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「ティファニーで朝食を」   (1961年 アメリカ映画)

2023年04月05日 | 映画の感想・批評
 1943年のニューヨーク。ホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)は夜な夜なカフェ・ソサエティに出没する高級娼婦で、取り巻きの男性からお金や高価なプレゼントをもらって気ままに暮らしている。自宅で盛大なパーティを開き、部屋があふれかえるほど人を招待し、金持ちの男性を見つけて結婚することを夢見ていた。同じアパートに引っ越してきた作家の卵のポール(ジョージ・ペッパド)は自由奔放なホリーに興味を抱き、親しくなるが、彼には有閑マダムの愛人がいた。ホリーはホセという大富豪のブラジル人の恋人ができ、結婚のためにブラジルへ旅立とうとするが、麻薬密売事件に巻き込まれて結婚は取りやめになってしまう。一方、ホリーを真剣に愛するようになったポールは、有閑マダムと別れ、作家としての自立を目指す。

 主題歌の「ムーン・リバー」があまりにも有名で、ジバンシーの黒いドレスに身を包んだヘップバーンはこの時代のファッションアイコンそのものだ。古き良き時代のハリウッドのロマンティック・コメディとして、ヘップバーンの代表作の一つとして、興行的にも成功した作品だが、映画はトルーマン・カポーティの原作とはかなり違っている。原作と脚本が異なるのは珍しいことではないが、ストーリーの改変は単なる商業上の理由ではなく、時代の制約のようなものが影響している。
 原作ではホリーは語り手(本名は明らかにされない)と恋愛関係に陥らず、ラストもハッピーエンドとは言えない。原作の語り手にはカポーティ自身が反映していて、はっきりとは書かれていないが、ゲイであることが示唆されている。またホリーがレズの子と同棲していたと語るシーンもあるが、ヘイズコード(アメリカ映画の自主規制条項)がまだ機能していた時代なので、同性愛を描くことはできなかったようだ。
 ホリーはしばしば<いやったらしい赤>と称する幻覚の出現に苦しんでいて、この苦しみから逃れるために酒や薬物に溺れたり、恋人を作ったり、ティファニーに逃げ込んだりしている。ホリーは幼い頃に両親を相次いで亡くし、兄のフレッドと共に悪い大人達に引き取られ、そこで性的虐待を含む児童虐待を受けている。<いやったらしい赤>というのは、フラッシュバックした時に現れる過去の忌まわしい記憶のことで、子供時代の苛酷な体験が原因だと考えられる。
 PTSDという病名がアメリカの精神医学会で正式に認められたのはベトナム戦争終結後の1980年のことであり、この映画が作られた1960年前後には流布していない言葉であるが、現在の視点から見れば、この原作はPTSDに苦しむ女性の物語だ。ホリーの成育歴には両親の愛情に恵まれなかったカポーティの子供時代が反映していると思われる。またカポーティはホリー役にマリリン・モンローを望んでいたそうだが、これはモンローの苛酷な少女時代がホリーの幼少期と重なるものがあったからだろう。映画では、当然のごとく、虐待のことには全く触れられていない。

 原作でも映画でも「ティファニーで朝食を」というタイトルの意味は明らかにされていない。周知の通りティファニーは世界的な宝飾品のブランドであり、飲食業とは関係がなく、店の中にレストランがあるわけでもない。映画の冒頭で早朝にタクシーで五番街に乗り付けたホリーが、ジバンシーの黒いドレスを着て、ティファニーのショーウィンドウを見ながらパンをかじる場面がある。徹夜のパーティが終わった後なのだろうか、ホリーのライフスタイルが典型的に表れているとも言えるが、タイトル回収のための苦肉の策という感が強い。原作にはないシーンだ。
 原作の中に「自分は映画スターなんかにはなれない」というホリーの台詞がある。「映画スターはエゴイストのように思われているが、実際にはそうではない」と続け、「自分はリッチな有名人になってもエゴを持っていたい。いつの日か、ティファニーで朝ごはんを食べるようになっても、このままの自分でいたい」と主張している。ティファニーで朝食を食べるというのは非現実的な願望であり、わがままであるが、わがままを大切にしたい、エゴを失いたくない、自分らしく生きたいとホリーは訴えているのだろう。自由奔放に生きるためには確固とした信念が必要なのだ。タイトルにはそんなホリーの心の叫びが隠されているような気がする。(KOICHI)

原題: Breakfast at Tiffany’s
監督:ブレイク・エドワーズ
脚本:ジョージ・アクセルロッド
撮影:フランツ・プラナー フィリップ・H・ラスロップ
出演:オードリー・ヘップバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール