還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

落花生初収穫

2010-10-31 23:11:57 | 家庭菜園
今年初めて栽培した落花生を一本だけ試し掘りしてみた。


5月中旬 播種
6月中旬 定植(元肥に鶏糞と熔リン、追肥は一切せず)
7月中旬 開花
8月中旬 紐(子房柄)が地中へ入り出す

写真ではよくわかりませんが、10月に入ってから伸びた紐には結実していないか、全く生育していないものが多い。
これは茎の上部からの紐が地中に入るのが遅かったためと思われます。
株間を30cm位しかとっていなかったので、茎が横へ広がりにくかったようです。
次回からは株間を50cm位にして、茎を地面に這わすように栽培したほうが良さそうです。



根には根瘤菌がたくさん付いている、他のマメ科の作物と同様に追肥はなくても大丈夫のようです。

これから10日間ほど天日で乾燥(葉を下に向けて)させてから殻を割ってみるつもり。



キャンピングカー製作記7

2010-10-27 20:11:30 | キャンピングカー
久しぶりに製作記に追加です。


==電源関係==

車の主バッテリーを気にすることなく、電気を使えるように105Ahのディープサイクルバッテリーをソファ下に収容しています。
一般のバッテリーだと完全放電してしまった場合に、寿命が極端に短くなりますが、ディープサイクルバッテリーの場合はその心配がありません。
そのため夜でも心置きなく電気を使えます。




太陽電池
車のオルタネーターの容量はそのままなので、走行充電は諦めて太陽電池で充電しております。
ルーフキャリアに40Wの太陽電池を2枚載せ、ダイオードをかませて並列接続しているので、晴れていれば充電電流は4A位になります。



電池BOX内部
バッテリー、300Wインバータ、充放電コントローラーを収納しています。


電池BOX前面
アナログ電流計とディジタル電圧計でバッテリーの状態を監視しています。




電源系統図
非常用にメインバッテリーとサブバッテリーを切り替えられるようにしてあります。
不注意でメインバッテリーがあがってしまっても、一応太陽電池で充電可能です。

負荷側はAC100V(300W)とDC12V出力端子があります。
尚、冷蔵庫は電流を食うので走行中は車のメインバッテリーからも供給できるように、切替SWをつけました。


今回の主な費用は
ルーフキャリア・・・・・ 23,660
太陽電池・・・・・・・・ 19,600
バッテリー・・・・・・・ 15,980
インバータ・・・・・・・ 25,640
充放電コントローラー・・ 7,140
SW・端子類・・・・・・・ 若干

        合計 約93,000

総改造費が約16万円なので、電気系統だけで6割を占めました。



「井の中の蛙」ならぬ「瓶の中のアサリ」

2010-10-26 21:57:14 | 日記
宮城県の海中の空き瓶で育ったアサリが、大きくなって瓶から出られなくなっているそうだ。
採取した人からの寄付で展示している松島水族館では「一生出られないのは可哀そう」ということで、瓶を割って放流するつもりらしい。

瓶の中で天敵に食べられることもなく気楽に育ったのだろうが、気がついてみたら瓶から出られなくなっていて、「しまった」と思ったんだろうか?
それとも生まれた時から瓶の中にいたのなら、「これが人生だ」と思って一生瓶の中で暮らすつもりだったんだろうか?

この記事を見て思ったのは、現在の子供達とインターネットの関係についてだ。

我々の年代は一般社会での様々な経験をしてきたうえで、インターネットの世界を知ったのだから、怪しげなサイトや常識からかけ離れた記事に対しての判断力はあるつもりだが、実生活での経験を経ずにインターネットの世界に入った子供達にとっては、仮想の世界と現実世界の境界がわからなくなるのではないだろうか。

現実世界と違って、とてつもなく巨大で迷路のような仮想世界に入ってしまうと、誰も注意してくれる人もないままに、変な世界にどっぷりとつかってしまうことが心配される。

集団自殺や、以前にあった「レストランの店長による女性客へのレイプ事件」などはネットの世界に毒された結果としか思えない。

現実世界では変な人と付き合っていると親や周りの人が注意してくれたり、おかしな考え方は友人との交流の中で自覚させられて自然に修正されたりして、自ずから常識というものをわきまえていくものだが、ネットの世界ではそういう機会がない。

「瓶の中のアサリ」のようにネットの知識だけで育った人間が、瓶が割れた時にはどうなるのかを想像すると恐ろしい。





人間の値打ち

2010-10-23 23:27:19 | 日記
通勤電車で呼んでいる”子母沢寛の「勝海舟」”がようやく最終巻まできた。
戦後変わってしまった日本人の、本当のあるべき姿はどうあるべきかということを考えさせられる小説だ。
最終巻「明治新政」では徳川の家臣達の様々な人間模様が描かれている。

勝海舟の一番弟子とも言える「杉純道(杉亨二)」が乞食になる覚悟で、自宅を売って駿河へ移住することに決めた。
札差の鹿島屋からの借金が返せないが、鹿島屋の主人は快く了承してくれた。
(札差とは米の商社兼高利貸のような商売人で、当時相当な金持ちであった。)

しばらくして杉は新政府により人口統計をとる目的で召抱えられることになり、再び江戸へ帰ってくる。
借金を返すべく鹿島屋まで早速行ってみたが、すでに取り壊されて空き地になっている。
ほうぼう手を尽くしてようやく探し当て訪ねて行くと、そこはぼろ長屋で栄枯盛衰を感じさせるものであった。

返す、受け取れない、のやり取りを繰り返したのちにようやく主人は受け取る。
そしてしじみ汁と香のものだけの粗末な晩御飯が出された。

杉は喜んで食べたが、お椀の蓋へ一つづつ並べたしじみ貝を見てふと気がつく。
みんなきれいに大きさが揃っているのだ。
お内儀さんの心遣いに気づいて主人に心からの礼を言う場面がある。


何も高価で立派な料理でもてなすのでもないが、貧乏な中にも心から客人をもてなす心遣い。
そしてそれに気がつく人間。

何気ない心遣いに気がついてあげる優しさ、これが本当の人間の値打ちなんだと感じ入った。



鈍感で何も気づかない自分と、押しつけがましく口に出す妻。
値打ちの無い夫婦やなあ・・・・



イノシシの学習能力

2010-10-19 22:29:11 | 日記
今日の夕刊によれば、以前から六甲山麓の住宅街に出没していたイノシシが住民の持っている食糧を襲う事件が起きているそうだ。
夕方にバス停を降りた客が狙われるている。
この時間帯に降りる客の買い物袋に食糧が入っていることが多いということを経験則で知っているようだ。
前からすれ違う時は素知らぬ顔をして安心させておいて、通り過ぎてから後ろから買い物袋を狙うという知能犯ぶり。

何回も同じ失敗を繰り返しているどっかの人間(誰?)よりは学習能力が高いようだ。


北海道ではヒグマが市街地に出没して射殺されたようだし、全国各地で熊や猿の目撃情報や被害が続出している。
異常気象による食料不足が背景にあるのだろうが、人間と動物の距離感というか関係が変化してきているように感じる。

この近辺の道路で轢かれて死んでいる狸も昔よりよく見るようになったし、鹿による作物被害も多くなった。

何かよからぬ事の前兆でなければいいのだが・・・・・。



あまゆずの「ハンド」

2010-10-17 23:13:00 | 日記
昨日孫達と一緒に有馬富士公園で開かれていた「きらっと北摂祭り」に行ってきた。
孫達がおもちゃの交換市やフリーマーケットに夢中になっている間に、「あまゆず」という女性デュオを聴いていた。

最近の音楽はあまり聞いたことがないので、「あまゆず」というデュオも知らなかったが感じのいいデュオであった。
特に「ハンド」という曲に感動した。
記憶力の衰えた頭には歌詞もはっきりとは残らなかったが、感動した記憶だけはしっかりと刻まれた。
もう一度聴いてみたい、CDか何かを探してみようと思う。

先日の事故で肉体的な老化は我身に突きつけられたが、精神的な老化はまだのようだ。
というか、精神的には若い頃から成長していないということか。
まっいいか、黙ってりゃ誰にもわからないのだから、未熟のまま死んでいっても・・・・



救急車初体験

2010-10-15 21:32:30 | 日記
一応口では「年やから・・・」とは言っていても、本人はちっともそんなことは思ってなくて謙遜しているつもり。
心の中はまだまだ若いつもりで妙な自信を持っている。
車に乗れば平気で速度違反をし黄信号でも突っ込む、横断歩道でも車がいなければ平気で信号無視、とっさの事が起きても避けられると思ううぬぼれ、自分の判断を過信する不遜な考え・・・・。
まるで若い頃のままのような自信を打ち砕かれる事件に出会ってしまった。

先日仕事を終え、会社の前の道路を横断しようと左右を確認したら、まさに両方とも赤信号から青信号に変わる瞬間、もう一度左右を確認したらまだ車は動いていない、「よし今だ」と走り出したとたん何かに吹っ飛ばされて道路に叩きつけられてしまった。
何が起こったのかわからないが意識はある、さあ立ち上がろうと両手を地面につけたが、まるで長時間正座でしびれた足のように全く力が入らず立ち上がれない。

近くにいた3~4人のサラリーマンが抱えて会社の敷地内へ運んでくれて、救急車を手配して下さった。
この時になってはじめて学生風の若者の運転する自転車とぶつかったことを知った。

左右を2回も確認したのに、遠くの車ばかりを見ていて直近の自転車が全く視野に入っていなかった。
老化による視野狭窄、注意力散逸が自分の身の上にも起きていることを痛感した。

大げさなので救急車は一応断ったが、誰かが呼んだ方がよいと言って電話してくれたようだった。
意識はあるが手足がしびれているので検査は受けたほうがいいと思いなおし、好意に甘えることにした。

手慣れた救急隊員の適切な問診や血圧測定、顔面の傷の状態確認を受けながら、病院まで搬送された。
普段90ー130位の血圧が110-190にもなっており自分でもびっくりしておとなしく搬送されることにした。

頭部CTを撮ったが特に異常はない、顔面の傷も深くはなく簡単な手当てだけで帰宅することができたのは不幸中の幸いであった。

相手の若者は気の毒に警察の事情聴取を受けたあと病院まで警察官と一緒に来てくれた。
若者にとっては年寄りの無謀にぶつかっていい迷惑だったことだろう。
こちらに非があるので謝ってそのまま帰ってもらった。


地面にぶつかった左肩と腕の痛みはまだまだ激しいが、それよりも「自分が本当に若くはないのだ」と改めて自覚させられたことのほうが痛い。

祭り

2010-10-11 21:44:38 | 日記
妻の故郷で行われている祭りの太鼓(神輿に小学生の子供が4人乗って中で太鼓を叩きながら神社まで練り歩く)を見に帰ってきた。

春日神社の氏子である5地区がそれぞれ太鼓を持っており、それぞれの地区の適齢期になった男の子4人がこの日のために猛練習を重ねる。
神輿をかつぐ大人もみんな子供時代に太鼓に乗った経験者がほとんどで、地区全体で伝統を受け継いで続いている。
地区全体で子供を育てるような雰囲気があり、最後には太鼓に乗っていた子供達を大人全員で胴上げして今後の成長を祈る。

妻はこの雰囲気が大好きで「こんなふうにして育った子供が悪くなるはずがない」と信じている。

都会へ出て行った若者もみんなこの日を楽しみに帰ってくるようだ。

甥っ子が乗ったのを見たのがついこの間のように思っていたが、もうその甥が指導者となって太鼓をかついでいる。
時は移ってもこの雰囲気は少しも変わらない。




大人3人だけの普段の生活から久しぶりに曾孫5人も含めて大人数が実家に集まってにぎやかだった。
小さな子供の存在が大人を和ませるようでアルツハイマーを患っている義母の顔も普段と違っておだやかであった。



秋野菜

2010-10-09 00:31:38 | 家庭菜園
ジャガイモ(アンデスレッド)

9月12日に植えたジャガイモが発芽しだした。
秋ジャガは種イモが腐りやすく発芽がなかなか揃わないと聞いたがどうなのだろう。
今日のところはまだ数本しか発芽していないが・・・・。


2週間前に播いた大根

昨年は虫(大根さるは虫)に食べられて消滅した苗が多かったが、今年は夏の間に透明マルチをして太陽熱消毒をしたせいか、それとも播種時期が昨年より遅かったからか、もしくは天候のせいかも知れないが今のところ虫害は少ないようだ。

これは先週播いた大根

今回も播種したので収穫時期が3回にわけて楽しめる予定。
これ以上播種が遅れると著しく生長が悪くなる。



ハクサイ防虫

昨年はハクサイも大根さるは虫にやられたので、今年は牛乳パックを半分に切って苗にかぶせた。


こうしておいて上から不織布で覆っておいた。




青春懐古の旅

2010-10-05 21:11:32 | 日記
10代最後の年は香川県の詫間町(現三豊市)須田で下宿生活を送っていた。
上級資格(一級無線通信士)を目指して母校の専攻科へ通学するためである。

専攻科には本科から進学してきた者のほか、工業高校電子化や水産高校、専門学校を卒業後に入学してきた者、元漁船の通信士等の社会人経験者がたくさんいて、個性豊かなユニークな人が多かった。

そういう学生たちの食事は近所の天満屋(別に店ではないが旧の屋号でこう呼んでいた)のおばさんが世話してくれていた。
夕食後は近所の下宿生が付近の海岸にたむろしたり、誰かの下宿に集まって酒盛りをしたりと、本科時代の寮生活とは違った青春時代を謳歌していたものだ。

私は資格取得と同時に中退したので現在でも音信があるのは数名だが、その内の3人で一泊二日で白浜へ久々の旧交を温める旅をしてきた。

香川に在するH君とは昨年会ったばかりだったが、石川在住のS君とはほぼ30年ぶり、仲のよかった仲間だが3人一緒に会うのは卒業以来初めて42年ぶりだった。

3人とも一応船舶通信士経験者なので、最後まで船舶通信士を全うしたS君の明るい苦労話に相槌を打ったり、学生時代の思い出、恩師の思い出、下宿近辺の女性の話題、国家試験受験の苦労話、同級生の現在・・・等々、話のつきることのない一夜だった。

スマートだったことが想像できない体型になってしまった者、薄くなってしまった頭髪、野性的だった男がすっかり成熟してしまっていたりしたが、再開当初の違和感もすぐに溶けて、あっという間にあの頃に帰れたのが何とも言えず嬉しかった。

また来年の旅を約束して別れたが、自分の若干の反省も込めてこれからも二人に負けないように頑張らねばという気持にさせてくれた再会であった。



キャンピング旅行記ー山口・山陰7

2010-10-02 22:09:23 | 旅行
9月24日 七日目 鳥取~兵庫


道の駅はわいを0740に出発。

今日も天気はあまりよくないようだが、まだ鳥取の灯台へは一つも行ってなかったので、帰途にある長尾鼻灯台へ急遽行くことにした。

鳥取には灯台がいくつあるのだろう?
地形的には岬らしい岬もなく、あまり灯台も必要ではなさそうだが・・・。



==長尾鼻灯台(0800-0815)==

R9(旧道)の脇に立っている案内標識を左に曲がる、少し走ると分かれ道に出るので更にそこを左のほうへ進むと自然公園内に灯台がある。
よい釣り場がたくさんあるようで駐車場は有料(¥200)だったが朝早いからか管理人は不在であった。


入り口は施錠されており灯台敷地内へは入れなかった。


門扉の外側から写真撮影だけして灯台を後にする。




==道の駅「神話の里白うさぎ」(0840-0930)==

途中でこの道の駅にも立ち寄る。
大きくて立派な道の駅で観光バスやキャンピングカーを含め車がたくさん駐車していた。

白兎神社入り口から

白兎神社は神話の白うさぎを主神としている珍しい神社である。
出雲の大国主命が因幡に住む八上姫を娶ろうと旅をしているときに、毛皮を剥がされて泣いている白うさぎを助ける。その時に白うさぎが大国主命と姫は結ばれると予言したことから縁結びの神様とされているそうだ。
入口には二人が仲良く手を取り合っているほほえましい像がある。




==竹田城跡(1045-1125)==

R9をづっと走っていよいよ地元兵庫県に帰ってきたが、以前から行ってみたかった竹田城跡に寄ることにする。


ここにもこんな注意書きがある。

階段状の急坂を登る「うさぎさんコース」となだらかな山道を登る「亀さんコース」があるが、迷わずに「亀さんコース」を選ぶ。




標高353mの頂上に城跡だけが残っているが、予想以上に壮大で美しい。


一番奥の「南千畳」で弁当でも食べながら、一日のんびりと過ごしたいものだ。





1520自宅着
今回は春の九州に比べて走行距離も少なく疲れもほとんどなかったせいで、あっと言う間に日常生活に戻ってしまった。
次回はもう少し余韻のある旅をしたいものだ。
総走行距離=1381㎞




池内淳子さん

2010-10-01 21:36:21 | 日記
池内淳子さんが亡くなった。
高校時代の寮で同室だった男が、好きな女優は池内淳子だと広言してみんなから年増好みとひやかされていたのを思い出した。
私が池内淳子という名前を知ったのはこの時が初めてだったが、いつまでもあの頃と変わらない上品な中年女性のイメージだった。

同じ頃に高校の同期生から届いたメールで、春に一人の同級生が亡くなっていたことを知った。
クラス会で何回も会っていたし、昨年の同期会でも元気な姿を見たばかりだったのに・・・。

勤めていた商社が経営危機に陥ったとき、彼の大変な状況や心情をおもんばかることなく、冗談めかして「お前んとこの株買っても大丈夫か」なんて無神経なことを言ってしまったことを後悔している。
彼の気持ちを考えるとあまりにも無神経な自分が恥ずかしくて、昨年の同期会で会ったときにも素直に謝れなかった。

背中に背負った荷物を降ろせぬままになってしまった。
いずれ自分があの世に行った時には素直に謝ろうと思う。
今は心から冥福を祈ることしかできない。