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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ハスキル/グリュミオーのモーツァルト:ヴァイオリンソナタ集

2010-09-29 09:29:05 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

モーツァルト:ヴァイオリンソナタK.378/K.304/K.376/K.301

ピアノ:クララ・ハスキル

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

CD:日本フォノグラム(フィリップスレコード) 32CD-159

 モーツァルトは、未完成の曲を含めると、生涯で42曲のヴァイオリンソナタを作曲したという。最初、私はベートーヴェンとかブラームスのヴァイオリンソナタと同じように、モーツァルトのヴァイオリンソナタをずっと聴いていたが、どうもモーツァルトの時代のヴァイオリンソナタは、ロマン派以降のヴァイオリンソナタとは大分様相が違うらしいことが次第に分ってきた。つまり、ロマン派以降のヴァイオリンソナタの主役は、ヴァイオリンであることは明白であるのに対し、モーツァルトのヴァイオリンソナタの主役は、ピアノだというのだ。ピアノが伴奏をしているのではなく、逆にヴァイオリンがピアノの伴奏をしているのだという。成る程、そう思って聴くとピアノが随分と活躍していることに改めて気が付く。そうなると、モーツァルトのヴァイオリンソナタの演奏者は、ピアノ重視で選ばねばならないことになってくる。

 この点今回のCDは、ピアノがクララ・ハスキル(1895年―1960年)、ヴァイオリンがアルテュール・グリュミオー(1921年―1986年)という、正にどこからも文句が来ないこと請け合いの名コンビが演奏したものだ。録音時期は、1958年10月16―17日となっているから、ハスキルが63歳、グリュミオーが37歳で、ハスキルにとっては最晩年の録音である。ハスキルはルーマニア出身の名ピアニストで、特にモーツァルトを弾かせたら、未だに彼女を超えるピアニストはいないと私は思っている。実に滑らかで自然なピアニズムの中に、キラリと光る部分が常に内包され、まるで天上の音楽を聴いているかのようであり、一時、現実の世界を忘れ去ることができるのだ。私は、こんなピアニストは、未だかって聴いたことはないし、これからも果たして出てくるかどうか・・・。現在、「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開催されているので、その名はこれからも皆の記憶から失われることはあるまい。一方、グリュミオーは、ベルギー出身の名ヴァイオリニスト。その演奏スタイルは端正で、フランコ=ベルギー楽派の典型的ヴァイオリニストとして現在に至るまで、その名声は聞こえている。要するに美しい音色をヴァイオリンから最大限引き出してくれる最高の演奏家がグリュミオーなのだ。私にとっては、グリュミオーが録音したモーツァルトの新旧のヴァイオリン協奏曲全集は、その演奏内容の卓越さが強く印象付けられ、これからも絶対忘れることの出来ない録音となっている。

 このCDは、そんな二人が共演した、多分モーツァルトのヴァイオリンソナタの最後のスタジオ録音盤なのであろう。互いに対話でもしているように、限りなくアットホームな感覚が素晴らしく、他のコンビでは到底成し得ない境地に達している。K.378のソナタの第1楽章はそんなコンビの美学が結晶したような美しさに溢れている。気品と優美さが全体を覆いつくす。第2楽章は、多少メランコリックな表情が何とも言えずいい。第3楽章は、がらりと変わってスピード感あふれる表現が心地よく、モーツァルト曲であることが強く印象付けられる。K.304のホ短調のソナタは、私は最初に聴いたとき、その奥深さに圧倒されたことをつい最近のように思い出す。あの交響曲第40番を聴いたときのように、人生の陰の部分を覗いているみたいだ。2楽章からなるこのソナタの第2楽章は、第1楽章の絶望感を自ら慰めているかのようにも聴こえる。ハスキル=グリュミオーのコンビは、そんなソナタを滋味深く、ゆっくりと弾き進む。

 K.378のソナタは、モーツァルトの明るい何とも快活な部分が表面に現れ、赤いバラの花が煌く光の中で、咲き誇っているような幸福感に包まれている曲だ。それにこのソナタは、一層ピアノとヴァイオリンの絡み合い度合いが密になっているようにも感じられる。こうなると、ハスキル=グリュミオーのコンビは、他の追随を許さない密接さで、リスナーの心をがっちりと掴み離さない。3つの楽章からなるこのソナタは、ピアノとヴァイオリンの対話の完成度がより高く感じられる。最後のK.301のソナタは2つの楽章からなる可愛らしい曲だ。同じく2楽章からなるK.304のソナタと対をなしているようにも私には聴こえる。K.304で覗いた人生の陰の部分を通り越し、モーツァルトがまた前向きに歩み始めようとでもしているかのようにも私には感じられる。ベートーヴェンもそうだが、モーツァルトの曲は最後は前をしっかりと見つめ、肯定的になるところが、単なる芸術至上主義者とは一味違うし、それが魅力にもなっている。(蔵 志津久)


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