「私自閉症なのかな」と思ったことは何度かあった。
ドラマやyoutubeを見ていて自閉症の人の特性と自分が重なる部分が
多くあったからだ。
しかし私の中で「いや、違う」と判断してきたのは、これは私の
自閉症に対する一番大きなイメージとしてあったのが「他人の気持ちを
読み取れない」「空気を読み取れない」というのがあり、私はそれには
該当しないと思っていたからだ。
該当しないどころか、どちらかと言えば空気を必死で読み取り、他人の
細かい表情を読み取り、こうなんじゃないかあーなんじゃないかと
あれこれ考察してしまうところまであったので、自閉の特性はないと
思ってきた。
しかし感覚過敏には子供の頃からあった。
しかしそれはみんなそうだと思っていたけど、「そうか、こういう感覚は
私だけだったんだ」と気づいたのは大人になってから、というよりおばさ
んになってからだった。
強い日光や光に弱い、大きな音に弱い、人がたくさんいる所が苦手、
直接肌に触れる部分には綿の服しか着れない、靴下やスリッパ、ブラジャー
が不快で身につけられない、シートベルトが苦痛、子供の頃から酷い偏食、
2つ以上の料理の味が混ざると食べられない、カフェインに反応しすぎて
しまう、、、、
たぶんもっとあるけど、書いてたらキリがないのでこのへんで。
あ、あと物事に感動しすぎたり、素晴らしい景色に圧倒させられすぎたり、
そういうところもあった。
ある時、何かの精神疾患の本をamazonで見ていた時にそのレビュー欄に
「私も最近になって自分がHSPであることがわかり・・・」というコメント
を見て「HSPって何?」と調べたらその特性がバッチリあてはまっていた
のでなるほどとなった。
自閉症の特性に似通うところは多くあったけど、人の気持ちや表情には
敏感で、だから自閉症ではないけど、私はこの「HSP」というヤツだった
んだと、似通っていると感じていたのは感覚が過敏、敏感すぎるという
特性のせいだったんだと納得した。
その後、youtubeでもその手のものを見るようになったせいか、感覚過敏、
特に聴覚過敏に苦しむ女の子の動画がおすすめに上がり、見たところ、
その子も回転寿司屋での小さな赤ちゃんの泣き声や雑踏に苦しんでいる
姿を見て「あぁ、わかるわかる」となった。そしてその女の子がとても
可愛い子だったので、ちょこちょこその子のチャンネルも見るようになり、
その後また出会った、当時10代後半の自閉症の男の子のチャンネルや、
彼等とコラボしているまた別の発達障害のお子さんの生活を追ったチャンネル
も常時ではないけど、時々覗くようになった。
すると・・
発達障害を持っている彼等と私が共通することがやはり多かった。
普通は一緒に食べるようなものでも別々にしないと食べられない、
赤ちゃんの時に夜になってもまったく寝てくれようとしない、手先の
微妙な力加減をすることができない、偏食、椅子に長い時間座って
いられない、気持ちの切り替えができない、変化を嫌う、予定の急な
変更に対応ができない、同じ服ばかり着てしまう(同じ色の服ばかり
着てしまう)、何かにハマると毎日毎日同じものばかり見てしまう、
興味を持ったことに対してはどこまでもどこまでも調べて、どこまでも
どこまでも覚えてしまう・・・
思えば子供の頃に違和感はあった。
幼稚園にも2年通っていたが、友達は1人もいなかった。
幼稚園でも小学校でも感じていた違和感を大人になった今言葉で表現
するとしたら「学年が違う」というのか、確かに周りの子供とは年が同じ
なのに、同じはずなのに、何故か自分だけが3歳も4歳も年が下のような
感じがしていた。幼稚園や学校に行くと私には周りの子供たちがみんな
大人のように見えていた。自分だけが何か違う・・はっきりとは言い
表せないし、そこに特別注目もしていなかったけど、子供の頃の記憶
にはそんな感覚がはっきりと残っている。
小学校に行っても自然に友達はできなかった。
本当に1人も。
だからグループ決めとか誰かとペアになって、とかそういう場面では
いつも困っていた。
姉には学校にたくさんの友達がいた。毎年誕生日になると6,7人の
友達が我が家に集まり誕生日会をしていた。
「あれ?なんで私にはこうして誕生日に呼ぶ人がいないんだろう?
なんで友達ができないんだろう?友達ってどうやって作るんだろう?」
と不思議に思った。
そこからはそんな自分が嫌だったのか、試行錯誤の連続、無理矢理友達
になろうとして嫌がられた記憶もある。そして小5になってやっと念願の
友達ができた。しかしそれは今思うと私が失敗や学習や研究によってできた
いわば形だけの友達だった気がする。
そんな風に子供の頃の私のあまりにも低かった社会性を思い出し、私は
ネットで発達障害のセルフテストをしてみた。
まぁ、ネットのものなので簡易的なものだし、正確性は疑わしいが、
あまり深くは考えずやってみた。
全部で15問くらいあっただろうか。
やっていくとまんまとまったくあてはまらないものもいくつかあった。
「あれ、やっぱり違うかも・・」と問題を進めていくと最後らへんに出て
きた、とある問題に引っかかった。
「他人の言葉を言葉通りに受け取ってしまい、他人が意図することに気づか
ない」
これは旦那と会話していて、本当に良く言われてきたことだった。
HSPで、それなりに洞察力もあり、他の人が気づかない他人の細かな
表情の変化やちょっとした仕草にも気づくことができるのに、何故か
旦那と話していると旦那の言葉をそのまま受け取ってこじれることは
良くあった。
「普通はわかるでしょ?」と良く言われていた。
「冗談っていうかさ、本当のことじゃないってわかるもんでしょ?」と。
私の中では「いやいや、わからないよ。いや、わかる人もいるのかも
しれないけど、私はたまたまわからなかっただけで・・」
そんな感じに思っていた。
しかしこんな風にちゃんとした「質問」として聞かれると「え?これも
特性なの?」と。
「いや、そういうことはあるけど、え?これも普通はわかるもんなの?
わからないのは私だけなの?」という感覚になった。
全部の質問に答えて出た結果は
「何らかの発達障害の可能性があります」
だった。
あてはまらないものもいくつかあったのに、これで可能性があるんだ、
と自分では信じがたいような、どこかで「いや、でもちゃんとした
検査とは違うし・・」と認めたくないような気持ちにもなった。
大人の発達障害診断をしてくれるところもあるのは知ってる。
本当のところはわからないが、ネットで「3万かかる」という話も
聞いたことがあるが、3万と聞くと少し躊躇もある。
普通の保険適用で数千円くらいならやってみてもいいかもしれないと
思う反面、やはり少し怖い。
「もしかしたらそうなのかも」くらいでやめておいた方がいいの
ではという気持ちもあるし、いっそ「私は発達障害なので」「私は
自閉症なので」と人には言えた方が楽になる場面もある気もするし、
でももし本当にそうだったとしたら人には隠しておきたいような
気持ちもまたどこかにはある。
どこかみんなと違う・・・そんな違和感に対して「HSP」という概念
を知ったことは大きかったが、今回「自閉症」という可能性が出て
きたことはHSPの時よりももっともっと複雑な気持ちになっている。
自分ももしかしたらそうなのかもしれないのに「自閉症」という
言葉や障害者という言葉に対して、これは偏見なのか何なのか、言葉では
うまく言い表せない気持ちがある。
少し落ち込んでいる。