SARAのブログ

日々のことあれこれ

お正月休み

2024-01-08 16:23:29 | テレビ
旦那のお正月休みが今日で終わる。

実は昨日おとといで旅行に行ってきた。

旅行と言っても、いつも私達夫婦が好きで良く行っている他県の街に
行っただけだけど、そこに行く度に「いつか泊まってみたい」「今度は
泊まりで来たい」と思っていたのがやっと実現したという形だった。

去年のGWにも泊まってみようと試みた。
大型連休中に泊まるところなんか簡単に予約できないだろうなとは思って
いたけど、正直ここまでいっぱいで取れないものなのかと驚いた。
その時はどうしても家に帰りたくなくて、旦那と車中泊をしてしまった。
そんな経験もあったので、今回のお正月休み中もまた同じようになかなか
予約できないものなんかなぁと思っていた。
しかし予約はほぼ難なくできた。
泊まりたいと思った時にいつでも泊まれるようにと私は安い民宿などを
かなりの数ピックアップしていたのだけど、それらはほとんどが冬は
旅館ごと閉めてしまうのか、予約サイトからは予約ができない形に
なっているところが多かった。しかし普段のシーズンでは到底予約でき
ない、王道のビジネスホテルは意外にも空いていた。

湖畔に立つ、とあるビジネスホテルがあるのだけど、そこは温泉も
ついており、ビジネスホテルと言えどもシーズン中はかなり人気があり、
滅多に予約が取れない。そのビジネスホテルがラッキーにも空いていた。
もう二度と簡単には予約ができないだろうということでこの機会にその
ビジネスホテルに泊まってみることにした。
最初は湖側ではなく、反対側のほとんど景色のない部屋にしようと思って
いた。そちらの方がかなり安かったから。しかし旦那が「せっかく
だから湖側にすれば?こういう時じゃないともう泊まれないかもしれない
し。」と言ったのでそれもそうだと思い湖側を予約することにした。
始め見た予約サイトでは1泊朝食付き大人2名で22,000円だったのだが、
別のサイトをたまたま見てみたら同じ部屋で18,000円になっていたので
飛びつくようにそちらから予約した。5月くらいになると30,000円する部屋
だったので、それだけですごく得した気分になった。

ホテルはどこもかしこも真新しく、とても綺麗だった。
そして何と言っても素晴らしい眺望だった。
そのホテルじゃなくても、こんな眺望の宿には滅多に泊まれないだろう
なというほどのもので、痛く感動した。夕食はついてなかったので、コン
ビニ飯になったけど、それも部屋から出ずに自分たちの好きな時間に
安い値段で食べられるのは気楽だった。
あと、まったく眼中になかったのだけど、大浴場に行ってみたら、温泉も
とても気持ちが良かった。年を取ったからなのか、今ちょうど更年期の時期
だからなのかわからないけど、温泉もいいものだなと思えてきた。
ここまでは本当に良かった。
しかし夜はやはり私は眠れなかった。
その前の日まで良く眠れていたのに、何かのスイッチが消えたのか入って
しまったかのように、パッタリとその夜だけ眠れなかった。
眠りたいのに眠れない。そんな夜は本当に苦しい。
しかも隣では旦那が気持ち良さそうに寝ている。
「また私はこうなってしまうのか」と情けなくも思った。
そして「あーあ、これでまた明日は寝不足で動けない、もうこの旅行は
終わった」という絶望的な気持ちにもなった。何度寝返りを打っても寝付け
ず、一瞬寝てもまたすぐにハッと目が覚めてしまうのも苦しかった。
途中「何時だろう」と携帯を見たら朝の5時半になっていた。
トイレに行ったら旦那を起してしまうかなと思ったけど我慢できなくて、
行くと、そこからはもう寝付けなかった。旦那は起きなかった。
6時40分になり、前の日に旦那と7時くらいに起きようと言っていたので
「もういいだろう」と思い、部屋のカーテンを開けると旦那も起きた。
合計して4時間くらいしか寝れてなかったと思う。
鏡に映った顔はムクんでクマも酷かった。

そうそう、この旅行でとある出会いがあった。
そんな言い方をするとちょっと大袈裟だろうか。
初日の夕方、旦那と湖畔に散歩に出ると、真っ赤な髪をした外国人の
女性が1人で自撮りをしていた。
人目も憚らず、1人でいろんなポーズを取り撮影をしている。
旦那にも「なんか変わった人がいるよ~」という感じで目配せをしていた。
すると、彼女が私達の方に近寄ってきて片言の日本語で話しかけてきた。
同じように写真を撮っていた私達に「私が取ってあげますよ」的なことを
言ってきたと思う。お言葉に甘えて取ってもらった。そして彼女の
カメラでも彼女のことを取ってあげたりした。外国の人だったのでお約束
の質問として「どちらからですか?」と聞くと「アルゼンチンです!」と
彼女が答えた。そして「オペラ歌手をしています!」と彼女は自分のこと
を語り出した。大阪で公演があり、そのあとこちらに移動してきて月曜日
までこちらで過ごす、というようなことを言っていたと思う。「あぁ、そう
なんですね~」という風に話を聞いていた。そのうちせっかくだから3人で
写真を撮りましょうということになり、私の携帯で3人で写真を撮った。
すると彼女が「私のインスタグラムに送って下さい!!」と言う。
私はアカウントを持っていなかったので旦那が彼女のインスタをフォロー
した。「お名前は?」と聞かれたけど、名字を言っていいのか名前だけで
いいのか、それともここはフルネームかと迷っているうちに別の話題に
なり、結局名乗らずに終わってしまった。
しかし次の日の朝、ホテルの窓から外を覗くとまた彼女が湖畔に出てい
るのが遠目からもわかった。それが目的ではなかったけど、朝食まで
時間があったし、せっかくの早朝、湖のこんなに目の前にいるのだから
と旦那とまた散歩に出た。彼女に近づくと彼女もすぐにこちらをわかって
くれて「あぁ!!おはよう!!」と言ってくれた。
普段はアルゼンチンに住んでいて、講演があると日本に来ていると言って
いた。コロナの時期には来れなかったので今回4年ぶりに日本に来たそう
だ。日本での講演はもう10年前からしているそうだ。
私は彼女の日本語があまりにも堪能だったので、てっきり日本に住んでいる
のだと思っていたら、普段はアルゼンチンに住んでいると言う。
時々しか来ないのにここまで話せるのは凄いなと思った。
最初に話しかけてきたのも彼女だったし、外国に来て、他国の言葉で話して
いるのは向こうなのに、会話の主導権は全部彼女が持っていて、
そんな風に振る舞える彼女が凄いなと思った。
あとからyoutubeで彼女の名前を検索したら彼女の素晴らしいオペラの
講演の動画も出てきた。
最初に片言の日本語で「私はオペラ歌手をしています!!」と言われた
時は正直、そんな大したことないんだろうなじゃないけど、なんちゃってな
感じなのかなとか、そんな感じのイメージを持ったけど、いやいや本物。
本物の素晴らしいオペラ歌手の方でビックリした。
彼女も旦那のインスタをフォローしてくれて、その後メッセージも送られて
きた。ローマ字で「ARIGATOU!○○SAN!○○SAN!」と書かれていて
2日目にもう一度聞かれた時に名乗った私達の名前をちゃんと覚えて、
メッセージをしてきてくれたのが嬉しかった。
いや、こんなことは良くあることなのだろう。
いわばフランクな外国人にたまたま話しかけられた、ただそれだけのこと
だ。しかしそれさえも宝石を見つけたかのようにキラキラした思い出かの
ように感じてしまう私はやはり相当孤独で寂しいのだろうと自分を客観視
したらなんだか情けなく思った。そして本当はもっともっと人と関わりたい
のだという本音がもう抑えられなくなっていることをホテルに泊まった晩
にも旦那に話していた。
「かと言ってね、今こんな体調が不安定なのに仕事に出るとかそういう思い
切ったこともやっぱりできないし。でもやっぱりこのままじゃ辛いなと
思うようになった」というようなことを話していた。

そんなことを言っていた次の日、ホテルの朝食バイキングを食べて部屋に
戻ってきた時に何気なくメールを開いて見ると何と友達からメールが来て
いたことに気がついた。それはちょうど前日の夕方に来ていたものだった。
「あぁ、しまった・・!気づかなかった!」と思ったが、同時に「今気づい
て良かった」とも思った。メールを見ると訃報だった。
私と彼女の同級生の1人が亡くなった。故人とは高校を卒業して以来は、
メールを送ってきてくれたその友達の結婚式で会ったきりの関係だったの
で、関係としてはその友達の方が濃かった。そのこともその友達は知ってい
るので、お葬式やお通夜の日程も一応は書かれてはいたけど、それは恐らく
報告的なもので、決して一緒に行こうという誘いではなかったと思う。
そしてもし彼女が私とはあまり関わりたくないとかそういうネガティブな
感情を持っていたとしたら、故人とほとんど関わりのなかった私にイチイチ
報告しては来ないと思ったし、メールの内容も「早すぎるよね・・」という
決して事務的な内容ではなく、こちらに語りかけてくるような内容だったの
で、私は嬉しかった。
お通夜やお葬式のことはスルーして、とりあえず私よりも故人と関係の深か
った友達のことを心配するような内容のメールを送った。
すると彼女から「自分の父親が癌になった時期だったから、彼女(故人)
とあまり連絡を取れなかったことを後悔している」という内容のメールが
来たので、それに対しての返信をもう一度した。
すると「SARAに気持ちを受け止めてもらえて、ちょっと心のザワザワが
なくなったよ、ありがとう」という返事が返ってきたので、こちらも
なんだか救われたような気持ちになった。
そして「SARAも何かあったら(何もなくても)遠慮せずにいつでも連絡
してきてね」と言ってくれた。
彼女とは普段はまったくメールのやり取りもない。
しかし年に2回だけ、お互いの誕生日には必ずメールを送り合っている。
それも今となっては私にとっては貴重で、でも緊張して、そしてあまり
相手にしてもらえない印象を持つと(向こうはそのつもりはないのかもし
れないけど)途端に嫌な気分になったりして、毎回複雑な気持ちになったり
はしてしまう私にとってはイベントだった。最近ではちょうど彼女の誕生日
が年末にあったので、2週間くらい前に何度かメールを交わしていた。
なので私にしてみたらもう当分連絡なんかないと思っていた相手からの
メールだったし、単なる事務的な報告というだけではない感じでもあった
ので訃報は悲しかったけど、彼女からメールが来たことは私にとっては嬉
しいことだった。

そんなこんなで、思わぬ友達からのメールだったり、旅先での出会いだった
り、あとはいつもの親戚の集まりで義姉と久しぶりに話せたことだったり、
結局はやっぱり嬉しいことと言ったら人との関わりになるんだなと思った。
いや、それでも今まで積極的に人と関わって来なかったのはやはり関わる
と傷ついたり嫌な感情になることが多かったからであって、何の理由も
なく孤独になったわけでないし、これからだってなんの機会もなければ
また今のまま誰に連絡することもなく過ごすことになるのだろうけど、
でもやっぱり本当は人と関わって生きていきたいと思ってるんだなと、
そして相当寂しいと思って生きているんだなということは確認できたお正月
休みだった。

そんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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