BOXING観戦日記

WOWOWエキサイトマッチなどの観戦記

デンカオセーンVS大毅 海外記事

2009-10-12 02:47:46 | Translated Boxing News
Daiki Kameda Falls to Kaovichit In Second Failed Title Bid
by Jake Donovan

お馴染み北米メディアの反応です。アップするのを忘れていました。ちょっと王者に甘過ぎ、かつ、挑戦者に厳しすぎのような気もしますが、日本以外の国のジャーナリストが日本注目の試合をどのように見たのかを知るのは決して悪いことではないでしょう。ドノヴァン氏からは快く翻訳と掲載の許可をいただきました。my gratitude to Jake!原文はhttp://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=22643を参照のこと。翻訳ミスは涼しい木星の文責に帰します。



「亀田大毅、2度目の世界挑戦もカオウィチットに屈す」

3度目の挑戦は魅力的な試合になるかもしれない。もし3度目が今後起こるのであればの話だが。

亀田大毅はタイのデンカオセーン・カオウィチットに0-2判定負けでフライ級での世界挑戦で0勝2敗となった。試合は日本の大阪、大阪市中央体育館で火曜日夜(現地時間)に開催された。

ジャッジのレヴィ・マルチネスとシルベストレ・アルバインザのスコアは115-113で現王者を支持、その一方でセルヒオ・カイーズは114-114のドローという驚くべきスコアを提出した。

試合は世界タイトルマッチとしては審美眼に耐え得るものでは決してなかった。というのも試合後半には現王者の過度のクリンチで膠着状態に陥ったからだ。カオウィチットは前半飛び出し、コンビネーションブローで亀田の攻撃を封じ込め、前半でポイントをリードした。

試合が進行するにつれ、亀田はボディ攻撃に活路を見出したが、その時点ですでにスコアに差をつけられ、挽回のためのラウンドも使い果たしつつあった。日本人挑戦者が近距離へ潜り込もうとするたびにベテランのカオウィチットはキャリアに裏打ちされた誤魔化しのテクニックでクリンチに持ち込み、後半の追い上げの攻撃を無効化した。

公式採点は実際以上に接戦を物語っているようにこれは事実ではない。敵地に訪れたチャンピオンはタイトルを手放してしまうような危険な状況に陥ることは見た限りではなかったからだ。

穴の多い王者として見られているが、カオウィチットは今後も戦い続ける。33歳の王者は母国タイを離れての4戦目にして、日出づる国へ出向いての3戦目で48勝1敗1分(20KO)と戦績を伸ばした。

王者の先の2回の日本のリングへの登場は坂田健史を相手にしてのものだった。2007年11月の初戦では論議を呼ぶ判定でドローとなり、13ヶ月後に再び日本の地を踏んだ王者は坂田を2ラウンドで片付けた。そこから現在まで2度の防衛に成功している。

カオウィチットの唯一の黒星は今からおよそ7年前の彼の唯一の渡米にまで遡る。Showtimeが放送したタイトルマッチで、11ラウンドでエリック・モレルに屈したの喫した一敗のみである。

亀田はこれで15勝2敗(11KO)となり、連勝は5でストップした。

この試合は約2年前の亀田の世界フライ級王者内藤大助に対する気品のかけらもない戦い以来の世界戦であった。当時18歳だった亀田は初の敗北を判定で喫するとともに汚い戦術を繰り返したかどで1年の謹慎を申し渡された。

彼は順調に復帰した。10か月足らずで5連勝を積み上げたが、結局、10月6日火曜日のマッチアップではそもそも噛み砕けないものを呑みこむという失態を演じてしまった。

勝利していれば、兄の興毅次第では同一階級で兄弟同時にメジャータイトルホルダーとして活躍するという、ボクシングの歴史においても数少ない兄弟になれるチャンスが生まれていたはずだ。

興毅は来月末に真の世界フライ級チャンピオンの称号を懸けて内藤に挑戦する。しかし当然のことだが、大毅がベルトを保持していないという状況では、日本は埼玉で行われるファン待望のタイトルマッチでは弟の守役という役どころを演じる必要があろう。

もし兄の興毅が勝者となれば、大毅も翌年復帰し、兄の勝者の輪に加わろうと頑張れるはずだ。大毅はまだまだ若いのだ。

だが、大毅の選ぶことのできる選択肢は僅かしかない。日本はWBCとWBAのみを世界タイトルと認定している。つまり、それ以外のベルトに挑戦するということは、敵地へ乗り込むことが要求されるのだ。プロとして4年、日本でだけ戦ってきた大毅にはまだその経験がない。

プロデビューから4年足らずでまだ20歳という年齢からすれば、キャリアはまだまだ続くと考えるのが普通だ。しかし、亀田大毅はフライ級のトップレベルに属していると証明するためのチャンスをすでに使い果たしたと考えることもまた無理からぬことなのである。