還暦過ぎの阿乱怒論

家庭菜園や工作好きの爺父が日々感じたことを綴る独り言

紀伊半島キャンピング旅行記(6日目)

2013-05-31 21:01:55 | 旅行
5月10日
5時過ぎに目覚めたが、出発前の天気予報どおり今日は朝からどんよりとした天気で雨が近そう。
当初の予定では紀伊半島をぐるりと一周し三重県の灯台も制覇するつもりだったが、天気も下り坂のようだし畑も気になるので新宮から十津川経由で帰路につくことにする。
(動物を飼っている人ほどではないにしろ、家庭菜園をやっていると長期の旅行は中々難しい。)

一時間ほど七里御浜の海岸を散歩し、8時に道の駅を出発、R168を一路十津川に向かう。
地図では山間部を走る国道で悪路を覚悟したが、バイパスも整備されており思ったより走りやすい。
この辺も一昨年9月の台風12号による被害が甚大だった地域で、すれ違う車の大半は復旧工事のトラックだった。
まだ一部には豪雨の爪あとが残っているが、復旧工事がだいぶ進んでいるようだ。

十津川は上から見下ろしても山奥を流れている川のわりには川幅が異常に広い。
昔から十津川村は山間部で田畑が少なく、川の流域に多くの住民が住んでいたが明治22年の大水害で壊滅状態になり、多数の住民が北海道へ移住し「新十津川村」を作ったそうです。
その跡が川となっているため川幅が異常に広く見えるようです。


=十二滝=

十津川村にはその地形から大小さまざまな滝が多い。
これはR168沿いにある十二滝です。流量は少ないですが高さは那智の滝よりも高いように見えました。


=道の駅十津川郷= (0955-1035)

一般に山間部の道の駅は寂しい所が多くて車中泊には適さないところが大半ですが、ここは町の中心部にあって隣は町役場、向かいは警察署になっています。
怖がりの妻もさすがに安心で気に入ったようです。
ただ駐車場が狭い(26台分)のが玉に瑕です。


=谷瀬(たにぜ)の吊橋= (1105-1230)

長さ約298m高さ54mの吊り橋です。
日本一の吊り橋と言われる大分県九重の「夢大吊り橋」(長さ390m高さ173m)や宮崎県綾町の「照葉大吊り橋」(長さ250m高さ142m)に比べると高さは低いのですが、断然こちらの吊り橋の方が恐くてスリルがあります。

中央部に80cmぐらいの板が敷いてあり、板の両サイドは金網になっています。
その板の上を歩くのですが、何人かが同時に歩くとすごく揺れます。

おまけに板の継ぎ目は針金で固定してあるだけなので、板の端を踏むと沈み込んだり反対側が浮き上がったりして、思わず背筋に緊張が走ります。
板の下には金網もありません。
妻は私のベルトをつかみながら恐る恐る3~4回挑戦しましたが、三分の一も渡ることができませんでした。

吊り橋の対岸の集落(40戸ぐらい)の人の生活道路(村道)になっていて子供もこの橋を通って通学しています。
地元の人はここをバイクでも通るそうです。
そんな吊り橋なので板の下には必ず何か安全対策がしてあるはずだと思うのですが、板の下を覗けるような場所がありません。
なんとか安心させて妻を渡らせようと思い、対岸の崖の切り株に足をかけて覗こうとすると、どうやら腐っていたようで根が抜けて崖下へ一直線。
下に人が居なくて幸いでした。転んだ膝はヒリヒリするし血が滲みだしてきた。
我慢して板の下を覗きこむとやはり板の下には上から見えないようにワイヤーロープが張られていました。
それでもやはり妻は渡ることができません。
(「今度は渡るからまた秋に来よう」と強がりを言っていますが・・・)
おかげで私は3~4回往復することになり、だいぶ慣れました。

観光用の吊り橋はどこも通行料を徴収されるのですが、ここは無料なのも嬉しいことでした。
但し駐車場は有料(¥500)です。地元のオバサン方が料金を徴収されています。


=日本一長い路線バス=

途中で出会った奈良交通の路線バス。
奈良県の八木から和歌山県の新宮まで、路線距離166.9㎞(停留所数167)を6時間半かけて走る日本一長い路線バスです。


=道の駅十津川郷= (1305)
小雨が降り出したので道の駅へ帰ってきました。

左側は足湯です。
十津川には「上湯」「十津川」「湯泉地」と3つの温泉があり、ここは湯泉地温泉といい硫黄泉です。(他の二つは炭酸泉)
ここの足湯からも硫黄の匂いがします、但し泉温60℃の湯がそのまま流されているので、しばらく浸かっていると足が日焼けしたように真っ赤になります。


=滝の湯= (1630-1730)
道の駅から車で2分ぐらいの近くに日帰り温泉が二つあります。
一つは「泉湯」で入浴料¥400ですが石鹸・シャンプーがないので、もう一つの「滝の湯」に行くことにする。

滝の湯への途中、水の色がきれいだったので思わずパチリ。

滝の湯(入浴料¥600)の露天風呂からは小さな滝が望めます。
川のせせらぎの音を聞きながら入る露天は風情があっていいものです。
昨日の汗をきれいに洗いながしてゆっくりとリフレッシュできました。


夜になって雨が強くなってきましたが、明日は五条から大阪経由で帰るだけです。
今回はどちらかと言うと感激の少ない旅でしたが、幸い好天に恵まれ、行きたかった灯台もほとんど制覇することが出来ました。
一般に灯台へは道無き道であったり、熊出没注意とか猿や鹿が群れているところがあったりすることもあるのですが、和歌山県の灯台はいずれも遊歩道のようにきれいに整備されていて、快適であまり迷うこともなく到達できたのが嬉しかったです。
おかげで妻も嫌な顔をせずに同行してくれ、無事旅を終えることができました。


紀伊半島キャンピング旅行記(5日目)

2013-05-28 20:13:23 | 旅行
5月9日
今日も朝から良い天気だ。
今日の予定は妻の希望により熊野古道を歩くことに。
世界遺産に登録されてから脚光を浴びるようになった熊野古道ですが、今日は熊野三山の一つ「那智大社」へ参る「大門坂」を歩きます。
古道踏破のほんのさわりのような短いコースです。


=熊野古道大門坂= (0810-1135)
道の駅「なち」から約5㎞、車で10分弱で大門坂駐車場(無料)に到着。
ここから那智大社まで一時間弱の行程です。

朝から日射しが強くて暑さには参りましたが、大木に囲まれた石畳の古道を歩いていると厳かな気分になります。
 
下から歩く人は少なかったようですが、車やバスでの参拝客が結構いました。
しかし参道はゴールデンウィークの繁忙期を終えほとんどの土産物店が東京へ旅行中とのことで静まり返っていました。

すぐ隣は西国33ヵ所の一番札所である「青岸渡寺」です。
ご詠歌の(一番紀伊の国なちいさん)「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」でおなじみのお寺です。

青岸渡寺のすぐ下にある三重塔。バックに那智の滝が見えます。

2年前の水害復旧工事が行われており、工事車両やクレーンを避けると滝の一部しか映せないのが残念です。


=勝浦= (1150-1320)

漁港の手前の海岸に足湯があります。近くの水産工場にでも働きに来ているのでしょうか南米系の若者たちが昼休みを過ごしていました。
かつては日本人が南米へ移民や出稼ぎに行っていたものですが、最近は地方へ行くとこういう若者をよく見かけます。しっかり稼いで元気で故国へ帰ってほしいものです。

昼食は人だかりがしていた店「竹原」に入りました。
偶然に入ったのですが、結構有名なようで店内にはいろんなスターが訪れた時の写真が壁一面に貼ってありました。
どっしりとした大きな美味なマグロの定食に満足でした。


=宇久井駒が埼灯台= (1345-1530)
勝浦の宇久井半島にある灯台です。

縄文時代は島だったという小さな半島ですが、全体が照葉樹林に覆われていて遊歩道もきれいに整備されています。

根元から枝分かれしているネズミモチの大木群を横目に灯台を目指します。

駐車場から約20分で灯台に到着。

小型灯台ですが周囲は木が茂っていて全体の写真撮影は無理です。


=道の駅紀宝町うみがめ公園= (1600-1700)
南紀一の街・新宮を経て三重県に入りました。
ここまでの和歌山の街並風景は同じ関西でもちょっと違う雰囲気を感じていましたが、新宮は関西の街並みの匂いがして何となくホッとしました。

今日の車中泊はこの道の駅か少し先の「パーク七里御浜」の予定。
取り敢えずここで夕食をとることにし、観光パンフで見た「七里御浜」で夕陽を見る為に先まで進むことにする。


=道の駅パーク七里御浜= (1720着)

スーパーが併設された珍しい道の駅です。
陸橋を渡ると七里御浜がすぐ目の前です。

海辺では太陽が海から昇り、海に沈むものと無邪気に信じていた山国育ちの私には、山に入る夕陽は想像できませんでした。

熊野古道歩きで汗だくになった一日、妻と二人で空けた350mℓ缶一本の味はさすがの下戸な私にも最高でした。
二人共、完全熟睡の夜になりました。

四角豆発芽

2013-05-27 18:30:54 | 家庭菜園
植物が旺盛な生長力を見せつけてくれる季節になってきましたが、畑作業にはつらい陽気です。

これからは汗だくになった作業シャツを乾かし、3枚ぐらいのシャツを着回しながらの作業になります。

今日やっと今年一回目の草刈り機での草刈りを終えました。
畔と未開墾部には雑草が生い茂り、年3回ほど草刈りが必要です。


高校時代の友人から貰った四角豆(ウリズン豆)ですが、どうやら無事発芽してくれたようです。
草だらけの未開墾部をあわてて開墾した畝なので、どれが雑草でどれが目的の芽かよくわかりません。
多分これが四角豆の芽だろうと他の雑草は抜いたのですが、播種した位置から随分離れた場所にも同じ芽が出ており、これが本当に四角豆の芽か疑心暗鬼です。

四角豆は背丈が大分高くなるそうなので、柿の木を利用して杖の準備をしました。
これが四角豆でなかったらガッカリです。


ジャガイモも開花し出しました。
あと数週間で収穫できるでしょう。
例年多数発生して悩まされるテントウムシダマシですが、今年は何故か今のところほとんど見当たりません。


今年4回目の収穫です。大分小粒になってきましたが、完熟イチゴの甘さを堪能しています。
早くイチゴの畝を空けて次の野菜を植えたいのですが、今少し収穫を楽しみます。


運動会

2013-05-26 21:41:54 | 日記
昨日は長孫が最後、次孫にとっては初めてとなる小学校運動会だった。
運動会と言えば秋開催が定番ですが、何故かここでは毎年今頃に行われている。

運動会模様も時代と共に変化したもの、連綿と変わらずに続いているもの・・・と様々です。

小学生になりたてほやほやの一年生のかけっこです。
平等・公平の意味が曲解されて、手をつないで横一線でゴールさせた時期もあった「かけっこ」ですが、やはり持てる力を出し切って競りあわせてこそ教育の一環としての運動会のあり方だと思います。

運動会の花形は何と言ってもリレー競走でしょう。
脚の早い子、遅い子も同じチームで勝利を目指してバトンをつないでいく中で、思いやりやそれぞれが持てる力を出し切る努力の大切さを学ぶと言った建前もありますが、差をつけられてバトンを受けた選手が必死の形相でぐんぐん差を縮める姿には、たとえ知らない子であっても思わず応援に力が入ります。

上級生の組体操は素晴らしく、危険と思われるような演技も見事にこなしていた。
特に上段の子が下段の子らの上へ後ろ向きに倒れ込む行為は、一歩間違えば大事故につながる演技だけに、モンスターペアレンツと言われる親たちに囲まれているかも知れない先生方の勇気と度胸に敬意を感じました。

ジジババも含めて親子揃っての昼食風景は昔と変わりません。
長孫の保育園時代からの仲良し3家族(ジジババも一緒で)揃っての運動会も今年が最後になります。
引っ越し直後で誰も知り合いがいなくて孤独だった我が子の運動会の時とは大違いです。

かつては競技の間中マーチ音楽が大音量で流れていましたが、いつの頃からか近隣住民に遠慮して流されなくなったようです。
昔は我が子が通っていなくても、校庭から聞こえてくるマーチ音楽に心を弾ませたものでしたが・・・。

変わるもの、変わらないもの、いろいろある中で続いて行く運動会です。

紀伊半島キャンピング旅行記(4日目)

2013-05-22 21:23:48 | 旅行
5月8日
今日はいよいよ本州の最南端・潮岬を目指します。
ここはかつて瀬戸内海へ向かう船に頼りにされた中波の海岸局・潮岬無線局があった地でもあり、無線屋にとってはなじみの深い地名です。

道の駅「志原海岸」を0700に出発、一路R42で潮岬を目指します。


=潮岬灯台= (0810-0945)
とうとうやってきました憧れの潮岬灯台。
灯台前の有料駐車場(¥300)に8時過ぎに到着、料金係のおじさんによると「灯台は9時にならなきゃ開かないよ、でも灯台までは行けるのでどこにでも車を停めて行って下さい」と料金をとろうとはされませんでした。
すぐそばの潮岬神社へ行ってみたり、東京からという70歳ぐらいの方と3人でいろんな灯台の話をしたりしながら開門を待ちました。

犬吠埼灯台よりやや低いですが、同じブラントン設計による犬吠とよく似た灯台です。
参観可能な灯台なので、燈光会の受付の女性の案内で登ってみました。

レトロな雰囲気の登り口です。中はらせん階段(一部はしご部あり)になっており、周囲は板張りがしてあり落ち着いた雰囲気の内部です。

歴史を感じさせる初点プレート
昨日の強風のためか太平洋の地平線がくっきりと美しく、大型船が行き交う海は犬吠の雰囲気を思い出させてくれ、妙に懐かしい思いがしました。

和歌山市の雑賀埼灯台の駐車場は興ざめでしたが、ここの料金係のおじさんの対応は嬉しくて、そこはやはり人の気持ちです。
帰りがけにおじさんを探して駐車料金を払い、次の樫野埼灯台を目指します。


=潮岬望楼の芝= (0946-1040)
灯台から5~600m東に潮岬観光タワーがあり、その向かい側が広い芝生広場「望楼の芝」になっています。
お土産を買いがてら時間をかけてこの広場内を散策しました。

広場から潮岬灯台を望む
ここに車を停めて(無料)灯台まで歩いてみるのもいいかも知れません。


=苗が島灯台=

串本と紀伊大島を結ぶ「くしもと大橋」の中間地点にある苗が島にも小さな灯台(橋の右下)がありました。

橋の上から撮影


=樫野埼灯台= (1105-1225)
ここ樫野崎は紀伊大島の東端にあり、明治23年に明治天皇へトルコの名誉勲章を奏呈する為に日本を訪れたトルコの軍艦「エルトゥールル号」が帰路に遭難した地です。
乗組員650名のうち助かったのはわずか69名という大惨事でしたが、村をあげて救助にあたり蓄えていた食糧や衣服を惜しげもなく提供し、抱き合って遭難者の体を暖めた人もたくさんいました。
この出来事は日本・トルコ両国で語りつがれ、以来トルコには親日家が多いということです。
今でも5年ごとにトルコ大使も出席してこの地で慰霊祭が行われている。
そんなトルコに対して、オリンピック誘致合戦の為とはいえ都知事が侮辱的な言葉を口にしました。
およそ日本人の感性に反する言葉で、トルコの親日的な感情がどうなるかと心配しましたが、安部首相が見事にフォローしてくれました。
「イスタンブールが5つの輪を射止めたら真っ先に心から拍手を送ります、そしてもし東京が5つの輪を射止めたら皆さんが世界中の誰よりも早く拍手して下さい」
安部首相の政策やタカ派的な姿勢には批判的な目を持っている私ですが、これにはさすがだと思いました。

近くにはトルコ軍艦遭難慰霊碑や記念館もあり、灯台入口前には初代大統領の騎馬像がトルコ大使館の寄付により建てられています。
 
これもブラントン設計による灯台で半円形のスカートをはいたような特徴的な姿をしています。
左側にはらせん階段が付けられていて灯台のスカートの上まで登ることができます。

灯台技師の宿舎跡も残っています。
エルトゥールル号救助の基地になったところです。
土日曜日には見学もできるようです。


=梶取埼灯台= (1440-1520)
次は串本を後にし隣の太地町にある梶取埼灯台です。

プロ野球で活躍した落合博光氏の出身地で「落合博光記念館」の案内に従って車を走らせます。

灯台敷地は広い公園として整備されています。

太地町は沿海捕鯨基地として有名で、避雷針には鯨が乗っていました。


=くじら博物館= (1530-1655)
妻の希望で運まかせの鯨ウオッチングの代わりに太地町立くじら博物館を見学。
20代の頃の職場では捕鯨船団との通信も行っていました。
当時は商業捕鯨が盛んで極洋捕鯨・日本水産・大洋漁業の三社がそれぞれ船団を組んで南氷洋で捕鯨を行っていました。
第三極洋丸(JQXZ)、第二図南丸(JLAC)、第三日新丸(JNTO)の母船名はまだよく覚えています。

当時よく聞いたキャッチャーボートの第一京丸の雄姿がここにありました。
東北の第○関丸群とここの第○京丸群で捕鯨を行っており、懐かしい人に再会したような感慨を覚えました。


=道の駅なち= (1735着)

JR那智駅(右隣)に併設されている道の駅で温泉施設もあります。
熊野古道の大門坂や補陀洛寺、那智大社、青岸渡寺、那智の滝への玄関口になるせいか各地からの車中泊車多数。
一般に道の駅には水道が設置されていないのですが、ここも白浜の道の駅「椿はなの湯」と同様に外側に水道が設置されており助かりました。


紀伊半島キャンピング旅行記(3日目)

2013-05-20 23:55:16 | 旅行
5月7日
今日も0530起床、よく晴れそうだが朝から風が強い。
0720道の駅「椿はなの湯」を出発、今日は少し逆戻りして白浜から主な灯台巡りの予定。

=番所の鼻灯台= (0755-0840)
白浜で有名な円月島の対岸・番所の崎にある灯台です。
 
京大白浜水族館や南方熊楠記念館が近くにあり、地図ではすぐにわかりそうだったのですが、南方熊楠記念館入口ゲート付近に駐車して灯台への進入路を探したのですがなかなか見つかりません。
(記念館は丘の上にあり、そこまで車で行けば灯台への道があるのですが、開館(0900-1700)前でまだゲートが閉まっていたのでわかりませんでした)

仕方がないので少し戻って海岸沿いに少し歩くと灯台への道に出ることができました。

10分ぐらいで灯台に着きます。

田辺港へ入港する船が目印にする小型灯台です。
蛇足ですがここは江戸時代に海防の要所として、紀州藩によって番所が置かれていたところから番所の崎と言われるようになったそうです。


=千畳敷= (0920-1030)

二人共唯一白浜へは来たことがあるのですが、せっかく来たのでここへも寄ってみました。
風が強くてこんな季節なのにジャンパーを着用してちょうどでした。
千畳敷の景観と真っ青な海のコントラストが気持ちいい。


=三段壁= (1035-1110)
連休が終わったのに韓国か台湾からでしょうか外国からのツアー客で結構混んでいました。

40年前の乙女が

こんな姿になりましたが、景色はほとんど変わっていません。


=市江埼灯台= (1135-1240)
R42を南へ下り、道の駅「椿はなの湯」を過ぎ、市江崎トンネルを過ぎて市江崎港方面へ右折、しばらく進むと集落があります。
港に車を停めて徒歩で「市江第一橋」を渡ると灯台へ続く一本道(コンクリート舗装されていて歩きやすい)になります。

「橋の上に物を干さないように」という珍しい注意書きがしてあります。何を干していたんでしょうね?

敷地も広くかつては灯台守がいたという予想外に立派な灯台。
地元の人か海上保安庁かわかりませんが、周囲もきれいに整備されていて気持ちのいい灯台です。


=道の駅志原海岸= (1250-1330)
和歌山に来たのにまだ和歌山ラーメンを食べていない。
味音痴の私にはラーメンの味の違いなんてよくわかりませんが、妻がせっかくなのでと言うのでここで食べました。
味は・・・?です。


=すさみ稲積島= (1345-1405)
白浜町と串本町の間にある「すさみ町」のすさみ八景のひとつ稲積島にも灯台があるようです。

地図を見ると防波堤で本土とつながっているようなので歩いて渡り出しました。
ところが途中で何か所か2m位の段差があって島へは到達不能でした。

釣り人がいる所まではこんなハシゴがあったのですが、その先には何もありません。
小さな島なので何とか渡ってみたかったのですが、昨年の能登島灯台の件以来妻には逆らえません。


=道の駅イノブータンランドすさみ= (1410-1430)
行程上ここを宿泊地にしたかったのですが、ちょっと寂しすぎる場所なので他の道の駅を探します。


=江須埼灯台= (1440-1520)
すさみ町の江須埼島にある灯台です。
江須埼島は周囲約3㎞の小さな島で本土側からは橋でつながっています。

年間平均気温が17.4℃で亜熱帯の北限になるそうです。
島内には春日神社があり参詣道が整備されているので灯台までは約15分で楽に行く事ができます。



=道の駅志原海岸= (1600着)

宿泊に適当な所がないのでここまで帰ってきました。
車中泊車は3~4台。


根深ネギに挑戦

2013-05-18 21:26:16 | 家庭菜園
この一週間は雨もなく畑も乾燥してからからです。
45ℓのゴミペール3個に雨水を受けているのですが、今日は貯まっていた水(45ℓ×3)をほぼ全部使い切ってしまいました。
明日は雨の予報なので少し本格的に降ってほしいものです。


わずかに生き残ったけど満身創痍状態のスナックエンドウ。
それでも抜かずに置いておいたので、健気に実をつけ出してくれました。
たくましい生命力にちょっと感動です。


今年3回目の収穫。
元の苗から7年目になるせいなのか小粒で収穫量も減少気味です。
一度新しい苗を購入したほうがいいのかも知れません。


初めて根深ネギの栽培に挑戦します。
植える場所が空かなくて困っていたのですが、キュウリとネギはコンパニオンプランツとして相性の良い組合せなので、ちょっと狭いのですがキュウリとキュウリの株間に植えることにしました。

スコップで深さ30cm強の穴を掘ります。掘った土は別に保管しておいて生長に応じてかぶせていきます。

有機石灰で中和したあと、片方の壁際に寄せて苗を植え付けます。
反対側の壁側に鶏糞を施して2~3cm覆土します。
植え付けてから気がついたのですが、壁は垂直ではなく傾斜をつけた方が良かったようです。
そうすればネギを寝かせられるし、風雨で崩れることもなくなります。

乾燥を防ぐためにワラ代わりの枯れ草を敷いておきました。

秋には美味しい白ネギが出来ている・・・かな?



紀伊半島キャンピング旅行記(2日目)

2013-05-15 18:49:11 | 旅行
5月6日
一日目の宿泊地は少し逆戻りして大阪府最南部の岬町にある「道の駅とっとパーク小島」です。

ここは海釣り公園に併設された道の駅で、すごい人数の釣り人で混雑していました。
一般の車中泊車は3台だけでしたが、早朝から良い釣り場を確保したい釣り人が多数車中泊をしていました。
5時半に起床、いつものようにガスコンロで食パンをあぶって朝食にし、7時半に出発。


=田倉埼灯台= (0800-0820)
友が島へ渡る渡船乗り場のある加太港から約1.5km南にある小さな岬「田倉崎」にある小型灯台です。

加太港から淡島神社の脇を通って麓付近まで車で行くことができ、そこからコンクリート階段を5~6分上ると到着。

灯器はLEDですが、岩場を照らす照射灯が併設されています。


=淡島神社= (0821-0850)

安産や女性の願い事に御利益があると言われている淡島神社。
加太港から海沿いに少し南側へ進んだところにあり、社殿には所狭しといろんな人形や面が置いてある。
 
3月3日の雛祭りには白木の舟に人形を乗せて海に流す「雛流し」が行われるそうです。


=雑賀埼灯台= (0935-0955)
和歌山市内の和歌山北港と和歌山港の間にある雑賀崎にある灯台で、和歌山市が建設した観光用展望施設の上部に海上保安庁が灯台を設置しています。

観光施設といってもあまり整備されている様子はありません。

海の眺めは確かに良いのですが、こんな所の駐車場が有料(300円)だったのは興醒めでした。

せっかく300円を払ったのでついでに海の方へ行ってみようかと、こんな怪しげな通路へ入ろうとするともう300円払え・・・と。

自然や歴史的な遺産と同様に、いやそれ以上に観光産業に従事する人の対応も重要な観光資源だと思うのですが、昨日の友が島の売店の性悪ばあさんの対応といい、ここのがめつさといい和歌山の印象はあまり良くない。
九州や能登では一般の人の親切な対応に感激したものですが、和歌山では観光産業に従事する人でさえこの対応です。
これから先の行程がちょっと思いやられます。


=白崎海岸(由良町)= (1225-1410)
岡山県の牛窓は日本のエーゲ海と言われていますが、私にはこちらの方がエーゲ海の雰囲気に近いと感じました(もっとも本物のエーゲ海へはまだ行ったこともないのですが)
 
先端は白崎海洋公園になっていて道の駅も設置されています。
この道の駅で食事をしようと思って来たのですが、あいにくレストランは営業休止中でした(現在再開を目指して整備中)。
近くには食事ができるような施設もないので、テラスで弁当を食べたのですが、まるでギリシヤかイタリアにいるようで最高の気分でした。

エーゲ海の雰囲気を味わいながらのんびりと公園内を散策しました。
 
砂浜ではないのですが、水もきれいで白い小石に打ち寄せるさざ波が気持ち良い。



=紀伊日御埼灯台= (1450-1515)
徳島県の蒲生田岬灯台と対になって瀬戸内海の入口を示す重要灯台です。

標高が高い(140m)ので搭高はあまり高くない(14m)のですが、どっしりと落ち着いた良い灯台です。
観光バスの駐車場から100mほど歩くと到達できます。


=道の駅「みなべ梅振興館」= (1610-1630)
今晩の宿泊地にする予定でしたが寂しく車中泊には不適なので、名物の梅干しを買っただけで次の道の駅を目指すことにした。


=天神崎丸山灯台= (1650-1700)

田辺市の南部・天神崎県立公園の先にある小島(?)に立つ灯台です。
田辺港に入る漁船が座礁しないように岩場の存在を示す灯台なのでしょう。
平らな岩場の上に名前どおりの小さな丸い山があります。
干潮時には歩いて渡れそうでした。


=道の駅「椿はなの湯」= 1750着

白浜温泉街を15㎞ぐらい通り過ぎた所にある温泉施設のある道の駅が今日の宿泊地です。
夜は今回初めて車中で炊飯をしました。
圧力釜を使用すると6~7分で炊き上がるので手軽です。
道の駅のレストランはほとんど17時頃に営業終了する所が多いので、今までは近くのスーパーやコンビニで弁当等を買っていました。
自炊では暖かいご飯が食べられるのが嬉しいところです。
ただ食器洗いに多量の水を使用するので残量を気にしながらになります。
しかしここは道の駅には珍しく外側に水道があり使用許可を得ることができたので助かりました。



阪神交流戦初戦敗れる

2013-05-15 00:02:11 | 日記
かつて甲子園の社宅に住んでいた頃はよく行っていた甲子園球場へ久し振りに行ってきました。
当地へ越してきてからは高校野球以外では初めてになります。
もっとも甲子園球場でプロ野球を観戦したのは、まだ山本和行投手が投げていた頃なのでずいぶん昔のことになりますが・・・。

今日はセパ交流戦の初戦で阪神対オリックスの関西勢同士の戦い。

グリーンシートの6段目と野球観戦には絶好の席だったのですが、試合は貧打戦でオリックス坂口のソロホームランによる得点のみ。

恒例のジェット風船も効果はなく、阪神はヒット4本のみでせっかく見に行ったのにまったく盛り上がりに欠ける試合で残念でした。

試合前の練習では吉田、小山、福本、亀山、浜中の解説陣に混じって阪神ファンの渡辺謙さんの姿もありました。

交流戦前は6連勝と調子づいていた阪神だが、もうぼちぼち・・・と思っていたら案の定の結果(1-0)に終わりました。
例年交流戦に弱い我阪神なれど、今年は何とか頑張ってほしいものだ。

紀伊半島キャンピング旅行記(1日目)

2013-05-13 22:09:47 | 旅行
今回の旅は、同じ関西圏でありながら、私にとっては近くて遠い国のように感じている和歌山県です。
大阪市内を通過しなければ行かれないというのが、田舎者にとっては大きなハードルになっているようです。
そんなわけで今まで白浜に一泊で行ったことがあるだけでした。

灯台巡りが中心の旅ですが、和歌山県には友が島・潮岬・樫野埼・梶取埼と魅力的な灯台がたくさんあるので楽しみです。
今回も初日の行き先と宿泊地を決めただけで、あとは行き当たりばったりの気ままな旅です。
もっともズボラで無精な私にとっては、これが車中泊でのキャンピング旅行の魅力の一つなのですが・・・。

5月5日 =友が島散策=
ゴールデンウィークが終わってから出発するつもりだったのですが、週末には雨が予想されるのであえて連休の後半に出発しました。
灯台の白と空や海の青とのコントラストが灯台巡りの魅力で、雨天ではせっかくの灯台の印象が薄れてしまいます。

今日は朝一番(加太港9時発)の渡船で友が島に渡り、一日を島内で過ごす為に0540自宅を出発。
朝早いせいか大阪市内の高速も空いていて走りやすい、8時前に加太港に到着。

乗り場にはすでにたくさんの人が待っている。
出発時には満員(定員110名)で積み残しも出るような状態だった。
予想外の人気にびっくり、写真撮影にはちょっと心配も。


約20分で友が島の野奈浦桟橋に到着。

桟橋の先は広い公園になっていて、公園内では不思議な鳴き声が聞こえる。
蛙にも似ているし、セミにも似ている、だみ声のヒグラシのような美しくない鳴き声だが姿は全く見えない。
地元の人に聞くと、やはりセミだということでした。
この島のセミは4月から鳴き出し、普通のセミが鳴き出す夏にはいなくなるそうだ。
取り敢えず公園内のトイレ(赤茶けた汚い水にビックリ)で用を足し灯台方面を目指して歩き出す。
桟橋から約20分で灯台に到着。

宿舎跡もしっかり残っています。
 
ブラントン設計の特徴的な美しい灯台です。

ここには子午線が通っていて灯台の傍には子午線広場が整備されています。
子午線広場から海を見ると、何やら不思議な物が・・・。
自然の造形物かそれとも誰かが加工したのかわかりませんが、立派にそそり立っています。

展望台より灯台を望む、対岸は淡路島。


展望台・第3砲台跡へ向かう途中で、トモガシカに出会いました。

友が島には明治20年代に建設され太平洋戦争まで活躍した6つの砲台跡があります。
その中でも第3砲台跡が最も立派なものです。


将校宿舎跡も残っています。

将校宿舎内部、土台と骨組みしか残っていません。

明治の頃の戦争は主に軍艦が重要で、この砲台群は専守防衛の重要な基地であったことがわかります。

今日は島内一周(約7㎞)するつもりでしたが、暑さが厳しく半周で諦め、桟橋前広場で帰りの船(1530発)を待ちました。
本日の歩数は17200歩、初日からちょっと疲れました。

本日の作業

2013-05-12 22:35:13 | 家庭菜園
一週間の紀伊半島キャンピング旅行から昨日帰ってきました。
(週一農業なので)いつもと同じ一週間でも、旅していると随分畑のことが気になります。
そんなわけで旅の疲れが若干残っていますが、今日早速畑へ行ってみました。



ジャガイモも大分大きくなってきましたが、雑草も負けていません!?

昨日の雨で抜きやすくなっていますが、全て除草するのに随分時間がかかりました。


ズボラな性格で、いつも間引きがいいかげんで中途半端な人参しか収穫したことがありません。
心を入れ替えて2回目の間引きをし10㎝間隔にして、鶏糞を追肥しておきました。
今年はせめて人並みの人参を収穫したいものです。


2回目の収穫です。
大小さまざまですが、トンネルをしていなかった畝のイチゴも収穫期に入りました。


夏野菜の定植完了

2013-05-04 18:15:38 | 家庭菜園
前回植え残したキュウリとトウモロコシをようやく植え付けられました。
今年はどちらも種から育てた苗です。
半透明の衣装ケースに播種したポットを入れて育てたおかげで、不順な気温の中でも立派な苗になりました。
これは友人(鬼井江さん)から教えてもらった方法ですが、低温時の発芽促進や幼苗時の防風にもなりベリーグッドです。

トウモロコシ

キュウリ

他は例年は種苗店で購入した苗を使うのですが、今年は近くの農業科のある高校の農業祭で購入した苗を植付ました。
トマト苗一本50円とか非常に安価で助かるのですが、9時からの農業祭に早い人は7時前から並んでいたようで、私らが行った9時半頃ではすごい人が並んでいて1時間以上待たされました。
おかげで良い苗は全て売れてしまい小さな苗しか買えませんでした。
果たして順調に育ってくれるでしょうか。ちょっと心配ではあります。

トマト(桃太郎)

スイカ(瑞祥)

獅子唐(万願寺)

肥料袋を利用して防風対策をしておきました。


病変のため大きくならないエンドウですが、小さいなりにけなげに花をつけていたので抜かずに残しておきました。
果たして無事実をつけることができるでしょうか?

取り敢えず夏野菜を植え付けることが出来たので、明日から紀伊半島の灯台巡りを中心にしたキャンピング旅行に出てきます。
紀伊半島には友が島灯台や紀伊日御埼灯台、潮岬灯台、樫野埼灯台、大王埼灯台、安乗埼灯台・・・と魅力的な灯台がたくさんあるので楽しみです。
帰ってきたらまた雑草との戦いが待っています。


憲法記念日

2013-05-03 20:54:48 | 日記
今日は夏の参院選で憲法改正勢力(自公・維新・みんな)が多数を占めそうな状況の中で迎えた憲法記念日です。
今までは単なる祝日くらいにしか考えていなかった「憲法記念日」ですが、今年は大分様相が違います。
それだけ憲法改正が現実味を帯びてきたということですが、個人としてよく考えてみると単純に賛成とか反対とか二元対立的に考えることは出来ません。

「憲法を変えて戦争のできる国にする動きだ」という意見を聞けば、その危惧を共有するし、、
また「今の憲法では最近の中国や北朝鮮の脅威に対応できない」という意見を聞けば、それももっともだと思う。
もしこういう状況で国民投票となった場合、どうすればいいのだろうか?

そもそも憲法というのは権力者が国民の人権を不当に侵害することを防ぐために、国民が国家権力に一定の歯止めをかけておく為のものです(国家権力は憲法によって拘束される)。
国民が国家に守らせる法が憲法だというのが「立憲主義」の考え方だそうです。

何をどのように変えるかを国民に隠したまま、改正要件(国会議員の2/3以上の賛成で発議)だけを過半数に変更しようとする動きには何やら胡散臭いものを感じます。
まるで行き先のわからないミステリーツアーに強制参加させられるようなものです。
行き先が戦場であっても後戻りは出来ません。

仮に改正要件の96条を変えて過半数にするのならば、国民投票では投票率何%以上で6割以上の賛成を条件にするとかの縛りをかける必要があるだろうと思う。

一部の人達を除いて大多数の一般人はあまり深く考えずに雰囲気に流される傾向があるような気がする(勝手に人を馬鹿みたいに決めつけるなと怒られそうですが・・)ので、時の権力者によって安易に改憲されてしまう恐れが強い。

ドイツは既に58回も憲法改正を行っているのに日本は一度も改正していないと言う議論も耳にしますが、
そのドイツやアメリカでもでも国会両院の3分の2以上を改正要件にしています。
それだけ憲法が重要なものだと認識されているのでしょう。
なぜ日本だけが改正要件を緩和する必要があるのか、まったくよくわかりません。


さらば読売新聞

2013-05-01 21:28:36 | 日記
インターネットの普及でいろんな記事や意見に触れる機会が増えました。
それまでは購読している新聞記事にあまり疑問をはさまずに読んでいましたが、最近はおかげで自分なりの判断力を加えて読む癖がついてきたように思う。

マスコミには公平で客観的な記事が書かれているものと思い込んでいましたが、そうでもないと言うこともわかりました。
ニュースバリューのあるものでも、広告主のスポンサーに都合の悪い記事はあやふやにぼかして書いたり、ひどい時は無視や小さな扱いにしたり・・・等々。
商業新聞の限界と言えるのでしょうが、読者は知らず知らずに洗脳されてしまいがちです。

特に最近憤慨したのは、紙面で消費税増税を必死になって散々煽っておきながら、いざ増税が決まると「新聞には軽減税率を適用せよ」と恥知らずにも堂々と主張していることです。
幕末に来日した外国人が感動した日本人の高い道徳心や自己犠牲の精神と言ったものはマスコミには無縁のもののようです。
(もっともマスコミだけでなくほとんどの日本人が失ってしまっていますが)

特に読売新聞はどうも海の向こうの意向に沿っているようで、日本人としては我慢が出来かねる記事が多いと感じています。
(左偏向の朝日新聞との批判はよく目にしますが、なぜか読売新聞の偏向を批判する人は少ない)
電気料金の値上げで脅して原発再稼動を急げと主張(アメリカが原発廃止に反対している)
マイナス面は軽く流してTPP賛成へと誘導(アメリカが日本を引き入れたがっているのに、あたかも日本が入れてもらいたがっているような雰囲気作り)
天皇元首・国防軍明記の憲法改正(アメリカの財政赤字削減のために軍事費を減らした分、日本の軍でカバーするという面もある)を主張
他にもいろいろと国論を二分するような問題に対して、一方に肩入れした記事が多く公平な記事が少ない。

本来マスコミは客観的な立場で公平な記事を提供する義務があると思うのですが、ニュースの中にも新聞社の意見を強くにじませた記事が多い。
勿論新聞社にもそれぞれ主張はあるでしょうから主張することに異議はありませんが、それは少なくても社説とか主張欄で展開すべきです。
一般記事の中にまで新聞社の主張を盛り込むのであれば、当然無料にすべきです。
購読料を払ってまで新聞社の意見を聞きたいとは思いません。

「家庭面が充実しているから」という家族の意見を尊重して10年以上の長きにわたって購読してきた「読売新聞」ですが、4月末の契約期間満了を期に購読を止めました。

ニュースだけならばネットからと言う手もあるので新聞購読自体を止めると言う方法もあったのですが、ネットの場合はどうしても自分の興味のあるものだけに偏りがちで、いびつな人間になってしまいそうなので地方紙の神戸新聞に変更しました。
4月末から配達されているのですが、新聞によって随分記事の扱いが違うものだと実感しています。
読売と違って自分の考えに近い記事が多く、現在のところ満足しています。