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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽◇イ・ムジチ合奏団のヘンデル:合奏協奏曲集

2009-02-24 16:12:28 | 古楽

 ヘンデル:合奏協奏曲集 作品6

弦楽合奏:イ・ムジチ合奏団

バイオリン:フェデリコ・アゴスティーニ

CD:日本フォノグラフ(PHILIPS) PCD-8014~6

 ヘンデルの12曲からなる合奏協奏曲集は、私にとってクラシック音楽の基準となる曲の一つとなっている。つまりこの曲集と対比して、他のいろいろな曲とを聴き比べるわけである。それほど内容があり、しかも魅力を持った弦楽合奏曲なのである。あたかも灯台のように辺りを明るく照らす効能がなんとも素晴らしい。このCDでも12曲全曲が3枚のCDに収録されるほどの長さであるにもかかわらず、聴き始めると一曲一曲がまことに面白く、弦が生き生きと輝くように鳴り始め、曲の長さなどどこかに吹っ飛んでしまうほどだ。ロマン派以降の曲は、この部分は自然を描写した部分だとか、この部分は人間の感情を表した部分であるとか、必ず音楽以外の要素が入り込む。これに対してバロック音楽の素晴らしいところは、音の純粋な面白さや美しさだけをストレートに表現しているところであり、その代表的成功例がこのヘンデルの合奏協奏曲であるといえる。ヘンデルはコレルリの弦楽合奏曲に負けない曲を作ろうと、わずか1カ月の間にこの12曲の弦楽合奏曲を作曲したようで、そのエネルギーというか曲想の汲めども尽きぬ凄さには驚かされる。

 今年はヘンデル(1685年2月23日ー1759年4月14日)没後250年の記念すべき年である。バロック音楽の巨匠というと第一にバッハが挙がり、その次ぐらいにヘンデルが挙げられるというふうに通常捉えられている。しかし、私は最近になり現代人の感覚により近いのはヘンデルではなかろうかという感じ方になり、ますますその感は深まっている。例えば、「セルセ」の“懐かしい木陰よ(オンブラ・マイ・フ)”、「リナルド」の“涙の流れるままに”、「時と悟りの勝利」の“棘はそっとしておき、薔薇をお取り”などを聴けば、バロック音楽などという感覚は忘れ去って、時代を越え、現代人の我々の心の奥深くにも入り込んでくるような普遍性を持った音楽だなあとの感を深くする。そんなヘンデルがあまり人気が出ないのは、あの肖像画にあるのではとつい思ってしまう。いかにも中年のおじさんっぽい、かつらを付けた例の肖像画だ。ベートーベンやシューベルトは全人類の悩みを一人で背負っているといった精悍な顔つきを思い浮かべ、カッコイイと思い込むことができる(実際のベートーベンはあんな精悍な顔つきはしてなかったようだが)。もし、ヘンデルの肖像画がベートーベンのようであったならば、人気がもっと出たはずだ、なんというつまらぬ感じにとらわれてしまう。

 今回のCDを演奏しているのは、有名なイ・ムジチ合奏団である。1951年にローマの聖チェチーリア音楽学校の12人の弦楽器奏者によって結成され、「世界中でもっとも素晴らしい室内オーケストラ」(トスカニーニ)と絶賛を浴びてきた。指揮者を置かないため自由で自発的な音楽空間が醸し出され、聴いていてなんともすがすがしい。私は以前、カラヤン指揮のベルリンフィルのレコードを最善な演奏として愛聴してきた(CD盤はその良さが全く失われダメ)。ヘンデルの弦楽合奏曲を、現代のオーケストラの弦楽合奏として聴くと、その魅力が何倍にも増幅される。一方、イ・ムジチの弦楽合奏は原点に返るというか、緻密で淡々とした中に弦楽器の豊かな響きがなんとも魅力的ではある。(蔵 志津久)


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