西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

市村羽左衛門(13)

2016-06-10 | 役者絵
これは歌川国貞(3代目豊国・天明6~元治元・1786~1865年)
の役者絵
「美伊達五節句 花方揃侠気名弘 一名ほめことば」(みたてごせっく はながたぞろいいきじのなびろめ)
「菊重の陽三 市村羽左衛門 立花屋家橘」(きくがさねのようぞう いちむらうざえもん たちばなやかきつ)だ。
制作年は文久3(1863)年9月とある。

13代目の羽左衛門は、この年に8代目市村家橘を襲名し、その後5代目尾上菊之助となる人物だ。
市村座の座元でもあり、1年前の「白浪五人男」の弁天小僧菊之助で生涯の当り役を手にした。

   

戯作者仮名垣魯文(1829~94)の書き入れには
そのようなことが色々と書かれている(漢字は常用漢字に、送り仮名は適宜変換した)。

「寺島(羽左衛門の本名)の大菊(父のこと) 無常の風に散り失せしより
 女形(おやま)の菊に名を止どめ 其の形ここに絶え果てなんと 
 昔気質のひいき連 こぞってこれを嘆ぜしに
 根分けの女(め)より大株の 名に立花(たちばな)の実を生じ 江戸市村と 評高く
 弁天小僧(役の名)のゆすり場には 黒白(こくびゃく)の仕分けを見せ 
 桜丸(役の名)の腹切りには 死活の呼吸をあらわせり 
 石留武助(いしどめぶすけ・役の名)が不死身のこなしは 三国一と称しつべし
 景勝(役の名)が上下(かみしも)さばきは な○ろ感心
 謙信(役の名)が世継ぎと云わでも 推せられぬ
 総て其の役に依りて 流行をうがつ(とらえる)こと 余人の及ばぬ芸才なり
 彼の飴売りの千太郎(役の名)に扮ずる時は 今度二丁目の座元の息子と 鎌倉節に遠く響き
 竹門の虎(役の名)の評判 千里の外(ほか)に聞こえたり
 徳兵衛(天竺徳兵衛・役の名)が蟇(がま)の妖術 天竺渡りの普賢象
 猫の妖怪 お菊の怪談 一牧(ひとつ)として闕(か)けける事なき 若手の魁頭(あらもの)
 なす業は 外祖父(おおじ)梅寿(3代目菊五郎)に似て 其の面影も菊のえん
 七百余歳を保つといえる 菊の盃重陽(9月9日の節句)の 年を重ねて后の月(のちのつき)
 栄うる末は三つ櫓(江戸三座) その一本(ひともと・市村座)の太夫元 
 禿菊(かむろぎく)の幼童(おさなき)より 翁草の老人(としより)まで 
 この橘を愛でざるものなく 齢(よわい)を身延の紫色 それに由縁(ゆかり)の菊橘(きくたちばな)
 奇妙法連 芸評と ホゝ 敬って白(もう)す

 江戸前の戯作者 仮名垣魯文」

七百余歳とは、「乱菊枕慈童」という所作(舞踊)の外題を匂わせている。
主人公の慈童は菊の葉露を飲んで、七百余歳の命を保つという。

后の月とは、「后の月酒宴島台」(のちのつきしゅえんのしまだい)、通称「角兵衛」という所作の外題を匂わせている。

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