眞ちゃんち

クラリネット奏者 橋本眞介Blog

指導者の探究心

2016年08月08日 | Weblog
1日広島でぶらぶら。
せっかくなんで広島で吹奏楽で特に頑張ってる高校2校を訪問。
2校ともホール練習というとこもありいい響きのサウンドを聴かせていただきました。

どの生徒も楽譜に書かれていることはある程度忠実に守っている。
そこからこの曲をどう聴かせようか、どう表現しようか、というイメージ的なものは現場の先生方の仕事であり、そこが指揮者としてやりがいのあるところ。
生徒達とあ〜だこ〜だといいながらも最終的には指揮台に立つ先生が、俺はこういうサウンドが出したい!こう表現したいんだ!ここはこういう場面だよ!と生徒達に熱く語る心があるべきだ。
我々は表現してるといいながらも実際には聴き手にはそんなに伝わることが少ない事も多い。
あくまでも音楽表現は作為的ではなく極々自然にだ。

確かに楽譜にはそう書いてある。

しかし作曲家のファンタジーを感じ取り、冷静に深くスコアを読み取らなければその曲に生命力を吹き込めないことも多い。

表現力とはダイナミクスの音の抜き差しだけではなく、コード進行、ベースの進行、和声感、様々なアーティキュレーション、メロディのフレーズとその頂点、楽器の音の良さと色、曲の色、作曲家の求める色、時代背景、、、など分析力で見えてくることの方が多い。
この辺りはプロの指揮者と楽団員レベルの分析力という本物の音楽に値するだろう。

プロの現場では指揮者がそこまでの指揮者だったら、そこまでの音楽しかできないかもしれないし、素晴らしい指揮者であれば楽団員は喜んで遥かに超える能力を発揮するだろう。

吹奏楽をやっている高校生は皆が音楽の道へ進む訳ではないし、その道に進もうと思っている人は極々少人数だ。
でも生徒達がせっかく一夏この曲に時間を割き向き合うとしたら、学生という若い感受性の高い時期にこの曲と向き合うとするならば、自ずと先生達の音楽教育は果たしてこれで良いのか?ともっとやれることがあるのではないかと自問自答したい。
音楽を通じて学んだ事は、もしかしたら社会に出て色んな場面に出くわした時、大いに役に立つこともあるかもしれない。

今日久しぶりにお会いした先生方お二人はタイプが全然違うが本質は同じで素晴らしいものをお持ちだと感じました。

音大と高校を受け持つ自分も生徒達の人間力を鍛えたい、そして指揮者、指導者として日々探究心しかない、とストイックに自分に強く言い聞かせる、、、、、って、熱く語ってしまいました。
でもなんだか久しぶりにお会いした先生方が一生懸命頑張ってる姿を見て本当に嬉しくなったのであります。

夜、吹奏楽の弟分広響ホルン倉持とサシ飲み。
いろんな夢が膨らみました。