還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

文学講座「松陰をめぐる人々」

2014-11-29 20:29:32 | 日記
最近は各自治体とも「指定管理者制度」を利用して公共施設の管理・運営を民間に代行させる方向にあるようです。
当地でもホールや体育館・図書館の運営を指定管理者である民間会社が行っています。
いろいろと議論はあるようですが、開館時間の延長や各種サービス面で利用する側から見れば大変便利になりました。
以前から当地の図書館ではCD等の貸出も行っていて、周辺自治体に比べて利用人口は多かったのですが、最近になって喫茶・軽食が摂れるコーナーも出来て快適に利用できるようになりました。

今日は図書館で「秋の文学講座・松陰をめぐる人々」と題する講演会が開かれました。
テーマは来年の大河ドラマ「花燃ゆる」の主人公である松陰の妹・文に因んで決められたようですが、日本歴史学会員である講師の方もやや困惑気味でありました。
と言うのは文は昨年の大河ドラマの八重のような活躍をした人物でもなく、大正10年まで生きたにもかかわらず何も記録を残していないのでどういう風にドラマを展開させるのかと、他人事ながら戸惑っておられました。
これも長州出身の暴走首相に任命されたNHK会長のゴマスリで決められたことなのでしょうか?
と言う感想は置いといて、
ユーモアたっぷりに新説や裏話を織り交ぜての講話に身を乗り出すようにして聞いていました。
2時間の予定を30分超過してしまいましたがまだ聞き足りないぐらいです。

松陰の人を見る目は凄かったようで門下生を評した一言が面白い。
文の最初の結婚相手である久坂玄瑞は「秀才」、長州を倒幕へと導いた高杉晋作は「暴れ牛」、伊藤博文は「学なし」、山形有朋にいたっては「棒」=人に使われて初めて武器になる。
松下村塾の優秀な人材はみんな早世してしまい、日本の運命を決めていったのは出来の悪い人間ばかりと言うのが、現在の腐り切った官僚組織を作ってしまった原因なのかと妙に納得した。
松陰が今生きていれば現首相をどう評価するのでしょう?
出来の悪さもここまで極まれりと嘆くのでしょうか?
松陰の一言を聞いてみたいものです。


清水(三保)灯台(静岡県)

2014-11-26 22:22:38 | 灯台巡り
しみず灯台
2014年4月26日(0730-0800)訪問

明治45年(1912) 3月 1日 初点灯 
平成 7年(1995) 3月    改築

初点プレート 
静岡県静岡市清水区三保
(35.00.38N  138.31.50E)
高さ  地上~塔頂:17.7m  水面~灯火:21.0m
白色塔型(八角形)鉄筋コンクリート造り

風見鶏は天女像となっています。
第6等フレネルレンズ
灯質  群閃白光 毎20秒に白光を2閃光
光度 5万カンデラ
光達距離 14海里(約26km)

富士山が美しく見える景勝地・三保ノ松原の北端にあり清水港へ入港する船舶の目印となっている灯台です。

この方向に富士山が間近に見える筈なんですが、この日は春霞で全く見えず残念でした。

日本で最初の鉄筋コンクリート造りの灯台で、歴史的な価値が高くAランクの保存灯台と近代化産業遺産・土木遺産に登録されています。
地元では三保灯台と呼ばれていて燈光会の看板にも清水灯台(愛称・三保灯台)と記載されていました。
R150から三保ノ松原方面へ県道199号を進み、「灯台入口」信号を右折すると三保園ホテルの先に建っています。

灯台のすぐ先に無料駐車場があります。

駐車場の端に鳩を抱いた「甲飛予科練の像」が建てられていました。

当地で若き純真な日々を過ごした元予科練生の方々が、痛切な平和への願いを込めて建立されたようです。

戦争への危険な兆候が感じられる昨今の世相を思う時、悲劇が再び繰り返されることのないように切に願いたい。

海岸沿いには「太平洋岸自転車道」が整備されており、ここから清水真崎灯台までは北へ2㎞、羽衣ノ松までは南へ1.6㎞なので歩いても30分程度です。


紅葉巡り

2014-11-22 21:10:38 | 写真

母想い 眺むる寺の 紅葉かな

今年は写真撮影を少し真面目に始めたせいで、各地へ紅葉狩りに行っています。
今日は西国33ヵ所の番外にあたる「花山院」(標高400mの高さまで900mの急坂を登る)に行ってきました。
3連休の初日にあたるせいか予想外の人出でしたが、きれいに色づいた紅葉が出迎えてくれて感激。
現在では認知症で記憶を失ってしまった義母の西国33ヵ所札所参りに付き合って登ったのは何時の事だったか、随分久し振りです。
いつしか当時の義母の年令になってしまいました。


高島市今津のもみじ池の紅葉


同じく高島市マキノのメタセコイア並木


米原市の醒ケ井渓谷

衆議院解散?

2014-11-17 23:09:40 | 日記
安倍首相は「一般論として、国民の理解と協力なくして政策を進めることはできない」として消費税の再引き上げの延期を争点として国会を解散する意向のようです。
多くの国民の懸念や反対の意見に耳を傾けようともせずに、集団的自衛権行使容認や特定秘密保護法の制定、原発再稼働を強引に進めておきながら「よく言うよ」と思うのですが・・・。
野党の態勢が整う前に、世間受けする増税延期を争点にすれば選挙に勝てるという浅はかな策略?

危険な体質を隠そうともしない安倍政権は論外としても今一つはっきりせず信頼できないバラバラ野党。
いざ選挙となれば誰に投票すればいいのか実に悩ましいところです。

しかし我々はほとんどの国民の反対のない再増税延期について信を問うという自民党のごまかしに乗らずに、今までの政権運営についての判定を下したいものです。
少なくても、集団的自衛権、特定秘密保護法、原発再稼働を主要な判断材料として投票したい。

大金を使って「念のため解散」なんととんでもないという意見もありますが、この時期に安倍政権の強引な政権運営に対する信認投票が出来るという事は国民にとっては喜ばしいことなのでしょう。


深まりゆく秋

2014-11-16 22:10:53 | 写真
つい先日まで日陰を求めていたのに、いつの間にか最低気温が0℃近い朝を迎えるようになってしまいました。
加齢のせいもあるのでしょうが、今年は夏の終わりから季節が進むのがやけに速く感じられます。

深まりゆく秋を撮ろうと二泊三日で滋賀県の紅葉巡りをしてきましたが、残念ながら時期が少し早いのかきれいな紅葉には巡りあえませんでした。

今日は妻と二人で近場の「紅葉とせせらぎの道」で秋の深まりを感じてきました。
太古から「秋」とか「秋の夕暮れ」は侘しいものの代名詞として使われてきましたが、年令を重ねるにつけその侘しさが身に沁みます。
いづれ季節は巡りまた春もやってきますが、もう我々には春が来ないという現実が余計に侘しさをつのらせます。

母子大池のほとりにて
メタセコイアでしょうか?楓とはまた違った趣きと風情があります。

同じく母子大池のほとり(ログ小屋から)

葉っぱを落としてしまって身軽になった木は冬支度完了?

まもなくこの水も凍てつく季節がやってくる

ブロッコリー初収穫

2014-11-09 22:59:19 | 家庭菜園
秋も深まり落葉の目立つ季節になってきました。
昨年は栽培開始が遅くて実(花蕾)ができなかったブロッコリー。
昨年の反省から今年は7月中頃に播種し8月下旬に定植しました。
育苗に失敗しヒョロヒョロ苗になってしまいましたがその後は順調に生育し、初収穫することが出来ました。
野菜の出来不出来は栽培時期の影響が最も大きいようです。
正直なもので時期がずれればいくら肥料をやっても効果はほとんどありません。

15cmくらいの頂花を収穫

栽培講習会で教わったとおりに、収穫後は全ての葉を切り落として、株回りに鶏糞と油カスをたっぷりと施しました。
講習会では葉のどの部分から落とすのかを聞き洩らしたので、とりあえず葉先だけを切り落としておいた。
こうすると大きな側花が次々と収穫できるそうです。

イチゴの定植とスナックエンドウの播種も終わり、あとはタマネギの定植だけです。
今年は初めて新種のスイートスナップを育てます。

普通のスナックエンドウでも充分甘いのですが、どんな甘さのものが出来るのか楽しみです。
(完全退職したおかげで週一農業から卒業でき、ズボラな割には例年のように作業に追われることなく比較的計画的に作業出来ている)


城ケ島灯台(神奈川県)

2014-11-05 21:58:32 | 灯台巡り
じょうがしま灯台
2014年4月25日(0730-0800)訪問

明治 3年(1870)8月13日 初点灯 
大正15年(1926)8月 1日  関東大震災で被災のため改築

初点プレート 

神奈川県三浦市三崎町城ケ島
(35.08.06N  139.36.40E)
高さ  地上~塔頂:11.5m  水面~灯火:30.1m
白色塔型(円形)コンクリート造り

第4等フレネルレンズ
灯質  単閃白光 15秒毎に白光を1閃光
光度 31万カンデラ
光達距離 16海里(約29km)

城ケ島は三浦半島の最南端にある島で本土とは城ケ島大橋(有料)で結ばれています。
東端には安房埼灯台、西端にはこの城ケ島灯台があります、灯台から灯台まで歩いても40分弱の距離です。
私は城ケ島大橋を渡ってすぐの無料駐車場に車を置いて、両方とも歩いて訪問しました。(日常は一日一万歩をノルマにしており、旅で出ても出来るだけ歩く事を心がけているので)
無料駐車場からは歩いて15分で着きます。
ちなみにどちらの灯台近くにも有料駐車場がありますので、急がれる場合は直近まで車で行かれるといいでしょう。

江戸条約に基づく灯台ではありませんが、浦賀水道入口という重要な場所であることから日本で5番目の洋式灯台として明治3年に建設されています。
設計は観音埼灯台と同じフランス人技師ヴェルニーが行い、レンガ造りの円筒形の灯台でしたが関東大震災で倒壊したため現在の灯台は2代目になります。

ここの歴史は古く、1678年(延宝6年)に灯明台が設置され、その後1721年(享保6年)にかがり火に変えられ、この洋式灯台が発光する前夜までかがり火が焚かれていたそうです。
光達距離は現在のものと遜色なく晴夜には約30㎞に達したそうです。(燃料費は浦賀入港の船舶から徴収していたらしい)


ホテルや土産物屋の立ち並ぶ場所にあり交番も灯台を模して作られていました。

土産物屋の間の細い道を進むと

灯台入口と書かれた階段があります。

灯台周辺は西洋風の庭園になっておりきれいに整備されています。

まるでギリシアにいるような雰囲気です。



ここ三浦市三崎町は遠洋マグロ漁業の基地で、今は廃局になってしまった船橋中央漁業無線局(JFA)と並ぶ有名な三崎漁業無線局(JFC)があり現在でもモールス通信を行っている貴重(?)な無線局があります。
しかし土産物屋の主人の話によると、このJFCも今年一杯で廃局になるそうで寂しい限りです。