昨日の日曜日、また義実家へ行ってきた。
義兄に頼まれていたこともあり、義母を連れて義父のお墓へ。
そしてそのあと珍しく義母が、義実家から少し離れた所にある
スーパーに連れて行ってほしいと言ったので3人で行った。
義母は去年はほぼ自分では買い物に行こうとしていなかった。
義兄が義母が書いたメモ通りに週に1度買い物に行ってくれて
いた。
今も基本はそうなのだと思う。
が、前回私達が義実家に行った時にも義母はスーパーのチラシを
見ながら「こういうの見てるだけじゃなくて自分で買いに行きた
いけどねぇ・・」、でもなかなか行けないというようなことを
いけどねぇ・・」、でもなかなか行けないというようなことを
言っていた。
行けばそれなりに楽しいのに、出ちゃえば何とかなるのに、と
思っていた。買い物だけじゃなく、天気の良い昼間の日が高い
時間帯に、ちょっとでも外を歩けばそれなりに気分転換にもなる
だろうに義母は頑なに外に出ようとしない。
ところが昨日は珍しく義母がスーパーに連れて行ってほしいと
言うので行った。
今まで義母は「スーパーに行ってもね、歩けないからね」と
言っていたが、やはり行けば歩く、歩ける。ただ行こうとしない
だけなのだ。
昨日は言っていなかったが私達が行けば必ず言う「やることが
ない」というのも、何もしないから余計に何もしようとしなく
なるのだ。
どこかを少し片付けたり掃除をするだけでもいい、とにかく何か
をやってとりあえず動く。何もしないと気にならなかった場所も
どこか一つを片付け始めると、とたんに他の場所も気になりだした
りする。
昨日もスーパーに隣接しているホームセンターに売られている花を
見て義母はたまらず買っていた。
ここ2年くらい義母は花を買おうともしなかった。
水をやるのが面倒だからと。
が、こうして出てくれば花を見て「綺麗!」と感じ、「欲しい!」
と思ったりする。そうしてどんどん伝染していくのだ。
外を少しだけでも散歩して外の空気を吸い、季節を感じ、家の中
も少しづつでもいいから片付ける、掃除する。
そうして元気が出てきたら、私達と一緒にまた回転寿司に行った
っていいし、一度行けばまた行きたいとなり、毎月の恒例にした
っていい。そうして楽しみはできていく。
義母は外科的にどこかが悪くて歩けないわけではない。
動かないからどんどん動けなくなっていっていて、歩かないから
どんどん歩けなくなっているだけ。動けばもっと動けるようになる
のにもったいない。何をしてもまったく動けなくて寝たきりの人
もたくさんいるのに。
「ちょっとでも動こう」「ちょっとでも歩こう」という周りの助言
も義母は一切聞き入れない。
だからどんどん動けなくなる。
それで私達が行けば「毎日やることがない、やることがない」と
愚痴っているのだ。
だから私達はもう「こうした方がいいよ」という助言的なことは
一切言わないことにした。言ってもまったく聞き入れないので
言う方がイライラするから。なので私もただひたすらに義母の話を
聞き、手伝えることをしているだけ。
どこかで「もう知らない」という気持ちを持っていないとこちらの
精神がやられる。
義母は他人の気持ちに鈍感。いや、鈍感というレベルではないかも
しれない。まったく他人の気持ちを考えない。
昨日もお墓とスーパーとホームセンターに行き、義実家に帰ってく
るともうお昼だったので私はすぐに帰りたかった。
ところが義母は「焼き芋を買ったから3人で食べよう」と言う。
いや、こっちはもうすぐに帰りたいんだけど・・と思ったが、
そうも言えず旦那に言うと「じゃあちょっとだけ食べて、すぐに
帰ろう」と言うのでそうすることにした。
こちらにもこちらの予定があるのではないかということは義母は
まったく考えず勝手に焼き芋を買っていた。
私はそんな義母に合わせることにイライラしてきてしまい、焼き芋
も義母は3本買っていたが、旦那が1本だけを持ってきて、それを
分けて食べた。そのあとお昼もあるし、焼き芋でお腹いっぱいには
したくなくて、私は本当に少しだけをもらって食べた。
すると義母は私があまり焼き芋が好きではないと感じたのか、
「○○の方じゃ、焼き芋なんて取れないでしょう」「○○の方では
あんまり食べないでしょう」と言ってきた。
○○というのは私の故郷の町のことだ。
義母は自分が話した話の内容などに私が特別に興味を示さないと
良くこういう言い方をする。「SARAちゃんはこんな話に興味
ないでしょう」と。要するに自分の話した話に私が興味がないの
が気に入らないのだ。だからそういう言い方をする。
焼き芋も同じだろう。
あまり手が進まない私を見て私の故郷の名前を出してきて、そっち
では食べないんでしょう、サツマイモなんて取れないでしょうと
言ってきた。
確かに名産ではない。でも取れないということはない。子供の頃、
イモ掘りだってしたことがある。だいたいよっぽどの理由がない
限り今時良くある種類の野菜がまったく取れないなんてことは
ない。しかし義母はそういう言い方をした。
いや、悪気があったり嫌味で言っているのではないことはわかる。
私はそういう食べ物に馴染みがないのかな、○○ではあんまり食べ
ないのかな、と単純に思っただけだろう。
しかし以前、私が故郷から車で30分くらいのところにある町の話を
義母にした時のこと。故郷には若い人の洋服があまり売られていなか
ったので故郷よりちょっとだけ都会である、その車で30分くらいの
ところにある町まで行き、良く洋服を買っていた。だからその町は
若い頃に良く行った想い出の町なんだという話をしたら、義母が
言ったのは
「○○(私の故郷)には商店街がないからね」
だった。
すかさず私が「いや、商店街はあるよ。洋服も売ってるけど、
若い子のお洒落な洋服が少なかったの。だから・・」
と話しても義母は「商店街がないからでしょう?」と言う。
そこに席を外していた旦那が戻ってきて私の顔を見てどうしたの?
と言う顔をしたので「○○には商店街がないからねってお義母さんが
・・・」と私が言うと旦那もすかさず「あるよ!!」と言った。
義母の中で私の故郷はもう山だけの田舎、というイメージなの
だろう。しかし私の実家の周辺には今やファミリーレストランが
何軒も立ち並び、シャトレーゼ、ミスド、スーパーやドラッグスト
アはもちろん、銀行からしまむらから郵便局から本屋さんから何か
ら何まで徒歩で行けるとても便利なところになっている。
市全体で言えば確かに今私達が住んでいる市の方が規模が大きく
都会だが、それでも義母が思っているほど私の故郷は田舎じゃない。
仮に義母がそう思っていたとしても「商店街がないからでしょう?」
というのは失礼だ。
詳しい会話の流れを知らなかった旦那にあとから話したら
「実家の周りには何でもあるよ!○○(義母が住んでいる地域)よ
り全然都会だよ!って言ってやれば良かったじゃん!俺がいたら
言ってたよ!」と一緒になって怒ってくれた、ということがあった。
その流れもあり、昨日の義母の「サツマイモも取れないでしょう」
「○○の方じゃ、こういうの食べないでしょう」と、まぁそれは
田舎扱いという意味ではないけど、どこか私の故郷には何もない
ように思っているような発言が旦那にひっかかり、旦那がまず
「どういう意味だよ」と言うと義母は少し自分が失言したと
思ったのか、まったく違う話をすぐにし始めた。
義母は都合が悪くなるとすぐに話題を切り替えてはぐらかしたり
するので旦那は逃がさないぞ!と言わんばかりに「サツマイモな
んてどこでもできるだろうがよ!」と言った。義母は「○○は
山だから」とまだ言うので旦那が「今は何でもあるの!○○
(義母の住んでいる地域)より全然都会だよ!何でもあるよ!」
と言うと「今はね」と義母。旦那が呆れたように「今はねって、
今の話をしてるんだろうがよ!」とイライラしながら言った。
こういう時義母は旦那の反論にまず納得しない。
サツマイモなんてどこだってできるだろうがよ!と言われて、
「確かにそうだね」とはならない。
反論されてもされても言い返して、自分が失言したということは
認めない。自分が正義、正しいという姿勢を変えない。
ま、些細な会話のやり取りの中のことだが。
いや、問題はそこじゃない。
義母が頑なで自分が正義だと思っていることが問題だと思った
わけではない。問題はそのあとだ。
私はその義母と旦那のやり取りの直後にそれに当てつけるように
旦那と私が飲んでいたお茶の湯飲みをスッと立ってキッチンへ
行った。旦那もすぐに立ち上がり「帰るよ」と言ってキッチンへ
来た。私が2人分の湯飲みを洗い終えると「帰るよ」とまた旦那が
今の義母に声をかけ私も「またね」と少しトーンを落とした感じで
スッと帰った。
鈍感な義母だが、私がすぐに立ち上がってそのまま帰ったので
自分が失言して私達が帰ったのではないかというのは認識くらいは
したと思う。
しかし実際は私はその義母の発言に腹を立てたわけではない。
ただ早く帰りたかっただけ。腹を立てたとしたら、スーパーから
帰ってきてすぐに帰りたかったのに帰れず足を止められたという
ことの方が少しイライラした。
なので、旦那と義母のやり取りに乗っかるように、当てつけるよう
に帰ったのは私のちょっとした意地悪だった。
昨日はほとんどなかったが普段は失言のオンパレードで、毎回毎回
嫌な気持ちで帰っていたこともあって、すごく意識して思ったわけ
ではないが「こちらを嫌な気持ちにすると、こうしてすぐに帰っち
ゃいますよ」と釘を刺したかったというのもあったかもしれない。
しかし実際は昨日は私はそれほど義母に腹は立っていなかったの
に、そういう態度を取ったことはやはりいけなかったと、あとから
嫌な気分になった。
義実家に行っても自分の実家に行ってもちょいちょい傷ついたり
嫌な気分にさせられることは良くある。
言い返してやりたかったり、仕返ししたい気持ちはあるが、それは
最近では極力しないようにしている。
いくら自分が嫌な思いをさせられても、やはりやり返せばそれは
それで自分の罪になると思っているからだ。
それにその場では少し気持ちが良いかもしれないが、あとから気分
はやはり悪くなる。
周りの人には極力優しくしよう、できることはしてあげよう、
相手の為になることをしてあげよう、と思っていた方が自分の
気持ちはいいことがわかった。
自分に劣等感があったり、悔しさがあったり、相手に傷つけられたり
で、本当は自分も相手を嫌な気持ちにさせたくなったりしてたけど、
いや、実際私もしていたと思う。
でもそれは自分がどんなに悔しくてもしてはいけないなと思った。
人にはただ優しくするだけ。
でも自分がどうしてもできないこと、やりたくないことはきちんと
断ったりできなくてごめんねと言おうと。
そんなことを思った週末であった。