Pastorale

サヴァトラ猫との今日いちにち

正月徒然

2020年01月02日 | ひとりごと

新しい年が明けました。

今日は1月2日、とても静かなお正月です。

 

とはいっても新年から波風はありました。

私の気鬱のネタは、夫です。

悪人ではありません、むしろ善人の部類ですが・・・

とにかく私には喜怒哀楽、すべての感情をぶつけて下さるので

お正月からはきつい・・・

 

ああ、年明けからがっつり愚痴ってしまった・・・

幸いなことに夫の母も、長男もいたので

思いっきりぶちまけてしまった、元旦から・・・

 

その夫の母も突然、自分の娘のいる栃木へでかけて行きました。

しかも年末に何度も「遊びにおいで」と誘われていたのに断り、

年明けとともに突然「やっぱり行ってくる」

このフリーダムな感じ・・・

この親子って・・・

 

次男は30日に夕飯を食べに来て以来、寄り付きません。

長男は幼なじみの地元の友人たちと近場の温泉へ・・・

昨夜突然ご機嫌が直った夫は、早朝から畑で剪定をして、

その後、銭湯へ出かけて行きました。

 

私は・・・

ど・れ・に・し・よ・う・か・な~♬

ひとりコタツでドストエフスキー三昧、よりどりみどり。

BGMはチャイコフスキーの4番。

(今朝布団の中で「ポツンと一軒家」を見ていたら、そこの家主が

 自作の巨大スピーカーで大音量で聴いていたのがチャイコフスキーの4番)

色々あったけれど、一人で静かに幸せなお正月。

 

夫の波風の原因は自分自身にあるのですが、

私に痛いところをつかれると逆ギレするんです。

自分でも自分が悪いのはわかっているそうな・・・

子年の彼は、それでも今年還暦です、恐ろしい・・・

年を取るっていったいどういうことなのでしょう。

ずいぶん前に読んだヘッセのエッセイに、人間にも春夏秋冬がある、

夏を乗り越え秋へと向かうには嵐が吹き荒れることもある、そう書いてあった。

その頃の夫はまさしく人生の秋を迎えるため、吹き荒れる嵐を起こしている最中だった。

今は・・・もうすぐ冬を迎えるのに・・・

ああ地球温暖化で異常気象だから・・・

 

私自身は実りの秋、というところですか。

今回は夫にも少し言いたいことは言ってみましたが、

私たちももうあと何年も一緒にいられるわけではないので

ケンカしてても仕方ないのでは?と言ってみました。

結婚して30年、そしてあとは長くても15年くらいかと・・・

 

そうそう、はやり(?)の年賀状じまい、というのも頂きました。

夫がずいぶん前にお世話になった会社のおばちゃん。

そろそろ90歳くらいではなかろうかと夫は言っていたけれど。

私も昔は苦労して年賀状を出してました。

書道を習っていたので、お習字で原稿を書いて、何度も赤で直されて、

それを印刷して、宛名書きも毛筆で・・・

でも反ってくるのはタダの印刷で、手書きで一言添えてあればまだ上等、

「機械で印刷して、機械であて名書きしてポストに突っ込むだけのなんか

 いらないよ~」って思ったものです。

今では自分でポストにさえ行かなくてもいいらしい?

それでも出さなきゃいけないの? なんて思うのは私だけではないはず。

テレビで志らくさんが言ってましたね、

「年賀状じまいできるのは、ある程度は色々頑張って出した者だけだ」と。

だから私は堂々と年賀状じまいできるのですが、

どうしても出さなきゃならない20枚まで減らすことができました。

もうタダでダウンロードしたやつですが。

 

今日は暇にまかせて、お正月の思い出を・・・

突然「やっぱり行って来る」と出掛けたばあさん。

いくら来いと言われていたからとはいえ、一度断ったのだから、

今一度先方の都合を聞いてみないと、と私と息子が言うまでは勝手に決めていたババ。

電話したらちょっとビックリしていたそうな・・・ そりゃそうだわ。

 

私の母親は亡くなってちょうど5年を迎えようとしています。

亡くなる直前のお正月は、今思い出しても恐ろしい・・・

母も年を取ったし、お正月は実家でみんなで集まろう、と弟が言い出しっぺ。

料理上手の弟のお嫁さんがおせち料理を作ってくれるとのこと。

私はお寿司でも買って行こうと思って予約しようとしたけれど、

さすが私、もう神がかり的な予感がしていたので、出かける時に買えばいいかと。

明けてお正月、今まさにお雑煮を食べようとした瞬間電話が鳴りました。

母が「やっぱり外で食べるから、お店を探して」

え~ 元旦からいきなり8名様予約なしで受け入れてくれて、

しかも口うるさい母のおなかが満足するお店~

でもとりあえずお雑煮を・・・とお餅嫌いの私が元旦くらいはと食べ終わるか終わらないかで

また電話が・・・「お店、見つかった?」

やっとの思いで予約したしゃぶしゃぶ屋さんで私は母から一番離れた席でやけ酒を飲んだ。

 

母の言い分では「お正月に集まるなら年末に来て用意しなくては」

めったに上がらなくなった2階から客用座布団や座敷机を下して、掃除して。

年末に弟がそれをしに来なかったので、元旦からプッチ~ン

 

でも数日後、改めて訪れると母がほめてくれました。

「よく弟を説得して、みんなで楽しく会食できるようにしてくれた」と。

そりゃ弟夫婦に頭を下げてお願いして、お店にも無理言って・・・

今となっては恐ろしくも楽しい思い出です。

母が亡くなったのはその20日後、突然でした。

家族葬でしたが、お別れがしたいと来てくださった母の友人は、

「お正月の事、とても喜んでいたよ」と教えてくれました。

今こうして初めて文章にして読んでみると、すごい母親だったなぁ・・・

子どものころからほめてくれる母ではなかったので、

その時ほめられたのと、それからこれは特別枠で、

私が大所帯に嫁いで大変な思いをしていることは、

いつも労ってほめてくれていた・・・自分にはできないことだと。

そんな恐ろしくも優しい母親だったので、私は親子孝行にも努めた。

だからなにも後悔はないけれど、ひとつだけ心残りは、

一晩くらいはお布団を並べて、お互い半眠りでもいいから

夜通しおしゃべりを聞いてあげればよかったなぁ・・・

でも自分自身が子供思いの母親だったから、

私もいつも「早く帰って子供たちにご飯を作ってあげなさい」と追い立てられた。

だから寂しかったかもしれないけれど、満足していたと思う。

私も最近は一人の時間も増えて、寂しさを感じないことはないけれど、

でも一人で楽しむことは母が教えてくれた。

一人で考えて、一人で歩いて、一人で楽しむ、

と言っても私の場合は高々遊びに出かけることにおいては、ですが。

 

母はすべて一人で私たち姉弟を育て導いてくれた。

ずっと心の中で毎日感謝し続けてはいましたが、

文章に綴ったのは、5年たってやっと・・・

もう慣れましたが、年末年始はやはり寂しい・・・

 

ああ、お正月から目がポンポン。

だから書きたくなかったんだなぁ・・・

 

 


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