還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

他人の年令を感じるとき

2012-05-31 23:04:37 | 日記
昨日、久しぶりに梅田芸術劇場(旧劇場飛天、梅田コマ)に行ってきた。
前回は飛天と言っていた頃なので、もう10年以上も前のことになる。

今回は小林旭と八代亜紀の共演である。
二人とも我々の年代にはなじみの深い歌手だ。
さすがに2000人近い観客席もほとんどが我々以上の世代で満席であった。


TVやレコード・CDと違って、生のコンサートでは合間のトーク(しゃべり)に「その人と、なり」が滲み出て、そのことでより贔屓になったりするものである。
(特にさだまさしのトークには定評があるようで、チケットがなかなか入手しにくい)

小林旭は私より約一まわり上の年令にも関わらず、髪もフサフサで(羨ましい・・)年令を感じさせない舞台であった。
ところが八代亜紀がしゃべり出し客が耳を傾けようとしているときに、すぐに割って入り自分のことをしゃべり出すのが目立った。

退職した人と久しぶりに出会って話している時によく感じることであるが、相手への関心がないがごとく自分の事ばかりしゃべる傾向が強いように思う。
多分これは年をとると頑固になるのと同じで、相手から何かを吸収して自分の糧にしようという柔軟な心が、年と共にすり減って頭が固くなっているのでは・・・と思う。

会場で奇偶というか田舎の中学の同級生夫婦と出会い終演後4人で喫茶店に入ったが、全く同様でなかなか話がキャッチボールにならない。

残念ながら「我らが小林旭」もそうなのかな?とちょっと寂しくなってきた。



能登半島灯台巡りの旅(最終日)

2012-05-28 19:44:04 | 旅行
5月12日(土)
ちょうど一週間の今回のキャンピング旅行もいよいよ今日で終わり。
今まではあまりクッションのよくない自作ソファ兼ベッド+寝袋というスタイルだったのですが、今回ダブルの敷布団とシングルの肌布団と毛布各二人分を用意したので、自宅と変わらない快適な睡眠環境で過ごすことが出来ました。
おかげで今回はほとんど疲れが残りませんでした。


=三国湊町= (0650-0720)
かつて「北前船交易」で栄えた名残を残していると言われる「三国湊町」を早朝30分ほど散策してから、今日の目的地「丸岡城」へ向かう。


=丸岡城= (0800-0940)

別名「霞ケ城」とも呼ばれていて、戦国時代(1576年)に作られた城である。
現存12天守(※)の内、最も古いものだと言われている。
明治維新後、官有から民有そして町有と持ち主の変遷に伴い、濠は埋められ門や建物は売却されたりして、現在はこの天守と野面積みの石垣を残すのみとなっているが、かえってそれが身近に感じられて親しみやすさがあるお城である。

周囲は霞ケ城公園となっている、楓の新緑が早朝の静けさにマッチしていて素晴らしかった。

平和な時代に作られた城と違って、敵の侵入を防ぐ「石落とし」や「狭間」等の様々な仕組みが見られる。

構造上の問題かも知れないが階段も垂直に近いもので、敵が侵入してきても一気には攻め込めない。

天守への石段も各段の高さが微妙に違えてあって、登っていて思わずガクッとなってしまいます。
昨日の山で滑落したせいかなとちょっと心配したのですが、見ていると他の人も同様にとまどっていました。
これも敵に一気に攻め込まれないための工夫なのかな・・・と勝手に想像してみました。


屋根には全国的にも珍しい石瓦が使われていて、総数約6000枚で屋根全体で120トンにもなるそうです。

入場券(¥300)には歴史民俗資料館への入場券も含まれているので、ここも見逃したくない所です。
個人が所有されている歴史ある道具や書物等を市が借用展示していて、歴史に興味がある人には必見の価値があります。


また第2と第4土曜日の早朝7時から城前の無料駐車場で「一筆啓上朝市」が開かれていて、野菜や果物類が市価の半額以下で売られていました。

バナナがこれだけでたったの100円でした。
一時間くらいでほとんどが売り切れになって、あっという間に店じまいをしていました。


※現存12天守の城
弘前城 松本城 丸岡城 犬山城 彦根城 姫路城 備中松山城 松江城 丸亀城 高知城 松山城 宇和島城
さすがに薩長には残っていませんが、竜馬らが活躍した四国には何故か4つも残っています。
(私は弘前城と犬山城、彦根城、備中松山城はまだ訪れた事がありません。灯台巡りの合間にお城巡りもしてみたいなと思っています)


ここ丸岡町は「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」で有名な本多作左衛門のゆかりの地と言う縁で始められた「日本一短い手紙」の「一筆啓上賞」でも有名です。
城へ向かう階段沿いに過去の入賞作品が掲示されていました。
いずれも心をうつ短文ですが
「犬好きの老妻へ」
「柴犬を抱きしめ 頬ずり頭撫で、爪切りから耳そうじ。
 明日の誕生日わしにもやってくれ。」
に思わず笑いをこらえながら「いやいやー ご同輩」と妙に共感するのは私だけだろうか?



今回の灯台巡りの旅では、ついに到達できなかった「猿山岬灯台」「能登島灯台」を含めて15灯台を巡る事が出来ました。
飽きずについてきてくれた妻に感謝しながら、総行程1236㎞の旅が終わりました。

外浦と言われる能登半島西側の男性的な風景と東側の内浦の穏やかな風景、それに「能登は優しや、土までも」と言われる能登の人情に触れ、おまけに遭難未遂騒ぎまであって、いつまでも記憶に残る旅になりました。



サツマイモ植付

2012-05-27 23:12:39 | 家庭菜園
なかなか空き畝が出来ないので今年も諦めていたサツマイモだが、「タマネギの後に植え付ければ肥料も不要でよく育つ」と種苗店の主人に勧められて早生のタマネギを収穫したあとにサツマイモの苗を10本だけ植え付けてみた。

ここのところ降雨がなく、土がカラカラに乾いていて上手く根付くか心配だ。
まだ当分雨が降りそうにない(予報では次の一週間も雨なし)のでたっぷり水をやっておいたが、ひと雨欲しいところだ。

今年は降りだしたら長いあいだ続くし、降らないといったら全く降らない。
おまけにゴールデンウィーク後に異常な低温もあり、今年の夏野菜の生育が心配である。
心なしか、ジャガイモにたかるテントウムシダマシやウリ類につくウリハムシの発生も少ないようだ。
他の地域も同様なのだろうか?


=スイカ=
大分ツルが伸び出したのでビニールトンネルを外し、ツルを上部のネットへ誘導するように竹笹を立てかけておいた。
ツルが地面上で伸びて他の畝の作物をジャマをしないようにするための細工です(畝の有効利用)。




今日もイチゴ(今年3回目の収穫)とスナックエンドウ、絹さやエンドウ、小松菜(最終)を収穫。
イチゴは前回とほぼ同量だったが粒は大き目のものが多い、もっとも大きいものは目敏い孫達が持って帰ってしまったが・・・。
でも人が楽しみにして喜んで食べてくれることが家庭菜園愛好家にとっては最大の喜びであるので嬉しいことではある。


小学校の運動会に思うこと

2012-05-26 19:51:58 | 日記
今日、我が娘達が巣立ち、今孫が通う小学校の運動会があった。
たしか娘達の頃は9月頃に開催されていたが、いつごろからか又どういう理由からかは分からないが、最近は梅雨前の今頃に開催されるようになっている。
父母や祖父母達が運動会の花形・リレーで手に汗握りながら応援する光景は昔と変わらない。

5・6年生による組体操もまた素晴らしかった。


仲間の肩に乗った生徒が、下で5列位になった仲間の上に後ろ向きに倒れる演技には驚かされた。
前に倒れ込むのならわかるが、後ろ向きに倒れるにはよほど仲間への信頼がなければ怖くてできないだろうに、みんな見事にこなしていた。
5月と言えば新しいクラスになってまだ2カ月足らずにも関わらずにだ。

一方、気になる事も見かけられた。
多分上級生なのだろうが、リレーでトラックの各コーナーに座っている生徒(監視役?)がいたのだが、選手が競争中に目の前にタスキを落としたのに拾おうともしない。
次のレースの選手がそれをよけながら走っているのに除けようともしない。
見かねた父兄が拾ってその生徒の横へ投げたのに、まるで知らんふり。
(さすがにレースの最後に引き上げる時には持って行っていたが)

また、まだ小さくて可愛らしい一年生の「かけっこ」のゴールテープを持っている上級生だが、自分の高さでテープを持っているものだから、一年生がみんな首でテープを切るような状態でゴールしているのに、テープを下げてやろうともしない。

ちょっと信じられない光景だったが、相手に対するほんのちょっとした思いやりが全く出来ていない。

娘に聞いたら、「いまどきの子供は言われたことしかしないから・・・」と言っていたが、このまま育っていくと常識外れの人間になりはしないだろうかと心配になる。

子供は最初は何でも言われなければわからないのだから、家庭でのちょっとしたしつけの積み重ねが大切だ。

人として生きて行くのに基本的な事だと思うから、孫にはよく言って聞かせておこうと思う。

幻の能登島灯台(能登半島灯台巡りの旅 6日目)

2012-05-22 18:59:55 | 旅行
5月11日(金)
今日も朝から曇天で一時雨の予報も出ている。
いつもどおり6時頃起床、車内で朝食後、道の駅からJR七尾駅方面へ朝の散歩。
車での旅行はどうしても運動不足がちになりますが、灯台巡りをしていると結構歩きます。
また街の中にある「道の駅」では出来る限り探索がてら市内を歩くようにしていますので、今回の平均歩行数は一日12000歩ぐらいでした。



造り酒屋、和ろうそく、仏壇店等の昔ながらの店が並んでいる「一本杉通り」
例年4月29日から母の日までの間、各店に「花嫁のれん」が飾られて華やぐそうだが、時期的にちょうど終了したところで名残しか嗅ぐことが出来なかった。

今日の予定は七尾湾の入口を守る灯台二つだけなので、朝はゆっくりとし、0845に能登島の小泉崎にあるという能登島灯台に向けて出発。


=能登島灯台= (0930-1120)
能登島大橋を渡り、県道47号から県道258号線に別れ、小泉崎の手前の二穴集落を過ぎた辺りにちょうど灯台への道らしき山の方へ入って行く道があったので、そちらへハンドルを切る。
しかしほどなく又、元の道へ戻ってしまった、道の先に一軒屋がありどうやらそこへ行く為の道だったようだ。
仕方がないので少し引き返して農作業をしている婦人に道を尋ねたところ、「その先に灯台があることはあるが、道も何もないので行けないよ」とのこと。
それでも(一般の人は知らなくても海上保安庁のメンテナンス用の道があるはずなので)取りあえず近くまではどう行ったらいいか尋ねると、「一軒屋があるのでその先だ」
とのことだった。

一軒屋の手前に車を停めて周囲を歩いてみたが鬱蒼と草木が茂っていて山中へ入れるような道はない。
少し引き返して妻を車に残して、入山できそうなルートを探す。
それらしき道はないが、小さな沢のような所にロープが這わしてある。

ロープを伝って山中に入り込んだが、人が足を踏み入れた形跡が無く道らしき道が見当たらない。
小さな山なので、取りあえず茨や草木をかき分けて頂上めざして進んでいった。
しばらく進むと所々赤いテープが巻きつけてある木が目に入った。

「これはてっきり保安庁の人が目印につけたものに違いない」と安心してその方向に進んで行ったが、灯台は行けども行けども一向に姿を見せない。
その内に赤いテープも見当たらなくなってきた。
上を見ると電線が通っている、「これはきっと灯台へ電気を供給している電線に違いない」と電線に沿って進んでいったが、行き着く先はさっきの一軒屋のようだった。

そうこうしている内に完全に方向感覚を失ってしまった。
コンパスは持ってないし、太陽も出ていないので方角が全くわからない。
元来た方向へ戻ろうと歩くが、しばらくすると又さっきの場所のような雰囲気の所に来ている。
ちょっと焦ってきた。
不確かな記憶を頼りに山を下って行くとコンクリート打ちされた急な崖になっている、その下は海。

景色の見える山裾を歩いて行けば、道に迷わずに元の道路へ出られそうなのだが、先日の雨で滑りやすくなっているし、つかまる木もない。
足を踏み外したら海へ一直線だ。
仕方がないので又山中へ入り、繁った竹笹を踏み倒しながら歩いて行く。


途中の小さな沢で足を滑らせて数m下まで転げ落ちた。
ズボンもシャツもボロボロ、携帯もカメラも泥だらけになってしまった。
だんだん情けなくなってくるし、元の所へ戻れず、不安と焦りが増してくる。
ぜえぜえと息苦しくなってきた時に妻から電話。
見ると電池があと一目盛しかない、最悪の場合の連絡手段を残しておかねばと「迷うてんねん、電池ないから切るぜ」と早々に電話を切る。

四苦八苦したあげく、ようやく道路が見える所まで戻ってきた。
急な崖になっているが途中に数本の松の木がある。
松の木につかまりながら下り、2mほど下の最後の松の木の根元に足場を確保する。
その下は道路だが、まだ3~4mある。
さすがに年令を考えると、飛び降りる勇気はない。
しかし戻ろうとしても上の松の木まで2m位あって、上る事も下りる事もできない宙ぶらりん状態になってしまった。
泣きたくなってきたが、車にロープを積んである事を思い出し、妻にロープを持ってきてもらってようやく上へ上がれた。
そして下から妻に誘導してもらいながらようやく下山できた。山へ入ってからすでに一時間半以上が経っていた。

車に戻り、すり傷だらけになった手足を洗い、服を着替えてからPCで地図を拡大して見ると、どうやら灯台はもう一つ先の岬にあるようだった。

下でやきもきしながら待っていた妻の「60を過ぎたジイサンのすることじゃない」という小言よりも、一生懸命見当違いの苦労をしたことの方が悔しくてこたえた。


帰る途中の道路から灯台が見えたので望遠で撮影した。
灯台は見えたが、さすがにもう一度挑戦しようという気力は完全に失せていた。

どうやら灯台近くには小さな桟橋があり、海上保安庁は船でメンテナンスに来ているようだった。
道を尋ねた人の言を素直に信用しておくんだった。
四国旅行の時の教訓「人の話を聞いて勝手に自分の頭でイメージを作るな、もう一言聞いておけ」が全く生きていない。



=能登観音崎灯台= (1210-1240)

能登島灯台と対で七尾湾の入口の目印となっている灯台。
大正3年に初点灯(当時は七尾湾口灯台と称した)した比較的歴史のある灯台です。
その昔は宿舎や事務所もあったというだけあって敷地が広くて、よく整備されている。

七尾方面から県道246号線を通って迷わずに到達できる。
観音崎会館(宗教施設)の所にトイレと駐車場があり、そこから「灯台まで160m」という道しるべに沿って農道を入っていくとすぐに灯台に着く。
能登島灯台で時間を取られ過ぎて、小雨の中での訪問となった。



これで今回の灯台巡りの旅の目的はほぼ完了。
天気が良ければ遠く立山を望みながら走る「能登・立山シーサイドライン」を走り、富山経由で帰るつもりだったが、あいにく天気が悪いので途中の「道の駅いおり」で遅めの昼食を摂ってから、一路福井県の「道の駅みくに」まで帰ることにした。


=道の駅みくに= 1800着
約160㎞をただひたすら走って、約4時間で到着。
偶然旅の始めと終わりの宿泊地が同じ所になりました。
週末のせいか車中泊車多数(釧路、三重、名古屋、堺、神戸ナンバー他)

カップルの聖地へ(能登半島灯台巡りの旅5日目)

2012-05-21 17:57:32 | 旅行
5月10日(木)
あいにく朝から小雨が降り出した、おまけに風が強くて寒い、ラジオによると4月上旬並みの気温らしい。
雨があがるまで道の駅で待機し、0845に出発。

=見附島= (0855-0930)

すぐそばに見附公園があり、公園内に広い無料駐車場がある。
見附島という名前だが本当は高さ28mの岩である。
並べられた石積みの上を歩いてすぐ近くまで行けるが、途中で途切れていて島までは行けなかった。
干潮になれば行けるのかもしれませんが・・、もっとも行っても文字通り「取り付く島もない」。

形が軍艦に似ているから「軍艦島」とも呼ばれているらしいが、私にはユーモラスな人間の顔に見えました。


見る方向によって表情が違っていて面白い。


海岸にはモニュメントに鐘があり、カップルで鳴らすと恋が成就するというふれこみです。
老夫婦二人で縁遠い次女になりかわって鐘を鳴らしてきました。
(安宅の関の神社では「幸せお守り」を、新興宗教には「良縁成就」のお札を納め、もう神頼みの心境です)


=恋路海岸= (0940-1000)

恋路といかにもロマンチックな地名ですが、元のいわれは悲しい三角関係の話だそうです。
ここでもハートの形をした「幸せの鐘」を鳴らしてきました。ご利益があればいいのですが・・・。


山側にうら寂れた「恋路駅」が見えた。2005年に廃線になった「のと鉄道」の駅舎がそのままになっていて、駅舎の板塀には若者達の「恋の心情」を綴った落書きが多数。
眉をひそめる方も居るかも知れませんが、私には若者たちの瑞々しい感情が微笑ましく感じられて大目にみてあげたくなりました。
「10年20年後もずっと一緒にいようね」と書いたカップルがまた翌年訪れて「結婚したよ」と記していたり、26才29才31才と三度も訪れ生きるのにもがき苦しんでいるような言葉を書き綴っている若者もいたりで、イタズラ半分の落書きとは思えませんでした。
現在はノートが置いてあってそこに自由に書き込めるようになっています。
年寄りもついでに「ボケ防止にいつまでも恋心を!」と書いておきました(笑)。


=赤崎灯台= (1010-1030)
恋路海岸から海岸沿いに南へ下り、岬の先端方面へ左折すると観光イチゴ園がたくさん並んでいる、突き当りまで進むと海岸に出る。
そこはちょっとした公園風の広場になっていてトイレ・休憩舎・駐車場がある。

そのすぐ向こうに灯台が見える。

外浦方面の黒くて浸食の激しい地形から一転して、赤くて穏やかな風景の中に立っている。

灯台までの行程の楽さと言い、赤い地肌と灯台の白それに(今日は天候のせいであまり美しくはないが)海の青のコントラストが素晴らしく、今回で一番のお気に入りの灯台です。


=能登城ケ崎灯台= (1040-1130)
赤崎と飯田湾を挟んで対面になっている岬の先端にある灯台です。
特に目印はありませんが、カーナビで尖端に表示されている「城ケ崎キャンプ場」(灯台の付近には見当たらなかったが・・)を目的地に設定して細い道なりに進んでいった。
海辺の集落の中を適当に走って道を尋ねた所が偶然にもすぐ灯台の手前であった。
(結果オーライでもう一度行けと言われてもたどり着ける自信はない)
近くに一台位駐車可能なスペースがあり、そこに車を停めて徒歩2~3分で灯台に到着する。

集落の外れの小高い丘の上に、樹木に埋もれたように灯台が立っていた。

タイル張りの小さな灯台だ。

道を尋ねたおばさんが追いかけてきてくれて上り口を教えてくれた。
井戸端会議ふうに話し込む妻とおばさん(半時間近く話し込んでいた)。

ここの海岸も赤崎と同様に赤い岩の海岸で、近くに公園があった。
もっともこの公園は今は寂れてほとんど誰も訪れることはないような感じであった。
おばさん曰く「昔はきれいに整備してくれてたんだけど、合併してからは全然手をかけてくれない」らしい。


=能登町宇出津港= (1200-1300)

役場近くの寿司屋で昼食をとり、宇出津灯台の場所を聞いてみた。
寿司屋の主人もお客も「あることはあるけど、見るような灯台じゃないぜ」とのこと、しかしせっかくなのでその場所への道筋を聞いて車を進める。
しかしやはり教えてもらったのは堤防灯台のことだった。
目的の灯台を探すあてがまったくないので諦めることにする。
岬や田舎の灯台と違って、町の中の灯台はかえって探しづらいものだ。


=ツインブリッジのと= (1420-1440)

能登島へのアクセスは南からの「能登島大橋」と、西からのこの「ツインブリッジのと」があります。
正式名は「奥能登農道橋」と言い農水省主管の農道のようです。
手前に公園があります。
エンムスビーチや恋路に感化されたわけでもないのですが、他に誰も居ないのをいいことに年寄り二人でこんな写真を撮ってみました。

娘や孫達に大受けでした。


=道の駅のと食祭市場= (1630着)
能登島の道の駅「のとじま」にも行ってみたが、時間も早いし車中泊にはちょっと寂しそうだったので、七尾市内のここまでやってきました。

フィッシャーマンズワーフと一緒になっている道の駅で、新鮮な魚介類の販売や食事処もある。
広い公園内には飲用の水道も設置されており、残り少なくなった飲料水を補充できた。
ほとんどの道の駅には水道が設置されていないので、こういう所は貴重です。

能登半島灯台巡りの旅(4日目)輪島~珠洲

2012-05-20 16:36:52 | 旅行
5月9日(水)
天気が良さそうなので朝7時頃から輪島市内(馬場崎通り~朝市通り~海岸)を歩いて見る。

電柱もなく景観がよく維持されている。

銀行も近寄らなければ銀行とわからないような造りになっている。


=竜ケ崎灯台= (0755-0815)
港から北西方向の小高い丘の上に灯台が見えたので早速車を走らせる。
道の駅から約3㎞、鴨ケ浦方面への途中から灯台への上り道に入ると大きな無料駐車場がある。
そこからすぐそこに灯台が見える、コンクリートの階段を2~3分登ると到着。
灯台の横が展望台ふうに整備されていてベンチも設置されている。

すぐ脇に輪島漁業無線局の送受信所(無人で遠隔制御されている)もありました。(すみません元無線屋なものでつい目がいってしまいます)



=白米(しろよね)の千枚田= (0830-0930)
竜ケ崎灯台からR249を約12㎞珠洲方面へ進むと道の駅「千枚田ポケットパーク」があり、そこが世界農業遺産に認定されているという「白米の千枚田」の絶好のビューポイントになっている。

最も小さい水田は0.2㎡であり全部で1004枚のミニ水田を13戸の農家が耕作を続けられているそうです。
名前の由来はこの水田枚数からという説と「狭い田なので」という説があるらしい。

ちょうど田植えの終わった田の畔の草刈り作業をしているところでした。

水田の中へも観光用に畔道が舗装されていて、平日にも関わらずひっきりなしに観光客が訪れていました。
グローバル経済の下で農業も大規模・効率化を余儀なくされている現在、山間部の棚田と言いこの千枚田と言い、先祖達が狭い国土に工夫をこらしてきた農業だが観光農業でしか生き残れないのでしょうか?

=白崎=

ここまでの能登半島の海岸は黒い岩や地肌がほとんどであったが、突然白い岬が見えてきたので思わずカメラにおさめた。
地図を見てみるとその姿の通り「白崎」であった。(文字通り「名は体を表す」地名)



=能登鞍崎灯台= (1010-1035)

R249の新鞍崎トンネル上にある灯台です。

輪島から珠洲方面へ向かってのトンネル出口に車を停めるスペースがあり、そこから少し入ると海上保安庁のメンテナンス用の道があります。
しかし現在、落石で危険な為「立入り禁止」になっていました。
せっかく近くまで来ているので「自己責任」でちょっと登ってみました。

途中からの写真ですが、近寄れば近寄るほど電線が邪魔になる方向になりNGです。。

灯台敷地は非常に狭くて広角レンズで撮ってもこれだけしか撮影範囲に入りません。
危険を犯してまで登る価値はなく、下の方から撮影したほうがいい写真が撮れそうでした。



=道の駅「狼煙」・禄剛埼灯台= (1100-1250)
予定ではこの「狼煙」で宿泊のつもりにしていたが、予想外に早く着いてしまった。
ここから禄剛埼灯台まではややきついスロープになっている道と階段を上る道があるが、上りは階段の方を通ってみた。約9分で灯台へ到着します。
下りはスロープの方を通り約6分で下ってきました。

能登半島で最も有名な灯台なのでしょう、平日でも結構観光客が来ていました。
高さは低いですが、石造りのどっしりとした立派な灯台です。
周辺は広い公園になっており、また内浦と外浦の境でもあり、朝日と夕日が同じ場所で見られるとのこと。
地元の人は「狼煙灯台」とも呼んでいるようです。

標高が46mあり、最近立てられたのか「緊急津波避難所」の表示看板がありました。

時代物のプレート。
菊のご紋章がついているのは全国でこの灯台だけです。
最初は何と書かれているのかわかりませんでしたが、右から縦読みで「明治16年7月10日初点灯」と読めます。



=長手崎灯台= (1550-1600)
禄剛埼灯台を出て宿泊予定地「道の駅すずなり」に13時30分過ぎに到着。
道の駅に車を置き、昼飯を求めて珠洲市内をさまよい歩きましたが適当な店はみな昼の営業を終了している(ほとんど1400で終了)
仕方がないのでコンビニのおにぎりで空腹を満たした後、狼煙から珠洲への途中にあった長手崎灯台を目指しました。

狼煙から珠洲まで海岸沿いに走る県道28号線を走っていると小泊漁港の手前に「小泊簡易郵便局」がありそのすぐ裏に立っている。

堤防灯台のように海の上に直接建てられている珍しい灯台。



=道の駅すずなり= 1610着

ここも輪島と同様に廃線になった珠洲駅を利用した道の駅で、市役所まで1㎞の距離にあり、すぐ隣に24時間営業のコンビニやガソリンスタンドもあって車中泊にも安心な場所です。私達の他には車中泊車なし。

ここ珠洲市でも感心したことがあります。
まだ時間が早いので市内を散策していた時、道ですれ違う中学生達が見知らぬ私達に「こんにちは」とか「さようなら」とか挨拶してくれるのです。
多分先生方がそういうふうに指導されているのでしょうが、素直に実行している生徒たちが素晴らしいと思いました。
高校生はさすがに照れ臭いのか無視でしたが・・・。



今年最初の草刈り

2012-05-19 18:51:30 | 家庭菜園
久しぶりの爽やかな五月晴れの一日でした。
あちらこちらの市民農園ではそれぞれ家族連れが農作業にいそしんでいました。
若い両親が一生懸命畑仕事をしているそばで遊んでいる子供達の姿が微笑ましい。
雑草の小さな花や虫たちとの出会いがきっと幼い子の情緒を豊かに育んでくれることでしょう。

全ての植物が目ざましい生長を見せてくれる季節です。
放ってほいたらこんなに雑草がはびこってしまいました。

草刈り機で今年初めての草刈りをしました。
手作業に比べれば仕事が早くて便利なのですが、草刈り機も結構しんどいものです。
今日はほとんど草刈りだけの畑仕事になりました。

おかげで大分すっきりしました。
秋までにあと2回は草刈りをしなければなりません。


=イチゴ=
イチゴも収穫期を迎え、日々赤い実が増えています。


今年2回目の収穫分です。

=スイカ=
今年は初めて大玉で糖度の高い「紅まくら」2本を植えています。
一本は大分大きくなってきたので7節目で摘芯し、藁がわりに刈り草を下に敷いてみました。


=キュウリ=
キュウリは意外とデリケートなようで、肥料が葉についてしまった苗は枯れてしまいました。
残りの苗は大きくなったので防風・防虫用の肥料袋を外した。
ウリハムシの被害を防ぐために、効果があるかどうかわかりませんが根元にドクダミを敷きました。


=エンドウ=
生長が遅れていたエンドウもようやく結実し出しました。
スナックエンドウを今日初めて収穫しました。
生で食べても甘くて、孫達も喜んで生食しています。

野菜は何でも若取りは甘くて大変美味しい。
つい洩れた「人間も同じやなあ」に妻の反応が怖い。
でも果物は腐りかけが一番美味しいで・・・。
俺は果物のほうが好きやなとフォローしておこう。

能登の人の親切に感激(能登半島灯台巡りの旅3日目)

2012-05-17 19:35:35 | 旅行
5月8日(火)
=旧福浦灯台= (0810-0840)
道の駅「ころ柿の里しか」から県道36号線を走り、約20分で旧福浦灯台の案内看板のある分かれ道に着く。

細い道なりにもう少し車で行けそうだったが、近くで畑作業をしている人に聞くと「みなこの辺に車を停めていくよ」とのことだったので、そこからカメラを抱えて歩く。
舗装された細い道を歩いて約15分で到着。

明治9年に建築された木造灯台としては日本最古の灯台である。
(たしか西宮の今津にも同じような灯台があったように思うが、西宮に住んでいた当時はそんなに灯台に興味がなかったので記憶が定かではない)
灯台の役割は昭和27年に新しい灯台に引き継がれ、ここは保存灯台となっている。


=福浦灯台= (0850-0910)
旧灯台への途中で新灯台が見える所があったが、案内板もなくてどこから入れるのかわからない。
旧灯台から出た所で出会った人に尋ねたら「案内してあげる」とのことでいろんな話を伺いながら歩いて行った。
定年まで山下新日本汽船で司厨長をされていたそうで、詫間出の次席通信士と仲がよかったんだとか、昔は船の賄い部は4~5人で船員の食事を作っていたが最後の頃は司厨長一人になったとか、私の知らない船乗りの話を興味深く聞いた。
もう少しいろんなお話を伺いたかったが、こんな時は目的地にすぐに着いてしまう。

入口には「腰巻地蔵」の案内がある、そこを少し入っていくと立派な灯台が腰巻地蔵のすぐ脇にあった。


後でわかった事だが、車を停める時に尋ねた老農夫はS君の親戚で、元大型船の船長をされていたとのこと。
さすがに日本海運が盛んだった頃、ほとんどの男性が船乗りだったという地区だ。

すぐ近くに高校の専攻科時代の同級生S君が住んでいる。
今回は行き当たりばったりの旅でいつ行けるかわからないし、事前に連絡して予定を縛ってしまうのも気の毒なのであえて連絡しなかった。
居なければ仕方がないが、せっかくなので居れば会っていこうと電話をしてみる。
ちょうど畑の草刈りをしているところだったが、すぐに飛んできてくれて2年ぶりの再会を果たせた。
お宅へお邪魔したあとS君夫婦に近くの観光地の案内を兼ねて半日付き合ってもらった。
お互いに奥さんとは初対面だったがまるで昔からの知り合いのように親しく過ごせて嬉しいひと時であった。

 巌門

 巌門の鷹ノ巣岩

 機具岩
あいにく曇天で鉛色の海の為、せっかくの奇景も印象がいまひとつだったのが残念。

道の駅「とぎ海街道」の近く「いさりび菊や」で昼食(すごく新鮮な魚を使った海鮮丼が美味しかった)後、二人とは別れて海士岬灯台へ向かう。
S夫人お薦めの道の駅「とぎ海街道」の男爵イモ入りのソフトクリームも美味しかった。
道の駅から階段を上がると「世界一長いベンチ(460m)」がある。
この道の駅に泊まるなら、このベンチでのんびりと正面の海に沈む夕日を眺めるのも一興だろう。


=海士岬灯台= (1430-1440)
地元のS君も「海士岬に灯台はない」と言っていたが、こちらは事前にネットで調べて確信していたので細い県道49号線を海士岬方面に向けて車を進める。
海士岬近くに来たが灯台の目印は何もない、ちょうど工事か作業をしていたであろうと思われる二人の男性に出会ったので道を尋ねた。
二人共ご存知ないようだった。
普通だったら「さあ、知らないなあ」で終わってしまうところだが、能登の人は違った。

ちょうど通りかかった地元と思われる車にも聞いてもらったが、やはりわからない。
そしたら二人して点在している近所の家や工場を聞き回って下さった。
気の毒なのでもう結構ですと断ろうとしていたら、遠くの方まで聞きに行っていた一人が「わかった!わかったぞ、もうちょっと先に西海水産の看板があるのでそこを左折したらすぐそこだ」と我が事のように嬉しそうな顔をして教えて下さった。

後にもいろいろ経験したが、能登の人はとにかく親切で本当に感激した。
将来もし能登が災害にあうようなことがあれば、老体に鞭打ってでも必ず力になりに来るぞと心を決めさせた出来事でした。



海士岬からヤセの断崖へ行く途中、県道49号線沿いにちょっと目を引く集落がある(赤崎あたり)。
このあたりは冬の日本海から吹く北風が強いので、北側に窓のない倉庫を建てその南側に住居が建っているということでした。


=ヤセの断崖・義経の舟隠し= (1500-1540)

松本清張の「ゼロの焦点」で有名なヤセの断崖
5年前の能登地震で先端が崩落し危険なので、肝心の柵から先へは行くことができない。


 義経の舟隠し
確かに小舟を隠すには好都合な地形だ。
しかし何でも観光資源にするものだと感心する。


=猿山岬灯台= (1630-1700)
奥能登最後の秘境と言われる猿山岬に立っている灯台を目指して、曲がりくねった山道を進んでいくと途中で通行止めになっている所に駐車場がある。
そこに車を停めて雪割草自生地と書かれているハイキング道を歩く。
灯台まであと600mの標識がある所まで来たが、まだ灯台は一山向こうに見える。

海面から200m以上の高さの所に立っている。
今にも雨が降りそうな天気で時間も遅いし、妻も不安がるので残念ながら望遠で写真に納めるだけにして引き返すことにする。

能登半島で一番立派に見える灯台だが今回は諦めざるを得なかった。


=道の駅「輪島」= (1740着)

廃線になったJRの輪島駅を利用した道の駅で、バスやタクシーの発着所にもなっている道の駅だ。
あいにく明日は第2水曜日で朝市は休み(第2、4水曜日が定休日)とのこと。
朝市の行われるあたりまで散歩したが、この時期にしては異様な寒さで長袖シャツとジャンバーを着用しても肌寒い。
車中泊車は他に2台のみ。

歴史に思いを巡らせた一日(能登半島灯台巡りの旅2日目)

2012-05-15 20:01:47 | 旅行
5月7日(月) 
5時過ぎに起床。今日は朝から天気も良さそうだ。
パンとコーヒーで朝食をとり、0730に出発。


=加佐岬灯台(加賀市)=  (0830-1020)
三国からR305を北へ走り、途中から加佐の岬方面への県道に入る。
県道の突き当りに無料駐車場(水道も設置されている)がある、そこから徒歩で3~4分で灯台に到達。

好天に恵まれ青い海と白い漁船の航跡のコントラストが美しい。
灯台の先の亀の首のように突き出した所が加佐の岬の尖端です。

見ようによっては魚(鯛)のように見えるこんな岩や、

犬が座り込んでいるように見えるこんな岩が海上に浮かんでいる。

周辺には遊歩道が整備されていて景観は最高だ。
4㎞先の片野海水浴場まで自然歩道を歩いて行くことができるが、今回は付近を散策するだけにした。
東尋坊に比べてあまり観光地化されていなくて、約2時間居た間に2組の老夫婦に出会っただけ。
おかげでのんびりとこの景観を満喫できた。


=尼御前岬= (1030-1050)
松林に囲まれた広場のある公園のようになっている。
北陸には義経にまつわる伝説が多数存在するが、ここ尼御前岬も頼朝に追われ逃避行を続ける義経一行に従っていた尼御前が、厳しい安宅の関を前にして足手まといになるのを恐れここから身投げをしたという伝説があるそうだ。


=首洗い池= (1100-1120)

昔、義経が実は衣川で死んだのではなく生き延びてジンギスカンになったという説に引きつけられて、義経がらみの本を読み漁った時期があった。
そんな中で、妙に興味を持たされた人物が二人いる。
一人は須磨での源平合戦で平敦盛を打ち、後に出家することになる剛毅な侍でありながら口下手で不器用な熊谷次郎直実である。
そしてもう一人の人物が斎藤別当実盛です。
元源氏の武士ながら平家方として戦い、この地で木曽義仲の家来に打ち取られた。
その際、73才という年でありながら年寄りと侮られぬように髪を黒く染めて参戦した。
今は敵味方となっているが実盛は義仲にとっては幼小の頃に命を助けられた恩人でもある。
家来が持参した実盛の首を見て「実盛ならこんな黒髪である筈がない、しかしよく似ている」とこの池で首を洗うとみるみる白髪になり、やはり実盛であったと実盛の首を抱いて落涙したという。


余談ですが、強い武士であった実盛が打ち取られたのは、稲の切株に馬の足を取られたためとも言われている。
かつて農村地帯で行われていた「虫送り」と言う行事がありますが、これはこの実盛が切株を恨んでイナゴになって稲田を食い荒らしたのでその霊を慰めるために始まったとも言われています。


=実盛塚=  (1130-1310)

首洗い池から1.4㎞西方向に実盛の墓所である実盛塚がある。
実盛塚の駐車場から道路を挟んだ向かい側の民家の間に入口があります。


駐車場の隣にある野菜バイキングの店「野菜百楽」で昼食後、安宅の関へ向かう。


=安宅の関= (1320-1420)

歌舞伎「勧進帳」で有名な安宅の関跡
関所と言えば「箱根」のイメージが強く、奥深い山中にあるものと思い込んでいたが、ここは海辺にある。
何故かと言えばここは本来の関所ではなく、頼朝が義経一行をとらえるためだけに設けた臨時の検問所だったからだそうです。

そんな訳で海辺に出てみるとすぐ近くに灯台が見える。

  安宅港口灯台
珍しく岬のような出っ張りではなく、なだらかな海岸線に建てられている。
安宅港への入口の目印として昭和55年に建設された比較的新しい灯台です。



=内灘= (1530-1700)
今回の旅でぜひ訪れたかった所です。
自分の生き方や立ち位置を定めることができずに、言葉の持つ明るいイメージとはかけ離れた憂鬱な青春を送っていた40年以上も前の昔。
その頃に読んだ五木寛之の「内灘夫人」の舞台に立ってみたかったからです。

主人公の沢木霧子がかつての同志であった夫にあてた最後の手紙の
「過去に美しすぎる青春を持ったものは不幸です。
その余りの鮮やかな充実感のために、現在が常に色あせて見えるからです。
あの十数年前のみずみずしい生の存在感の中に再び生きたいと願ったのです。」
と言う言葉が当時常に頭の中にありました。

歴史民俗資料館「風と砂の館」でビデオを見、当時のガリ版刷りのビラや機関紙、写真等の展示物でちょうど60年前になる内灘闘争(霧子と夫も学生として参加していた)
の歴史に思いをはせた。
当時はこの地区はほとんどが出稼ぎ漁民の貧しい漁村だったそうです。
その中で起こった米軍試射場建設に反対した戦後初の基地反対闘争。
貧しい中でも「金は一年、土地は万年」を合言葉にほとんどの主婦や青年達が立ち上がったそうです。

最近の原発立地自治体の姿勢との相違に時代の違いを感じました。

霧子が再出発を誓って訪れた権現森の海岸

霧子も今では80過ぎになっている筈、できれば五木さんに日本の変わりようも含めてその後の霧子を描いてもらいたいものだ。



=道の駅=
今日の宿泊地は「内灘サンセットパーク」と決めていたが、やや寂しい感じがしたので次の道の駅を目指した。
約30㎞北方の「高松」も高速道のSAに併設された道の駅で、一般道から入れる駐車場は裏側で寂しく車中泊には不適。
仕方がないのでそこから更に約30㎞北の「ころ柿の里しか」まで車を進める。

道の駅「ころ柿の里しか」1830到着。
ここは温泉施設やプールもあって車中泊には最適の道の駅です。
ゆっくりと温泉に浸かってのんびりとしたので今日は珍しく床に就いたのが23時になってしまった。
私達の他には車中泊車なし。


能登半島灯台巡りの旅(1日目)

2012-05-14 17:13:18 | 旅行
5月6日(日)
ゴールデンウィーク最終日の早朝に出発。
取りあえず今日は前回行きそびれた福井県北部の東尋坊・雄島を目指すことにし、その後の能登半島の旅は成り行きまかせの気ままな旅です。

さすがに今日は高速道路も空いていて「舞鶴若狭道」を快適に走行、しかし途中からこの時期異例の寒気団の南下と低気圧の通過で雨が激しい。
後でラジオニュースで知ったが、茨城や栃木では竜巻被害が甚大だったようだ。
ラジオで盛んに竜巻の前兆現象や注意を呼び掛けていた。

正味4時間の走行で「道の駅みくに」に到着。普段の行いのせいか(?)天気も晴れてきました。

近くに有名な「東尋坊」や「あわら温泉」があるせいか、連休が終わったというのに車がけっこう多い。
名物の「らっきょうラーメン」を昼食にし(ラッキョウの漬物は美味しかったが、ラーメンに入れると味が抜けてしまって不味い)雄島に向かう。


=雄島= (1240-1405)
道の駅から約20分で到着。
橋の手前に無料駐車場がある。
ゴールデンウィークも終わり観光客もちらほら状態で、老夫婦がのんびりと散策するには絶好のコンディションです。

東尋坊の少し北側にあるこの雄島は周囲約2㎞の小さな無人島で、島全体が神の島と言われているらしい。
その為、自然が手つかずのまま残されていて何となく懐かしい思いがしました。

朱塗りの200m余りの橋を渡ると大湊神社の鳥居が迎えてくれます。

鳥居をくぐると78段の階段があり、登った先に大湊神社がある。



大湊神社から東尋坊を望む

そこから島を一周する道(1.2㎞)が左右に別れている、また少し右側からは西方向へ島を横断する道があり灯台へ一直線で行けるが、雄島の自然をゆっくりと味わうため外周を一周することにした。

東尋坊の柱状節理は垂直に立っているが、ここは斜めになっているのや横になっている板状節理が多い。

島を半周した西側の海岸から少し上がった所に可愛らしい「雄島灯台」がひっそりとたたずんでいる。

私は有名な観光地となっている灯台よりもこのようにひっそりと、しかししっかりと役割を果たしている灯台が好きで、人が余り行かないような灯台の制覇も目指しています。(そのせいであとでとんでもない目に会うことになるのですが・・・)


尚、雄島への朱色の橋はカップルで渡ると必ず別れる事になるというというジンクスがあるらしいですが、訪れる観光客はほとんどがカップルでした。



=東尋坊= (1410-1520)
ここは今日でもさすがに観光客が多い。
市営と東尋坊タワーの駐車場は有料(¥500)だが、呼び込みにつられて土産物屋の無料駐車場へ車を入れた。

東尋坊の柱状節理とその奥に見える雄島

ここは以前にも来たことがあるので周辺の遊歩道を散策して、今日の宿泊地「道の駅みくに」へ帰ることにした。
さすがに連休が終わったからか車中泊車は3台とトラックが数台のみ。
ゆっくりと明日の計画を立ててから2030に就寝。
キャンピング旅行は山登りと同様に早寝早起きで健康的です。

春野菜の収穫

2012-05-13 22:36:56 | 家庭菜園
いつもの通りの週一農業なのに一週間旅に出ていると、随分長いあいだ手入れをしていなかったように感じ不安になります。
おまけに強風や異常な寒さの一週間だったので余計に心配がつのっていました。
そんな訳で今日早速畑へ行ってきました。

畔はこの一週間で雑草が生い茂って、早く草刈りをしなければまるで荒地のようです。

イチゴも収穫時期になりました。

命をかけるほどは美味しくもないのに、バカなのか、それとも勇気があるのかヒヨドリが一羽網にかかって命を落としていました。
防鳥網のおかげでほとんど被害もなく大小さまざまなイチゴを収穫しました。



タマネギも今年は早生種にしたので本日半分を収穫しました。
今年は少しはタマネギらしい大きさに育ってくれました。
但し早生なので長期保存ができないのがつらいところです。



エンドウもあと一週間位で収穫できそうです。



トウモロコシもようやく定植しました。
有機堆肥と牛糞をすき込んでから、植え穴の底深くに鶏糞(ヒシャク一杯)を元肥に施しました。


今回の能登半島灯台巡りの旅は記憶に残る旅となりました。
順次写真の整理が出来次第まとめてみようと思っています。

スイカ、獅子唐の植付

2012-05-04 23:14:28 | 家庭菜園
小台風並みの強風の中、スイカと獅子唐の苗を植え付けた。
本当は強風の日には植付を避けたほうがいいのだけれど、連休明けから恒例のキャンピング旅行を計画しているので敢えて植え付けざるをえなかった。


先週に有機堆肥をすき込んでいた畝に約25㎝丈の苗を2本。
元肥として植え穴に鶏糞ひしゃく一杯と米糠を少々施した。
本当は骨粉や魚粉も施したほうが甘味が増すようだが、今年はあいにく切らしてしまった。
もっともこの2年ほどは、肥料に頭を悩ます以前にツルを枯らしてしまっていたので、今年はまず最後の収穫まで枯らさないことが目標です。

保温と防風、害虫除けに天部に穴を開けたビニールで覆っておいた。



タマネギも早生を植えたのでまもなく収穫できそうです。



生長の遅れていたエンドウもようやく開花しだした。



イチゴもようやく赤くなってきたが、追肥不足のせいか今年も小粒だ。
おまけに骨粉や魚粉も施していなかったせいか、酸っぱい。ちょっと残念。



中々発芽しなかった秋ジャガですが、やはり春です。取り残したものの芽がこんなに大きくなっていました。
おかげで取り残しに気付いて掘り起こしました。



種蒔きから50日位でトウ立ちしだしたホウレン草。


夏野菜はあとトウモロコシ(我が家の庭で育苗中)と落花生を植え付ければ終了です。

6日から能登半島の岬巡りの旅に出ます。
帰ってきたら草刈りが待っています(どれだけ伸びていることやら)家庭菜園愛好家にとってはつらい夏が始まります。
それでなくとも今年の関西は電力不足で厳しい夏になりそうです。
しかし原発をなくすことが出来るならば、歯をくいしばってでも耐え抜いてやるぞ。


大東崎灯台(千葉県)

2012-05-03 15:33:45 | 灯台巡り
2009年4月29日訪問

初点灯 昭和25年11月(1950年)

千葉県いすみ市岬町和泉
(北緯35度18分32秒 東経140度24分44秒)
高さ  地上~塔頂:15.9m、水面~灯火:72m


道の駅「鴨川オーシャンパーク」を早朝6時半に出発し、R128沿いに太夫崎、葛ケ崎、入道ケ岬、浜行川岬、八幡岬と小さな岬を巡りながら9時に大東崎灯台に到着。

灯台への道のりはR128を北上し「灯台入口」の信号を右折する、細い農道のような道を灯台方面へ進むと突き当りに無料駐車場がある。
観光地化されていない素朴な灯台だが、ゴールデンウィークに何かのイベントが行われるのか地元の人たちが準備をされていた。

設置当初は今より100m海側に立っていたが、激しい海蝕のため昭和47年に現在の場所に移設されたと案内看板に書かれていました。


戦争中はここに電波探知機が設置されていて適機の攻撃に対応するための機銃台座跡があります。


南房総国定公園内で約60mの断崖絶壁の上にあり眺望のよい所です。
私は見てはいないのですが、長嶋一茂総指揮・主演の映画「ポストマン」がここで撮影されたそうです。

 (映画HPより)