還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

どこへ行くの?

2013-06-28 22:38:37 | 日記
「25歳までに左翼にならない人には心がない。35歳になってもまだ左翼のままの人には頭がない」と言われるそうです。
潔癖で理想を求める青春期には社会主義や共産主義に魅力を感じるが、ある程度人生経験を積み現実社会を理解できるようになると、その実現性や硬直性に疑問を持つようになる、ということのようです。

我々世代の青春時代は「左翼がファッション」と揶揄されたこともありますが、ほとんどの若者は程度の差こそあれ左翼に親近感を持っていました。
「反戦」「平和」「反体制」と言う言葉が「平凡パンチ」にまであふれており、若者特有の欲求不満を反体制・左翼が吸収していたように思います。

あの頃から約半世紀が過ぎ、大学を出ても正社員になれずに派遣社員にしかなれない若者があふれ、低賃金で結婚にも踏みきれず、将来に対する夢も持てない現在。
そんな鬱屈した不満が、顔の見えないネット社会を拠点に社会的弱者に向かっているように感じます。

異なる意見に対して口汚くののしるように攻撃を繰り返す「ネット右翼」と呼ばれる人達や、ヘイトスピーチを繰り返す「在特会」、わけのわからない「維新の会」や軍備強化を目指す右翼的な「幸福実現党」など、世の中の雰囲気がおかしな方向に向かっているようで感覚的な危機感を覚えます。

また新聞の投書欄に投稿した人の住所や電話番号がネットの掲示板にさらされて(どこからそんな情報が漏れるのか?恐ろしい世界です)、安倍首相の改憲姿勢に疑問を唱えたり、憲法9条を守る意見を投稿した人の自宅に「売国奴」とか「お前の家はわかっているぞ」と言った脅迫めいた電話がかかっているという記事がありました。
自分と反対の意見を脅しで押さえつけようとする風潮は、平和を唱えた人々を「非国民」と弾圧し、全国民を戦争協力に駆りだした戦前の雰囲気に近づいているのでしょうか。

戦争を直接経験したことはなくても、親から聞かされた生身の戦争体験や、祭りの会場で松葉杖をついた傷痍軍人の姿を日常的に見かけたり、子供時代はそれなりに戦争は身近な感覚でとらえていました。

その触覚が不穏な空気を感じ取りつつあります。
全ての戦争は国を守る為と言って始まります。
不穏な近隣情勢ではありますが、勇ましい言葉に安易に乗せられてしまうのは、再び過ちを繰り返すことになるのではないでしょうか?

いざという時には「頭がない」と言われても立ち上がらなければならない時代が近いのかも知れません。

田倉埼灯台(和歌山県)

2013-06-25 09:04:41 | 灯台巡り
たくらさき灯台
2013年5月6日(0800-0820)訪問

初点灯 昭和31(1956)年 2月4日
改築  昭和57(1982)年 3月
和歌山県和歌山市加太田倉崎
(34.15.54N  135.03.42E)
高さ  地上~塔頂:10.1m、水面~灯火:49.0m
白色搭型コンクリート造り

加太港の南西方向にある田倉崎の尖端に立つ小型灯台です。
阪神地区への水路の大動脈である友が島水道(紀淡海峡)の本州側には大型灯台である友が島灯台と、この田倉埼灯台(小型灯台)があり、航路の安全を守っています。

(※)大型灯台・・・遠くから本土に接近した時いち早く陸地を見つけ出す為の灯台
   小型灯台・・・変針点を示したり、障害物等の存在を示したり、接近した時に見落としてはならない重要情報を提供する灯台


北北西方向約300mにある暗礁を照らす照射灯が併設されています。


初点プレート


方向音痴には欠かせないカーナビですが、頼り過ぎるととんでもない道を案内されることがあります。
この日も詳細地図を見ずに目的地を田倉崎に設定したせいで、県道65号線から県道7号線経由右大回りでサニータウン経由の道を案内されました。
ところが途中から通行止めになっていました。

加太港の方へ引き返して、淡嶋神社を過ぎて細い道を行き止まりまで進むと目の前の小山の上に灯台が見えます。

この店の手前に駐車スペースがあります。

その前を過ぎると灯台への登り口があります(案内標識等はなかったように思います)

灯台までずっとこんな階段道が続きます。
灯台まで徒歩約5~6分です。



鳥虫害

2013-06-24 19:32:47 | 家庭菜園
先週の連日の雨で畑もひと息ついた感じですが、草も凄い勢いだし、先週は5㎝位だったキュウリがオバケキュウリ(太さ6cm長さ30cm)になってしまっていた。
この時期、週一農業では適期の収穫は至難のワザです。

トウモロコシもほとんど雌穂とヒゲが出てきたので、全て雄穂を切り落とした。

まだ実がなっていないのでと油断していたら案の定カラス(?)にやられてしまったようで4本ほど倒されてしまっている。

あわててネットをかけました。
あとはアワメノイガの幼虫が侵入していないことを祈るばかりです。
来週ぐらいから収穫できそうです。(今日は間引きしたベビーコーンが食卓にのぼる予定です)
今までは畑作業が終わって帰る前に収穫していたのですが、気温の上昇する前の朝のうちに収穫した方が美味しいらしいので、朝に収穫して現地ですぐに湯がくつもりです。
(湯がいて糖分を早目に固定化しないと時間の経過と共にでんぷん化して甘味が薄れるので、昔から「トウモロコシは収穫する前に湯をわかせ」と言われている)

ジャガイモを2株づつ試し掘りしました。

左はメークイン、右は北アカリ
一度も追肥をしなかったので例年に比べるとやや小ぶりですが、まあまあの出来具合です。
残りはまだ土がぬかるんでいるので晴天が続いたあとに収穫予定。

今年は春先に涼しかったせいか、テントウ虫ダマシの発生が少なかったのですが、暑くなった途端に大量発生しています。
ジャガイモは収穫時期なのでもう悪影響はないと思いますが、トマトとかの他の野菜への被害を避ける為に簡易捕虫器で退治。
見つけた成虫はほとんど捕獲しましたが、葉裏には幼虫や卵が気味悪いぐらいついています。

  卵

  幼虫
葉ごと取って踏みつぶしましたが、全て退治するのはなかなか追いつきません。
気長に対応するしかないようです。




友ケ島灯台(和歌山県)

2013-06-21 20:40:07 | 灯台巡り
ともがしま灯台
2013年5月5日(0950-1050)訪問

初点灯 明治5(1872)年 6月25日
和歌山県和歌山市友が島
(34.16.51N  135.00.01E)
高さ  地上~塔頂:12.2m、水面~灯火:60.0m
白色搭型石造り

和歌山市の友が島(本当は友が島という島はなくて、地の島、沖の島、虎島、神島を総称して友が島と言われている。灯台は沖の島にあります)にあって紀淡海峡を通過する船舶の重要な目印となっている灯台です。

第3砲台跡近くのコウノ巣山展望台(海抜120mで島で一番の高所)より
訪れた灯台の中でこのように俯瞰できる灯台は、四国の佐田岬灯台とその対岸の関埼灯台、九州の佐多岬灯台がありますが、いずれも素晴らしい灯台でぜひ再訪したい灯台達です。

佐田岬灯台

関埼灯台

佐多岬灯台

幕末に結ばれた大坂条約(※)によって建設を約束させられた灯台の一つで、ブラントン設計による石造りの灯台です。
 
明治期の特徴的な、優美でかつたくましい石造り灯台で、私的には好きな形の灯台です。


LU-M灯器(シールドビーム)


初点プレート
Aランクの保存灯台で近代化産業遺産にも登録されています。


友が島(沖の島)には明治後期に建設された砲台跡が残っており、休日にはたくさんの観光客や釣り人、キャンパーで賑わっています。

友が島へは加太港から連絡船(定員110名、往復2000円)で約20分で野奈浦桟橋に到着します。

桟橋の先は公園のような広場になっておりトイレや案内看板も設置されています。
海岸沿いに西方向へ歩いていくと約20分で灯台に着きます。
 
敷地は割りと広くてきれいに整備されています。


なお途中の地の島にも灯台があります。
通常は地の島と沖の島の間を抜けて最短距離で桟橋へ向かいますが、南風が強い時は地の島の北側を廻るので灯台を近くから見ることができるようです。
訪れた日はあいにくベタ凪で往復とも地の島を遠くに眺めながらの航路で、灯台を視認はできませんでした。



(*)大坂条約灯台
1867年(慶応3)4月に結ばれた「大坂条約」により建設された5灯台(建設年順)
江埼灯台(兵庫県)
六連島灯台(山口県)
部埼灯台(福岡県)
友ヶ島灯台(和歌山県)
和田岬灯台(兵庫県)


ドクダミの効用

2013-06-18 15:08:16 | 家庭菜園

抜いても抜いても生えてくる生命力旺盛なドクダミ。
根が1㎝でも残っていれば春には芽を出してきます。
畑にとってはやっかいな邪魔ものですが、別名「十薬(じゅうやく)」とも言われるように、昔から薬草として重宝されてきました。

蓄膿症と60年の付き合いになる私は、小さい頃からドクダミを煎じたドクダミ茶をよく飲まされていました。

また昔は人糞を畑の肥料に使っていたせいで、ほとんどの子供はお腹に回虫を飼っていました。
その「虫下し(むしくだし)」にも使われていました。
もっとも虫下しにはセンブリの方がよく効きました。センブリの苦さは尋常ではなく、飲まされるのが嫌で逃げ回っていたものでした。
ドクダミの独特な臭いも苦手ですが、センブリの苦さに比べれば段違いにマシでした。

私の畑の周辺にはあちこちにドクダミが生えていて、ちょっと油断すれば畑の中へ侵入してきます。
そんなドクダミやヨモギを野菜の乾燥防止のワラ代わりに株元に敷いて利用しています。
嫌な臭いのせいで害虫が近寄ってこないようです。

今はドクダミの花が真っ盛りです。
白いのは花ではなく、中央の突起物が花だそうです。

この花だけを摘んできて適当な瓶に入れて

焼酎(ホワイトリカー)で漬けます。
焼酎の量は花の倍くらいにしました。(どの位の量が適当なのかわからないので試しに2倍にしました)
2カ月位で出来上がるだろうと思っています。

このドクダミの花エキスは虫刺されのかゆみ防止に効き目があるようです。



ちょっと変?(トウモロコシ)

2013-06-17 21:23:58 | 家庭菜園
5・6月は記録的な少雨だったが、先日の雨でちょっと一息。
ひと雨で草も作物も生長が著しい。
トウモロコシも一部雌穂が出だした。

隣の雄穂の花粉を強制的に振りかけてから、実の上の葉2枚を残して雄穂を切り落とした。
雄穂に産卵したアワメノイガの幼虫が実の方へ侵入して食害するのを防止するためです。
切る時期にもよりますが、無農薬で虫害を防止するのに効果大です。

他のトウモロコシは雄穂が出て花粉も大分散りかけているのに、雌穂のヒゲが出ていないものがほとんどです。
原因はよくわかりませんが、今年は上手く受粉できずに不作になるかも知れません。
(例年こうだったのか(去年までの)記憶がはっきりしません。)

あらためて気付いたのですが、トウモロコシも自分の花粉で受粉しにくいように雌穂の真上と雄穂の真下の葉でしっかりガードしています。
オオイヌノフグリという雑草で同じような話を聞いたことがありますが、近親生殖を防ぐ植物の知恵に感心します。



キュウリも実が成りだした。
当初はウリハムシがたくさん居て葉が食害にあっていたが、今日は何故か一匹も居なかった。
おかげで下の葉一枚は被害が大きいが、それ以降はきれいな葉が順調に育っている。



ジャガイモも上部が倒れだした、来週くらいには収穫できそう。
今年は追肥を一回もしなかったので、出来具合が心配。


天候不順のせいでもないのでしょうが、気の早いコスモスが花をつけていました。

円高の背景?

2013-06-14 09:31:41 | 日記
「オバやん、はじめまして。わては前の人と違うてすぐにアンタに会いに来ましたで」
「いやあ、周さんようこそ。あんたんとことは仲良うせなあかんので大歓迎でっせ」
「なんや隣がややこしうなってきてあんたんとこを当てにしてるようやけど、よう考えてくれなはれや」
「わかってまんがいな。そやさかいにアベやんが来た時はちょっと会うただけやけど、あんたとは2日間もとっとりまんがいな」

「それにしても隣の何とかミックスとか言うてえらい円を下げよるけど、あんたよう許しはりましたな」
「まあな、あそこも今までちょっと痛めつけ過ぎて、うちへの貢ぎもんが減ってきよりましたんや」
「せやけど、うちもえらい迷惑でっせ。おかげで他所がうちよりあっちの物の方がええ言うとりまんねん」
「そうでんな、あそこもちょっと調子に乗り過ぎとるようやな。ほならこれが終わったらちょっとネジ巻きまひょか」
「たのんまっせ」

「ところであんたんとこもこんまい(小さい)島にえらいご執心やけど、あんまり無茶せんといてくれなはれや」
「わかってまっけどな、うちにもいろいろありましてな。簡単に引くわけにはいきまへんのや」
「まあ適当にもめるんは、うちもあそこへいろんな軍事品を売り込むのに都合がええんやけど、ほんまに諍いになったら建前上うちも出ていかなしゃあないようになるんや」
「まあ、あんたんとこはあんまり首を突っ込まんほうが身のためだっせ。何やったらうちの持っとるあんたんとこの国債全部売ってもてもええんやで」
「・・・・・」

(「PRISM」で聞いた二人の会話?)

鳥取港灯台(鳥取県)

2013-06-11 14:18:09 | 灯台巡り
とっとりこう灯台
2012年9月27日(1410-1430)訪問

初点灯 昭和58(1983)年 9月

鳥取県鳥取市賀露町西四丁目
(35.32.36N  134.11.0E)
高さ  地上~塔頂:12.0m、水面~灯火:33.0m
白色搭型コンクリート造り(タイル貼り)

鳥取砂丘の西側にある鳥取港(賀露港)の入口にある小さな島(鳥が島)に立っている灯台です。
千代川の西隣にある鳥取港ですが、千代川の影響を避ける為でしょうか、港の入口は4つの防波堤に囲まれています。
3つの防波堤灯台とセットになって鳥取港へ入出港する船の目印になっています。

釧路開拓移民団出港地記念碑付近からの鳥取港入口
明治維新後まもない明治17・18年、政府の移住政策のもと100戸の士族と5戸の農家がこの地より釧路に向けて旅立ちました。
維新で多くの士族が苦難の生活を強いられ、新天地を求めて移住したのでしょうが、寒冷地での開墾は想像を絶するような苦労があったのでしょう。
(以下鳥取市賀露神社HPより抜粋)
「希望を胸に北海道に渡った移住者たちですが、彼らを待ち受けていたのは、北の大地の想像を絶する寒さでした。住居はバラック作りで畳は1戸に6畳しかなく、壁や屋根は隙間だらけで、冬には雪が吹き込み、飯や醤油なども凍ったと言われています。
それでも彼らは刀を鍬に持ち替え、未開の荒野を歯を食いしばって開墾し、現在の釧路市のもとになる「鳥取村」をつくりました。
今でも釧路市には、鳥取神社、鳥取小学校、鳥取大通りなど「鳥取」の地名が多く残っています」

訪れた日は鳥取砂丘方面からR9で鳥取大橋を渡って右折し県道41号を賀露港方面へ進みました。
暫く走っていると目の前に灯台が見えてきます。
鳥取港海鮮市場「かろいち」手前を右方向へ進むと釣り人がたむろしている防波堤があります。
その防波堤を端まで歩き、そこからテトラポットを通って島へ歩いて行けます。


雨が欲しい

2013-06-09 22:35:09 | 家庭菜園
お天道様はどうやら誰かと同じようにアマノジャクのようです。
例年より随分早く梅雨入り宣言をした専門家をあざ笑うように、その後全く雨が降りません。
トウモロコシも雄穂が出てきましたが、この時期からは充分な水やりが必要なのですが雨水が貯まりません。
仕方がないので今日は井戸水をくみ上げて水やりをするハメに・・・。

何でも今から収穫までは1㎡あたり20~30ℓの水やりが必要だそうです。
この時期は水田のようにトウモロコシ畑を水びたしにして栽培している方の話を農業雑誌で読んだ記憶があります。
糖度の高い実をならすのにはそれくらい水やりが大切なようです。


タマネギも本日全部収穫した。
今年は種が全く発芽せずに苗を購入して植え付けた。
例年よりタマネギらしい大きさにはなってくれましたが、やはり冬季に霜柱で浮き上がってしまったものの一部は小さいままです。
来年からは浮き上がらないようにやや深めに植え付けてみようと思います。

全部で200玉あまり、東側の軒下に吊るして保管します。
横殴りの雨にでも遭わなければ長期保存が可能の筈。


トマトも初果が成りだしました。
風通しをよくして病気予防をする為に周囲のビニールの裾上げをしました。
今年は春先が寒かったせいか、不思議とテントウムシダマシの発生がほとんどなく必要性が薄かったようですが・・・。



畑の現状

2013-06-04 16:56:56 | 家庭菜園
=トウモロコシ=

3/12播種、3/24発芽、5/3定植 のトウモロコシです。

定植したのは昨年より10日早かったのですが、草丈がまだ低い(50~60cm)のにも関わらず雄穂が出だしました。
まだ栄養生長の時期の筈なのですが、もう生殖生長に入ったのでしょうか?
原因はよくわかりませんが、ちゃんとしたトウモロコシが収穫できるかどうか心配です。
子供が子供を作るような状態にならなければいいんですが・・・。

=イチゴ=

5週に渡って収穫を楽しんだイチゴもぼちぼち収穫終期です。
途中までトンネルを張っていた畝のイチゴは抜き去って、畑が空くのを待っていた落花生に場所を譲りました。
残りの一畝も来週には収穫を終わり、苗採り用に数本残して抜き去る予定。

=スモモ=

毎初夏一番の楽しみのスモモです。
上部には防鳥網を張ってあるのに、いつも鳥と競争のようになります。
ちょうど食べ頃だと楽しみに畑に行ってみると、ほとんどが鳥にやられてひどく落胆したことも一度や二度ではありません。
網の隙間や網の下側から侵入してくるようです。

今年は動物除けネットを下部に張り巡らしました。
これでも鳥に負けたら「参りました!」です。
(鳥にも少しは遠慮する気持ちがあるなら、少しぐらいは食べさせてあげてもいいのですが、彼らには遠慮というものがありません)