母を亡くして以後、ペットを飼うことを勧めてくれる人がいます。でも、私は母が手入れしていた草花の管理で手一杯です(>_<)。
雨が降ると、雑草がニョキニョキ、、、この暑いのに草むしりをしなくちゃいけません。もー、汗だく、土方焼けですぅ。トマトとかナスとか、食用だったら私も頑張れるんですけど。花って、手入れしないときれいに咲かないのよ。切り花を買ったほうがきれいだし楽なんだけどな。
ままん、面倒なもん、残してくれたわねえ・・・。ううう、`生き物‘はホント、手がかかるんですぅ(T0T)と思っている私が、興味を引いたブログを紹介します。
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【 “死の準備”と“生の畏敬”を教えてくれるペットロス】 2009. 7. 17
北大大学院医学研究科医療システム分野の木村祐哉さんからいただいた論文「ペットロスに伴う悲嘆反応とその支援のあり方」(『心身医学』Vol.49 No.5. 2009)をご紹介しながら、われわれとペットの現在を考えてみます。
ペットフード工業会の調査によると、2006年現在、日本の各家庭で飼育されている犬と猫の頭数は2454万6000頭に及び、約4万2000世帯のうち19.2%の家庭で犬を、14.7%の家庭で猫を飼育しています。その中の4割が「ペットを家族や子供のようなものと考えている」と答えています。
現代日本は、こんなにもペットと親密な社会になっていますが、ペットに限らず命ある者は必ず死にます。日本で「ペットロス」あるいは「ペットロス症候群」と呼ばれる「飼育動物の喪失体験」は飼い主に大きなダメージを与えます。
飼い主はペットの死を受容する過程で、落ち着かない、集中できない、悲観的になる、不安になる、すぐパニックに陥る、孤独感が強まる、自分はダメな人間だと思いこむ、罪悪感が強まる、悪夢を見る、死んだはずの動物の姿が見える、すぐに涙が出る、消化器症状や食欲異常、頭痛、肩こり、めまい、難聴、腰痛、全身倦怠感、じんましんなどの症状が表れる――ことが知られています。
ペットロスは典型的な「対象喪失」であり、キューブラー・ロスが指摘した人間の死の受容のプロセス「否認・怒り・交渉・抑うつ・受容」が、ペットが死んだときにも同様に出現するようです。特にペットの死には、「飼い主としてケアが至らなかったのでは」といった後悔や、安楽死させた場合などには罪悪感が伴う傾向にあり、それ故「たかがペットじゃないか」とか、「代わりのペットを飼えばいい」などとは簡単に片付けられない深刻さがあるようです。
この論文は、このような日本の現状を紹介した上で、ペットロスを経ることによって、悲しみやペットを拒否するといったマイナスの感情が芽生えることもある一方、感謝の気持ちや良い思い出によって人間的な成長が促されることもあり、「死の準備教育」につながるかもしれないというプラスの評価も必要ではないかと示唆しています。
人の生命が軽視されていると感じさせられるニュースが絶えない現代社会で、ペットの生死と真摯に向き合うことは、「死の準備教育」となり得るのはもちろん、われわれが忘れがちな「生の畏敬教育」にもなり得るといってよいでしょう。
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>飼い主はペットの死を受容する過程で、落ち着かない、集中できない、悲観的になる、不安になる、すぐパニックに陥る、孤独感が強まる、自分はダメな人間だと思いこむ、罪悪感が強まる、悪夢を見る、死んだはずの動物の姿が見える、すぐに涙が出る、消化器症状や食欲異常、頭痛、肩こり、めまい、難聴、腰痛、全身倦怠感、じんましんなどの症状が表れる――ことが知られています。
>特にペットの死には、「飼い主としてケアが至らなかったのでは」といった後悔や、安楽死させた場合などには罪悪感が伴う傾向にあり
この辺り、人間の場合と同じなんですね。
動物は飼い主に、文句を言ったりふてくされたりしませんから、飼い主は愛情を注ぎやすい。動物も、人間ほど思考が複雑じゃない分、単純に飼い主に擦り寄ってくる。人間どうしの付き合いとは、ちょっと違いますね。
木の手入れをする際、私は機械的に雑草をむしり、害虫を除去します。でも、その木にとって一番よい環境を考えてやっているか、、、と問われると、木のことは考えてない。こうあってほしいと、自分に都合よく手入れしています。ひょっとしたら、木は「ちょっとぉ、その枝は落とさないでよ。痛いじゃないの」なんて怒っているかもしれません。
人間どうしの付き合いとなると、愛情を注いでいる相手でも、憎しみも生まれることもあります。時として、憎しみがぐんと勝ることすらあるし。幼児虐待なんか、こんな感じじゃないかしら。
ペットで死の準備教育というけど、人間の死の場合とは質というか深みというか、なんか別物という気がします。人間の死が軽視されるような事件が増える中、ペットを飼いペットロスになる人も増えている。
動物の思考は、人間よりはるかに単純でわかりやすい。介護の規模も、ペットは人間に比べて小さいから、自分一人でなんとかできる。手に負えるわけです。
人間って、時として自分の手に余ることがある、、、というか、手に負える人なんて、いませんね(^^;)。←まだ介護疲れが残っている
手がかかるものほどカワイイのよと思う人、<ここをクリックよろしくね~ >
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
雨が降ると、雑草がニョキニョキ、、、この暑いのに草むしりをしなくちゃいけません。もー、汗だく、土方焼けですぅ。トマトとかナスとか、食用だったら私も頑張れるんですけど。花って、手入れしないときれいに咲かないのよ。切り花を買ったほうがきれいだし楽なんだけどな。
ままん、面倒なもん、残してくれたわねえ・・・。ううう、`生き物‘はホント、手がかかるんですぅ(T0T)と思っている私が、興味を引いたブログを紹介します。
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【 “死の準備”と“生の畏敬”を教えてくれるペットロス】 2009. 7. 17
北大大学院医学研究科医療システム分野の木村祐哉さんからいただいた論文「ペットロスに伴う悲嘆反応とその支援のあり方」(『心身医学』Vol.49 No.5. 2009)をご紹介しながら、われわれとペットの現在を考えてみます。
ペットフード工業会の調査によると、2006年現在、日本の各家庭で飼育されている犬と猫の頭数は2454万6000頭に及び、約4万2000世帯のうち19.2%の家庭で犬を、14.7%の家庭で猫を飼育しています。その中の4割が「ペットを家族や子供のようなものと考えている」と答えています。
現代日本は、こんなにもペットと親密な社会になっていますが、ペットに限らず命ある者は必ず死にます。日本で「ペットロス」あるいは「ペットロス症候群」と呼ばれる「飼育動物の喪失体験」は飼い主に大きなダメージを与えます。
飼い主はペットの死を受容する過程で、落ち着かない、集中できない、悲観的になる、不安になる、すぐパニックに陥る、孤独感が強まる、自分はダメな人間だと思いこむ、罪悪感が強まる、悪夢を見る、死んだはずの動物の姿が見える、すぐに涙が出る、消化器症状や食欲異常、頭痛、肩こり、めまい、難聴、腰痛、全身倦怠感、じんましんなどの症状が表れる――ことが知られています。
ペットロスは典型的な「対象喪失」であり、キューブラー・ロスが指摘した人間の死の受容のプロセス「否認・怒り・交渉・抑うつ・受容」が、ペットが死んだときにも同様に出現するようです。特にペットの死には、「飼い主としてケアが至らなかったのでは」といった後悔や、安楽死させた場合などには罪悪感が伴う傾向にあり、それ故「たかがペットじゃないか」とか、「代わりのペットを飼えばいい」などとは簡単に片付けられない深刻さがあるようです。
この論文は、このような日本の現状を紹介した上で、ペットロスを経ることによって、悲しみやペットを拒否するといったマイナスの感情が芽生えることもある一方、感謝の気持ちや良い思い出によって人間的な成長が促されることもあり、「死の準備教育」につながるかもしれないというプラスの評価も必要ではないかと示唆しています。
人の生命が軽視されていると感じさせられるニュースが絶えない現代社会で、ペットの生死と真摯に向き合うことは、「死の準備教育」となり得るのはもちろん、われわれが忘れがちな「生の畏敬教育」にもなり得るといってよいでしょう。
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>飼い主はペットの死を受容する過程で、落ち着かない、集中できない、悲観的になる、不安になる、すぐパニックに陥る、孤独感が強まる、自分はダメな人間だと思いこむ、罪悪感が強まる、悪夢を見る、死んだはずの動物の姿が見える、すぐに涙が出る、消化器症状や食欲異常、頭痛、肩こり、めまい、難聴、腰痛、全身倦怠感、じんましんなどの症状が表れる――ことが知られています。
>特にペットの死には、「飼い主としてケアが至らなかったのでは」といった後悔や、安楽死させた場合などには罪悪感が伴う傾向にあり
この辺り、人間の場合と同じなんですね。
動物は飼い主に、文句を言ったりふてくされたりしませんから、飼い主は愛情を注ぎやすい。動物も、人間ほど思考が複雑じゃない分、単純に飼い主に擦り寄ってくる。人間どうしの付き合いとは、ちょっと違いますね。
木の手入れをする際、私は機械的に雑草をむしり、害虫を除去します。でも、その木にとって一番よい環境を考えてやっているか、、、と問われると、木のことは考えてない。こうあってほしいと、自分に都合よく手入れしています。ひょっとしたら、木は「ちょっとぉ、その枝は落とさないでよ。痛いじゃないの」なんて怒っているかもしれません。
人間どうしの付き合いとなると、愛情を注いでいる相手でも、憎しみも生まれることもあります。時として、憎しみがぐんと勝ることすらあるし。幼児虐待なんか、こんな感じじゃないかしら。
ペットで死の準備教育というけど、人間の死の場合とは質というか深みというか、なんか別物という気がします。人間の死が軽視されるような事件が増える中、ペットを飼いペットロスになる人も増えている。
動物の思考は、人間よりはるかに単純でわかりやすい。介護の規模も、ペットは人間に比べて小さいから、自分一人でなんとかできる。手に負えるわけです。
人間って、時として自分の手に余ることがある、、、というか、手に負える人なんて、いませんね(^^;)。←まだ介護疲れが残っている
手がかかるものほどカワイイのよと思う人、<ここをクリックよろしくね~ >
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
で、小物からいこうかと計画中。
最初は金魚あたりからかなw
ノエルさんにはワンちゃんが良いですよ~!
庭のお手入れも一人ではなく応援団が出来ますし、番犬にもなるんじゃないかしら、、、
お散歩が大変ですが一人で黙々と歩くより楽しいと思いますよ♪