=坂越の街並み散策= (13日1400-1530)
「しおさい市場」から赤穂御崎方面へ約1㎞走ると、古い街並みが残っている一角がある。
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市の景観形成地区に指定されており、「坂越まち並み館」や「旧坂越浦会所」には案内の方が常駐されています。
坂越は瀬戸内海と千種川に挟まれ、古くから高瀬舟と海上輸送の廻船とを結ぶ流通の拠点として栄えていたそうです。
その為、一般的に港町は海岸沿いに展開しているが、坂越は千種川と坂越浦を結ぶ大道沿いに展開しているのが特徴です。
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海側にある無料駐車場では変わった櫓が目につきます。
これは「とうろん台」と言って坂越浦を航行する船舶に海洋気象を知らせる施設を縮小復元したものです。
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海岸通りの街並み
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高潮や高波を避ける為に石垣を積んで路面より1mほど高くしてあるのが特徴です。
この家と家の間の細い路地の先に「小倉御前の墓」があります。
あまり聞きなれない名前ですが、小倉御前は後亀山天皇の皇子で京都に住んでいたが、足利幕府との抗争から逃れてこの坂越に隠れ住んでいたそうです。
しかし足利幕府の執拗な探索に追い詰められて海中に身を投じた皇子を偲んで住民が墓を作って供養したとの伝説が残っています。
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こんな言葉に引きつけられて、大道の入口にある「旧坂越浦会所」に入ってみた。
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天保3年(1832年)に建設された行政や商業事務を執るための村会所で、赤穂藩の茶屋としての役割も持っていて2階には藩主専用の小部屋が残っている。
昭和5年(1930年)に大きく改造され公会堂として使われていたが、平成6年(1984年)に資料を元に解体復元工事が行われ一般公開されるようになった。
一般の民家と変わらない間口からは想像できないが、2階には10部屋もあって当時の賑わい様が想像できます。
案内の女性(今日は代理の方だったが)が常駐されていて、ご多分にもれず過疎化と少子化の悩みも含めていろんなお話を伺うことができました。
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慶長6年(1601年)創業の造り酒屋「奥藤(おくとう)酒造」
奥藤家は造り酒屋から始まり廻船業で財をなした当地の名家です。
代々の番頭の先見の明により、製塩、金融、電燈と時代の流れに沿って業態を変えながら発展していったそうです。
現在は18代目の当主が奥藤家のルーツである造り酒屋を営まれている。
写真左側の酒蔵の一角が「奥藤酒造郷土館」としていろんな資料が無料公開されている。
この先には「坂越まち並み館」があり、ここにも案内の方が常駐されていてやや饒舌気味にいろいろと説明して下さった。
元は「奥藤銀行坂越支店」で当時の大金庫がそのまま残されていて、「中にはまだ大量の札束が収納されている」なんてことはなく、資料倉庫になっています。
ドラマではよく見かけますが現物を間近に見たのは初めてでした。
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「まち並み館」が拠点となって坂越の景観創造・保存活動をされていて、車庫も土間風になっており周囲の景観とよくマッチしています。
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坂越浦に浮かぶ「生島(いきしま)」
6世紀頃に朝鮮半島より渡来し大和朝廷で活躍した秦氏の族長的な人物・秦 河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子の没後、蘇我氏に追われて生きてこの島にたどり着いたところから「生島」と呼ばれるようになった。
この地で没し島内に墓があります。
古来から大避神社の神地として崇められ、現在でも人が立ち入ることが禁じられているために原生林が手つかずで残っており、国の特別天然記念物に指定されている。
坂越には秦 河勝を祭神とする「大避(おおさけ)神社」があり、毎年10月の第2土日に「坂越の船祭り」が行われている。
生島はその際のお旅所となり船渡御が行われ、限られた人だけがこの島に入ることが許されている。
この祭りは国の無形文化財になっているそうで、また写真撮影に訪れたいものです。
=赤穂御埼灯台= (13日1540-1600)
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赤穂御崎へは何回も行っているのですが、灯台を訪れるのは今回が初めてです。
灯台もと暗しです。
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赤穂温泉の駐車場からの灯台。
灯台の近くにはマンション(?)風の建物があり、すぐ近くまで車で行くことができます。
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戦没者慰霊のためか、それとも赤穂浪士を慰霊するためのものかはよく分かりませんが、灯台のすぐそばに表忠碑がある。
今日の宿泊は道の駅「播磨いちのみや」
1730到着、山の中なのでもう外は真っ暗です。