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シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「金子差入店」(2025年 日本映画)

2025年05月28日 | 映画の感想・批評
あまり知られることのない職業として、刑務所や拘置所の収監者に家族などの代わりに衣類や食べ物だけでなく、手紙も届けるという「差入屋」というのがある。そこを舞台に監督自身が脚本も書いたデビュー作品。多様性が叫ばれる傍ら、きわめて不寛容な現代社会に対して一石を投じる思いが感じられる。

主人公(丸山隆平)自身がかつて収監された経歴をもち、その体験から差入代行業の必要性を感じて、伯父(寺尾聡)の店を継承し、妻と小学生の息子とともにつつましく暮らしている。
気丈な妻(真木よう子)は「あんたの仕事は必要なの!」と夫を励まし続ける。主人公の実母(名取裕子)には夫に内緒でお金を工面し、「余計なことをするな」と派手な夫婦げんかも絶えない。そのたびに伯父がそっと息子(三浦綺羅)を守ってくれる。
職業に貴賤はないはずだが、「世間一般」からは「犯罪者に肩入れするなんて」という感情で、しつこい嫌がらせもされる。極めつけは息子への強烈ないじめも起こる。

息子の幼馴染の女の子が無残な殺され方をし、犯人の母親(根岸季衣)に差入を頼まれる。この犯人の北村匠海が、「悪い夏」以上の圧巻の演技で、不気味さ全開。母も主人公に言われた「犯罪者といえど権利はある」を盾にして、だんだん熱を帯びてくる異様さが際立つ。
この拘置所の面会時に交わされる会話のすれ違い、「2割の働きバチ・・・」は考えさせられる。

拘置所で強盗殺人事件の犯人(岸谷五朗)との面会を受付で求め続ける被害者家族の少女(川口真奈)の存在も物語を動かす。
彼女の背景が複雑ですさまじい。「生き続けてほしい」という少女の叫びを受け止めながら崩れ落ちる犯人。死に場所を探していた犯人にとって、守りたいものができたのか。真実を明かすことだけがすべてではないということか。
この少女を演じた川口真奈、映画出演は初の様子。これからが楽しみ。

主人公の葛藤を乗り越えていく成長物語。肝っ玉母ちゃんと、「自分が弱いばかりにいじめられたんだ」と父を守ろうとする息子、主人公に仕事を与え一家を見守り続ける伯父。この家族愛も泣かせる。
若い男を追いかけまわす主人公の母のくずっぷり、名取裕子がお見事。
黙々と主人公一家を見守る伯父の寺尾聡が暖かい。久しぶりの主演作「父と僕の終わらない歌」も期待でいっぱい。

主人公を演じた丸山隆平の俳優としての大きな成長ぶりを見られたのがよかった。
8年前の「泥棒役者」は面白かったし、アイドルとして見かける人柄がそのままあふれていた。関ジャニ(現スーパー∞)の他メンバーがそれぞれ癖の強い役で活躍している中、特別ファンということでもないが、彼についてもちょっと楽しみができたかな。

エンドロール後に、後日談が描かれている。お見落としなく!!!
希望になるのか、はたまた「何も変わってない!」になるのか、解釈はそれぞれ。
(アロママ)

監督:古川豪
脚本:古川豪
撮影:江崎朋生
出演:丸山隆平、真木よう子、北村匠海、岸谷五朗、根岸季衣、名取裕子、寺尾聡



「ノスフェラトゥ」(2024年 アメリカ)

2025年05月21日 | 映画の感想・批評
 ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」を東京創元新社(当時)文庫版で読んだのは学生時代ですから、もう半世紀以上むかしのことになります。19世紀当時の小説形態のひとつであった書簡形式の文体でつづられた古典ですが、じわじわと恐怖が盛り上がるおもしろさだったと記憶します。
  「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)はいわずと知れたドイツ無声映画の傑作であり、巨匠F・W・ムルナウの代表作でもあります。そもそもムルナウが映画化しようとしたのは「吸血鬼ドラキュラ」だったといわれていて、著作権の関係で遺族の許可がもらえず、やむなくオリジナル脚本(ヘンリック・ガレーン)で撮ったという伝説があります。しかし、無断借用だという遺族の訴えによってネガから廃棄を求められ、いったんは幻の映画となりました(後年ネガが発見され復元)。著作権のきれた頃合いを見計らって異能派ヴェルナー・ヘルツォークがリメイクした1979年版が有名ですが、そのほかにも何度もリメイクされているようです。そうして、今回取り上げるのは最新版のリメイクです。
 ときは1838年。ところはドイツ。冒頭、美少女が悪霊に取り憑かれる場面が描かれます。かの女エレンは数年後に不動産会社に勤める若者トーマスと結ばれるのですが、かれは新婚早々社長の特命を受けて遙かカルパチア山脈の山深い古城に住むというオルロック伯爵のもとへ向かいます。任務は街中にある古い屋敷を買いたいという伯爵との契約締結です。古城への道すがら出会う人びとはオルロックと聞いて二度と口にするなと耳を塞ぎ、そこへは行かないほうがよいと忠告する。
 トーマスを乗せた馬車が山奥の街道を走るうしろを数匹の狼が追う場面は吸血鬼ものの定石ですが、何ともおどろおどろしい。ようやく古城に着くと、かれを待ち受けていた運命は如何に・・・というわけで、ここからがお化け屋敷さながらの展開となります。トーマスは伯爵によってとらわれの身となり、トーマスが留守の間を友人夫妻に預けた妻エレンにも異変が起きる。友人はいっこうに帰還しないトーマスとエレンの精神不安を心配します。
 余談ですが、この映画で吸血鬼退治のオカルト学者に扮するウィレム・デフォーはかつてムルナウ版の撮影秘話を題材とした「シャドウ・オブ・ヴァンパイア」(2000年)において吸血鬼を演じた実在の俳優マックス・シュレックに扮しています。あまりにも鬼気迫る演技が絶賛されたシュレックが実は吸血鬼だったという怪奇譚でした。
 さて、オルロック伯がルーマニアの奥地から狼ならぬネズミの大群を引き連れてドイツの市街地に凱旋するごとく現れると同時にペストの大流行がもたらされる。実際、この時代にペストの第三次パンデミックが欧州を席巻した史実があり、これを背景として吸血鬼伝説と疫病を結びつけたのです。ムルナウ版では「吸血鬼と疫病がともにやってきた」と明確にこの点に言及しています。コロナ禍とかぶさる設定がいまの世相を反映しているのです。
  一般に広く流布されたハマー・プロ版(テレンス・フィッシャー監督)をご覧になった方は貴族の家柄出身だというクリストファ・リー扮する端正な顔立ちをしたドラキュラのイメージが強いと思います。戦前の吸血鬼役者ベラ・ルゴシもコミカルなロマン・ポランスキー版もいずれも紳士然としていました。これに反して、ムルナウ版は一度見たら目に焼き付いて離れない気味悪さであり、未見のヘルツォーク版もあの怪優クラウス・キンスキーが演じただけあってやはり群を抜くおぞましさであったはずです。そうして、新作におけるノスフェラトゥことオルロック伯のぞっとするような異形は何に例えられようかというぐらい想像を絶する禍々しさです。扮するのはトーマス役の俳優よりひとつ年下のスウェーデンの人気スターだそうで、ほとんど原型をとどめないご面相となっています。
 ムルナウ版はドイツ表現主義を代表する幻想的でシュールな映像が特徴ですが、新作は通常場面のカラー撮影に対して、恐怖や不安を増幅させる場面では退色させたモノクロームに近い色合いに統一したキャメラ・ワークがみごとです。ゴシックロマンの表紙か挿絵に出て来るような古色蒼然とした絵柄が美しい。
 最後に指摘したいことがあります。従来の吸血鬼は喉もとに噛みついて血を吸う。ところが、この映画では犠牲者の胸元をはだけて裸の胸に食らいつくという設定がおもしろい。怪人が美青年のトーマスやその美しい妻エレンを押し倒して心臓部分に食らいつく場面が妙に官能的なのはロバート・エガース監督のただならぬ感性の賜物です。(健)

原題:Nosferatu
監督:ロバート・エガース
原案:ヘンリック・ガレーン
脚本:ロバート・エガース
撮影:ジェアリン・ブラシュケ
出演:ビル・スカルスガルド、ニコラス・ホルト、リリー・ローズ・デップ、ウィレム・デフォー、アーロン・テイラー・ジョンソン

「シンシン/SING SING」(2023年 アメリカ映画)

2025年05月14日 | 映画の感想・批評
 ニューヨークのシンシン刑務所内の芸術活動による更生プログラム(RTA)に参加した収監者を描いた、実話に基づく作品。主要登場人物の85%が元収監者で実名で本人を演じている。ディヴァインGはRTAの「舞台演劇」のグループに所属し、仲間と共に作り上げていく演劇に生きがいを感じていた。ある日、刑務所で札付きの問題児として恐れられている男、ディヴァイン・アイことクラレンス・マクリン(本人)が演劇グループに参加することになった。最初はプログラムに反発していたアイだったが、Gの熱心な働きかけにより徐々に心を開いていき、演劇の世界に目覚めていく。
 『ショーシャンクの空に』 (94)では受刑者の過激な暴力が描かれていたが、この作品の受刑者達はみんなやさしい。一体どちらが本当なのかと思ってしまう。アイはプログラムを通じて尊厳を取り戻し、協調性を身につけ、仲間との友情を深めていく。
 Gは無実の罪で長い間収監されていた。すでに亡くなった人の証言を録音したテープを証拠として採用してもらえるように頼んだが受け入れられず、再審請求を却下されたようだ。結局、アイの方が先に出所することになり、Gは絶望して自暴自棄になるが、アイが寄り添い励まし勇気づける。演劇の当日を迎え、収監者たちは観客から盛大な拍手を浴びる。やがてアイは出所し、時は流れて、ついにGが出所する時が来た。
 この映画は元受刑者が実名で登場しているために、プライバシーの問題があるのだろうか。個々の受刑者の犯した罪の詳細は描かれていない。Gは無実の罪で収監されているとのことなので、観客は当然冤罪の追求を期待する。だが詳しい事情はわからず、無実の証明もなされていない。本作品はRTAによる更生がテーマではあるが、冤罪とか再審とかいうことになれば、どうしても観客の関心は冤罪の解決に向いてしまう。どうやら出所後の現在もGは無罪の判決を勝ち取っていないようなので、感動の無罪判決というストーリーにはできなかったのかもしれないが、裁判の経過や刑罰等に関してもう少し言及があってもよかったかなと思う。
 ディヴァインGを演じたコールマン・ドミンゴや、収監者たちに演技指導を行う劇作家ブレント・ビュエルを演じたポール・レイシーはそれぞれプロの俳優で、どちらの演技も素晴らしかったが、アイを自ら演じたクラレンス・マクリンの存在感は際立っていた。クラレンス・マクリンはすでに舞台には出ていたが、映画は今回が初めてだったようだ。自分自身を演じる時に「自分の内面を深めることを考えた」と言っているのが興味深い。「自分自身を掘り下げて、内面から感情と行動を表現する」というスタニスラフスキーの演劇論と通じるものがある。「役になりきる」というメソッドは自分で自分の役を演じる時により有効なのだろう。
 アイがG に語った「刑務所を出ても、またギャングになるしかない」という言葉が印象的だった。元受刑者であるアイ本人が語っているだけにリアリティがある。アイは自分の息子も刑務所に入っていると言う。貧困や犯罪の連鎖を断ち切るのはむずかしい。アメリカでは刑務所出所後の3年以内の再犯率は60%を超えるらしいが、RTAに参加した受刑者の再犯率は3%以下だという。アイの嘆きを救うのがRTAのプログラムなのだ。
 再犯を繰り返すのは本人の意志が弱いからだけではなく、元受刑者に対する社会的偏見があるからだろう。偏見や差別が受刑者の社会復帰を妨げていることは否めない。そうはいっても忘れてはならないのは被害者家族のことだ。シンシン刑務所には重罪を犯して収監されている人たちもたくさんおり、被害者及び被害者家族はこの映画を単なる感動の物語としては受け取れないだろう。被害者家族が受刑者に求めているのは反省と償いだが、自己肯定感がなく、尊厳を失った人は反省する気持ちすら起きてこないのではないだろうか。人間性を回復してこそ、自分の過ちを後悔し反省して、償いの人生を送ることができると思う。その意味でも更生プログラムの意義は大きい。(KOICHI)

原題:Sing Sing
監督:グレッグ・クウェダ―
脚本:グレッグ・クウェダ―  クリント・ベントレー
撮影:パット・スコーラ
出演:コールマン・ドミンゴ  クラレンス・マクリン  ポール・レイシー  ショーン・サン・ホセ

「花まんま」(2025年日本映画)

2025年05月07日 | 映画の感想・批評
 大阪の下町で暮らす加藤俊樹(鈴木亮平)とフミ子(有村架純)の兄弟。両親は既に亡くなっている。兄の俊樹は、死んだ父と幼い時に交わした「お前は兄やんやから、どんなことがあっても妹を守るんやで」という約束を胸に、工場で働きながら兄として妹を育ててきた。なので、口癖が、「兄貴はほんま損や役回りやで」
 そんな中、妹の結婚が決まる。相手は自分とは真逆の若き学者。結婚式が近づき、嬉しい気持ちと寂しい気持ちが入り混じっているある日、妹の様子がおかしい。俊樹には、思い当たる節があった。もしかして、フミ子はあの人に会いに行ったのか。追いかけるようにその人の家に押し掛けると、自分の知らなかった事実が突きつけられる。。。
 ファンタジー要素が強く、想像とは違う展開だった。自分の記憶と他人の記憶が同一人物で同居する不思議な話。ネット情報だが、科学的な事象に基づくものではないようだ。フミ子が生まれる直前の母親(安藤玉惠)と、救急車で運ばれてきた他人=繁田喜代美(南琴奈)がギリギリですれ違うシーンがある。その時に、神様が間違ったとのこと。これぞ”ファンタジー”である。前半は、それを理解するのに何とか付いていっている感じだった。後半は、結婚式のシーンが多くあるが、突っ込み所がちょくちょくある。個人的に結婚式関連の業務をしたことがあったので、余計に気になる。予定外の事態が起こった場合に、裏方さんはこんな動きをしたというシーンがあれば、もう少し落ち着いて観られたかもしれない。気になった人もいらっしゃるのではないか。
 ただ、映画はエンターテイメントなので、2時間十分楽しんだ。それをカバーしているのは、俳優陣の演技ではないかと思う。鈴木亮平は、人格者も悪役も、一途で真っ直ぐなキャラだとピカイチ。有村架純も、フワッとした掴みどころの無いように見えて、芯がある人物を演じるとピカイチ。兄と言い合いになる際のセリフの「わたしはわたしや」に、心の奥底の本当の気持ちが端的に表れていて、自分にピッタリ合う役柄だったのではないか。また、関東の方が、関西弁を話すと違和感があるが、二人共、兵庫県出身からなのか、自然な感じだった。バラエティ以外では初見のファーストサマーウイカ、オール阪神・オール巨人も、元々と同じキャラだが、良かった。俊樹とフミ子の子供時代の子役二人も、大人顔負けの演技で本作を支えていたと思う。今後、出演作が増えていくかもしれない。更に、酒向芳のハリウッド俳優もビックリ(?)の肉体改造演技も気合が感じられ、見応えがあった。
 ラスト、冒頭の口癖だった兄が、「支えていた」つもりが、実は「支えられていた」ということに気付くシーンが、涙無くして観られない。感涙したい時は、お薦め。
(kenya)

監督:前田哲
原作:朱川湊人『花まんま』
脚本:北敬太
撮影:山本英夫
出演:鈴木亮平、有村架純、鈴木央士、ファーストサマーウイカ、安藤玉惠、オール阪神、オール巨人、板橋駿谷、田村塁希、小野美音、南琴奈、馬場園梓、六角精児、キムラ緑子、酒向芳