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春のきざし

2009年02月10日 | Weblog


 三寒四温というのは、いつ頃から言い始めるのか分かりませんが、今日の暖かさを考えると、もうそろそろ言っても良いのかなと思うような気がするのですが。

 決まりは無いのかもしれません。あるのかも知れません。こういうことは気象庁が管轄しているのでしょうか。辞書には書いてありません。中国北部とか朝鮮で古くから言われていたと書いてあります。それを日本にもあてはめたということなんでしょうね。ちょいと理屈っぽくなってしまったかな。

 

 今日、自分の畑に菜の花が一つ咲いているのを見つけました。この花だけ、つんと高く芯が延びて咲いています。畑の東京タワーだ。他の株には花は見あたりません。これは我が家では菜の花の魁です。草履が土になるのもかまわず畑に踏み込み撮ってきました。

 

 日だまりには水仙も咲いていました。よく見ていたはずなのですが、いつのまにか咲いていたんですね。こうなると、もう春はすぐそこです。いや、もう春と言ってもよいのかも知れません。木の芽などの蕾が張るから春と呼ぶという説もありますから。張るどころか、咲いてしまっていますからね。

 

 見た目は良くないのですが、私は山にある木を伐るときに、このように途中から伐ることがよくあります。途中切りとか言うのだそうです。

 山の下草を刈っていると、木の根っこに刈り払い機の刃が思い切りガチャッと勢いよくぶつかり、場合によっては株の中に食い込むことがあります。機械は大丈夫なのですが、すごい勢いでぶつかるので、きっと内部のギアにはかなりの負担がかかっているに違いありません。

 このように伐っておくと、目に見えるので、そこは静かに刈り進めることが出来、ぶつかるのを避けることが出来ます。

          

 もう一つメリットがあります。それは、土に触れている所が腐ってきたときに、上の棒になっているところを揺らすと簡単に撮れます。梃子の原理です。もし、この棒がないと、株が完全にボロボロになるまで残り、草刈りをするたびにあちこちで刃がぶつかることになります。

 欠点もあります。場合によっては強い木ですと、この切ったところから葉っぱがでてきてしまいます。つまり枯れないでしまうということです。その時には葉っぱをむしり取るほかありません。


            

 友達が遊びに来て、先日奥さんが食べに行ったというホテルにお昼を食べに行ってきました。晴れて光が強かったせいもあり、レストランから海の眺めがすばらしかったです。友達とじっくりお話をすることが出来ました。最高の気晴らしですね。

 帰りに大洗の町の中で、さんまの味醂干しとアサリの佃煮を買ってきました。おいしいですね。ご飯を何杯でも食べたいほどです。
 
                   

 一日一茶

  春立つや見古したけど筑波山

 廃 句

  春立つやそんなこと言わず筑波山
  春立つや飽きずに眺む筑波山
  春立つや青空の中筑波山
  春立つや少しずつ寄る海の音
  春立つや近江の人は如何におす
    行く春や近江の人と惜しみける  芭蕉       
  春立つや腹をたてずに衆議院