぬ光景に自分の小学校時代や娘の運動会の頃を思い出しながら孫を応援してきた。

思えば娘のこの学校での運動会は今のニュータウンに引っ越してきてすぐで、誰も知り合いがいなくて
妻と二人だけで淋しく観戦したものだった。。
他の親同士が仲良く子供達の応援をしているのを横目に見ながら、誰一人話す人のいない孤独感に
たまらない思いをしたものだ。

あれから20年あまり、妻や娘達はどこへ行っても声をかけあう友人も増えて、
この町にしっかり根を生やしているようだ。

あと数年で自分もサンデー毎日の生活に入るけど、女性達のように根が生やせるだろうか?
学生時代や職場の友人達と同じような付き合いができるような知り合いができればいいのだが・・


古くからの集落は何世代にもわたって布を紡いできたような安定感があるのに対して、
ニュータウンというのはまさしく出来上がった布を継ぎ合わせたパッチワークと同じで
住民みんながモザイクをつなぎ合わせる努力をし続けなければすぐに不安定になってしまう。

思い込みと勘違い

2010-05-27 11:45:07 | 日記
今日は仕事で徹夜明け。
昨晩の仕事は電話会議を結んでの遠方との共同作業だったが、
仕事の段取りについてお互いに勘違いがあり少々あせった。
同じ言葉でもお互いの頭の中にある理解がちょっとずれていたようだ。

そういえば昨年の四国一周のキャンピング旅行での一こまを思い出した。

高知県の道の駅「すさき」で車中泊をしたとき、道の駅のおばさんに
「この近くで日帰り温泉はないの?」
「一番近いのは”黒潮本陣”、そこの道をまっすぐに行ったら左手に看板が見えるのでそこを左折した所にある、
 海を眺めながら露天風呂に入れるよ」」
「自転車で行ける?」
「いいや、車でないとムリ」
こんなやりとりで、自分の頭の中では5~6kmと勝手にイメージを作ってしまいR52を教えられたとおりに走ったが
行けども行けども看板が出てこないし、海の近くの筈なのにだんだん山の中へ入って行く。
大分走ってからおかしいと思い、途中で引き帰してからカーナビの指示どおりに海岸に沿って細い道を30分位かかって
やっと到着した。
きれいな海を眺めながら海水を汲み上げた汐湯温泉を満喫し、帰りは最初からカーナビをセットしたら
さっき引き帰したほんの少し先の交差点に出た。
せっかくすぐ近くまできていたのに、わざわざ引き帰して遠回りをしたようだ。

もうひと言「車で何分ぐらいかかるか」聞いておくべきだった。


教訓=「人の話を聞いて勝手に自分の頭の中にイメージを作るな」=



徳之島の話も鳩山さんか平野さんか知らないが、小数の誘致派の人の話を聞いて同じように
勝手に自分の都合のよいように思い込んでしまったのだろうか?
あまりにもお粗末な話だった。

夏野菜の手入れ

2010-05-22 22:49:16 | 家庭菜園
今日は蒸し暑くて農作業はつらかったので、夏野菜の手入れだけにした。

すいか・・・摘心し、ドーム型に覆っていた透明シートをトンネル状にした。
      これでしばらくはツルが伸びても大丈夫だろう。
      ツルが伸びだしたら、昨年のように竹でジャングルジム風にしてツルを上に這わせようと思う。
      (畝の有効利用)

トマト・・・支柱を立てて、雨除け用の工作をした。
      取り敢えず一畝に3本の苗を植えているが、脇芽が伸びてきたら挿し木をして増やすつもり、
      こうすると収穫時期が上手く調整できる。
      昨年はフルーツトマトは生長力が旺盛なので、そのまま畑に挿し木しても大丈夫だったが、
      桃太郎はしおれてしまって駄目だったので、今年は鹿沼土に挿し木をして増やそうと思う。


イチゴ・・・以前に荒らされたのはアライグマかと思ったが、どうやら鳥(ヒヨ)のせいだったようだ。
      防鳥網を地面との間に隙間がないように張り直したら、先週ヒヨが一羽引っ掛かって死んでいた。
      その後は被害もなかったようで、本日少しだけだが鳥のおこぼれ(?)が収穫できた。


とうもろこし・・・やはり雑草(ホトケノザ)の根が生きていたようで、ホトケノザが一杯生えてきた。
         しばらく様子を見て、抜くかどうか検討しようと思う。

財政問題と国民の覚悟

2010-05-19 22:06:40 | 日記
ギリシアの財政問題をきっかけにして、世界中で株価が急落している。
ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペインと地中海沿岸の各国を債務危機が覆っている。

日本の借金に比べて桁違いに少ないのにこの有様である。
日本の債務不履行の恐れが表面化した時の事を想像するだけでも恐ろしいことだが、
いまだに本気で考えている人のほうが少ないのはどうしたことだろう。

国土も狭く資源にも乏しい我が日本なので、現在のような生活自体が背伸びをした生活である
ということを、もっと自覚する必要があると思う。

子供時代のほうが、貧しくても何とかなっていたような気がするのは、
親に養ってもらって生活に責任を持たなくてよい子供の頃の記憶だからだろうか?

少なくても昭和40年代前半頃の生活に戻さなくては、莫大な借金を減らすなんてことは絶対にできないだろう。

一軒の家に3世代同居(核家族を大家族に)、
公共交通を整備・復活させて不要な自家用車を減らす、
一次産業の活性化を図る、
自給自足に耐えられるように食料自給率を上げる、
都会から田舎への人口移動を促す、
道路は維持管理にのみ金を投入し、新規道路は原則作らない、
経済成長至上主義からの脱却、
大学は本当に優秀な人材のみを受け入れる、
中学・高校ではモノづくりの基礎を叩き込む、
簡単に使い捨てにせず、修理できるものは最後まで使う、
etc

国民に対して政治家は正直に「覚悟して生活水準を下げましょう」と訴えるべきだ。
そして、いつの時代にも、激変時にはうまく立ち回って不当な利益を手にする輩がいるから、
そんなことを絶対に許さず、いかに公平・平等に等しく生活水準を下げるかを考えてほしい。

戦争に負けてアメリカにすっかり洗脳されてしまった日本人だが、
我々は、戦争中あんなに我慢して耐えた国民の子孫なのだ、もう一度がまんして国を立て直そう。

今日はちょっと過激に書いてしまったが、これからはそのぐらいの覚悟が必要だと思うからだ。



ダンボールコンポスト

2010-05-17 22:44:13 | 家庭菜園
なかなか畑の空きが出来ないので、種蒔き培土を買ってきてポットに落花生、青シソ、オクラの種を蒔いた。
落花生は初めてなので上手くできるかどうか楽しみだ。

市役所で募集していた「ダンボールコンポストのモニター」に当たったので本日資材をもらってきた。
できた堆肥の自家使用と2回のアンケート回答が条件だが、すべて無料なのでたくさんの応募者があったようだ。
約30×40×30cmのダンボール箱、ピートモス15ℓ、もみがら薫炭10ℓ、温度計、説明資料が支給された。

さっそくダンボールの底を3重に、回りを2重に補強し、ピートモス、もみがら薫炭をよくかき混ぜて
少し水を加えてから、台所の生ゴミ900gを入れてみた。
よく説明書を読んでみたらゴミの上限は一日500gということなので、明日からは少し減らさなくちゃ。

虫除けのため、ダンボール箱の上部は要らなくなったレースのカーテンで覆った。

約3ヶ月間生ゴミを入れてはかき回しを繰り返し、その後別の容器で1ヵ月寝かすと堆肥になるそうだ。

今までは庭に置いたコンポストに生ゴミを入れていたが、なかなか醗酵しないし虫の発生が多くて困っていた。
今回は約4ヶ月で醗酵し堆肥化するそうなので、今回うまくいけばこれに変えようと思う。

生ゴミ堆肥の威力は昨年のスイカ栽培で実証済みなので、いい堆肥ができるのが楽しみだ。
(昨年は庭のコンポストで出来たものを、透明ビニールで覆い約1年間寝かして軽くてフカフカになったものを使用した)

阪神交流戦初勝利

2010-05-15 22:00:04 | 日記
岩隈を相手にようやく交流戦初勝利だ。
それにしても今年の真弓監督の采配、特に投手起用については首をかしげることが多い。
今日も中村を敬遠するんならなぜ途中で藤川に替えてから敬遠させるんや。
よほど中継ぎが悪くない限り藤川は9回のアタマから使ってほしい。

今日のサンTVの解説広沢が試合が終わった直後に「普通は負けたチームの監督は
ゲームセットと同時にベンチを後にすることが多いけど、今日のブラウン監督は
最後のバッターがベンチに帰ってくるまで待ってて声をかけていた。
これが素晴らしい、選手のモチベーションが大事なんですよ」と言っていたが、まったく
そのとおりだと思う。
真弓監督にもそのへんのところをよく考えて戦ってほしいものだ。

広沢の解説は初めて聞いたが、我々が気がつかないことをよく教えてくれて、
非常にいい解説だった。
サンTVの解説者は解説というよりは阪神ファンとしての話が多いが、今日みたいな
解説をぜひ聞きたいものだ。

九州キャンピング旅行記6

2010-05-14 20:44:12 | 旅行
5月1日 佐賀関~湯布院

道の駅「日向」では冷凍トラックのエンジン音が一晩中うるさくてやや睡眠不足。
最初は冷凍運搬車とは思わなかったので「うるさいなエンジンを切ればよいのに」と
ややイラついたが、荷物を冷凍するためだとわかってからは納得して我慢することにした。
0730に一路大分に向けて出発。



==佐賀関(1130-1340)==

途中休憩をはさみながら一般道(R10,R217)を4時間走って佐賀関に入る。
宮崎の「観光の海」から大分に入ると急に「生活感のある海」に変わった。

途中で有名な関サバを食べたくて、ガイドブックに載っていた「おおはま亭」に寄ってみたが
ガイドブックが古かったせいか、現在は営業していないようだった。

諦めて関埼灯台へ向かう。

灯台にも車を置けるが、大分市営の天文館である「関埼海星館」に車を停めて、
海星館の庭から灯台への歩道を行ったほうが眺めも良くおすすめだ。

海星館から灯台と昨年行った佐田岬を望む。


ひょっとしたら道の駅「佐賀関」で関サバか関アジが食べられるかと思ったが、
残念ながら道の駅は駐車場、トイレと屋台風の店(たこ焼き)が営業しているだけだった。
関西からここまで来て「たこ焼き」でもないだろうということで、早々に道の駅を後にする。

途中で「関の瀬」という料理屋に入り、関の瀬寿司と気まぐれ定食を頼む。
一貫づつだったが関サバと関アジがさすがに美味い。
普段食べるサバの味がしない、これが本当の新鮮なサバの味なのだろう。とりあえず満足。



いよいよ九州旅行最終日、明日は高速道で関西へ帰るのみ、今晩は湯布院ICのすぐ近くに
ある道の駅「湯布院」に泊まる予定。
豊後高田の「昭和の町」へも行ってみたかったが、妻の希望もあり湯布院でゆっくりすることにする。



==道の駅「湯布院」(1540着)==

連休に入ったせいか、さすがに車が多い。
(最終的には107台の駐車スペースから車があふれるほどだった)
案内所の女性に聞いたら湯布院の町まで車で5分くらいということだったので、
せっかく積んできたのにほとんど使わなかった折畳み自転車2台で温泉に行くことにした。
歩道のない下り坂を下っていくが交通量も結構あるし、思ったより遠い。
これではせっかく温泉に入っても、帰りにまた汗をかいてしまいそうなので、
とりあえず自転車で湯布院の町を散策し、温泉は車で出直してくることにした。

湯布院の町はさすがに若い女性に人気があるところらしく、ここが九州なのかと
思うくらいハイカラな店や都会的なファッションの若者が多い。
さしずめ九州の軽井沢か清里といったところか。


山下清の原画展が開かれているという「湯布院美術館」に行ってみたが、時間が遅いせいか
すでに閉まっていた、残念。


コンクールで金賞を取ったという日本一のコロッケを買い食いする。



本当に九州の人は「日本一」が好きみたいだ。
野間岬の日本一美味しい寿司屋さん、
出水の日本一大きい地蔵さん、
綾町の日本一の照葉樹林、
九重の日本一の大吊橋、
その他忘れたが、いたるところで「日本一」という看板を見た。
宮崎を走っているとき、「日本一たい焼き」という看板につられて、わざわざ急停車して
たい焼きを買ったら「日本一」というチェーン店のたい焼きだった(笑)




5月2日 湯布院~自宅

0730に湯布院ICから大分自動車道~九州自動車道~山陽自動車道経由で1930に
自宅着。(本日の走行距離690km、総走行距離2590km)
帰りも日程をずらしたおかげで、渋滞の下り車線を脇に見ながら快適に走れた。

途中立ち寄ったところでは、門司の「めかりPA」(関門海峡の眺めが最高)と
広島の「宮島SA」の景色が素晴らしかった。

往年の阪神タイガース(さようなら田宮謙次郎さん)

2010-05-13 22:23:17 | 日記
少し前になるが、元阪神タイガースの田宮謙次郎さんが亡くなった。
私が阪神ファンになった少年時代の不動の4番打者である。

当時の投手は渡辺省三、大崎、小山、捕手は土井垣、山本哲也、内野は三宅、吉田、鎌田、藤本、
外野に田宮、並木らがいて常に巨人と優勝争いをしていたように記憶している。
もちろん家にTVなんかない時代で、木製キャビネットの5球スーパーラジオで
スコアをつけながら実況中継を聞いていたものだ。

子供心に4番バッターは絶対に三振なんかしないと思っていたのに、
田宮が三振させられたことがあって、巨人の馬場(後のジャイアント馬場)はすごい投手なんだなと思った記憶がある。

一時期サンTVで解説されていた鎌田さんも最近は消息を聞かないし、ほかの三宅、並木さん達は
現在どうされているのだろう。

九州キャンピング旅行記5

2010-05-12 20:53:39 | 旅行
4月30日 綾町~日向

==綾町照葉大吊橋(0820-1140)==

道の駅「高岡」を0740に出発し、開門時間ぴったりの0820に到着。
当初は自転車でゆっくり綾町をサイクリングするつもりだったが、綾城から大吊橋まで
山道のうえ結構距離があるので諦めて日本一の照葉樹林帯を散策することにした。


残念ながら大吊橋(高さ142m、長さ250m)は大分県九重の大吊橋(高さ173m、長さ390m)に負けて
日本一ではないらしいが、それでも妻は怖がって渡橋感を味わうことなく足早に渡ってしまった。
しかし高さはあるが足元が鉄板(一部スノコになっているが)なので恐怖感はない。


むしろ遊歩道の先にある「かじか吊橋」のほうが高さは低いが足元が全てスノコなので、こちらのほうが
怖いかも知れない。

大吊橋を渡ってから約2kmの遊歩道をゆっくりと往復する。
まだ時間が早いせいか他には誰も歩いていなくて静かだ。
ちょうど屋久島の屋久杉ランドのような感じで照葉樹林の大自然のさまざまな息吹が感じられるいい所だ。

朽ちた古木から、鳥によって運ばれたであろう新しい木の芽が生長していた。

帰途なにげなく吊橋の入り口にある「照葉樹林文化館」に入ってみた。
「照葉樹林文化」という言葉をはじめて聞いたが、照葉樹林は西日本から中国揚子江南部山地~雲南高地
~ヒマラヤ中腹に至る東アジアをベルト状に貫く植生で、そこにはお茶を飲む習慣、麹を用いた酒の醸造、
味噌・納豆等の醗酵食品、うるしの漆器、まゆからの絹作り等、さまざまな共通の文化要素が見られると
いうことだ。

しかし今日本では照葉樹林がどんどん荒れてきている

私の故郷(山林地帯)でも里山が荒れたせいで、鹿が庭先の畑まで出てきて作物を食べる被害が
広がっているらしい。

大昔から山林によって育まれてきたさまざまな生命によって人も生かされてきたことを思えば、
我々もいま何かをしなくてはいけないのだろう。


おまけ

おわんに縞模様・・カシ等の常緑樹のどんぐり

おわんにうろこ模様・・ナラ等の落葉樹のどんぐり

最近生意気になってきた孫にこれでちょっと知識をひけらかすかな・・・・



==川の駅「綾の里」(1150-1319)==

ここで地鶏の焼鳥と鮎で昼食にする。
個室の横に鯉が泳いでいる水流があり、注文した品が流れてくる。

残り少なくなってきた飲料水(美味しい地下水)をここで補給させてもらう。
これで帰るまで安心だ。


==日向岬(細島灯台)(1540-1700)==

同じ宮崎でも南の方の日南海岸と趣きを異にするリアス式の海岸(クルスの海とか馬ケ背とか)である。

42年も前になるが船に乗っていた頃、細島港で下船になり宮崎から定期観光バスに乗った記憶がある。
当時の細島の印象はまったく残っていないが、観光バスに乗ってみてびっくり、周りはベレー帽を
かぶった新婚さんばかり(当時は新婚旅行といえば、白浜、熱海、宮崎が定番であった)
一瞬しまったと思ったが後の祭り、独り者は自分一人だけ、
何ともいえない気恥ずかしい思いと南国情緒あふれる日南海岸の景色だけが記憶に残っている。
バスガイドさんが一人者に何かと気遣ってくれた思い出がある。
あのバスガイドさんは今どうされているんだろうな・・・・。


==道の駅「日向」(1800着)==

キャンプ場や温泉施設もある大きな道の駅だ。
ここの温泉には洗剤も置いてあった(入浴料500円也)
駐車場が満杯近くなるくらい多くのキャンパーが止まっている。




九州キャンピング旅行記4

2010-05-11 21:11:23 | 旅行
4月29日 鹿児島~宮崎

寂しくてスリリングな一夜も明けて朝からよく晴れている。
真っ青な海の向こうにきれいに見えている開聞岳を写真におさめて0715に道の駅「根占」を出発。


==佐多岬(0800-0910)==

本州最南端になる岬でソテツの自生地である。
ちょっと想像し難いがインドのニューデリーやエジプトのカイロと同緯度になるらしい。

トンネル手前の駐車場に車を止めて、入園料一人300円也を払って岬の先まで歩くことになる。


岬の先端までの山道を歩いて御崎神社を過ぎて少しすると視界が開け、開聞岳がきれいに見える。
富士山に負けずとも劣らず、この山はどこから見ても美しく感動的である。


御崎神社を少し過ぎたあたりで、何やらゴソゴソ音がする。
山の整備でもしているのかと思ったら、いきなり猪2頭と猿が一匹姿を現した。
驚いたが観光地で人馴れしているのだろうと勝手に思い込んでカメラを向けたら
低いうなり声をあげて向かってきそうだったので足早に立ち去る。

帰りしなに受付の人に聞いたら「今まで被害にあった人はいないけど、人馴れしているわけでもないので
これからはわからない」ような事を言われた。
それなら入口に注意書きでもしておいてほしいものだ。

灯台は岬の先端から少し離れた島に設置されているのでそこまでは行けない。




佐多岬からR269への途中に「↑稚内」の標識があった、最南端から最北端へのユーモアに思わず苦笑。



ここから内之浦経由で都井岬方面にゆっくりと走りたかったが、今後の行程の関係で
鹿屋まで引き返して、一路R220で都井岬を目指した。
ラジオニュースでは早朝に桜島が爆発的小噴火を起こし、噴煙が数百mの高さまで上がっているらしい。
R220からでも高く上げっている噴煙が見えた。
昨日行っておいてよかったという気持ちと、今日の噴火を見てみたかったという気持ちが交錯していた。



==都井岬(1340-1410)==

今までの岬とは趣きが違って、なだらかな丘陵という感じだ。
有名な野生馬がのんびりと草を食んでいた。


ここの灯台は登って見学ができるので登ってみた。


さすがに人気の観光地、道も環境もよく整備されていて通行料的に取られる協賛金400円也は気持ちよく支払えた。



==道の駅「なんごう」(1450-1510)==
休憩がてらここでマンゴーアイスを食す。
この道の駅も眺望が抜群でいい所だ。
ここから鞍埼灯台を写真におさめる。


==飫肥(1545-1700)==
九州の小京都といわれるだけあって、江戸時代の絵図に描かれた街路がそのまま使用されている美しい町並みだ。
飫肥城大手門から東のほうへ延びている武家屋敷通りは平均900坪の広い邸宅が並んでいる。
出水や知覧の武家屋敷群と同様に住民が生活しながら景観を維持されているのだが、
前2者の中間的なたたずまいで、生活しながら商売にも活かして生活と観光の調和がとれているように感じた。



そこから南のほうの商人通りも風情があって良かった。




飫肥城の旧本丸跡には樹齢100年以上の杉が林立しており二人でヒーリングスポットと名づけた


昨夜、車中でガイドブックを見るまでは名前も知らなかった飫肥だが、休日ということもあってか
思ったより観光客も多く静かで良いところであった。
こんなふうに予定外のところが意外と良かったりするのが自由きままなキャンピング旅行のいいところ。


==道の駅「フェニックス」(1750-1830)==
今晩の宿泊地をここに決めてきたが、景色が良すぎてバイクや若者が多い。
昨年の四国旅行のさいの道の駅「やす」と「風和里」(両方とも海岸沿いにあり景色も抜群の所)で
遅くまで暴走族に悩まされた経験から妻が怖がるので、別の道の駅を探すことにした。


==道の駅「高岡」(1920着)==
明日は綾町へ行く予定なので、綾町に近いここで宿泊することにした。




九州キャンピング旅行記3

2010-05-10 22:06:07 | 旅行
4月28日 鹿児島3日目(錦江湾沿いに喜入~桜島~大隅半島)

朝6時に起床、コーヒーと昨夜近くのスーパーで買った食パンをガスコンロであぶって朝食にした。
7時20分に道の駅を出発。


==福山黒酢情報館「壺畑」(0950-1030)==

観光地ではないが妻の希望で霧島市福山の黒酢情報館へ寄る。
名前からてっきり公営か業界団体の運営かと思っていたがそうではなくて、「坂元醸造」という
1メーカーの運営であった。
私達二人だけにもかかわらず担当の人が親切に案内して下さった。
桜島を目の前にした段々畑のような土地に数え切れないくらいの信楽焼きの壺が並べてあり、
職人が仕込みから熟成まで手作業で行っているとのことだった。



==道の駅「たるみず」(1100-1300)==

規模、眺望とも今までの道の駅でも最高の部類にはいるところだ。
全長60mの足湯(かけ流し)につかり桜島を目の前に眺めながら昼食を食べた。

ここにいる間だけでも桜島は2~3回小噴火を繰り返していて噴煙が上がっていた。

本当はここで宿泊したかったが、あいにく水曜日で温泉施設が定休日のため次へ足を進める事にする。



==桜島(1310-1400)==

溶岩展望所・・大正3年の大噴火の後を眺めながら散策する、防空壕のような避難所が設けてあり
       今でも活動している火山であることを再認識させられる。
       (実際翌日に爆発的小噴火が起こってかなり遠くからでも噴煙が高く上がっているのが
       見えた)

黒神大鳥居・・同じく大正3年の大噴火でほとんどが埋まってしまった鳥居を見たくて車を走らせた。
       駐車場もなく看板がなければわからないような場所にあって、ぼんやりしていると
       行き過ぎてしまうところであった。

       知らずに黒神中学校の近くに車を停めたが、噴煙を掃いていた先生や生徒さんが
       「ちょっとならいいですよ、鳥居に行かれるんならここを通って行きなさい」と
       玄関を横切らせていただいた。
       鳥居の脇にここの中学生が作った説明資料や写真が展示されている小屋がある。       
       それによると当時8つの集落が埋没してしまい、この黒神地区も全戸が埋没して
       しまったそうである。この鳥居も上部1mだけが残り2mは埋まっているらしい。
       地震国日本ではどこにいてもそうだが常に地獄と隣り合わせで生活しているんだということを
       改めて実感した。


==道の駅「根占」(1550着)==

開聞岳が真正面に望め大浜海浜公園を前に眺望は最高だが、泊るのにはちょっと不安なところ。
明日朝に佐多岬に行きたいので仕方なくここに泊ることにする。
他にキャンパーは一台もなく夜は激しい雷雨もありちょっとしたスリルであった。



選挙運動?

2010-05-09 23:00:48 | 日記
突然中学時代の同級生の訪問を受けた。
1月の同窓会で45年ぶりに会って以来はじめての再会だった。

たしか同じクラスになった記憶はないので、同窓会で話すまではそんなに親しい関係では
なかった筈なのにと思っていると、やはり選挙がらみであった。
そこのところはちょっと残念だったけど、そこはやはり同級生、他の同級生の近況などを
楽しく話し合った。

同級生と言うだけで票を入れるほど無定見なつもりはないけれど、一生懸命な姿を見ていると
立場を超えて頑張ってほしいと思う。

九州キャンピング旅行記2

2010-05-07 21:23:03 | 旅行
4月27日 鹿児島2日目(知覧~指宿)
朝6時に目覚めたが、昨夜からの雨がまだ降り続いている。
9時まで道の駅で待機し、雨が上がるのを待って知覧に向けて出発した。

==特攻平和記念館(0930-1105)==
言葉にならない。
純粋さにただ涙するのみ。


==知覧武家屋敷群(1110-1150)==

出水に比べると屋敷も大きく立派な庭がきれいに整備されていたが、通路のあちこちに入園券を売っていたり、
飲食店等も営業しているし市営の駐車場も有料であったりして、商業化され過ぎてやや興醒めであった。
私としては素朴な出水のほうが好きだ。


==山川港特選市場(1315-1420)==
昼は新鮮な魚が食べたいと思い山川漁港まで走ってみた。
本当に漁村といった感じで飲食店らしきものが見当たらない、街を一周してようやく「特選市場」が
あったので「海鮮丼」と「荒煮定食」を食した。
両方とも値段(1000円以下)の割には美味であった。


==長崎鼻灯台(1430-1515)==
公営の駐車場がないので、土産物屋の駐車場に車を止めて灯台まで歩いた。
ここから眺める開聞岳は最高の景観なのだろうが、今日はあいにく雨上がりにもかかわらず黄砂のせいで
霞んでしまって残念だ。


==池田湖(1540-1600)==
昔ネス湖のネッシーになぞらえて、イッシーで有名になった池田湖だが巨大なウナギが生息しているらしい。
湖畔に植えられた大量のポピーの花が満開で美しかった。


1640に道の駅「喜入」に到着、道の駅らしくない道の駅だが温泉があるので人気があるのか、
今朝「川辺やすらぎの里」で別れた「神戸」ナンバーの夫婦とまた出会った。
他に奈良からの一人旅の男性や他県ナンバーのキャンパー数台が止まっていた。
お互いの今日の行程を紹介しあってBon Voyage。

喜入といえば、石油ショックの頃中東から原油を積んできた大型タンカーをそのまま
沖に停泊させて備蓄基地にしていた所である。
その見返りに作られた施設なのかどうかはわからないが、プールやジムも備えた大きな温泉施設だ。
昨日でこりたので今日はあらかじめ石鹸とシャンプーを購入してから入った。
入浴料は300円也、どうやら鹿児島では300円台以下では洗剤はなし、500円以上で洗剤が置いてあるようだ。


九州キャンピング旅行記1

2010-05-06 21:05:45 | 旅行
4月25日 九州キャンピング旅行一日目
九州はやっぱり遠い。
今日はただひたすら高速道を西へ走るのみ。
朝8時に家を出て夕方7時過ぎに熊本の宮原SAに到着。
連休前なので渋滞もなく順調に走行できた。
走行距離712㎞。
夜、車中で明日の予定を立てる。
当初は阿久根~長島方面を予定していたが、ガイドブックに出水の武家屋敷群が載っていたので
そちらへ行く事にする。


4月26日 鹿児島一日目
宮原SAを0720に出発(旅館宿泊と違って朝早くから行動できるのがよいところ)
八代JCTから南九州自動車道で日奈久ICまで行く予定だったが、間違って八代出口に
出てしまった。しかたないので一般道で一路出水まで行くことにする。

===出水麓武家屋敷群(0915-1135)===
出水は敵が攻めてくる場合必ず通過する地域ということで
周辺各国から選りすぐりの屈強の武士達が集められて外城を形成していたらしい。

現在でも武家屋敷の景観を守りながら(従って商店がひとつもない)住民の方が生活しておられるということで
見学できるのは平成2年に市が買い上げた「竹添邸」と8年に買い上げた「武宮邸」の2軒だけだったが、
ガイドの方が常駐しておられ親切に説明していただいた。
竹添邸のほうは2棟連結の大きな屋敷で当時の道具類が展示されている。
ガイドの方の詳しいお話を伺いながら当時の武士の生活に思いをはせた。
武宮邸のほうは最近まで住んでおられたということで生活感の漂う屋敷になっていた。


駐車場も複数整備されており見学も無料になっていて他の地域の武家屋敷群と違って
商業化されておらず素朴で落ち着いた雰囲気のいい所であった。
まるっきり無料では申し訳ないので出口の寄付箱に気持ちだけ入れて竹添邸をあとにした。

どこの景観保護地区でもそうだが、我々観光客には美しくていいのだが現実にそこに
生活されている住民の方はいろんな制約があって不便で大変だろうなと思う。
その不自由さと引き換えにできるほどのメリットが想像できない。
住民と出水市の心意気だけで維持されているように感じた。

日本一の大きい地蔵さん(高さ約4m)を拝んで武家屋敷群一帯を散策して1135に出水をあとにした。


==吹上浜(1400-1525)==
旅に出るとどうしても運動不足になるので、遠くに車を止めて往復一時間歩いて浜に出てみた。
昨年房総半島旅行で九十九里浜や波崎の砂丘を見ているので、「まあこんなもんか」といった感じで
早々に次の野間岬まで急ぐことにした。


==野間岬(1620-1650)==
R226から細い地道を経て野間岬の海岸に着いたが灯台が見えない。
途中で追い越した小さなバイクの男性(同年代)と海岸で出会う。
なんと篠山から来たと言っていた、まさかこんな九州の端でご近所さんに出会うとは・・・

塩水でらっきょうを洗っていた地元の人に聞くと、風力発電の風車が並んでいる山の上に
あるらしい、「せっかく来たのだからこの近くに「磯」という日本一おいしい寿司屋があるので
ぜひ食べていきなさい」と勧められたが、日が暮れるまでに灯台まで行ってみたいし今日の
「道の駅」まで大分距離があるので残念ながら今回は遠慮した。
せっかく電話までしてもらったのにごめんなさい。

教えられたとおりに行ったつもりだったが、着いた所から灯台はまだ歩いて20分以上かかる
ようなので、残念ながら日も暮れてきたことでもあり灯台までいくのは諦めた。


==道の駅==
当初の予定であった「きんぽう木花館」は小さすぎて他にキャンパーもいなくて泊まるにはちょっと不安なので
「川辺やすらぎの里」まで行くことにした。

途中の「いなほ館」という所で夕食と温泉に入る。
26日ということで入浴料が260円だった。
シャンプーや石鹸は必ず置いてあるものと思い込んでいたのでタオルだけで入った。
ところが洗い場には何も置いてない、近くの人に聞いたがいつも置いてないとのことだった。
諦めてサウナに入ったら、後から入ってきた人がわざわざ「洗剤ないんだって、よかったら私のを使って
下さい」と言って下さりシャンプーをお借りした。
夕食は不味いし安くても洗剤が置かれていないことで自分の気持ちの中で悪くなっていた印象が
一挙に挽回した。

後々にも経験したが、とにかく鹿児島の人は親切で人懐っこい人が多い。
そして皆一様にスピードは出さないし交通マナーが良い。
鹿児島がすっかり好きになってしまった。

道の駅「川辺やすらぎの里」では同年輩のキャンパーが4台、内1台は又もやご近所「神戸」ナンバー
だった。