シネマ見どころ

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「ザ・ホエール」(2022年、アメリカ)

2023年04月12日 | 映画の感想・批評
 

 いかにも舞台劇の映画化という佇まいである。知性派ダーレン・アロノフスキーの演出はいつになく抑え気味でオーソドックスだ。
 舞台ではよくドアが重要な役割を担うが、この映画でも主人公チャーリー以外の登場人物が安アパートの玄関ドアから登場しては去るという動作を繰り返す。チャーリーはあたかも鯨のごとき巨体だからひとりで歩行も出来ず、もっぱら居間のソファに身体をうずめたまま動くこともままならず、お菓子などをだらだら食いしながらテレビを見るかノートパソコンをたたいている。したがって、キャメラは原則としてこの部屋を出ない。
  部屋を一歩も出ようとしない頑固なキャメラはアルフレッド・ヒチコックの「裏窓」を想起させる。「裏窓」が観客に仕掛けたトリックは、足を骨折して動けない冒険写真家が息を潜めて殺人鬼の来訪を待ち受けるラストで観客もまた部屋から逃げられない錯覚に陥るという恐るべきヒチコック流心理誘導にかかってしまう魔法だ。いっぽう、この映画の場合はもちろん舞台劇の制約ということもあるだろうが、主人公はやはり簡単には動けない設定である。
 チャーリーは大学で双方向のオンライン授業を受け持っていて、ライティング(著述法)を教えている。ひとり暮らしのかれが心臓発作に見舞われたところにたまたま若者が新興宗教の勧誘に訪れる。若者の助けでなじみの看護師リズに連絡がついて一命をとりとめる。
 チャーリーが瀕死の状態で若者に紙を渡して朗読してくれと頼む場面がある。誰が書いたか知れないメルヴィルの「白鯨」の感想文だ。鯨の説明部分はうんざりするほど退屈だという感想に、私は100%同意する。その部分を端折ってモービー・ディックとエイハブ船長の対決に終始したジョン・ヒューストンの映画化作品の方が原作よりはるかにおもしろい。
 この感想文も映画の重要な小道具としてあとあと意味をもつ。映画の題名はこれにも大いに関係するのである。
 やがて駆けつけたリズはチャーリーに入院を勧めるが健康保険に加入していないのでそんな大金はないと拒む。それよりも、なぜそこに若者がいるのかリズは怪しむが、かれの訪問目的を知ってさらに態度を硬化させる。彼女の親も兄も信者であったらしく少女時代に苦い想い出があるようだ。統一教会問題で揺れたわが国の観客にも関心が深いであろうテーマだ。
 チャーリーには離婚した妻との間に17歳になるひとり娘がいて、彼女は8歳のときに家を出て行った父親がいまだに許せない。金目当てにぶらっと訪れた娘に悪態の限りをつかされてもチャーリーは娘がかわいい。リズはチャーリーが娘と会っていることを知って「二度と関わるな」と叱る。そのうち、また現れた例の若者は、意外やチャーリーがその宗教を詳しく知っていることに驚く。このようにして、主要な登場人物、リズ、若者、ひとり娘、別れた妻が次々に登場しては、チャーリーのこれまでの人生や、かれとかれらの関係が徐々に暴かれてゆくのである。
 あえて、最後まで伏せておいたが、この映画にはもうひとり重要な人物が登場する。すでに故人となっているためとうとう姿を現すことのないアランという人物を源泉として、物語が構成されているところに、この戯曲の巧妙さがある。そうして、親娘の終わりの見えない確執が果たしてどのような経路をたどるのか。繰り返される両者の激しい衝突、口論の果てに何があるのか。そこがこの映画の見どころである。
 末尾ながら、ブレンダン・フレイザーの渾身の演技に拍手を送りたい。(健)

原題:The Whale
監督:ダーレン・アロノフスキー
原作・脚本:サミュエル・D・ハンター
撮影:マシュー・リバティーク
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、サマンサ・モートン、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス