還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

白菜初収穫

2013-11-30 17:56:10 | 家庭菜園

当地でも昨日今日と二日連続で最低気温が氷点下1℃を記録しました。
篠山の畑ではより以上に冷えたことでしょう。
日陰では霜柱で土が浮き上がっていました。
いよいよ本格的な冬到来です。
今年は本当に秋がなかったような気候で、夏からいきなり冬に突入したような感じです。


今季初めての白菜を収穫してみました。
ヨトウムシは見つけやすく退治もしやすいのですが、ダイコンサルハムシ等の子虫は中々退治しきれませんので、中の方までこんな状態でした。
防虫ネットで蝶等の虫対策は完璧な筈だったのですが・・・。
来年は夏の間に透明マルチをかけて充分に土の日光消毒をしてから植え付けようと思います。


堤清二(辻井喬)さんが亡くなった

2013-11-28 22:35:58 | 日記
20才の春に赴任した職場は共産党が執行部を握っており労働運動が盛んなところだった。
そこに執行部をひっくり返そうとする社会党系(協会派と呼ばれた最左派から右派までごっちゃ混ぜ)の人達と、会社側に立つ人達が入り混じって、複雑な人間関係が醸し出されていた。
そんな中で自分の生き方や立ち位置を決め切れずに憂鬱な悩みを抱えていた青春時代。
その頃に読んで記憶に残っているのが五木寛之の「内灘夫人」と辻井喬の「彷徨の季節の中で」だ。

自分の出自や父親への複雑な思いから共産党に入党し革命を志したという自伝小説だが、「自分に対する闘いを含まないどんな闘いも、それは一つの彷徨に過ぎない」とか「私のなかに、私の裏切りと私への裏切りについて、想いを巡らさなければならない部分があった」と言った言葉に示される誠実さに、憧れに似た気持ちを抱いたものだった。
その人が後に西部グループを率いて「スーパー西友」や「良品計画」「パルコ」を展開した経営者だと言うことも、当時の自分の狭い思想範囲の埒外にある事で複雑な思いを抱いていました。

経営者と小説家・詩人という二足のわらじを履いた方でしたが、本当はどちらのわらじの方が心地よかったのでしょうか?
でも自分に対する誠実さという点では、小説家から政治家になったどこかの元都知事とは大違いの方でした。


香嵐渓~なばなの里バスツアー

2013-11-26 17:08:53 | 旅行
昨日はあいにくの悪天候の中、久し振りに日帰りバスツアーに参加してきた。
朝0700出発、夜2230帰着と、かなりハードな行程だったが、全国的(?)に有名な紅葉の名所・香嵐渓(愛知県豊田市足助町)とウィンターイルミネーションが魅力の「なばなの里」を訪れる旅で、現地での散策時間も各3時間弱とゆったりとした旅で満足でした。
大手の旅行社に多い土産物屋へ寄るという行程がなかったので、現地で余裕のある散策時間を取れたのでしょう。
今後はバス旅行においては行き先と価格だけでなく、こういう点も考慮しなければ・・・。

=香嵐渓= (1145-1430)
豊田市足助町の飯盛山(254m)の巴川側の山裾に植えられた約4千本のモミジが見事な紅葉の名所です。
東海地方ということもあり余り知らない所だったのですが、平日にもかかわらず(遠くは四国や関東からの観光バスも含めて)すごい人出でビックリ。
土日休日ならどんなに混雑する事でしょう、マイカーでは渋滞と駐車場の空きを探すのに苦労しそうです。

駐車場から香嵐渓に向かう道、露店がぎっしりと店を出しています。
天気予報では12時からは降水確率90%でしたが、時折薄日が射す曇天程度で何とか持ちそうです。

香嵐渓のシンボル・待月橋付近
今年はいつまでも暑い秋だったせいでしょうか、いつものような鮮やかな紅葉が見られません。

待月橋を渡ると5色モミジ(緑、黄緑、黄、橙、赤)のトンネル。
何故か、みんな斜めに生えています。

山側

川側

香積寺の参詣階段より
香嵐渓はここの和尚が江戸時代初期に楓や杉を植えたのが始まりと言われています。

東の端「一の谷」にはこんな風情のある景色も

苔むした茅葺き屋根に紅葉が映えています。
私の好きな景色のひとつです。

足助町には伝統的建造物群保存地区に指定されている商家町の街並みがありますが、時間がなくて入口付近までしか行けなかった。
残念だがまた次の機会に取っておきましょう。



=なばなの里= (1600-1830)
香嵐渓を出る頃から雨が降り出し、風雨が最も激しくなった頃になばなの里に到着。
仕方がないので「ベゴニアガーデン」の中で様々な種類のベゴニアを観覧しながら雨が止むまで待機。
ちょうどイルミネーションが点灯される1700過ぎに雨も上がり、何とか雨具なしで歩けるようになった。

まずは長さ200mの光のトンネルに感激、みんな入口で立ち止まって写真撮影しています。
メインのイルミネーションは毎年テーマを変えて行っていますが、今年のテーマは世界遺産登録にちなんで「富士山」です。

赤富士や
 
様々に変化する(約10シーンの四季それぞれの)富士山が時々刻々と現われます。

真っ暗な中からダイヤモンド富士が現れた瞬間
 
次第に色が変化していきます。
厳かなBGMをバックに次々と姿を変えて行く富士に感動です。


モミジもライトアップされて鏡池に映るモミジが何やら幻想的でした。


たまには車の運転から解放されるバス旅行もいいものです。



大羽尾灯台(鳥取県)

2013-11-21 21:29:28 | 灯台巡り
おおばねお灯台
2013年9月27日(1440-1510)訪問

昭和29(1954)年6月 初点灯
平成1(1989)年10月 改築

鳥取県岩美郡岩美町大羽尾
(35.36.05N  134.20.07E)
高さ  地上~塔頂:7.4m  水面~灯火:75m
白色塔型コンクリート造り(タイル貼り)

鳥取県の最東端にある沿岸小型灯台です。
R178から羽尾方面への県道255号線に入り、羽尾海水浴場を過ぎて突当りに駐車場があります。
釣りやサーファ客が多いのでしょう、結構広い駐車場です。

灯台はこの丸い小山の頂上にありますが下からは見えません。

塔頂部、電源は太陽電池のようです。

初点プレート

この灯台も案内標識や目印がないので迷いやすい上に、斜面に踏み跡がついただけのような山道で非常に滑りやすいです。
できればスパイクシューズを履いて登りたいところですが、なくても最低杖(クモの巣払いも兼ねて)は必要です。
安全のため両手はフリーの方がいいでしょう。

入口はわかりにくいですが、駐車場内で集落方面からの2本目の電柱の左側が入口です。

はっきりとした道はありませんが、この杭や

こんな木杭が目印です。
駐車場から約10分で到達できます。



また暗い時代に?

2013-11-19 14:07:12 | 日記

まさかこんなひどい法律が国会を通る筈がないと信じていたが、報道によるとどうやら今国会で「特定秘密保護法」が成立してしまいそうだ。
行政機関の長(すなわち官僚の意志)が一存で秘密指定を行うことができ、第三者が何ら検証も関与もできない。
何が秘密か自体も国民には一切わからない、おまけにアメリカのように一定期間経過後に全て公開されるといったようなこともなく永遠に秘密にしておけるという。

理屈は何とでもつけられるので、例えば原発事故の際に問題になったSPEEDIのデータも「テロ組織に悪用されるから」と言って秘密にしておくことが出来る。
「薬害エイズ問題」で明らかになった厚労省の失敗(これを明らかにしたのが菅直人の政治家としての唯一の功績)も永遠に秘密としておかれるだろう。
尖閣での中国漁船の横暴ビデオも永遠に闇の中のものになってしまう。
盗聴等の違法な捜査も「公共の秩序の維持のため」と言って全て闇の中で実施されるだろうし、権力側にとって都合の悪い真実は全て永遠の秘密になってしまう。

運用の仕方によっては戦前の「治安維持法」にも劣らない世界になってしまう恐れが非常に強い。
特定秘密捜査のための特高警察のような組織も作られていくのだろう。

国民が衆参両院で過半数を与えてしまった自公両党が本性を表わして国民に向かって牙をむき出し始めた。
そんな政権を選択してしまった国民の自業自得と言えなくもないが、4割強の得票で8割もの議席を獲得した自民党の横暴は目に余る。
現在の与野党勢力図のまま3年間は国民の審判を受けなくてもよいという状態に悪乗りして、自民党の思うままの法律を作ってしまおうという魂胆だ。
我々がいくら歯ぎしりしても何らの関与もできない状態がこれから3年も続くという無力感の中で、戦前回帰がどんどん進んでいくのだろう。

官僚に対する姿勢に共感するところもあった「みんなの党」だが、秘密指定に首相の関与を強めただけで何ら本質問題についての修正をせまることもなく賛成に回ったのには幻滅した。
渡辺喜美も自民党に何らかの弱みを握られてしまったのだろうか。
普段の姿勢からは想像できない軟弱ぶりだ。

やっとタマネギ定植

2013-11-18 23:20:30 | 家庭菜園

こんなヒョロヒョロだったブロッコリー苗

ダメ元で植え付けてみたら結構育ってくれました。
不織布で覆っておいたおかげで虫食いもなく順調に育っています。


昔一回だけ作ってみたが虫害でレースのカーテンのようになってしまったキャベツ。
これに懲りて以後作るのを諦めていたが、知り合いから苗を頂いたので再挑戦。
今回は植付時から不織布で防虫対策を行っていたおかげできれいに育っています。
今年は何とか食に饗せそう。

霜柱で浮き上がってしまうのを防ぐために、今年はマルチ栽培することにしたタマネギ。

タマネギ用の穴空きマルチも売っていますが、畝幅や畝の長さがそれぞれ違うので普通のマルチに穴を空けて使います。

DIYで穴開け器を作ってみました。
ジュースのスチール缶の底部を鋸状に切り込み、切り口をヤスリで磨いて作りました。
約160本定植、まだ少し苗が残っているので植え付け用の畝を急いで作る必要があります。
種一袋からでも結構苗ができるものです。


福知渓谷から砥峰経由、峰山高原へ

2013-11-16 22:41:23 | 旅行
今朝は今秋一番の冷え込みだったが、羽毛布団と毛布のおかげで想像以上に快適な一夜だった。
4時過ぎに目が醒めると夜空の星がやけに大きく見えた。
満天に輝く星空を眺めていると、田舎の中学時代を思い出す。
昔はトイレが戸外にあったので受験勉強が終わり眠る前にトイレへ行った時、星空を眺めて「もう少ししたら又初恋の人に会える」と胸をときめかせながら布団に入る毎日だった。
その後の高校も職場も男ばかりの世界だったので、余計にあの頃のことが懐かしい。
そんな事が甦ってきた、ちょっと切ない思いの目覚めでした。

=福知渓谷=  (14日0840-0920)
先月に砥峰から福知渓谷に抜けたおり、渓谷が気に入ったので紅葉の季節に再訪したいと思っていた所です。
 
渓流は美しいのですが木の種類によるんでしょうか、紅葉の鮮やかさが今ひとつなのが残念です。

車一台がやっと通れるような細い山道を砥峰方向へ大分進んだあたり、朝の太陽光が素晴らしかったので無理やり駐車してカメラを構えたのですが・・・。
見た感覚を写真で表現するのは本当に難しい。


=砥峰高原= (0940)

先月と同様、やはり淋しいススキ群です。


=峰山高原= (1000-1240)
隣の砥峰高原へは数回訪れているのに、この峰山高原へは今回が初めてになります。
峰山高原ホテル駐車場に車を停めて「リラクシアの森散策道」を歩いてみました。
 
誰もいない森の中を歩いているとドラマの主人公になったような錯覚を覚えます。

高原の空気の透明感が素晴らしかったのですが、これも写真にするのは難しい。

「高原のお嬢さん」ならぬ「高原のジジババ」


=太田池付近= (1250-1320)
大河内揚水式水力発電所(128万kW)の調整池である太田池。

その手前に自生するススキ群
砥峰よりも立派なススキです。

平地なのと、野焼き等の手が入っていないせいか雑木があちこちに目立つのが残念です。

紅葉とススキのコントラストが美しい。



赤穂市坂越の街並みと赤穂御埼灯台

2013-11-15 16:14:59 | 旅行
=坂越の街並み散策= (13日1400-1530)

「しおさい市場」から赤穂御崎方面へ約1㎞走ると、古い街並みが残っている一角がある。
 
市の景観形成地区に指定されており、「坂越まち並み館」や「旧坂越浦会所」には案内の方が常駐されています。

坂越は瀬戸内海と千種川に挟まれ、古くから高瀬舟と海上輸送の廻船とを結ぶ流通の拠点として栄えていたそうです。
その為、一般的に港町は海岸沿いに展開しているが、坂越は千種川と坂越浦を結ぶ大道沿いに展開しているのが特徴です。

海側にある無料駐車場では変わった櫓が目につきます。
これは「とうろん台」と言って坂越浦を航行する船舶に海洋気象を知らせる施設を縮小復元したものです。

海岸通りの街並み

高潮や高波を避ける為に石垣を積んで路面より1mほど高くしてあるのが特徴です。
この家と家の間の細い路地の先に「小倉御前の墓」があります。
あまり聞きなれない名前ですが、小倉御前は後亀山天皇の皇子で京都に住んでいたが、足利幕府との抗争から逃れてこの坂越に隠れ住んでいたそうです。
しかし足利幕府の執拗な探索に追い詰められて海中に身を投じた皇子を偲んで住民が墓を作って供養したとの伝説が残っています。

こんな言葉に引きつけられて、大道の入口にある「旧坂越浦会所」に入ってみた。

天保3年(1832年)に建設された行政や商業事務を執るための村会所で、赤穂藩の茶屋としての役割も持っていて2階には藩主専用の小部屋が残っている。
昭和5年(1930年)に大きく改造され公会堂として使われていたが、平成6年(1984年)に資料を元に解体復元工事が行われ一般公開されるようになった。
一般の民家と変わらない間口からは想像できないが、2階には10部屋もあって当時の賑わい様が想像できます。
案内の女性(今日は代理の方だったが)が常駐されていて、ご多分にもれず過疎化と少子化の悩みも含めていろんなお話を伺うことができました。


慶長6年(1601年)創業の造り酒屋「奥藤(おくとう)酒造」
奥藤家は造り酒屋から始まり廻船業で財をなした当地の名家です。
代々の番頭の先見の明により、製塩、金融、電燈と時代の流れに沿って業態を変えながら発展していったそうです。
現在は18代目の当主が奥藤家のルーツである造り酒屋を営まれている。
写真左側の酒蔵の一角が「奥藤酒造郷土館」としていろんな資料が無料公開されている。

この先には「坂越まち並み館」があり、ここにも案内の方が常駐されていてやや饒舌気味にいろいろと説明して下さった。
元は「奥藤銀行坂越支店」で当時の大金庫がそのまま残されていて、「中にはまだ大量の札束が収納されている」なんてことはなく、資料倉庫になっています。
ドラマではよく見かけますが現物を間近に見たのは初めてでした。

「まち並み館」が拠点となって坂越の景観創造・保存活動をされていて、車庫も土間風になっており周囲の景観とよくマッチしています。


坂越浦に浮かぶ「生島(いきしま)」
6世紀頃に朝鮮半島より渡来し大和朝廷で活躍した秦氏の族長的な人物・秦 河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子の没後、蘇我氏に追われて生きてこの島にたどり着いたところから「生島」と呼ばれるようになった。
この地で没し島内に墓があります。
古来から大避神社の神地として崇められ、現在でも人が立ち入ることが禁じられているために原生林が手つかずで残っており、国の特別天然記念物に指定されている。

坂越には秦 河勝を祭神とする「大避(おおさけ)神社」があり、毎年10月の第2土日に「坂越の船祭り」が行われている。
生島はその際のお旅所となり船渡御が行われ、限られた人だけがこの島に入ることが許されている。
この祭りは国の無形文化財になっているそうで、また写真撮影に訪れたいものです。


=赤穂御埼灯台= (13日1540-1600)  

赤穂御崎へは何回も行っているのですが、灯台を訪れるのは今回が初めてです。
灯台もと暗しです。

赤穂温泉の駐車場からの灯台。
灯台の近くにはマンション(?)風の建物があり、すぐ近くまで車で行くことができます。

戦没者慰霊のためか、それとも赤穂浪士を慰霊するためのものかはよく分かりませんが、灯台のすぐそばに表忠碑がある。



今日の宿泊は道の駅「播磨いちのみや」
1730到着、山の中なのでもう外は真っ暗です。

赤穂坂越の牡蠣

2013-11-14 22:38:35 | グルメ
赤穂市坂越にある海の駅「しおさい市場」にある「くいどうらく」に旬の牡蠣を食べに行ってきました。

片道2時間余りかかるのですが、それだけの値打ちはあります。
兵庫県では一番新鮮で美味しい所だと思います。
12月下旬頃が牡蠣も大きくなり食べ頃なのですが、今年は紅葉狩りを兼ねて早目に行ってきました。

これで一人前(¥1890)です。

店員が詳しく焼き方を教えてくれます。
殻の平たい方を下にして1分間、ひっくり返して中の汁が沸騰してから30秒後に食べます。
(うっかりひっくり返すのを忘れていると、汁が漏れてしまって焦げ付いてしまいます)
また殻の長い方を人の居ない方向に向けておかないと、時折強情な牡蠣が熱汁をとばすので火傷をしそうになるので要注意です。

まだ時期が早いせいか、やや小ぶりです。

例年は日帰りで牡蠣を食べるだけだったのですが、今回は一泊し近辺をうろちょろしてきました。
たった一泊でも随分長い間旅していたような感覚になり、日常生活から離れられ気分一新。
明日からの活力源になります。





落花生収穫

2013-11-11 22:27:26 | 家庭菜園
今年は秋らしい陽気の日が少なく、晩夏からいきなり初冬に突入した感があります。
ヨトウムシはどうやら退治できたようですが、ダイコンサルハムシ等の小さな虫は相変わらずせっせと白菜を蝕んでくれています。
もう蝶も見かけなくなったのと虫退治に不便なので不織布のトンネルを外した。

今年は秋の高温のせいで土中の虫が多数発生したようです。
例年はジャガイモ収穫後は夏の間中、透明マルチで太陽熱消毒をした後に白菜を定植していたが、今年は別の畝に定植したせいもあるのかも知れません。

そろそろタマネギの定植時期です。
本当はよく晴れた日に掘り起こしかった落花生ですが、タマネギ定植用に小雨の中、落花生を収穫。

小粒ですが数は結構ついているようです。
軒下で10日間ほど天日干しした後に炒って食べます。
完熟トマトと採れたてのトウモロコシの甘さは家庭菜園の醍醐味ですが、落花生も市販の物と違って適当に水分もあり甘さは抜群です。

収穫後の畝に有機石灰と鶏糞・米糠をすき込んで、来週にはタマネギを定植する予定。


寒さと共に大根もだいぶ大根らしくなってきた。

冬が来る前に

2013-11-09 18:46:42 | 日記

夫婦デュオの「紙ふうせん」が「♪冬が来る前に もう一度あの人と めぐり逢いたい♪」と別れた恋人を忘れられないロマンチックな女心を歌ったのは36年前でした。
この歌に限らず切ない女心を表現したヒット曲は、意外と女性ではなく男性の作詞が多いようです。
これは別れた相手をいつまでも忘れられないのは本当は男の方で、女性にもそうあってほしいという男の願望を表わしているのでしょう。

よく男は「別名保存」女は「上書き保存」とパソコン用語にちなんで言われたり、男は一直線の道のようにいつでも振り返れば別れた女性を思い出せるのに対して、女性は曲がり角の道を曲がってしまって別れた男のことを思い出すことはないそうです。

誰だったかプレイボーイの俳優が「男はもともと弱くて優しい。だから子供の時から強くあれと育てねばならない。女は生まれつき、強くて恐い。だから優しくあれと育てねばならない」と言ったそうですが、それに通じることでもあるのでしょう。


そんなロマンチックな気分とは丸っきり関係ないのですが、我が家でも今日、冬が来る前にリビングの床にワックスがけをし、冬用のカーペットとホーム炬燵をセットしました。
長年使い続けているホーム炬燵なので、ヒーターユニットの点検を兼ねて取り外してみてビックリ。
ファンが回転する構造になっているせいもあって、中には埃がびっしりと詰まっています。
細部まで分解して歯ブラシと掃除機できれいにしました。
そのまま使っていれば火事の原因になったのは間違いない。
ホーム炬燵が原因の火事はほとんどこの埃が燃え出すせいでしょう。

「落葉つもる道は 夏の想い出道♪」ならぬ「埃つもる器具は 火事の大元よ」
皆さんも一度点検されてみてはいかが?


(紙ふうせんは当地とは少なからぬ縁があるようで、孫の通う小学校の校歌は紙ふうせんが作詞・作曲しています)

やっぱり楽天はインチキ?

2013-11-07 21:09:10 | 日記
楽天イーグルスの日本一は楽天ファン以外の全国の野球ファンにも祝福された出来事でしたが、本体の日本一記念セールはがっかりだ。
77%以上オフと銘打ったタイムセールス。
ちょうど車中泊用に欲しかったダブルの羽毛掛け布団が出展されていたので、30分前から申し込み欄に入力し開始時間きっかりにクリックしたのですが、「未入力項目があります」という表示が出てそこから進まない。
もう一度よく見てもどこにも他に入力する欄なんか無い。
そしてもう一度クリックすると2~3秒も経っていないのに「売り切れました」と表示される。
元々そんな値段でなんか売る気がないのがミエミエです。

今日のニュースでは通常価格を倍くらいに上げてから77%引きとして販売していたインチキもあったようだ。
よく利用するアマゾンではこんなことは一度もなく満足しているのだが、楽天にはガッカリです。

薬ネット販売問題における三木谷楽天社長の態度にも失望です。
厚労省としては「薬害リスクのあるものについて規制が必要」というのは当然の姿勢でしょう。
三木谷社長の姿勢には自分の業界が儲かれば被害が出ても構わないといったような拝金主義の影がちらつきます。
原発推進の原子力村といい、何でも目先の利益だけに狂奔する日本の風潮は嘆かわしい。


大根初収穫

2013-11-04 21:46:54 | 家庭菜園
30℃を超える日もあった10月も終わり、季節は急ぎ足で冬に向かっています。今日は木枯らし一番が吹いたようです。
そのせいかどうかわかりませんが、今朝は畑へ行く途中の国道でタヌキが2匹も車にひかれて成仏していました。

昔から「木枯らしが吹くと大根が太る」と言われるとおり、大根も大分大きくなってきました。
まだ直径6cmで長さ30cmぐらいですが、耐病総太り「秋晴」を2本だけ試しに収穫してみました。
これからは寒さと共にどんどん太くなってくれるのが楽しみ。


ヨトウムシは先週全部退治した筈なのに、今日はまた数匹が白菜を蝕んでいます。
どうやら土の中に潜んでいるようです。
次回からは定植前に「馬酔木ダンゴ」で退治しておかなければ・・・。
今年は例年よりも虫の被害が多いけど、被害の少なかった株は葉をまき始めたようです。
このまま何とか虫に食われることなく生長してほしいものです。

田後灯台(鳥取県)

2013-11-01 19:51:10 | 灯台巡り
たじり灯台
2013年9月27日(1350-1430)訪問

昭和25(1950)年4月 初点灯
平成 1(1989)年11月 改築

鳥取県岩美郡岩美町田後
(35.35.35N  134.19.08E)
高さ  地上~塔頂:9.6m  水面~灯火:33m
白色塔型コンクリート造り(タイル貼り)

兵庫県との県境の町・岩美町の田後漁港に出入りする漁船の目印となる小型灯台です。

田後漁港の北東側の防波堤の先にある小島に建っています。
漁港を囲むように設置されている防波堤にも防波堤灯台があり、対になって漁港の入口を示します。

防波堤と小島の間は小さな鉄橋でつながれていますが、

これは海上保安庁の灯台メンテナンス専用の橋となっており、一般人は危険なため通行止めになっています。
せっかく目の前に見えているのにここで引き返すのも悔しくて、内緒で柵を乗り越えて灯台まで行ってみました。
(良い子の皆さんは決して真似をしないでネ)

青空に浮かぶ白い雲と松林が、白い灯台の姿を引き立ててくれて素晴らしい景色でした。
イメージ的には福井県の東尋坊の北にある雄島灯台とよく似ているように思えました。

塔頂部

初点プレート
網代埼灯台のちょうど一年後に設置されています。

行き方は西方面からはR9→R178→県道27→県道155と網代漁港経由で、東方面からはR178→県道155経由で田後漁港を目指します。
車で防波堤の先まで行くことができます。