飛騨から帰った翌日、コンサートでした。
11月にチケットを買ったので忘れていたわけではないけれど、
旅行の申し込みをした時にはうっかりしていました。
仕事を早退して行ってきました。
ベルリン・フィルのトップ奏者が織りなすハーモニー
ニールセン:軽快なセレナード
ドヴォルザーク:5つのバガテル
シューベルト:八重奏曲 へ長調
知らない曲ばかりでしたが、それぞれの楽器の響きをとっくりと堪能しました。
好きな曲を全身に浴びてノリノリで楽しむのも良いのですが、
素晴らしい楽器の、素晴らしい音色・・・
私にとっては一番の贅沢なひとときです。
日本でも有名な樫本大進さんですが、コンマスをなさっていたのですね。
彼のヴァイオリン、心に染み入りました。
仕事を早退してバタバタと出かけて行けるのも慣れた会場だからでしょう。
ひと月おきくらいのペースで、愛知県芸術劇場へ通っていますが、
とってもすてきなコンサートホールです。
11月1日に聴いたベートーヴェンの5番と6番、
そして今一番のお気に入りの「エグモント序曲」がアンコール、
Eテレで録画中継されたので、もう一度楽しむことができました。
指揮のヘルベルト・ブロムシュテットさんが語った
交響曲「田園」について。
印象的だったのでメモしておきます。
* * * * *
彼は表題に「神に対する感謝」と記しています。
嵐は過ぎ去り、あたりは平穏になる。
神への感謝、
ベートーヴェンは敬虔な人でした。
教会には行きませんでしたが、そういう意味での敬虔さではなく、
自分自身の神を持っていたのでしょう。
交響曲第五番について
劇的要素はあるにしても「田園」は抒情的ですが、
これにたいして「運命交響曲」はドラマティックです。
最初から最後までとてつもない意志の表明、
約35分の強い意志表明です。
ベートーヴェンは胆汁質の人間で意志が強く決然とした性格でした。
荒々しいだけでなく繊細で意志強固、そこに人は惹かれるのでしょう。
意志を避けることはできず、ベートーヴェンに腕をつかまれるようです。
ベートーヴェンは音楽で自分自身を語りません。
彼は悩み多き人で、聴力が衰え作曲当時はほとんど聞こえませんでした。
音楽家にとって恐ろしい運命ですが、
彼は耳ではなく頭で音楽を聴いて作曲を続けたのです。
でも決して自分自身の悩みを語らず、語るのは人類の運命です。
* * * * *
私自身もお仏壇にお参りするという習慣がなく育って、
嫁いでからは生活の中心が仏さま、といっても過言ではない。
あんまり信心深いほうではないけれど、私の中にも自分の神さまがいます。
怪しい宗教っぽい話ではないけれど、「自分の信じるもの」というか、
自分が大事にしている思い。
そういったものを大事に生きたいといつも思っています。
お仏壇にお花をお供えして、お墓詣りも欠かさない、
(田舎でお墓はすぐそばなので、よくわかります)
そういう人はたくさんいますが、
そういうことで敬虔であるとは言えないといつも思います。
いくらご先祖さまを大事にして、お墓の花を欠かさなくても、
他人を思いやることができなかったり、
他人を傷つけるような言動をしたり、そういう人も多いです。
ブロムシュテットさんのベートーヴェン論、
とっても感銘を受けました。
・・・だから私はベートーヴェンが好きなんだなぁ・・・なんて。
なかなか意志強固にはなれませんが、
せめて自分の信条に従って生きたいと思います。
追記:
コンサートの帰り、本日のアンコール曲ということで、
たった今聴いた曲名が貼り出されています。
エグモント序曲などは初めの一音で「おお~」と心の中で叫んでしまいます。
体中の血がザワザワ~っとなりました。
知らない曲の場合は「モーツァルトっぽいなぁ」とか
「今日のプログラムからして北欧の作曲家かしら」とか
楽しく聴いています。
ベルリン八重奏団はプログラムの中から、もう一度同じ曲でしたが・・・
貼り出された曲を必死で写メってる若い人がたくさんいた。
「あんたたち、今聴いたばっかの曲でしょ、聴いてわかんなくても見たらわかるでしょ!」
と突っ込んでしまった私・・・もちろん心の中でね。
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