ブロ友 Kei☆さんの備忘録で、小倉恒子先生の記事がアップされています。脱毛ですっぴんの顔写真は、いくら抗がん剤治療でのビューティケアの紹介だからといっても、、、勇気が必要ですよねえ。さすが、恒子先生 (*▽*;)。
乳がんの手術後、がん患者となってすんごーく不安が増した時、私は先生の著書「怖がらないで生きようよ」を見つけました。
「がんになって、怖がらないで生きられるワケないじゃないのぉぉーっ」という反発心から本を読み始めたんですけど・・・(^^;)。
この本では、乳がんの手術後、職場に復帰した恒子先生に対し、職場の同僚や恩師、そして恒子先生の患者さんたちの温かい励ましにより、乳がんと戦う決意みたいなものが生成する過程が書かれています。
まず、復帰した恒子先生が思い出したのは、恩師の言葉です。
「患者というものは、社会的な要因や、いろんなものを背負っている。患者だけれどそういうものを背負った人間なんだ。それらを全体として診てあげなきゃいけない」。
と、“全人的医療”を教え、「君よりずっとすごい経験の持ち主が患者さんなんだよ」と諭したそうな。
で、恒子先生は、乳がん患者となって恩師の言葉を噛み締めます。
若くしてがんになったことは、医師にとっては幸運なこと。
今は昭和62年だから、来年はあるかもしれないけれど、その先、64年、65年はあるだろうか、と、漫然と考えます。
で、別の恩師(乳腺外科医)からは手紙をもらいます。以下に私がとっても気に入った、手紙の内容の抜粋を記します。
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私は幾人もの女性の手術を行っていて、女性の味方なのか敵なのか分からなくなることがあります。この方々は病気のことを心配し疑心暗鬼となり、少し気が弱くなったり・・・・と様々な悲劇がおこります。
いくら私が頑張っても皆さんの病気を癒やし、人生を癒やし、気持ちを癒やすことはできません。
これを悟った患者さんのある方々は、手術後、前向きに進むことをモットーとし、何でもがむしゃらに行ってしまう、やってしまう、進んでしまう・・・・(私はこれを自覚的「ふてくされ」と言っていますが)。
気がつくと五年たち、この五年は手術をしない人(健康な人)の十年も十五年にも値するものになっているのです。こういう人生を歩んで下さい。
結局この方々は手術を受けて、かえって人生が充実するのです。私はこういう方々を見るとじーんと来てしまいます。そしてうらやましく思うのです。
(小倉)先生は女性で、病気におそわれた経験をお持ちでも、先生は医師です。病気に負けることは実に簡単。しかし病気に勝ち、一途に病める患者に対せるのは医師の幸せです。
死を考えるのも我々には重要です。しかし、充実して短期間に没入するのは、もっと必要です。与えられた人生、しっかりやってゆきましょう。
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厳密に言えば、私は「前向き」という言葉は嫌いです。前を向けない時もあるんだよって考えるほうなので(^^;)。これを除けば、“自覚的ふてくされ”は、私が生きてゆく上でウマくギャップを越える方法になると思っています。
病気の再発の不安が、私の頭から消えることはないでしょう。
しかし、今、五年後の自分を想像してみる。その五年間、自分がしなくちゃいけなかったこと、したかったことなど、不安から行動を控えてしまったとしたら・・・?
せっかく再発しなかったのに、ただ悩んで過ごしてしまったと、五年後の自分はうんと後悔するんじゃないかと思います。学生時代にもっと真面目に勉強しておけばよかったと、社会人になってから後悔するのと似ています。
また、再発したとすると、今度はこうなる前にやらなくちゃならんことがあったと、やはりその五年間を悔やむでしょう。
再発してもしなくても、不安でどんより生きたことに臍をかむのに違いはありません。
私は今、ふてくされて生きていますが、健康な人の半分もやらなくちゃいけないことをこなせていないかもしれません。毎日のように充実の日を過ごすのも、ちょっと疲れを感じまする(^0^;)。
で、恒子先生は充実の時間を猛スピードでこなしています。恩師の手紙を心の襞に織り込んでいるのかもしれません。
なぜ猛スピードでこなせるか、、、そこに至るまでには、先生には血を吐く努力があったからだと私は確信します。
先生の著書を全部読んでわかったことは、乳がんの術後、しばらくして医師の夫と離婚。その原因に、夫は生活費を一切入れず、2000万円の競走馬を密かに買っていた。恒子先生は看護師さんから古着をもらうほど、苦労をしていた、というのを挙げています。
また、夫が「同僚の男性医師たちが、乳がん患者とだけはセックスしたくないよなぁと言ったんだよ」と笑いながら恒子先生に言った。その夫の無神経さに激怒しています。
まあ、この辺が離婚決断の決定打かなと私は勝手に想像します。
で、シングルマザーとなって息子と娘を育てるのですが、息子は父親を慕っていて、恒子先生の元を離れてしまう、、、そんな息子を最初は罵るも、親として子供の成長を見守るべく、時には息子に温かく接し、親の役目を果たそうとする。。。
乳がんになったからとて、家族や同僚から特別待遇されるわけでもなく、生活費を稼がねばならず、副作用に苦しみながらも仕事をする先生。。。我が身の不条理を、他人への攻撃に転嫁することなく、がむしゃらに生きています。
で、kei☆さんが抜粋した記事のような意見をお持ちなわけです。
恒子先生の著書を読めば、ちょっとやそっとじゃ真似のできない根性のある方だとわかるでしょう。と、同時に「私の悩みなんて、まだまだ甘いな…」と、思わず自分の生活を振り返っちゃう人もいることでしょう。
乳がん患者さん必読の書だと思います。
読んでみたくなった人、ここをクリックよろしくね
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
乳がんの手術後、がん患者となってすんごーく不安が増した時、私は先生の著書「怖がらないで生きようよ」を見つけました。
「がんになって、怖がらないで生きられるワケないじゃないのぉぉーっ」という反発心から本を読み始めたんですけど・・・(^^;)。
この本では、乳がんの手術後、職場に復帰した恒子先生に対し、職場の同僚や恩師、そして恒子先生の患者さんたちの温かい励ましにより、乳がんと戦う決意みたいなものが生成する過程が書かれています。
まず、復帰した恒子先生が思い出したのは、恩師の言葉です。
「患者というものは、社会的な要因や、いろんなものを背負っている。患者だけれどそういうものを背負った人間なんだ。それらを全体として診てあげなきゃいけない」。
と、“全人的医療”を教え、「君よりずっとすごい経験の持ち主が患者さんなんだよ」と諭したそうな。
で、恒子先生は、乳がん患者となって恩師の言葉を噛み締めます。
若くしてがんになったことは、医師にとっては幸運なこと。
今は昭和62年だから、来年はあるかもしれないけれど、その先、64年、65年はあるだろうか、と、漫然と考えます。
で、別の恩師(乳腺外科医)からは手紙をもらいます。以下に私がとっても気に入った、手紙の内容の抜粋を記します。
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私は幾人もの女性の手術を行っていて、女性の味方なのか敵なのか分からなくなることがあります。この方々は病気のことを心配し疑心暗鬼となり、少し気が弱くなったり・・・・と様々な悲劇がおこります。
いくら私が頑張っても皆さんの病気を癒やし、人生を癒やし、気持ちを癒やすことはできません。
これを悟った患者さんのある方々は、手術後、前向きに進むことをモットーとし、何でもがむしゃらに行ってしまう、やってしまう、進んでしまう・・・・(私はこれを自覚的「ふてくされ」と言っていますが)。
気がつくと五年たち、この五年は手術をしない人(健康な人)の十年も十五年にも値するものになっているのです。こういう人生を歩んで下さい。
結局この方々は手術を受けて、かえって人生が充実するのです。私はこういう方々を見るとじーんと来てしまいます。そしてうらやましく思うのです。
(小倉)先生は女性で、病気におそわれた経験をお持ちでも、先生は医師です。病気に負けることは実に簡単。しかし病気に勝ち、一途に病める患者に対せるのは医師の幸せです。
死を考えるのも我々には重要です。しかし、充実して短期間に没入するのは、もっと必要です。与えられた人生、しっかりやってゆきましょう。
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厳密に言えば、私は「前向き」という言葉は嫌いです。前を向けない時もあるんだよって考えるほうなので(^^;)。これを除けば、“自覚的ふてくされ”は、私が生きてゆく上でウマくギャップを越える方法になると思っています。
病気の再発の不安が、私の頭から消えることはないでしょう。
しかし、今、五年後の自分を想像してみる。その五年間、自分がしなくちゃいけなかったこと、したかったことなど、不安から行動を控えてしまったとしたら・・・?
せっかく再発しなかったのに、ただ悩んで過ごしてしまったと、五年後の自分はうんと後悔するんじゃないかと思います。学生時代にもっと真面目に勉強しておけばよかったと、社会人になってから後悔するのと似ています。
また、再発したとすると、今度はこうなる前にやらなくちゃならんことがあったと、やはりその五年間を悔やむでしょう。
再発してもしなくても、不安でどんより生きたことに臍をかむのに違いはありません。
私は今、ふてくされて生きていますが、健康な人の半分もやらなくちゃいけないことをこなせていないかもしれません。毎日のように充実の日を過ごすのも、ちょっと疲れを感じまする(^0^;)。
で、恒子先生は充実の時間を猛スピードでこなしています。恩師の手紙を心の襞に織り込んでいるのかもしれません。
なぜ猛スピードでこなせるか、、、そこに至るまでには、先生には血を吐く努力があったからだと私は確信します。
先生の著書を全部読んでわかったことは、乳がんの術後、しばらくして医師の夫と離婚。その原因に、夫は生活費を一切入れず、2000万円の競走馬を密かに買っていた。恒子先生は看護師さんから古着をもらうほど、苦労をしていた、というのを挙げています。
また、夫が「同僚の男性医師たちが、乳がん患者とだけはセックスしたくないよなぁと言ったんだよ」と笑いながら恒子先生に言った。その夫の無神経さに激怒しています。
まあ、この辺が離婚決断の決定打かなと私は勝手に想像します。
で、シングルマザーとなって息子と娘を育てるのですが、息子は父親を慕っていて、恒子先生の元を離れてしまう、、、そんな息子を最初は罵るも、親として子供の成長を見守るべく、時には息子に温かく接し、親の役目を果たそうとする。。。
乳がんになったからとて、家族や同僚から特別待遇されるわけでもなく、生活費を稼がねばならず、副作用に苦しみながらも仕事をする先生。。。我が身の不条理を、他人への攻撃に転嫁することなく、がむしゃらに生きています。
で、kei☆さんが抜粋した記事のような意見をお持ちなわけです。
恒子先生の著書を読めば、ちょっとやそっとじゃ真似のできない根性のある方だとわかるでしょう。と、同時に「私の悩みなんて、まだまだ甘いな…」と、思わず自分の生活を振り返っちゃう人もいることでしょう。
乳がん患者さん必読の書だと思います。
読んでみたくなった人、ここをクリックよろしくね
This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)
小倉恒子先生のだんなさんの言葉は、かなり辛いですね。
でも、小倉恒子先生は、仕事に打ち込んでいくことで、いろんな不安をちょっと忘れることができたのかも。
人それぞれ、病気の程度、辛さや苦しみは違うけど、いろんな立場の人の体験や考えを読んだり聞いたりするのは、いつの間にか自分の支えになってます。
しかも、詳しめのあらすじまで書いて下さって、こっちは良書を探す手間が減って助かっています(笑)。
私はとても恒子先生のように生きようとは思いませんが、恩師の手紙の一行だけ、自分に都合良くいただき、自分の支えにしちゃっています。
色々な立場の人の体験段は、ともすると病気で卑屈になってしまう病人にとって、客観的な視点に戻す作用もあると考えます。
恒子先生が患者に、柔軟性を持つことを示唆するのは、卑屈で頑固になった患者さんも大勢診ているからなんじゃないかと思ったり。。。
などなど、色々と想像させてくれるわけですよ^^
Yahoo!でのニュースについた反響は、かなりの人が勇気をもらったようです。
この本が出版されたのは2002年。本の中に、「私はもう、長くは生きられないかもしれない」と書かれていました。
で、私が恒子先生のブログを見つけたのが2006年です。元気な日常生活を綴られて、でも、再発した病状は厳しそうで。。。
いやはや、すんごい先生だと思いました。先生のこの6年間は、普通の人の20年ぐらいの密度になっているんじゃないかと思います。
初発・再発どっちの患者さんにとっても、恒子先生は希望の光なんですよ。
嘘がつけない正直な人ともいえるかもしれませんが、正直、先生みたいにモラル的に高いものを持った方が、何でこんな
いやしいエゴの塊みたいな男と結婚したんだろーな、とかいつも思っちゃいます。
でも離婚も病気も不幸と感じさせないところが
先生のすごさかな。
先生の回想より、癌と戦う女医をテーマにTV局が番組を企画したことがあったそうです。
先生を取材したけど、癌患者としての暗さが全くなく、普通の医者と同じくガシガシ仕事をするばかり。これじゃ放映できないということで、没になったそうです。すご過ぎてもTV放映にはならないようです(笑)。