還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

このタイミングで何故?

2016-01-24 12:15:02 | 日記
「息を吐くように嘘をつく」と言われる安倍首相は、批判を批判として受け止めることなく、一方で自分にとって都合のいいデータだけを根拠にしてウソを垂れ流す。
それは思慮深く自分で考える事をせずに、側近の書いたものをそのまま信じて国会で堂々と述べるからだ。

例えば、今国会で「民主党政権よりも安倍政権で有効求人倍率は改善している」「高知県は初めて有効求人倍率が一倍に到達した。」と胸を張ったが、その実態は高知県では若い働き手は条件のいい職を求めて都市部へ流出、たんに求職者自体が減少しているだけだ(正社員のみの求人倍率は昨年十一月で〇・五六倍。全国で沖縄県に次いで低い)。

また選挙目当てのバラマキと批判のある高齢者への3万円臨時給付問題でも、「高齢者より子育て世代や学生の奨学金に回すべき」という批判に「高齢者層は、他の年齢層に比べ、消費性向が高い傾向にあります」と堂々とウソをつく(明らかに子育て世代のほうが消費が活発なのは誰にもわかる)。

極め付きのウソは待機児童の数をめぐる議論で、「今年、待機児童は前年より増えてしまった。安倍政権発足以来、女性の就業者が90万人以上増えたから、無理もないことであります」「その意味で嬉しい悲鳴ではあるのですが、待機児童ゼロは必ず成し遂げなければなりません」とシャアシャアと述べたが、民主党の山尾志桜里議員から
「子育て期の働く女性の数の推移は、この6年間ほぼ横ばいで、女性就労者94万人増加の要因は65歳以上(54万人増)だ」と指摘されて尻尾をまいてしまった。
その実態は65歳を超えても働かざるを得ない高齢者の貧困化、待機児童問題の放置、さらに働き盛りの世代が就業することの厳しさを物語っているだけだった。

パート妻の月収25万円発言問題では「私の発言を強引にすり替えている」「枝葉末節な議論はもうやめたほうがいい」と開き直る。(以上「リテラ」の記事を参考にしました)

これら一例を見るだけでもいい加減なものであるが、政権の監視・支配下にあるマスコミが深く追及しないものだから、そのウソをそのまま信じてしまい大きな問題にならない(自分の頭で考えることをせずに、マスコミ世論に左右されてしまう我々国民にも責任があるのだが・・・)のをいい事に、向かうところ敵なし状態で独裁的な政権運営を行ってきた安倍内閣に突如ふってわいたような甘利疑惑。

しかし告発者の用意周到な準備状況を見ると、突如このタイミングで出てきたのには何か裏がありそうな気がする。
TPP反対の立場から甘利大臣の交渉参加には賛成しかねたのですが、アメリカ代表にタフネゴシェーターと言わしめたように、彼なりに国益を守るために努力はされたのでしょう。
一時期の思いつめたような厳しい表情からもそれが伺われます。

問題を表面化させたのが、あの「週刊文春」だというのも何だか・・・・?です。
田中角栄元首相のロッキード事件の発端も「文春」の記事でした。
陰謀論を信じるものではありませんが、とかくアメリカとのつながりが噂される同社です。
何かアメリカの逆鱗に触れるようなことがあったのだろうか?





公明党の皆さんには「下駄の雪」という屈辱的な評価を覆すような行動を期待します。


玉ねぎのトウ立ちが心配

2016-01-23 13:13:57 | 家庭菜園
大寒の声とともに一挙に寒さがやって来ましたが、それまでは異常な暖かさの今冬でした。
そのせいか、どこの畑の大根も女房の足も顔負け(?)の太さです。

厳寒期は玉ねぎも生長がとまり根の充実に力をそそぐ時期ですが、今年はこの時期でも生長し続けているようです。

ほとんどの植物は気温や日照時間の変化を感知して、子孫を残す為に花芽をつけようとします。
例えばチューリップは冬の寒さを経験しないと春に花が咲きません。
この性質を利用して掘り上げた球根をしばらく冷蔵庫に入れてから植えつけ、季節はずれに開花させたりすることはよく知られています。

玉ねぎの播種が早すぎるとトウ立ちすることはよく知られていますが、冬の間にすくすくと生長した玉ねぎも、遅れて来た寒さに刺激され花芽をつけようとしてトウ立ちしやすくなるそうです。
これを防ぐためには1~2月の朝(夕方だと翌朝に霜柱が立って根が浮き上がることがある)にしっかり水遣りをすることが大事です。
これは乾燥状態で肥料が効きにくい時期に少しでも肥料が効くようにしてやる為です。
(肥料切れがトウ立ちを促進する原因になる)

もの言わぬ植物にも、光合成やアレロパシー現象、種保存作業、害虫から身を守る様々な知恵等々がたくさんあることに感心しますね。
逆境になると子孫を残そうと花実を増やします。
これは獅子唐の栽培で実感したことでもあります。
夏に実を収穫したあと、葉(佃煮にすると美味で、私はこれが大好きです)を収穫すると秋に又たくさんの実をつけ、一本で800個ぐらい収穫できたことがありました。
これは葉が少なくなって身の危険を感じた獅子唐が子孫を残そうと頑張ったせいだと思っています。
人にとっては全てのものが教師だとよく言われますが、植物に人生訓を教わることもあるのですね。





自民党兵庫選挙区



深谷水道北口灯台(三重県)

2016-01-21 20:02:20 | 灯台巡り
ふかやすいどうきたぐち灯台
2015年10月20日(1255-1320)訪問

昭和46年(1971) 11月  初点灯

初点プレート

三重県志摩市志摩町
(34.16.0N  136.51.31E)
高さ  地上~塔頂:9.5m  水面~灯火:10m
白色塔形(円形)コンクリート造
灯質  単閃緑光 毎3秒に1閃光
光達距離 4海里(約7.4km)

深谷水道の北端・英虞湾側に設置されている小型灯台です。
R260にかかる深谷大橋から南口灯台の反対側遠くに見えます。

R260と並行する旧道側の橋を渡った所に護岸提へ降りる階段があります。
その階段を降り、護岸提を歩いて灯台の近くまでは楽に行くことができます。

護岸提はこの辺で終わり、後は砂浜→岩場を歩くことになりますが、私が行った時間帯はちょうど満潮で岩場づたいに灯台までは行けませんでした。

少し引き返し手すりのある階段を上ると、別荘地がある。
その奥側に2軒のログハウスがあり

その手前に灯台へ下る急で滑りやすい小道があります。
ちょうど灯台の保全工事中で作業員用のためかロープが張ってあったのでロープづたいに降りましたが、ロープがなければ非常に滑りやすくて危険です。
できれば干潮時を狙って岩場伝いに行くことをお勧めします。

灯台は狭いコンクリート台の上に立っていて全体の写真を撮るのは困難でした。

英虞湾方面へ向かう漁船





自民党兵庫選挙区




深谷水道南口灯台(三重県)

2016-01-17 18:23:52 | 灯台巡り
ふかやすいどうみなみぐち灯台
2015年10月20日(1245-1255)訪問

昭和44年(1969) 3月17日  初点灯

初点プレート
深谷水道口灯台となっているが正式名称は深谷水道南口灯台に変更されている。

三重県志摩市志摩町
(34.15.8N  136.51.7E)
高さ  地上~塔頂:9.5m  水面~灯火:14m
白色塔形コンクリート造
灯質  単閃白光 毎3秒に1閃光
光達距離 8海里(約15km)

伊勢湾から英虞湾を包み込むような形をしている志摩半島ですが、その南部・さきしま半島は実はこの深谷水道で分断されて厳密に言えば島のようになっています。
真珠養殖で有名な英虞湾ですが、かつては海水の出入り口が一箇所しかなく、冷水が滞留して大きな被害が続いた。
そこで太平洋の暖流を取り込むために、昭和7年(1932年)にこの深谷水道が開通しました。
太平洋と英虞湾を結ぶ最短コースなので多くの漁船がこの水道を通過します。

そこで入り口(南口)と出口(英虞湾側・北口)に小型灯台が設置されています。

大王町方面からR260を走っていると深谷大橋から左手にこの南口灯台が視認できます。

橋手前のポールの立っている所から少し上って下ると灯台脇に出ます。

この右手の所に出る。

駐車場はないので邪魔にならないように路駐するか、近くの施設(デイサービスセンタ)の駐車場に停めさせてもらうしかありません。




親愛なる創価学会の皆さんは誰よりも平和を大切にする方々だと信じています。公明党が暴走しないようにぜひ頑張って下さい。



大王埼灯台(三重県)

2016-01-15 21:59:03 | 灯台巡り
だいおうさき灯台
2015年10月20日(1000-1030)訪問

昭和 2年(1927) 10月 5日  初点灯
昭和53年(1978) 12月  改修
平成16年(2004)4月 1日  無人化(東海地方で最後まで燈台守がいた)

初点プレート
三重県志摩市大王町波切城山54
(34.16.34N  136.53.58E)
高さ  地上~塔頂:22.5m  水面~灯火:45.53m

白色塔形(円形)コンクリート造

灯器 LU-M型(メタルハイドランプ)
灯質  単閃白赤互光 毎30秒に白1閃光赤1閃光
光度  白色25万カンデラ、赤色4.7万カンデラ
光達距離 白色18.5海里(約34km)、赤色17.5海里(約32km)

三重県志摩半島の南東端、大王崎の尖端に立つ中型灯台で、三重県の灯台では安乗埼灯台と並ぶ有名な観光灯台です。
「日本の灯台50選」に選ばれていて、2013年には国の登録有形文化財にも指定されました。

所在地・波切の地名は遠州灘と熊野灘の荒波を切り分けるように突き出していることに由来します。
その名のとおり昔から海の難所として知られており、「大王の沖で難破しても船主は船頭の罪は問わない」と言われていたようです。
その為、明治17年(1884年)には灯台設置の計画があったそうですが、種々の事情から設置されず大正2年サンマ漁船が遭難し51名が犠牲になりました。
その後、大正6年には海軍の巡洋艦「音羽」が座礁する事故があり、灯台設置が急がれましたが、
大正12年の関東大震災で各地の灯台が倒壊し、その修復に時間がかかったため、昭和2年になってようやく建設されました。

この日は早朝から安乗埼灯台の夜明けを撮影した後、大王埼灯台を目指しました。
有名な観光灯台なので道に迷うことはありません、安乗埼灯台から15km、約30分で到着しました。
灯台直近まで車で行くことは出来ず、手前にある駐車場はすべて有料です。

私は波切漁港の邪魔にならない場所に駐車して灯台まで歩きました。灯台まで徒歩で5~6分です。

灯台へは海産物や宝飾品の土産屋が並ぶ屋根付きの小道を通ります。

土産物屋の通りを抜けると灯台の入り口です。
灯台の左は灯台ミュージアム。
参観料(¥200)を払って灯台と灯台ミュージアムに入れます。

間近で眺めるとりりしい姿に感動です。

灯台の入り口です。上部に現行の初点プレート、中の柱には建設当初の初点プレートがかけられています。

初代の初点プレート
らせん階段で登るのは楽です、途中にラウンジも設けられています。

ここまで登れます。灯台からの眺めは360度素晴らしいものです。

東方向の眺望

西方向の眺望

大王町方向の眺望

大王町は「灯台と絵描きの街」というキャッチフレーズが有名で、この日は見かけませんでしたが絵を描く人が多く訪れるそうです。

灯台のすぐ手前にある「八幡さん公園」には絵描きさんの像が設置されています。
ここからが灯台の写真撮影には最適な場所です。

灯台見物を終えて漁港付近のお店で昼食をとることにしました。
「大王荘」という宿泊兼食堂です。
入り口に入浴可能とあったので聞いてみると「一人だったら小さいほうの風呂を沸かしてあげる」とのことで、食事前に入浴させてもらいました。
昨日の灯台巡りは冷や汗と脂汗だらけだったにもかかわらず風呂に入れずイライラ気味だったのですが、やっと生き返ったような気がしました。
元気を取り戻して今日はあと4灯台を目指します。





良識ある公明党員には立党の初心を思い起こしてほしいものです。



安倍首相はヒトラーになるのか?

2016-01-10 23:18:04 | 日記


ナチズムに言動で痛烈な反省を示してきたあのドイツで、戦後発禁となっていたヒトラーの「わが闘争」が発刊されるそうだ。
どういう状況で、どんな背景があるのかはよくわからないが、現在の世界におけるキナ臭い状況が背景にあるのかも知れない。

日本ではかつて麻生太郎財務相が「ドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。あの手口、学んだらどうかね」とつい口を滑らしたことがあったが、その後の安保法制(戦争法)の進め方を見ると安部政権はまったく見事にヒトラー的手法を学んでいるようだ。

今まで憲法の番人として国民に信頼されていた内閣法制局長官を強引に人事で替え、憲法改正を行わずに憲法を骨抜きにしている。
(明らかに違憲である戦争法の強引な成立、憲法で定められた国会議員による臨時国会開催要求の無視etc)
安倍首相にとっては現憲法はまったく邪魔者以外の何ものでもないのだろう。

夏の参院選で自公他で三分の二を確保し、憲法改正が現実になる恐れが強くなってきている。
いきなり9条改正は国民の拒否反応が強そうなので、災害や外国からの侵略、内乱時等に憲法を一時停止し内閣に大幅な権限を与える「緊急事態条項」から手をつけたいようだ。
文字面を見ると各党や国民も表立って反対しにくいように見えるから、憲法改正がやりやすいと目論んでいるようだ。

しかし目論みどおりに改正されてしまうと、いよいよヒトラー下のドイツのような状態になる恐れが非常に強い。
自民党の憲法改正草案では
・閣議の了承さえ取りつければ内閣総理大臣は緊急事態の宣言ができる(98条)。
・内閣は法律と同一の効力を発する政令を制定することができる(99条)。
・緊急事態が発せられた場合には何人も公の機関の指示に従わなければならない(99条3項)。
(現行憲法の「基本的人権」をわざわざ「削除」としたうえで、上記の99条3項を設けている)
・緊急事態が宣言されている間、衆議院は解散されない(99条の4項)。
ひどい場合には、仮に反政府デモが大規模になり政府が内乱状態と判断すると、緊急事態が宣言され、国民の権利が抑圧されてしまう。

ほとんどの人は「現在の日本ではそんなことが行われるはずがない」と考えるかも知れないが、
ヒトラー研究者によるとヒトラー独裁の特徴は
(1)「大衆の統制と動員のための比類なきメディア操作」
(2)「国家による前例をみないほどの抑圧と暴力」
(3)「人種の優越性を標ぼうするイデオロギーの強力な破壊力」
(4)「国際関係における前代未聞のシニシズム」
だそうです。

わが国の現状をよく見て下さい。
(1)
政権に批判的な報道ステーションの古舘伊知郎の降板(本人の意向だということですが、官邸からの強力な圧力が辞めたいと思わせる一因になっている)、
安保法制には反対し続けねば・・と発言したNEWS23の岸井成格の降板、
菅官房長官に「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」と突っ込んだNHKクローズアップ現代の国谷裕子キャスターの降板、
TV放映中の政府に批判的な市民インタビューにケチをつける。
政権寄りのTV局には国会中でも出演するが、批判的なTV局には出演しない。
一部のネト右翼を使ったネット工作・・・等々
現政権のメディアへの介入には目にあまるものがある。
最近ではあの朝日新聞でさえ、政治的には腰の引けたような記事が多くなっている。
(2)
沖縄の民意を無視した強引な仕打ち
(3)
また最近、TVで日本や日本人の誇りや技術を賛美する放送が多くなっていると思いませんか?
この正月あいだに見た番組だけでも
外国の料理人が日本の料理人や料理法に感心し賞賛する番組
在日外国人が母国へ日本の製品を土産に持って帰り、日本の技術に感嘆させる番組がありました。
我々の気持ちをくすぐり、誇り高く気分を高揚させてくれるのは結構なのですが、
日本よりも外国の優れている面に目をつぶって、一面的になってしまうと、日本民族は優秀な民族でアジアを解放すると称して侵略していった戦前に里帰りすることにならないかと心配します(杞憂であればいいのですが・・・)
(4)
中国や韓国に対するヘイトスピーチや嫌中、嫌韓の世論

何らかの形で似通っていると思いませんか?


今年初の畑作業

2016-01-07 20:53:09 | 家庭菜園
例年になく暖かい年末年始でした。
特に年が明けてからは3月並みの陽気が続いています。
いつもだと焚き火で体を温めてからでないと畑仕事が出来ないのですが、今日は火を焚かなくても楽に作業できました。

そのせいか大根もこんなに大きくなりました。
「YRくらま」は株間を25cmとりましたが、この「耐病総太り」は15cmしかとらなかったのにこの太さです。
例年だと防寒対策で抜いてから土中に埋めるのですが、今年はまだ畑に生えたままです。
今日は20本ほど収穫し、自宅で保存します。
保存方法は2013年12月16日の拙ブログ「冬支度と大根の保存法」に書いたとおりで、4月頃までは保存可能です。


種まきから始めた玉ねぎも例年より育ちがいいようです。
今年は近所の人に教わったように、苗のうちからしっかり肥料を(2回)やり、定植後も2回追肥(3月中頃まであと2回の予定)した。
いつも小さな玉ねぎしか収穫できなかったけど、今年はどうなるのか楽しみです。


高齢者大学の同級生に黒にんにくの作り方を教わったので、久しぶりにニンニクを作ってみました。
寒冷期は生長が止まるので肥料を与えても無意味なのだそうですが、この暖かさなので鶏糞を追肥しておいた。




映画「母と暮らせば」

2016-01-05 23:59:31 | 日記

久しぶりに映画を見てきた。
我等が永遠のアイドル吉永小百合とアイドルグループ嵐の二宮和也主演による「母と暮らせば」である。
物語は戦後3年目の長崎を舞台に、一人で暮らす母親・伸子(吉永小百合)の元に原爆で亡くしたはずの次男・浩二(二宮和也)(亡霊)が現れる。
夫は病死、長男はビルマで戦死して一人ぼっちで生きる希望を無くした伸子にとって亡霊であっても浩二と語る思い出と、浩二の恋人であった町子(黒木華)の存在が唯一の生きる希望となっていく。

仏教に基づく日本人の死生観を反映して、重松清「流星ワゴン」、山田太一「異人たちとの夏」、浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」等々、生き残った者と亡くなった人の魂との交流を描いた物語は多い。

この「母と暮らせば」も同様の物語である。
存在感はあっても演技力はやや物足りない感のある吉永小百合だが、「原爆詩の朗読」をライフワークとしているだけあって今回は見ごたえがありました。

映画の冒頭は原爆を積んだ爆撃機の操縦席から始まり、医学生である浩二が授業中に使っているインクビンが一瞬にして溶けていく映像が、おぞましさはないが原爆の恐ろしさを描き出す。
また、主人公が仏教徒でなくクリスチャンであることや、伸子と浩二の会話に出てくる「アメリカって国はこんな素晴らしい映画を作る。原爆もだ」と言ったところにもアメリカに対する嫌味がしっかりはめ込まれている。
浩二の死は、運命ではなく、人間の手によってもたらされた悲劇だという母・伸子の悲痛な叫びにも戦争に突き進んでいった国と原爆を落としたアメリカへの怒りが込められてもいる。

観客をあまり泣かそうとはしない山田洋次監督だが、この映画は何箇所か泣かせる場面がある。
母親を亡くし病気の祖父と幼い妹二人と暮らす4年生の少女が、教師となった浩二の元恋人・町子に付き添われて、役場へ出征した父親の消息を尋ねに行く。
戦死の状況や場所を記入した書類が少女に渡され、町子は声をあげて泣いてしまうが「病気のおじいちゃんと妹二人しかいないので私がしっかりしなければ・・と言われている」と少女はけなげにも涙を流さない。この場面では涙を流さずにはおれなかった。
書類を書いた官吏も戦争で失ったのか左の手首がなかったり、後に町子が婚約することになる教師も片足がなかったりと、いろんな場面で戦争の悲惨さがそれとなく描かれている。

また、いつまでも浩二を思って伸子に寄り添い続ける町子に対して、伸子は「浩二の事は忘れていい人がいたら早く幸せになって」と勧める。
最初浩二は嫌がっていたが「あなたはもうこの世の人ではないのよ」と伸子に説得され、次第に浩二もそう願うようになっていく。
「浩二さんのことを思って一生生きていく」と言っていた町子もついに同僚の教師と婚約することになる。
伸子に報告にきた町子と婚約者を見送ったあと、現れた浩二に「なんであなただけがひとりぽっちにならなければならないの」と思わず本心を叫んでしまうところなど(自分の気持ちを押し殺した建前と本音のせめぎあい)きれい事だけでない描き方がされている。

映画のコピーで「原爆という重く大きなテーマの中で、母子の親子愛に焦点をあて戦争の悲劇を描く」と言うとおり、
生き残った者のやるせない思い、現世への未練を残しつつも生き残った者の幸せを願う犠牲者の思いがいろんな場面で見事に描かれていた。

戦争経験はなくてもかろうじて敗戦直後の貧しい暮らしを経験してきた我々団塊の世代はもちろん、若い人達にも現実感を持って見てもらいたい映画である。




謹賀新年

2016-01-02 16:21:17 | 日記

明けましておめでとうございます。
よいお年をお迎えでしょうか?

昨年は元旦から大雪で、厳しさを暗示するような年明けでしたが、今年は穏やかで暖かい年末年始でした。

正月の子供たちの遊びも昔と比べるとずいぶん様変わりしましたが、近くの公園では凧揚げをする親子が目立ちます。
新聞紙で作った足をつけた「ヤッコ凧」はさすがに見られませんが、昔と変わらない風景です。
全体が貧しかった昔は正月と言えば、新調の服を着て凧揚げやコマ回し、パッチン(一般的にはペッタンとかメンコとか言うようですが)で遊んだものです。
女の子は羽根つきが定番でしたが、最近は目にすることがなくなりました。

正月を迎えて心新たに何かを誓うといったような事がなくなって久しい。
むしろ「冥土への一里塚」と言った方が近いのかも知れないが、それでも何か厳かな気分になるのは日本人である故でしょうか?

今年はこの陽気のように穏やかな一年であって欲しいものです。

そして夏の選挙では「安保法(戦争法)」を廃止できるように野党に頑張ってもらいたいものです。
腰の定まらない民主党ですが、自民党予備軍みたいな一部を追い出してでも野党統一候補実現に向けて動いてほしい。
もし今のままの政権が続くようなら将来が非常に心配です。
我々団塊の世代は現行憲法に守られて平和を享受してこれた唯一の世代かも知れません。
若い人達から見ればいいとこだけを取ってきた幸せな世代と思われるでしょう。
せめて将来にわたって戦争をしない国にして次世代に引き継ぐ責任が我々にはある筈です。

今年の願いは家族の幸せとそれだけです。