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◇クラシック音楽CD◇イツァーク・パールマンのプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番/第2番

2016-05-10 13:04:22 | 協奏曲(ヴァイオリン)

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番/第2番

ヴァイオリン:イツァーク・パールマン

指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー

管弦楽:BBC交響楽団

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS23054

 ヴァイオリンのイツァーク・パールマン(1945年生まれ)は、イスラエルのテル・アヴィヴ出身。4歳のとき、ポリオ(小児麻痺)にかかり、下半身が不自由になる。しかし、シュミット高等学校おいて、ヴァイオリンのレッスンは中断せず続ける。その後、テル・アヴィヴ音楽院で学び、10歳で最初のリサイタルを開催。これが切っ掛けでイェルサレム放送管弦楽団の演奏会に招かれ、ラジオにも出演。テル・アヴィヴ音楽院卒業後の1958年、13歳の時、アメリカの人気番組「エド・サリヴァン・ショー」のタレント・コンクールに応募して栄冠を勝ち取る。これにより、米国に留まることを決意し、アイザック・スターンの強い推薦を得てジュリアード音楽院に入学。17歳の時にカーネギー・ホールで米国での正式デビューを飾る。18歳の時、1964年レーヴェントリット国際コンクールで史上最年少で優勝。その後、アメリカ全土の主要都市でリサイタルを開いて絶賛を浴びる。さらに、ヨーロッパの主要都市でデビューを果たし、その評価は国際的なものとなる。これまで、グラミー賞15回、エミー賞を4回受賞する。1998年からはジュリアード音楽院の教授として教育活動にも従事。さらに近年は、指揮活動にも取り組んでいる。

 指揮のゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931年生まれ)は、ロシア出身。モスクワ音楽院で指揮を父親に、ピアノをレフ・オボーリンに師事。20歳の時、ボリショイ劇場でチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」を指揮して、名声を得る。1961年~1974年モスクワ放送交響楽団の音楽監督を務める。1970年以降は、西側での活動を活発に展開。ロイヤル・ストックホルム・フィル(1974年~77年)、BBC交響楽団(1978年~81年)、ウィーン交響楽団(1980年~82年)の首席指揮者をそれぞれ務めた。1983年に設立された「ソ連文化省交響楽団」の初代音楽監督に就任。同楽団の前身は、1957年設立された「全連邦放送オペラ・シンフォニー・オーケストラ」で、「ソ連文化省交響楽団」の消滅後は、「ソヴィエト・フィルハーモニー交響楽団」「モスクワ・シンフォニック・カペレ」と名称を代え、現在の「ロシア国立シンフォニー・カペラ」へと至っている。その後、ロジェストヴェンスキーは、ボリショイ劇場の芸術監督(2000年~2001年)を務めた。1957年のボリショイ・バレエとの初来日以来、日本へは度々訪れている。1972年大阪でモスクワ放送交響楽団を指揮してショスタコーヴィチの交響曲第15番のソ連国外初演を行った。1979年の読売日本交響楽団と初共演以来、同楽団との共演を重ね、1990年には同団の名誉指揮者に就任した。長年にわたりロシア音楽の普及に務めた功績が認められ、2001年秋に勲三等旭日中綬章を受章している。

 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番は、1915年に着想されたコンチェルティーノ(小協奏曲)を協奏曲に発展させた曲で、1916年から1917年にかけて作曲された。当時のロシアでは、この曲は理解されず、同年ロシア革命が勃発すると、1918年からプロコフィエフはロシアを離れてしまう。これにより、この曲はロシアでは陽の目を見ることはなかった。初演は5年後の1923年に、パリのオペラ座において、マルセル・ダリウーのヴァイオリン独奏とセルゲイ・クーセヴィツキー指揮パリ・オペラ座管弦楽団により行われた。この曲が、本格的に評価され始めたのは、翌1924年に名ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティによって取り上げられた以降で、今日ではプロコフィエフの協奏的作品の中で最も愛好される作品の一つになっている。曲は「緩-急-緩」の3つの楽章からなり、古典的な形式の中に、革新的和声が組み込まれている傑作として、現在広く愛好されている。このCDでパールマンは、圧倒的な超絶技巧の上に、ロマンの馥郁と香り漂う、類まれな演奏を聴かせてくれる。パールマンは、1980年10月22日にロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われたBBC交響楽団の演奏会の独奏者としてこの曲を演奏し、絶賛を浴びたが、この録音は、まだその時の興奮が冷めやらぬ、翌23日に、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオで、同じ顔ぶれでレコーディングされたものだけに、ライヴ録音並みの臨場感あるものに仕上がっている。この曲を代表する録音と言って過言なかろう。

 この第1番の初演から12年後の1935年に完成されたのがプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番である。当時、プロコフィエフは、長い海外生活を終え、旧ソ連に戻っていたが、演奏旅行で海外へ出ることも多く、この曲を手掛けたのは、パリにおいてであった。最終的には、カスピ海沿岸の街バクーで完成した。初演は、1935年スペインのマドリードで、この曲の依頼者であるヴァイオリン奏者のロベール・ソータンのヴァイオリン独奏で行われ、聴衆から熱狂的な支持を受けた。第1番が広く知られるようになったのは、シゲティが取り上げるようになって以降であったが、この第2番も、名ヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツが取り上げたことが切っ掛けとなり、以後ヴァイオリン協奏曲の名曲として、国際的に知れ渡るようになる。曲は第1番と同様に3つの楽章からなる。この第2番は、第1番より重厚感がある協奏曲で、多少の暗さがあるが、なかなかの味わいのある曲に仕上がっている。どちらかというと、第2番の方が日本人向きの曲ではないかと私は思う。特に第2楽章のロマンティックな雰囲気は一度聴くと耳から離れない。ここでのパールマンの演奏は、第1番の時とは、ぐっと趣を変え、ほの暗い曲想を巧みに弾き進み、ロマンティックな感情をうまく表現することに成功している。パールマンの第1番の劇的な表現と、第2番の内省的な響きの両方とを聴き比べてみると、これらの2曲が持つ魅力が倍増するように思う。そして、いずれの曲も、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団のメリハリの利いた的確な伴奏が光る。(蔵 志津久)


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